ヒンメルヴェルエクト 宮廷魔術師オルクス。
差出人の名前を聞いても正直、直ぐにピンとは来なかった。
直接会ったことは多分、そんなに多くないし、王族関係者だ。個人的に話をしたことは無かった気がする。あったとしてもマリカのおまけの商人としてヒンメルヴェルエクトに行ったときに少し会話したくらいだろう。
その人物が、何故自分に、それもゲシュマック商会宛てではなく、手紙を寄越して来たのかは最初は解らなかった。
でも、文書を読み進めるうちに震えが来る。
『私は、君の両親と思しき存在を知っている』
手紙にはそう書かれてあったのだ。
「どうしたんだよ? 手紙開いたままぼんやりして。そんな変なことでも書いてあったのか?」
「あ!」
クオレが硬直していたオレの文書を取り上げる。
秘書兼助手扱いのクオレだが、元は同じ貴族に使われていた奴隷。しかも先輩だったこともあってオレには遠慮が無い。ガルフやリードさんの前では猫を被っているのに、随分気安くなったものだ。
というかそんなことはどうでもいい。
「返せよ! オレ個人宛ての手紙だぞ」
「上司の予定や周辺把握も助手の仕事だ。……ってお前の親?」
「くそっ。個人情報の侵害だぞ」
あまり他の人には知られたくないない種類の話だ。
オレは手紙をひったくってクオレから取り返した。
そして……
「お前、オレの親の事とか知ってるか?」
聞いてみる。オレの知らないオレの過去の事を知っているとしたら、それはこいつか、今は牢屋に収監されているドルガスタ伯爵くらいだろう。
でも、クオレの返事は
「知るわけないだろ? 奴隷商人が売りに来て買われた。以上のことなんて」
至極納得のいくものだった。
「だよな~」
「旦那様はもしかしたら聞いてたかもしれないけど、そんなことに興味がある方じゃなかったし聞いたとしても忘れているか気にしてないと思うぞ」
うん。あいつはそう言う奴だった。オレはオレ達の最低最悪な元主、ドルガスタ伯爵のことを思い出す。思い出すのも嫌だけど、忘れないようにはしている。
あいつの所業を。背中の傷が引きつる度に。
「奴隷として売られた存在に身元を証明する何かがあったとは思えないし、あったとしてもまず間違いなく処分されている。親だ、家族だなんて普通解らないと思うぞ」
「そうだよな」
同じ境遇だったフェイ兄の親が判明したのは、奇跡的だったのだ。
言い訳のしようがないそっくりな顔立ちと、魔術師の杖というサポートがあってこそ。
だが、この魔術師は俺の『両親』かもしれない人物を知っている、という。
「もしかして、オレも親に似ているのか?」
「かもな。俺達に親なんて想像もできないけど」
希望的観測だけれどそれしか想像できない。
身元何も解らない孤児の『親』を確信させる程の外的特徴。
オレは無意識に自分の髪を弄ぶ。
金髪、碧の瞳。
これはかつて、この世界に不老不死を齎した勇者アルフィリーガと同じ色で今のこの世界では貴重視されているらしい。
それが理由でドルガスタ伯爵はオレを飼い、弄んでいたと知ってからは『能力』と合わせ、こんな外見に生まれたことを呪ったものだが、いざ社会に戻り交渉の場などに立つと有利に話が運ぶことも多い。
何より、尊敬するリオン兄と同じ色。
今は前程嫌いでは無いが、オレの親も同じ色を持っているのだろうか……。
「ああ、そう言えばヒンメルヴェルエクトのオルクスってアレだ。王の杖を持つ魔術師」
「王の杖?」
クオレは意味がよく解らないという顔をしているけれど、オレはようやくオルクスという存在の顔と名前が一致する。
ヒンメルヴェルエクトの王宮魔魔術師。
元精霊国に伝えられていた三本の魔術師の杖の一本の所有者で『神』の関係者かもしれないという話を聞いた覚えがあった。
そんな人物が本当に自分の素性を知っているのだろうか?
「で、どうするんだ? 興味があるなら進水式の式典や調整が終わって帰国する前に連絡が欲しいって言ってるぞ」
「うん。互いに立場や仕事があるから、この機会を逃すと個人的に会うなんて当分できないだろうし」
ヒンメルヴェルエクトと大神殿は遠い。
今は転移陣が使えるようになって、かなり世界中の距離が短くなった印象だけれども。
それでもやはり簡単に一商人が行き来できる距離ではない。
大神殿の転移陣を使うなら、マリカかフェイ兄の許可がいる。
二人はオレが事情を話して申請すれば、多分、許可は出してくれると思う。
でも手紙の終わりには
『事は、とある高貴な立場の女性の名誉にかかわることなので、できれば周囲にはご内密にしておいで下さい』
とあった。手紙の返信先として指定されているのもフリュッスカイトの小さな商会だ。
そこから、差出人の元に連絡が行くのだろうか?
秘密にしたいにしては、王家の封蝋を使ったりして不自然な事も多いけれど。
そもそも、王家の封蝋を王宮魔術師とはいえ、王族では無い存在が使えるのだろうか?
こうして証拠も残るのに。
「まあ、俺個人としては無視するか、興味はありませんって返事して忘れる方がいいとは思うけどな」
ポイっと投げ捨てるようにクオレは手紙を返してくれた。
「急に個人的に会いたいなんてのは、多分間違いなくゲシュマック商会かマリカ様への伝手狙いだ。お前はマリカ様に近いし、伝手を繋げば色々有利になると思ってるんだろ?」
「うん」
クオレの言っていることは多分正しい。オレに近づいてくる存在はまず間違いなくマリカかゲシュマック商会の商圏を狙っている。マリカやリオン兄、フェイ兄ならともかく、オレ自身にそんな価値は無いのだし。オレが変に動くことで皆に迷惑をかけるのは避けたい。
「まあ、どうしても気になるのならマリカ様に伺いを立ててからにしろよ」
「そうする」
オレはとりあえずマリカに簡単な事情を書いた手紙を出し、オルクス様には興味が無いので面会はできない旨の返事を書いた。
マリカの身辺に何かがあったらしく、返事は直ぐには届かなかった。
でも親の事を知ったところで自分には関係ないし、フェイ兄のように今の自分にはアルケディウスと魔王城の家族の方が大事だから、未練はないと自分では思っていた。
ただ、この手紙は正直オレの中にある何かに火をつけた。
だから足元を掬われたのだ。
言ってみればそれは願望だった。
自分にも、命の源たる親がいて、自分を愛して産んでくれたのだという事を。
数年前、同じ境遇だと思っていたフェイ兄が実は、風国の王子様で。
愛してくれた親が命がけで守って逃がしてくれたのだ、という話を知って以来。
ずっと、心の中で願っていた。思っていた。
自分にも命を、愛を与えてくれた親がいればいいのに。と。
こんな厄介者いらないと、小金目当てに売りはらったのではなく、やむなく手放したとか、できれば誘拐されたとかで。いつか自分を探して迎えに来てくれればいいのにな。と。
ついでに、自分の親も特別な『精霊』の関係者で、自分にもフェイ兄やリオン兄のようなマリカを守り、兄貴達を助ける力があれば、とも。
解っているつもりだった。
そんな都合の良い話は滅多にない。フェイ兄にあったからと言って自分にも同じことが起きるとは限らないってことを。
いや、むしろ先例があった以上同じことは早々起きないと考えるのが普通だ。オレは人間。ただの。普通のありふれた子どもなのだから。
オレはすっかり忘れていたのだ。
「アル、身辺に気を付けて」
マリカの言葉の意味に気が付いた時には、足元を掬われて後悔する事さえできなくなっていたのだけれど。
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