星の二月も気が付けば大半が過ぎた。
今日は安息日。
私にとっては唯一のお休みだけれども、今日は一人で魔王城の島に戻ってきている。
どうしても今日中にやっておかなければならない事があるからだ。
カレドナイトの精製。
その為に私は今、一人で鉱山に来ている。
新年が開けたら、私は正式にアルケディウスの皇女として王宮に迎えられる事になっている。
で、ゲシュマック商会の従業員から、第三皇子の娘。
皇女になるにあたり住居は当然移すことになる。
現在ガルフの家の資料室にある魔王城への転移魔方陣は今後、アルやリオン、フェイは使えるけれど私は気軽に使う事ができなくなるだろう。
皇女が毎週毎日のように商人の家に行って泊まるなんてありえないから。
魔王城に行けなくなるのは嫌だ。絶対に。
でも、皇子の館に作るわけにもいかない。
勿論作れれば一番便利なので、最初は自室に作るつもりだったのだけれど、館には使用人がたくさんいて、毎日掃除にも入るし、何より家の中から皇女が突然消えて、一日戻ってこないとなれば騒ぎにもなるだろうし。
なので、フェイやリオン、ライオット皇子やティラトリーツェ様と色々検討した結果、新しい転移門は貴族区画に完成したゲシュマック商会五店舗目にして、王宮管理の特別店。
大貴族や他国の料理研修生が貴族に料理を供する実習店舗の店長室に作ることになったのだ。
正確に言うと店長室の奥の資料庫。
ガルフの家と皇子の家、そして魔王城から纏まった量の本を持ち込んで書庫を作り、そこに転移魔方陣を作る。
本は貴重品なので資料庫の鍵は私と副店長しか持っていない。
ちなみに店の店長は私。
サポートとなる副店長は元本店の料理長ラールさんである。
実習店舗はその名の通り、実習の為の店ではあるけれども、アルケディウスの新事業の実務を行う最前線基地になる予定なので、私はその店で仕事をする。
という名目で魔王城に帰るのだ。
その為に店長室に併設して、私が寝泊まりする為の部屋も作って貰ったのだから。
ラールさんを本店から引き抜くにあたっては揉めたのだけれども、本店には後任も育っているし、他に信用できる人はいない、という事で大抜擢となった。
皇王陛下がラールさんとガルフ、それからリードさんには王国の新事業『新しい食』の先導者ということで準貴族位を特例で与えている。
「ラールさんには店の管理も兼ねて、五号店に住み込んで貰う形になるんですけど…いいですか?」
「勿論。最新の厨房も作って貰っているし、レシピも見放題、材料もある程度使い放題だ。
休みの日には僕の新作料理とか作ってみてもいいよね?」
「それは勿論ですが、ご家族とかは?」
「不老不死前に家族は死んでる。結婚もしてないし恋人もいないし。気にしなくていいよ」
ラールさんはそう言ってくれたけど、ラールさんみたいな優しくて誠実で真面目な人に恋人いないの不思議。
でもとりあえずは、言葉に甘えることにした。
ティラトリーツェ様の出産やその他のドタバタで開店準備が遅れていたけれども、ようやく内装その他が整い、新年が開けて直ぐにオープンすることになっている。
で、その為の最後の準備、転移門作成に必要なカレドナイト精製の為に、私は魔王城の城に戻ってきているのだ。
フェイやリオンは来週からの不在の為に仕事を片付けなければならないので不在。
アルもゲシュマック商会から食材管理担当として旅に同行してくれることになってくれたので、その準備の為多忙。
魔王城の皆はカエラ糖採取の追い込み。
カレドナイト鉱山は魔王城の城と直通通路が繋がっているので危険も少ないということで私一人だ。
あ、正確にはもう一人、というか一精霊いるのだけれど。
『あー、久しぶりに手足が伸ばせる!
アルフィリーガ、ここの所、僕のこと全然使ってくれないんだもんなあ』
私の横で、文字通り、うーん、と手を身体を伸ばしているのはリオンの短剣の精霊。
カレドナイトの化身、エルーシュウィンだ。
リオンが
「島の中では危険は少ないだろうけど、念の為持って行け。いざという時の護衛代わりにはなるだろう」
と貸してくれたのだ。
実際、アルケディウスに行ってからエルーシュウィンの出番はほぼほぼ無い。
秋の戦の、精霊石奪還時に使ったくらいだそうだ。
『精霊石の結界を強引に、力任せでぶち破ったんだよ。
脳筋だよね。アルフィリーガ』
本当は精霊石を守る護衛兵士が鍵を持っていて、その人物を倒すことで精霊石を奪えるようになるらしいが、リオンはバングルを使い、護衛兵士と戦わず精霊の力をカレドナイトでブーストして結界をぶち破ったそうな。
スピード型のパワーファイターという皇子の評価が納得の無茶ぶりだ。
「でも、使えないのは仕方ないよ。
エルーシュウィンは綺麗すぎるもの。外の世界で見せびらかしたら怪しまれちゃう」
カレドナイトという鉱石はミスリルとかアダマンタイトレベルの希少鉱石だ。
精霊の力を増幅させる効果がある。純粋に青が美しいのもあって宝石と同格で扱われている。
高純度のカレドナイトの短剣なんて王侯貴族でも持ってないだろう。
『その辺は解ってるけどね。…置いて行かれるの好きじゃないんだ。
アルフィリーガはいっつも無茶するから。側にいなけりゃ守ってやれないだろ?』
「あ…うん、そうだね。それは解る」
寂しげに笑うリオンの守り刀の気持ちはよく解るから、素直に同意した。
五百年前のリオンの死後、つい最近戻ってくるまでずっと宝物庫で主の帰りを待っていた守り刀はさぞ寂しかっただろう。
護衛とはいえ、カレドナイトの精製は基本私しかできない。
退屈し始めたらしいエルーシュウィンは、いいことを思いついたという様にポンと手を叩き
『そうだ。仕事も大変だろうから、少し面白い話をしてあげようか?』
「面白い話?」
『アルフィリーガの昔の話、なんてどう?』
そう提案してくれた。
「聞きたい!」
私は本気で声を上げた。
知りたい。本当に知りたい。
リオンは何度か昔話をしてくれているけれど、自分の事はあまり話してはくれないから。
『了解。んーっと、じゃあ昔のアルフィリーガが笑い上戸だった、って言ったら信じる?』
「え? リオンが笑う?」
エルーシュウィンの言葉に私は首をひねった。
正直、あんまり想像はつかない。
全然笑わない訳じゃない。
リオンの優しい笑顔や微笑は大好きだけど、声を上げて大爆笑、なんて見たことがない。
『ツボにハマると凄く笑うんだ。
一度笑い始めるとなかなか止まんない』
「そ、想像がつかない」
『転生してからもそれは変わらないみたいだよ。
いやー、あの時は大変だった』
転生してからということは、魔王城に来てエルーシュウィンを手にしてからも大爆笑したことがあったということなのだろうか。
少なくとも私は見たことが無い。
いつだ?
『昔はさ…今よりも、かなり明るかったよ。アルフィリーガ。本当、良く笑ったし』
静かに思い出すようにエルーシュウィンは目を閉じる。
精霊だから、そう見えてるだけかもしないけれど。
『精霊の貴人は政務に忙しくてあんまり相手もできなかったけど、ちゃんと愛してくれていた。
城の中には同年代の子どもはいなくて周囲は大人ばっかりだったけど、オルドクスがいたし。
抜け出して城下町で遊ぶ事は偶にあって、皆に愛されてた』
基本、城で勉強と訓練に明け暮れる毎日。
でも時々城を抜け出して、外の子ども達と遊んで騎士団長に捕まって怒られてを繰り返していたという。
『アルフィリーガの笑顔を見ると元気が出るよ』
『アルフィリーガ。また剣を教えて』
『焼きたてのパン、食べていくかい?』
金髪、碧の瞳、鮮やかな笑顔の少年。
きっと…本当に民に愛されていたことだろう。
そんな光景が目に見えるようだ。
『島から飛ばされて、ライオ達と旅するようになった頃は、ちょっと暗くなってたけどね。
最初は早く帰らなきゃ。
次は、世界の人々がこんなに苦しんでいたなんて知らなかった…って』
自分を責め、焦るリオンを皇子や仲間達は辛抱強く、宥め見守り、そして導いてくれた。
『少しずつ自分の力が誰かの役に立つことを感じて、前向きになって。
その頃に『神』と会って騙されて…。結局あんな感じになっちゃったんだけど…』
人間だったらため息をつくようなそぶりのエルーシュウィンに私はさりげなく聞いてみる。
「エルーシュウィンは『神』について知ってたの?」
もしかしたら、エルフィリーネからは聞けない神の真実が聞けないかと思ったのだけれども
『僕は他の連中とは少し違うからね。あの時は知らなかった。っていうのがホントの所。
知ってても止めることが許されてたかどうかは解んないけど。
だから、『知ってたのに止められなかった』シュルーストラムとかは僕よりキツかったと思うよ。
戻ってから、ずっと『星』にイラついてたもん』
シュルーストラムは、城の魔術師の杖であったという。
城の魔術師は女王の護衛として会見に赴き、一緒に死んだと聞く。
そしてシュルーストラムは『知っていて止められなかった』
つまり『星の精霊』に神との会見、もしくは主が死ぬのを止める事を禁止する何かがあったという事、なのだろうか?
そんな事を考えながら話を聞いていた私の耳に
『僕が、ちゃんと知っていて、本当の役目を果たしていれば…アルフィリーガはあそこまで苦しまずに済んだのかなあ』
ふと、唐突に吐息のような、不審な言葉が零れた。
「本当の役目?」
『あの時は精霊の貴人に止められたからね。物理的にも、精神的にも…。
今度こそは間違わずにアルフィリーガの助けになりたいんだけどな…』
「エルーシュウィン?」
一瞬、感じた不穏な空気。青の瞳に宿った闇色の何かは
『マリカ。その為にも君、僕が外に出てアルフィリーガの手に握られても問題ないようにできない?
国の皇女になるんだろ?』
けれど、問い詰めるより早くエルーシュウィンに切り替えられて、喉元まで来た疑問と共に霧散してしまう。
「え? あ、うーん、皇子と相談してみる。勇者の持ってた剣の模造品、みたいに設定できないかとか」
『頼むよ。精霊の力を封じている今は、前よりも余計に僕が必要になると思うんだ』
「やってみる」
「ありがと。期待して待ってるよ」
聞けたのはそこまでだった。
あとはエルーシュウィンは空色の髪を揺らし静かに微笑むだけでもう何も語ってはくれない。
私は、考える。
エルーシュウィンはリオンの絶対の味方。
それは間違いない。
けれど、同時に精霊で『星』には逆らえず、エルフィリーネやシュルーストラムのように絶対の命令を何かかけられている。
主には言えない何か。
多分、エルーシュウィンは雑談を通じてそれを私に許される範囲で伝えてくれたのだと思う。
『星』の秘密。『神』の秘密。
まだまだ、私達には解らない事、隠されている事が多いけれど。
考える事、探す努力は怠らないようにしようと思った。
五百年前の悲劇を二度と繰り返さない為にも。
エルーシュウィンが側にいてくれたおかげか、前回よりもいいペースで集まったカレドナイトを持って私達が鉱山を出た頃にはそれでももう、夕刻になっていた。
空は茜色を過ぎて紫紺に染まりかけている。
「今日はありがとう。エルーシュウィン」
『どういたしまして。
僕も楽しかったよ。またこういう機会があるといいね。精霊の貴人』
エルーシュウィンは鉱山かリオンの側でないと実体化できない。
できればリオンの手にずっと握らせてあげたいからこういう機会は本当はもう無い方がいいのだろうけれど
「うん、その時はお願い。頼りにしてるから」
短剣に戻ったエルーシュウィンを拾い上げ、抱きしめた。
思いを込めて。
鉱山の入り口から近くに設置した転移門のある部屋まで、ほんの僅かだけれど外を歩く。
その瞬間、頭上がフッと夜の帳を下ろしたかのように暗くなった。
「な、何?」
『動かないで、精霊の貴人!』
ぴょん、と籠から跳ねるように短剣に戻っていた筈のエルーシュウィンが飛び出て、私の前に立った。
背中で庇う様に。
二人で、頭上を見上げ…絶句する。
『な、なんだ? あれ?』
「ま、魔性?」
私達の頭上を無数の、黒い影が飛行していくのが見えた。
カラスやクロトリではない。
明らかに生き物とは違う、禍々しさをもった『何か』の大群が、北から南へと下っていくのを私達は、ただただ見つめていた。
魔性襲来。
アルケディウスのみならず世界がその報に震えたのは、その翌日のことになる。
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