フリュッスカイト行きがもう来週に迫る週末。
私は一人の人物と面会した。
「お久しぶりでございます。マリカ様。
帰国のご挨拶に参りました」
プラーミァからの料理留学生、コリーヌさんが料理検定1級を修めて帰国することになったのでその挨拶に来てくれたのだ。
「お疲れ様でした。今月末まででしたね」
「はい。秋の滞在更新はしない予定でございます。今月末には皆様フリュッスカイトへの視察に行かれ、すれ違いになると思われますので、少し早いですがご挨拶を、と」
アルケディウスの料理留学生は季節ごとに滞在費を徴収される。季節の切れ目に滞在契約を更新するか否かの確認があるが、コリーヌさんが今月末で終了するといく報告は既に貴族店舗の店長、ラールさんから受けていた。
コリーヌさんはプラーミァの元女官長で、アルケディウスにとって最初に受け入れた国費留学生になる。
最初の予定は一期四カ月の間、だったけれど、できるかぎり技術を学びたいと延長を重ねた。
アルケディウスにやってきたのは去年の夜の一月の始めだから三期、約十二カ月この国に滞在したことになる。感覚的にはほぼ一年だ。
「どうでしたか? 満足のいく結果を修められましたか?」
私からの問いにはい、と静かな微笑みを浮かべてくれるコリーヌさん。
「チョコレートを始めとする、貴重で新しいレシピを沢山覚える事ができました。
若い世代と一緒に学びながら店を経営するというのも新鮮でしたし、得る事が多い十二カ月でした」
料理留学生の受け入れは初めてだったので、初期は色々と手探りだった。
実力を測る目安である調理検定試験も彼女がきっかけで始まったし、何より
「正直に申し上げますと、私が派遣されたのは……もうお気付きかとは思いますが……ティラトリーツェ様の出産を助けるように、と国王陛下に命令されたからでございます。
アルケディウスを信じぬではないが、出産は何が起きるか解らぬ。側で助けてやってくれと頭を下げられまして」
「はい。気付いておりました。コリーヌさんがいてくださったおかげで双子ちゃんが無事この世に生を受ける事ができたと心から感謝しています」
そう。出産に立ち会ったことがあるというコリーヌさんがいてくれたからこそ、ティラトリーツェお母様は安心して出産に挑むことができたのだと思うし、双子&逆子という難産を乗り越える事ができたのだと感謝している。
私一人だったら、色々とパニックになっていて無事な出産を守れなかったかもしれない。
「いえいえ、私の方こそ勉強させて頂きました。
王宮では経験した事の無かった双子、逆子の出産。
姫君がいたからこそ、両方が無事に生まれたのだと思いますよ」
「あの時は私も、ただただ夢中で……」
「皇女レヴィ―ナ様が産声を上げたあの瞬間を、私は忘れません。
プラーミァの全てを私が代表するのはおこがましい事ですが、感謝しております」
生まれて来る赤ちゃんを守る。それ以外考えられずに色々とやらかした自覚はある。
恥ずかしさはあっても後悔はしていないけどね。
「一度国に帰れば、おそらく二度とアルケディウスの土を踏むことは無いでしょう。
……正直、ティラトリーツェ様の流産のこともあり、私にとってこれ以上ない悪印象の国。
娘を嫁がせたことを後悔した時もあったのですが、滞在してみればとても気持ちがいい国で。
娘や娘婿。第三皇子やティラトリーツェ様と共に暮らせたこともあり、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました」
静かに微笑むコリーヌさん。
顔に出さず、言葉にしたことは無かったけれどやはり、姉嫁の陰謀に巻き込まれた最初の流産に思う所はあったのだと思う。国交断絶も在りえた最悪のことだったし。
でも、失われたことは忘れずとも、新しいことは始められる。プラーミァの王太后様もおっしゃって下さった。双子ちゃんの誕生とアルケディウスの『新しい味』を修めたコリーヌさんは間違いなく今後、アルケディウスとプラーミァの絆を結ぶ大切な存在になるだろう。
「貴重な機会を下さいましたマリカ様と皇王陛下に心からの感謝を。
私の後にも国王陛下は常に最新の技術、情報を学ばせたいと新しい料理留学生を派遣してくる予定だそうです。私も国元に帰りましたらアルケディウスで学んだ技術を大事に広めていきたいと思っています。今後ともどうぞ良しなに」
「こちらこそ。どうかプラーミァとアルケディウス。その友好の懸け橋になって下さいませ」
心からの思いでエールを交し合う。
これが終わりでは無く、始まりにしていきたい。本当に。
「あ、そうだ。コリーヌさん。お帰りになる前に少し見て頂きたいものがあるのですが……」
「何でしょう?」
私はコリーヌさんに羊皮紙の束を差し出した。
「これは……妊娠出産の覚書?」
「はい。私がおぼ……知る限りの知識を書き出してみました。
アルケディウスでは今後、第一皇子妃の出産を控えております。
また今後一般などにも子どもを妊娠出産する者が増えるであろう。
というのが『精霊神』から賜りましたお告げ、なので、妊娠の仕組みや出産の注意点などを必要な人が共有できるように、と纏めたもの、なのです」
全ての出産現場に私が立ち会えるわけではないので、不安な出産、悲しい事態を少しでも防止できるように気を付けた方がいい事を書き連ねたのだ。
「……これは、凄いですね。
ご自分が妊娠出産された訳でもないのに、良くここまで詳しく……」
「お母様の出産現場でのコリーヌさんが教えて下さったことや、やっていたことなども取り入れてありますので、帰国前の忙しい時期に申し訳ありませんが、添削をして頂けると助かります。
時期を見て出版しようと思うのです」
妊娠、出産の仕組みや周期。
衛生への注意点などけっこうな量になってしまったから、エルディランドから製紙技術が伝わってアルケディウスで安価に紙が作れるようになったら印刷して要所に配布したいと思っているから。
「勿論、添削料は出しますから……」
「マリカ様。この原稿、写させて頂いても構いませんか?
もし本として出版されるのならぜひ欲しいのですが」
「え?」
見ればコリーヌさんは随分と真剣な表情だ。
「これは、とても素晴らしい内容だと思います。
今まで経験の伝聞でしか伝わっていなかった妊娠の周期や出産の流れがとても解りやすい。これが各出産の現場にあれば、本当に多くの妊婦子どもが助けられるでしょう」
「あ、ありがとうございます」
手放しで褒められてちょっと恐縮する。
妊娠、出産、胎児、子どもの月齢による成長はある意味保育士の必須知識だし。
「実は、プラーミァで王子……いえ、王太子妃フィリアトゥリス様の妊娠が確認されたそうです」
「まあ! それはそれはとてもおめでたい事ですね」
「間もなく妊娠六カ月、ということですから姫君の来訪とほぼ時を同じくして子が宿った、ということかもしれません」
私達がプラーミァに行ったのは春、水の一月だったからうん、確かにその頃になるかも。
出産予定日は多分、秋の終わりだ。
「出来うる限り安全に子どもを取りあげることを目指したいですが、何が起きるか解らないのも出産というもの。
出産前に、出産時に、その後にも、この本があるとフィリアトゥリス様も、側にいる者達も心強いと思います。なにぶん、プラーミァの王宮も、皇族の出産、赤子の誕生は五百年ぶりとなりますから」
「そういうことなら構いません。出版も前倒しにして、帰国には無理ですが早めにフィリアトゥリス様に贈れるようにしたいと思います」
王太子妃フィリアトゥリス様は私の大事な友達。
今頃、初めての妊娠で不安になっておられるだろう。私の本が少しでも役に立つのなら嬉しい。後で、出産に役立つアイテムとかお送りしよう。
「ありがとうございます。添削、というか気付いたことの書き込みは姫君の出発前には上げるように致しますので後でご確認下さい」
「解りました。出発前に手を煩わせて申し訳ありません」
「あの。……マリカ様……」
「はい、なんでしょう?」
何か言いたげに、問いたげに私の方を見つめたコリーヌさんだったけれど、私と視線が合うと首を横に振り、何かを振り払って頭を下げる。
「いえ、何でもありません。
アルケディウスの宵闇の星。『聖なる乙女』にして『幸運の小妖精』
改めまして、色々とお世話になりました。
そしてティラトリーツェ様や、娘を、今後ともよろしくお願いいたします」
「お世話になっているのは完全に、私の方ですが、はい。
今後とも末永くよろしくお願いします」
……もしかしたら、コリーヌさんは何かに気付いたのかもしれない、と後で思った。
誤魔化してくれる、お母様は言ったけれど、出産時には色々やらかしたし、その後の騒動も聞いていたかもしれないし。
でも、追及せず胸に秘めてくれた。
その優しさに感謝しながら、コリーヌさんとの約束は絶対に守ろうと心に決める。
私の故郷は魔王城とアルケディウスだけれど、プラーミァも大事な家族の国だから。
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