同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

17-探索者たち

公開日時: 2020年11月5日(木) 08:47
文字数:4,208


 次の日、ヨーイチと井坂は再びクロアナ街へと降り立った。今回は正々堂々、前世監理車で中心街まで乗り入れ、腰にはその威厳を主張するようにブレインスキャナをぶら下げる。

 時刻は夕方過ぎ、町はある程度活気があったが、二人がやってきた途端に潮が引くように静かになった。道行くクロアナ達は、見慣れぬ二人の腰に目を落とすと、すっと目をそらして家へと戻っていってしまう。ご丁寧に、二人が目の前を通った瞬間に、目の前でカーテンを引かれることも一度や二度ではなかった。

 この場所でブレインスキャナを持つ者は、忌み嫌われた「覗き魔」以外の何者でもない。


「ヨーイチ君、しゃんと顔を上げて歩いて。君の顔が、重要なクロアナを引き寄せるんだから」

「十分に上げてるじゃないですか……」

「違う違う、もっとこうキリっとさぁ……君には華がないんだから、華がさあ」


 居心地が悪そうに町を歩くヨーイチの背中を、井坂が強く叩く。そのやりとりに、ヨーイチの傍らに居るサキがくすりと笑った。


「客寄せのマスコットみたい」


 そう言って、ヨーイチの脇腹をわざわざ突いてくるのだから、たまったものではない。体が反応するのを必死に押さえていると、井坂が不思議そうに「どうしたの?」と聞いてくる。


「……なんでもない、です」

「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。今回はスキャナもあるし、いざとなったら本部に連絡もとれる。周りをじっくり観察して、相手が現れるのを待つだけさ」

「ですけど……本当に、現れるでしょうか」


 井坂の死角でサキの手の甲をつねりながら、ヨーイチは不安を滲ませて言った。

 ヨーイチと井坂がここに乗り込む前に別の班が確認したところ、やはりあのホテルはもちろん、ライブハウスももぬけの殻だったらしい。人がいた痕跡は残ってはいるが、証拠や手がかりとなり得るものは何一つでてこなかった。盗撮がバレることを恐れて、念には念をと使用した虫カメラのタイムラグが徒となってしまった結果だ。

 しかし井坂と矢土の予想では、必ずナナシ率いるグループの偵察隊的な存在が、旧アジト付近に配置されているはずだという。ナナシは隔離所の様子……走馬燈局の内部について強い興味を持っていた。引き払った跡地にやってきた走馬燈局の動きを、必ず確認したいはずだ。

しかし、だ。ヨーイチはあたりを見回しながらつぶやく。


「気持ちの良いほどに人の気配がないですけど……」


 すでにヨーイチが潜入したホテルの手前まで来ているが、あたりはしんと静まりかえっている。時折思い出したかのように吹く風が、割れた窓ガラスを通るひゅうひゅうという音だけが侘しく響く程度だ。


「まあ、まだ来たばかりだし……捜査するフリしながら、気長に待とうよ」


 井坂はそう言ってライブハウスへと続く階段を降り始めた。慌てて後を追うヨーイチとすれ違いざまに、サキがヨーイチの服の裾をつかむ。


「私、ここで外を見張ってる」

「……頼んだ」


 井坂に聞こえないくらいのボリュームでそう言って、ヨーイチはうなずく。確かに、ヨーイチ以外には姿が見えない彼女は、捜査においては有利かもしれない。その心中を悟ったのか、サキは得意げに笑みを浮かべていた。

 遊びじゃ無いぞと言ってやりたいが、声に出すわけにもいかず、ヨーイチは何も言わずに井坂の跡を追った。


「ノスタルジックで良いライブハウスだねぇ。僕の時代にちょっとはやったんだよ、古き良き前時代のデザインがさ」


 二重扉の向こうに広がるフロアで、天井にぶら下がっている球体(井坂曰く、ミラーボールというらしい)を眺めながらのんびりと井坂が言う。捜査は先発隊が徹底的に行っているため、今更調べることなどない。井坂は早速、「以外とふかふかだ」とつぶやきながら、フロアの中央にあったソファに身を沈めている。


「ちょっと俺、アパートの方を見回ってみます」

「はいよ。誰か見つけたら、連絡してね」

「了解」


 階段を登り、裏口から外にでる。人の気配がないか神経を周りにとがらせながら、ヨーイチは隣のアパート裏、ガラスの割れた窓から中へと侵入した。旧時代の七畳間ほどのワンルームは、クロアナの住む隔離所より広いが、形式は良く似ている。

 ナナシの部屋と全く同じそこをぐるりと見渡して、そこで垣間見た、サキの記憶のことを思い出す。

 この世に生まれ落ちた時から、クロアナは箱に詰め込まれる。規則正しく割り振られた正方形の部屋で、形式化された人生を生きることを強いられる。しかしこの町も似たようなものだろう。隔離所から出たクロアナは、結局死ぬまでクロアナ街から抜け出すことなどできないのだ。

 では自分はどうだろうか。ヨーイチは、がらんとした部屋を眺めて思った。昔はいざ知らず、今や姉とサキを迎え入れても部屋が余るほどの家に住んでいる。それはヨーイチが自身でつかみ取った力であると自負している。自らが、あがいて手に入れたもの。彼らが決して持っていない、自分で勝ち取ったもの。

 自由。

 俺は自由なのだろうか。

 誰に対して。『何』に対して。


「……イチ!」


 遠くで自分を呼ぶ声がして、はっと顔を上げる。

 部屋を横断してアパートの正面玄関から外に出ると、丁度サキがライブハウスへ続く階段を降りようとしている所だった。


「サキ、どうし……」

「しっ! ……自然に振る舞って」


 サキが固い声で言った。ということは……この近くに誰かが、いる。

 小さく頷きながら歩み寄ると、サキはライブハウスを挟んで右側、今は廃墟となっている写真館を指さした。ヨーイチは周りをぐるりと見回すふりをしながら、ちらと写真館の方を見やる。ショーケースの中に並べられている椅子や人形を、せっせと運びだそうとする男が見えた。

 一瞬だけ、その男と目が合った気がした。


<井坂さん、聞こえますか>

<……うーごめん、うとうとしてた。誰かいた?>

<はい。外……ライブハウスから道路を挟んで右側にあった、古い写真館です>

<了解。さっそく話をしてみよう>


 地上に戻ってきた井坂に、ヨーイチは視線で男の方を差した。<運試しといきますか>、そう脳通話で井坂は言うと、迷いない足取りで写真館へ歩き出す。


「やあ兄さん、性が出るねえ」


 井坂が話しかけた瞬間、男は大げさにびっくりした表情で手に持っていた額縁を落とした。破片が飛び散ると同時に、男の視線がすっとヨーイチの腰に落ちる。そこにぶら下がるブレインガンをまん丸い目で見つめた後、そろそろと視線をあげた。


「ああ、どうも……えっと、監理官さん」


 おびえた表情の男は、ヨーイチの記憶には無い。彼が偵察隊の一人であるなら、おそらくナナシはヨーイチとは面識の無い者を選ぶだろう。井坂がヒビの入った額縁を拾って差し出しながら、退路を断つかのように一歩踏み込んだ。


「大丈夫ですか? 驚かせてしまって申し訳ない」

「いえ……」

「ここいらは、ずいぶんと人が少ないですね」

「まあ、ずいぶんと建物が老朽化しているから」

「この写真館も、ちょっと地震がきたら崩れちゃいそうですしね。そんなところで、何を?」


 男はわざとらしく黙った後、つぶやくように言った。


「ああ……今、住んでいるところが手狭で。しかも老朽化具合はこことそんなに代わらないもんで、こっちに移ろうと思っているんですよ。それで掃除を。持ち主不在なら問題ないですよね? 届書も、そのうち出すんで……」

「それは大変ですな。あまり片付いてないみたいですが、今さっき始めたばかりですか」

「ええ、まあ」

「奇遇ですね。僕らもさっき来たばかりなんです」


 男は答えずに、じっと自分の靴のつま先を見つめている。脅しは十分通じただろうと思ったのか、井坂は「ちょと聞きたいことが」と続けた。


「あそこの雑居ビルあるでしょう、それと両隣のホテルとアパート。あの場所に住み着いていたクロアナたちについて教えてほしいんです。この写真館に移ろうと思っていたなら、今まで何度か付近を見に来たことくらいあるでしょ。なにか、知ってることありますかね。いや、どんな小さなことでもかまわないんですが」


 井坂の言葉に、あからさまに男の瞳が揺らいだ。黒だと判断した井坂はさらにたたみかける。


「僕の言っている意味が分かりますね」

「……何のことだか」

「別にね、タダで情報をもらおうなんてそんな野暮なこと言わないよ。ナナシさんも、『人間は交換しなければならない』って口癖のように言ってたものね。交換って、もちろん対等な価値のもの同士で成り立つことだ。貴方がコミュニティを裏切るに見合うだけのものを、僕たちは持っているってことなんだよ」


 ね、と井坂がヨーイチに視線をよこす。ヨーイチはポケットの中に入れていた透明のケースを取り出して男の前に掲げた。

 できるだけ感情を殺して、口を開く。


「これ、何か分かりますか」

「……いや」

「アンチクロアナチップ。聞いたことくらいあるでしょう」


 男の瞳の色が変わる。


「これを体内に埋め込めば、今まで貴方を縛り付けていたあらゆる制限から解放される。町中のセンサーに引っかからず、どんな店にも入ることができる。職業選択も、社会制度も一般人と同じように受けることが可能だ。死ぬまでそれは有効だし、しかも走馬燈局の公認で、罰せられことは決して無い。つまり」


 男の瞳に宿った希望の色を見据えながら、言葉を続ける。


「これを使えば貴方は一般人になれる」


 ヨーイチの言葉が三人の周りに澱のように降り積もる。居心地の悪い沈黙が続き、男は身動きせず、ヨーイチの手の中にあるケースをじっと見つめていた。

 長い間逡巡した後、男はそっと目線を下げた。


「……ゴミ捨て場を探している」

「……は?」

「ナナシさんは、走馬燈局のゴミ捨て場を探しているんだ」


 ヨーイチはそっと井坂に目配せをしたが、井坂も意味が分からないというように肩をすくめる。


「ゴミ捨て場、っていうのは」

「詳しくは知らない。だが、ナナシさんとユータさんが話しているのを聞いたことがある。走馬燈局から出る一部のゴミが、クロアナ街のゴミ捨て場へ運ばれてくるらしい。おそらく地下で、走馬燈局とクロアナ街が繋がっているんだと」

「ゴミって、一体何の」


 脳科学と同様、ゴミ処理技術も過去と比べてかなり進歩した。今更、クロアナ街にゴミを捨てなければならないという理由が思い当たらない。


「死体だよ」


 ヨーイチと井坂の困惑を予想していたのか、男は諦めたように力ない声音で言った。


「走馬燈局は、死体をクロアナ街に捨てているんだ」

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