私がセリーナと一緒に魔王城に戻ると、子ども達がいつものように満開の笑顔で迎えてくれる。
「おかえり~。マリカ姉」
「おかえりなさい。さびしかったよ」
「ただいま、今日は泊まって行けるんだ。
一緒にいっぱい遊ぼうね」
「わーい♪」
実に一週間ぶり。
なかなか来れない日も多くなってきているのに変わらない様子で迎えてくれるのが私も嬉しい。
子ども達をぎゅう、と抱きしめて回る。
ああ、幸せ。
「あのね、ジャスミンのお花、咲き始めたよ。ロッサの花も蕾できてきた。
今年もオイル、作った方がいい?」
「作っておいてくれると凄く嬉しいかも。あと、シュウ。
ガラスの所以外の蒸留器の部品、作っておいてくれると嬉しいな」
「他所への見本にしたいんだ」
「解ったー」
そんな会話をしながら、ぐるりと周囲を見回す。
いつもより少し早めだからか、エリセとミルカはまだ戻ってきていない。
アーサーとアレクは帰って来てるけれど。
「リオン兄達は? 戻ってきてない?」
「まだー」
「アル兄は帰って来てるよ。二階でしらべもの、だって。
フェイ兄とリオン兄もお仕事に区切りがついたらくるってさ」
アーサーはリオンの従卒見習いの軍属だ。
でも、地位の無い子どもだから、夜遅くまで仕事に付き合わせる事をリオンは避けているらしい。
アレクと一緒に魔王城に戻す為にいつも早めに帰している。
ガルフの店の転移陣を開けられるのはリオン、フェイ、カレドナイトの鍵を預けられているアル、あとは精霊術師のエリセだけだ。
アーサーとアレクはまだ自由には帰って来られない。
「そう言ってもフェイ兄とリオン兄も最近戻ってこない事、多いじゃん~。ちょっと寂しい」
「もうすぐ長く仕事を開けるから、その分の仕事やっとかないといけないんだ。
リオン兄は皆に頼りにされてんだぞ!」
「アーサーばっかりズルい。おれも、リオン兄のお手伝いしたいのに!」
アーサーとむくれるクリスの話を聞きながら、でも、私はちょっと胸をなでおろす。
結論を少しでも先延ばしにできるのはホッとする。
何の解決にもならないと解ってはいるけれど。
「ご飯作るよ。それから遊ぼう」
「うん!」
「寝る前にご本読んで」
「いいよ。そう言えば新しい本もあるんだった。読んであげるね」
「わーい」
厨房に向かう私をセリーナが呼び止める。
「姫様、お料理されるなら私もお手伝いを…」
「今日はちょっと一人で集中したいの。だからファミーちゃんたちと遊んでて。
ファミーちゃんセリーナをよろしく」
「はーい。お姉ちゃん、遊ぼう? 私ね、精霊さんとお友達になったんだよ」
「あ…はい。すみません。ではお言葉に甘えて」
セリーナと同じように、手伝いを申し出てくれたティーナにも子ども達の方をお願いして、私は一人、厨房に入った。
ここは、私の原点。
なんとなく、家に戻ったのと近い感覚でホッとする。
「エルフィリーネ。出てきてくれる? 大事な話があるの」
周囲に誰もいないのを確かめて、私は魔王城の守護精霊に呼びかけた。
「なんでございましょうか? マリカ様」
ふわりと、空中から舞い降りる守護精霊。
さっきのアーサーの話を聞くにリオンとフェイはもしかしたら仕事を早く上げて戻ってくるかもしれない。
ならば、先に確認しておいた方がいい。
「単刀直入に聞くよ。大事な話だから」
「はい。答えられる事でしたら」
「『精霊の貴人』って結婚できるの? 結婚したりしてた?」
「…………」
「やっぱり答えられない事?」
押し黙るエルフィリーネに私は息を吐き出すが、意外にも彼女の答えはいいえ、だった。
「禁止事項では、ありませんのでお答えできます。
歴代の『精霊の貴人』に人の言葉で言う意味での既婚者はおりません」
「やっぱり、聖なる存在だから結婚が禁止されていたとか?」
「絶対の禁止、ではないのですが『精霊の貴人』は星の代行者。
初期は選ばれた者以外は、拝謁する事すらできない存在であったので…」
最初は本当に生きた女神のように扱われ、魔王城の最奥で崇め奉られていた。
幾代かの統治、神との争いや、世界を覆う闇から民を守護するうちに少しずつ距離が縮まり、最終的には普通の女王と民のようになってきたけれど、それでも生きた『精霊の貴人』に言い寄る男性はおらず、周囲も禁止のように扱っていて生涯独身であったという。
「でも、三階の女王の部屋の横に、豪華な執務室が無かった?
私、あれ、王配の部屋かな、って思ってたんだけれど」
「あそこは、成人した『精霊の獣』の為に用意されていた部屋です。『精霊の貴人』を支え『星』を守る者としての彼の為に。
ついぞ使われることはありませんでしたが」
「使われることは…無かった?」
「はい。『精霊の獣』が始めて生まれたのは『精霊の貴人』の治世で言うなら第四代、精霊国エルトゥリアの最後の女王の元で、でしたから。
『精霊の獣』は成人することなく没し、以降一度たりとも『完成』されたことはありません」
『精霊の獣』が生まれたのは私の先代の『精霊の貴人』の時代が始めて。
それまで『精霊の貴人』は本当に孤独に国を治めていた。
私が知る『精霊の貴人』は一度だけ、心の中で出会った多分、エルフィリーネの言う第四代。最後の女王。
コロコロ笑う、感情豊かな女性に見えたけれども、初期はそうではなかったのかもしれない。民や家臣、そしてきっと『精霊の獣』との出会いで変わっていった。
「『精霊の獣』って『精霊の貴人』を支える為の存在だった、ってこと?」
「それだけが存在理由ではありませんが、はい」
「じゃあ、私が仮に大人になって『精霊の貴人』になったとして。
『結婚』は許されると思う?
リオン…『精霊の獣』も含めた男性と…」
それが、一番大事なことだ。お父様やお母様が皇女として私の結婚を望んでくれたとしても『星』が『精霊の貴人』の結婚を許さないのだったら、それは叶わぬ夢でしかない。
「…禁止はされておりません。推奨もされてはおりませんが」
「…相手が、リオンでも?」
「はい。ただ『精霊の獣』が他の存在と交わったことも、『精霊の貴人』が純潔を失ったことも、前例が無いので、実際にどうなるか、何が起きるかは、私にも想像がつきませんが」
交わり、純潔…。
エルフィリーネがあえて使ったであろう生々しい表現に、胸が大きな音を立てた。そうだ。…解っている。
この場合の『結婚』というのは儀式的なものではなく、男女の関係になる、ということ…。
普通ならこの年齢の女の子はまだ知識として与えられていない事もあるかもしれないけれど、私は…知っている。
「『星』はお二人の選択を尊重して下さると思います。
『二人』の選択を妨げてはならない。
それが今世において『星』が私に命じた絶対命令ですので」
「………そう、ありがとう。変な事を聞いてゴメンね」
星は、私達の選択を尊重してくれる。
恋愛も結婚も禁止されてはいない。
それが解っただけでも、今は十分だ。
私はエルフィリーネから逃げるように顔を背け、野菜を洗い始めた。
「私と、リオンね。
外の世界では、今、婚約者ってことになってるんだって。
「マリカ様?」
伺うようなエルフィリーネの視線から目を反らし、私は独り言のように呟く。
「まだ、結婚とかそういうこと、全然考えられないし、正直、今は目の前の事。
子ども達を守って、世界を変える、で、手も頭もいっぱいで自分が大人になって幸せな結婚をするとかまったく頭に浮かばないんだけど…」
エルフィリーネに背を向けてからは、私は料理に没頭しながらも、実は自分自身の中に没頭していた。
周囲の様子も全く見えない。
だから、厨房の扉が開いていたことも、誰かが入ってきたことも気付いていなかった。
「こんな、私が…リオンを好きになったり、結婚したい、って思ってもいいのかな?」
「マリカは、俺のことを好きでいてくれたのか?」
「え?」
誰に、エルフィリーネに向けたのでもない、独り言に帰った返事。
私は思わず顔を上げ、そこで硬直した。
立ち尽くした。息を呑んだ、動けなくなった。固まった。
もう、本当に全てを忘れてフリーズした。
頭だけは妙な熱を帯びて熱くなる。
フリーズじゃなくってむしろ熱暴走かも知れないと、どうでも良い事を思いながらも私は本当に、指先一本動かず、視線さえずらせない自分の身体を持て余す。
だって、だって、
そこには顔をエナの実よりも真っ赤に染めたリオンが立っていたから…。
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