大聖都、神官長の私室にて。僕は大きなため息が口から零れるのを感じていた。
「リオン。貴方は本当にマリカを抱くつもりは無いのですか?」
「ああ、俺は誰も抱かない。それがマリカであろうとも。いや、マリカであるからこそ抱けない」
「マリカが、それを望んでいても?」
「…………」
腕組みをしたまま沈黙する姿は否定も、肯定もできないという所だろうか。
「リオン兄って、本当に頑固だよな?
まあ、それでこそリオン兄だと思うけど」
アルも呆れたように肩を竦めて見せる。
僕達が何を言っても考えを変えてくれそうにはない。
二人がかりで説得しても頑な態度を貫き続けるリオンをどう説得したらいいのだろう。
いくら考えても答えはまだ見つからなかった。
エルディランド襲撃の夜。
僕達はアルも呼んで、三人、密かにリオンの帰還を喜んだ。
自宅だと、アーサーやクリスなどもいるから神殿でこっそりと。
「リオン兄! 帰ってきたんだな!!」
「アル……」
アルの眼力は相変わらず大したもので、一目で魔王マリクからリオンに戻ったことを看破したらしい。
顔面をくしゃくしゃにして、本当に幸せそうな嬉しそうにリオンの胸に飛び込んでいった。
「心配をかけて、すまなかったな。ひとまず、ではあるけれどなんとか戻ってくることができた」
「良かった…本当に良かった。
このまま、もう二度とリオン兄に会えなかったらどうしようかと思った!」
抱き着くアルの頭を愛おし気に撫でるリオン。二人の姿に涙が出そうだ。
マリクの存在を認められず、暫く家にも寄りつかなかったアル。
歓喜の思いは解る。きっと誰よりも。
「それで? あいつは封じ込められたのか? もう出てこないよな?」
「そうは言いきれないのが辛い所だ、正直に言うと、今はあいつのお情けで返してもらったようなものだ。マリカと『星』のおかげで直ぐにまた『魔王』に戻ることは無いにしても当分の間は気が抜けないな」
「まだいるのか?」
「いる、というか、あいつが俺の本体なんだ。切り離せない。
俺の方があいつの一部というか、別側面と言うかで……。
このリオンとしての身体は俺が貰った、俺のものだからくれてやるつもりはないけど」
「? どーいうことだよ」
首を捻るアルにリオンはもう一度、ソレルティアやカマラにした説明をざっと繰り返す。
自分が『神』由来の精霊であること。魔王マリクと表裏一体の存在で互いに身体を奪い合うことになるだろうということも。
「当分は奴の怪我のダメージが大きいことやマリカが治療してくれたこと。『星』の力を俺も分けて貰って強化していることとかもあって、俺が主導を取っていられる。
隙を見せず、意識をしっかりともって、マリカの側にいればもう早々簡単には身体を奪われることは無いと思う。あの時は本当に不意打ちだったし」
「なんだか面倒だな。あいつを完全に封じることってできないのかよ」
「難しいな。能力はあいつの方が原本なだけあって強いんだ。俺はマリカや皆の力を借りてなんとか渡り合えるようになるだけだから」
強化され、鍛え上げられた『星の精霊』の身体に二つの魂。
『星』が造った人型精霊の肉体であるからこそ耐えられるけれど、もし普通の人間の身体であったら負荷に耐えられなかっただろうとリオンは言う。
「肉体の完成まであと少し、という自覚がある。俺自身はこの身体が完成するまで生きていられたことがなかったけれど、マリカが施してくれた成長の変生。あの容まできっとあと少しなんだ……」
『魔王』がリオンの身体を乗っ取り、成長を抑制していた『星』の枷を精神、肉体面で吹き飛ばしていったと本人達が言う通り、ここ数週間でリオンの肉体は飛躍的な成長を見せている。元々小柄だった身長もかなり伸びた気がするし、腕や胸の筋肉も固く強くなっている。
身長は自分の方が高いのに、体重はリオンの方がかなり重い。
無論、それは余分な脂肪とかではなく、骨や筋肉の密度が高いのだと思う。人間離れしたスピードや力を生み出す為にはそれだけの能力を持つ肉体が不可欠なのだろうから。
成長の変生の時に見せて貰った大人のリオン、完成された『精霊の獣』に髪の長さ以外ほぼ変わらない様な気がするけれど。
「あと、何が足りないのですか?」
「それが解れば苦労はしない。まだ、完成されていない事は解る。
でもそれを産める欠片が足りない。人間の成人式ではない、大人になる為の何かが多分、必要なのだと思うけれど……」
「そもそも大人になるって、どういうことなんだろうな? 歳を喰えば自動的に大人になるのか? それとも大人と子どもを分ける何かがあるのか?」
顔を見合わせるリオンとアルを見て、ふと気付いたことがある。
大人と子どもを分けるもの……。
それは……
「リオン」
「なんだ?」
「リオンはマリカを抱くつもりはないのですか?」
「!!!!」
「抱く? ああ、肉体を交わらせる、アレだろ?」
僕の声に目を見開き、驚愕と羞恥で顔を真っ赤にするリオンとは反対にアルは意外に平気な顔だ。
「おや、知ってましたか?」
「元奴隷なめんなよ。あの変態伯爵の趣味は最悪だったぜ」
アルの眼差しがフッと虚ろになる。
失言だった。彼が受けてきたのが肉体的虐待だけではなかったと知っていた筈なのに。
「あ……すみません」
「別にいいって。それに女とはやったことないし本当の意味で『抱いた』ことはないかな。じじい達は良く会合でそんな話をしていて、遊びや甲斐性も男には大事だぞって言うけど、できれば最初は好きな相手としたいし」
「肉体接触は、生命の神秘に関わる神聖な儀式だ。
愛し合う男女にのみ許されている。
そんなに軽々とすることじゃない」
比較的あっけらかんとしたアルと違い、リオンは頬を赤らめ顔を背けている。
『神々』の基本設計か、それとも『精霊国』の教育の賜物か。
リオンの性的意識は実に正常にして清浄だ。
自分とソレルティアの関係を知られたら、軽蔑の眼差しを浮かべられるかもしれない。
僕はそんな思いを心の奥に隠し、リオンに問いかける。
これは、リオンの最初の話を聞いた時から思っていた事を。
「今はまだ、マリカの身体が『大人になっていない』からできないにしても、その時が来たらリオンがマリカを抱いてしまえば全てが解決するのではないですか?」
リオンの話からすれば『リオン』がマリカを抱けば、マリカは『星の精霊』として覚醒する。『神』に物理的に奪われることはあるとしても、魔王に身体を乗っ取られたリオンのように敵に寝返られる心配はしなくて良くなる。
そしてリオンも『魔王』に主導権を奪われること無く、『星の精霊』として固定される。
逆に『魔王』がマリカを抱いてしまえば、精神が壊れて生き人形になるか、『神の精霊』になってしまう。しかも『星の全権委任』とやらを『魔王』もしくは『神』に奪われてしまう訳だから……。
むしろ一刻も早くリオンがマリカを抱く必要があるのではないかと思う。
『魔王』が眠っているいまのうちに。
マリカの身体が『大人になったら』直ぐにでも。
そうすれば、既成事実ができて、リオンとマリカの結婚儀式の説得を周囲にしやすくなる。
『聖なる乙女』を騎士が汚したと、煩くいう国や司祭がいるかもしれないけれど、既に内々に手回ししているから大きな反対は出ない筈だ。出ても潰せる自信が自分にはある。
子どもが宿ってくれればなおいいけれど、それはそう簡単に解るものでもできるものでもないというから難しいだろう。
ティラトリーツェ妃や魔王城のティーナのように体のラインが崩れると、花嫁のドレスが合わなくなるかもしれないし。
だが、僕のそんな妄想をぶち壊すように当のリオンは厳しい表情を浮かべて首を横に振る。
「ああ。できない。俺にはその資格がない」
驚くほどにはっきりと拒絶の意思を表したのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!