「君に、頼みがある」
この世界を護る緑の精霊神 ラスサデーニア様は私を見つめ、柔らかい、でも真剣な眼差しでそう告げた。
「なんですか? 改まって。
私、精霊神様に頼まれれば、できることなら大抵やりますよ。
いつも助けて頂いているし」
今まで、何度も精霊神様達には助けて頂いた。
命を救われたことも何度もある。
よっぽどの事でなければ手伝うつもりだけれど、身体を貸すとか、舞を舞って力を捧げる、とかではないのだろうか?
「その辺は、まあお互い様だよ。
僕達も君に、君達に何度も助けられているしね」
軽く肩をすくめるラス様。
「君も僕達にとっては同じ宿命をもつ妹のようなものだ。
兄弟や、家族が互いに助け合うのは当然だろう?」
「妹……」
私が。
正確に言うなら私とリオンが、精霊神様達には妹弟的存在であることは何度も言われてきた。
「見た目も能力的にも全く違っているように見えるのに、精霊神様達は、私達を弟妹、家族って呼んで下さるんですね」
「うん。血や肉では無く。同じ運命と使命で結ばれた兄弟だから。僕らは」
「運命と使命ですか?」
「そう。この星の子ども達を守る、というね。
君も同じ思いを持っているだろう?」
「はい。でも……」
私は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
私には確かに、異世界転生した保育士 北村真里香として、子ども達を助け、守りたいという思いがある。
でも、この思いは私のものではないのだろうか?
この転生した身体、『精霊の貴人』に与えられた使命なのだろうか?
『私』は異世界転生者 北村真里香で、生まれ変わった身体が『精霊の貴人』だっただけだと思っていたのだけれど、実は違うのだろうか?
「マリカ?」
「あ、なんでもありません」
心配そうに私の顔色を伺うラス様に、私は頭を振って応えた。
これは、多分言えない事だ。聞いても教えてくれない。
「それで、お願い、とは?」
「うん。『神』をなんとか外に引っ張り出して欲しいんだ」
「引っ張り出す?」
思いもかけない提案、というか話に私は目を瞬かせる。
「そう。『神』はさっきも言った通り自分の領域に引きこもって、目的の為に力を集めてあれこれやっている。僕達は基本的に他の『精霊神』の領域に介入はできない」
招かれたり呼ばれたり、相手が入れようと思えば別だけど。
とラス様は言うおっしゃった。
封印解除の時は他の精霊神様達が認めたから、なのか。
「彼と、『神』とちゃんと話がしたい。
一度だけ出てきた時があったけど、あの時は君の身体を乗っ取っていたし、アーレリオスだけだったし、他の子達もいたから話もできなかった。
引っ張り出して、ちゃんと話をして。解って欲しいんだよ。自分の間違いを。
僕達の思いを……」
ラス様の言葉には怒りや苛立ちは感じられるけれど、憎しみの思いは見えない。
他の『精霊神』様達からも感じられたけれど、この方達にとって『神』は敵では無く、意見を違えた仲間、聞き分けの無い上司、みたいな存在なのだろうか?
「でも、引っ張り出すってどうやって?」
「だから君の力が必要なんだ。『神』が求め、自ら招き入れる『星』の娘。
『精霊の貴人』『聖なる乙女』マリカ。君の力が必要なんだ」
「私の力が、ですか?」
「そう。『神』と話をして、本人の力の一部でも、端末でもいい。
『領域』から出して欲しい。
指先でも、髪の毛一筋でもいい。っていうのは比喩だけど。
彼の一部でも外に引っ張り出せれば、後は僕達がなんとかできる。
やってみせる。
アースガイアの大地は元々、精霊神の領域だ。
油断さえ、しなければ好き勝手はさせない。今度は逆に彼を封じることだってできなくもない。
『神』もそれが解っているから、多分、もう簡単には外に出てこない。
無理やりに『魔王』を作ったのも。きっとその為だ」
『神』の額冠の時の例がある。
『神』は確かに私を狙っているのだろう。とは思う。
私の身体を手に入れて、何ができるのかは解らないけれど、何か利用価値はあるのだ。
そして、もうすぐ新年。
何をどうするのか具体的にはまだ解らないけれど大神殿で、舞と力を捧げる儀式があるのだという。
『神』が直接降りる儀式。
そこでもしかしたら、ラスボスと直接対決になったりする?
「私が『神』をどうこうできるんですか?」
「君にしか、できない。
『精霊の力』と人の『気力』を併せ持つ『星』の娘。マリカ。
君以外にはね」
確信めいた言葉で、精霊神様は告げる。
精霊神様がそういうのなら、そうなのだろうけれど……。
「具体的にはどうすれば?」
「『神』が君に憑依して、領域から出てくるのが一番手っ取り早いかな?」
「いっ!? それって身体を乗っ取られるってことでは?」
「大丈夫。必ず、その時は僕達が奪い返すから」
「そんなこと言ったって……」
嫌なことを思い出す。
以前、アーヴェントルクで『神』の石とかいうのを身体に入れられて、精神が浸食されそうになったことを思い出す。
あの時はアーヴェントルクの精霊神ナハト様が助けてくれたけど、辛かった。
マジで死ぬかと思った。思い出すだけで背筋に寒気が走る。
「……どうしても、やんなきゃなんないですか?」
「無理にやれ、と命令はしないよ。
あっちも警戒しているだろうし」
「少し考えさせて下さい」
「うん。解った。別に僕らに期限があるわけじゃない。
五百年待ったんだ。彼と話し合う為なら少しくらい待つのはなんでもないよ」
うっすらと笑ったラス様は、話は終わり、というように空を蹴り、重力のない不思議空間を踊る様に揺蕩う。
線の細い身体は小学校高学年。良くて中学生の子供にしか見えない。
でも無重力空間に一人身体を泳がせる姿は、孤独にあまりにも慣れているように見えて、少し悲しく……寂しくなった。
「ラス様」
「なあに?」
「精霊神様達は、寂しくないんですか?」
「? 寂しく?」
「封印されていた事は別にしても。兄弟達と離れて、たった一人で聖域の中で。
精霊神様以外、誰もいない。何もない世界で。
寂しかったり、辛かったりはしないんですか?」
「寂しくはないよ。辛くも……今は無い」
くるりと、振り返りこともなげにラス様は笑う。
「本当に?」
「うん。多分、本当に寂しいのは、辛いのは『彼』の方だ。
あのわからずやの引きこもりが……。ホント。
世話が焼けるんだから」
『彼』
精霊神様達がそう、優し気に、時に厳しさを宿して呼ぶ人物は『神』だということはもう解っている。
私達は魔王城で、魔王になってもいい。
『神』を倒し、子ども達が生きる世界を取り戻す。
そう決めて生きて行動してきたけれど『神』は解りやすい悪役ではなくて。
『神』を倒せば全てが終わる。
そんな簡単な話では無い事も解ってきた。
(『神』と会って話がしてみたいな)
ふとそんなことを思う。
彼を身体に宿し、外に連れ出すというのはできるかどうか、解らない。
怖いし。
でも、考えてみれば、精霊神様達に身体を貸すのなんていつものことだし。
話を聞いて思いを仲介するくらいなら、できるだろうか?
「解りました。私の話を『神』が聞いて下さるかどうかは解りませんけれど」
「僕達の尻拭いを頼むようで悪いね。
でも、僕達が君に望むのはそれだけだ」
「いいんですか? さっきも言った通り、できることならお手伝いしますけれど」
「大丈夫。
君は、君が信じるままに進み、やるべきと思う事をやればいい。
それが必ず、子ども達を、この星を守ることに繋がるからね」
「はい。ありがとうございます」
いつも私達を見守り、助けてくれる優しい精霊神様達の役に立てることがあるのなら、頑張ってみようと思ったのだった。
そして、これは私の知らない本当の内緒話。
『マリカを頼んだよ。エルフィリーネ。
僕のこの身体じゃ、彼女を抱きしめてやることもできない』
「お任せ下さい」
力の抜けた私の身体を支え、ベッド寝かせるエルフィリーネと精霊神様の会話。
「本当に。子どもの成長は早いものですね……。
最初の頃に比べると、随分と大きく重くなって。
あの方が、大変だと言いながらも夢中になっていたのが解ります」
『エルフィリーネ。忘れちゃだめだ。マリカは先生じゃない』
「解っております。誰よりも。
それでも。
あの方と同じ魂の色を持つマリカ様を、私は別人だと思えません。
『星』の願い。あの方の遺志。
それを差し引いても。私はこの方に幸せになって頂きたいのです」
「まあ……似すぎているし、今となっては本当の意味で、『先生』の転生、なのかもしれないけれど……」
「はい」
静かにベッドに横たえられた私の身体を、そっと撫でる優しい手。
「私は、ずっと、ずっと待っています。
願っているのです。
取るに足らない私に、あの方が語り掛けてくれたあの日から。
人々の為に全てを捧げたあの方が、再び戻り、報われ。
輝きと喝采、喜びと栄光に包まれる日を。
あの別れの日からずっと……」
彼女の呟きと思いを、私はまだ知らない。
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