「その婚約に『神』と『星』と『精霊』の名において異議を申し上げます。
どうぞご再考の程を」
アルケディウス神殿長 ペトロザウルは泰然と大広間に設えられた壇上。
皇王陛下と皇王妃様に向けて近付き、頭を下げる。
頭を確かに下げてはいるけれど、そこには敬意は見られない。
むしろ挑むような敵意にも似た光が見える。
「下がれ。ペトロザウル。
皇女の婚姻は父が決め、母が許し、皇王陛下に承認を得て定められる。
教会はそれを認め、祝福するだけの存在。
意義を申し立て、止める資格など有りはしない」
獅子が吼えるがごとく。
怒り立つ目で神殿長をお父様は睨むけれども、神殿長の表情はどこふく風。
お父様に顔を向ける事さえせずに、皇王陛下に彼は向かい立った。
「確かに通常であれば、皇子のおっしゃるとおり。
子の婚姻は父が定め決めるもの。そこに神殿が口を挟む権利はございません」
「なら…とっとと…」
「ですが、こと『聖なる乙女』の話となれば別。
『聖なる乙女』は『星』と『神』と『精霊』を繋ぐ星の宝。
例え騎士貴族で在ろうとも簡単に手にしていい存在ではないのです」
ちろりと、蔑む様にリオンを見る神殿長。
ああ、これは本当にリオンの正体は知らないんだ。と思う。
勇者の転生だ、と知っていたらこんな態度はとても取れない。
「では、貴様は…『神殿』はマリカに結婚も許さず『神』に仕えよと申すのか?」
「いかにも。
それが大神殿の神官長より直々の祝福を得て、神の額冠を賜った『乙女』の定めにございます」
「ふざけるな! 『聖なる乙女』は強制されるものではないだろう!
現に各国の王女、皇女。『聖なる乙女』はほぼ全員が役割を降り、幸せな結婚をしている」
「それは、当たり前の『乙女』であるならば。
二国の精霊の血を受け継ぎ、魔王の封印によって縛られた三国の『精霊神』を解き放つ力を持った真の『聖なる乙女』にはそのような自由などございません。
『聖なる乙女』は『神の花嫁』
神の慈愛をその身に受け、恵みを人々に分け与えるが定めです」
「話にならん!」
自分の語りに酔うようなペトロザウルの言葉にを、お父様は怒と共に吐き捨てる。
「そんな決まりなど誰が決めた。
『聖典』にも『聖なる乙女』の役割など一行たりとも書かれていない。
誰も知らない、古ぼけた定めや『神』などに俺は娘の幸せをくれてやるつもりはない!」
「無論『聖なる乙女』を生み出したアルケディウスには『神』の恩寵が与えられましょう。
姫君が『聖なる乙女』として神の恩寵を受け、役割を果たされるのであれば、神殿はアルケディウスにおける人民税の一切を放棄いたします。
今まで神殿に納められていた税の全てが『聖なる乙女』を生み出した大地に還元されましょう」
「…アーヴェントルクとは随分違う態度ですね。確か、お姉様の『聖なる乙女』としての対価は人民税の半額ではなくって?」
「『真なる聖なる乙女』とただの乙女では待遇も違って当然でしょう」
アドラクィーレ様の微かに悔し気な問いに、あたかも当然という様に神殿長は答える。
広間の大貴族達が騒めいた。
答えになっているようで答えになっていない返事ではあるけれど、それはとんでもない提案だ。
アルケディウスには少なく見積もっても王都数万、領地全体でその十倍以上の国民がいる。その国民すべてが納める高額銀貨一枚、約十万の税金が全てアルケディウスに与えられたら金額は億を遙かに超える額になる。
それが、皇女ただ一人によって齎される。
幾人かは息を呑み込んだのが解った。
皇王陛下は無言、皇王妃様も眉を潜めて沈黙している。
「無論、マリカ様がアルケディウスの発展に不可欠であることも承知しております。
本来ならば大聖都において『聖なる乙女』として聖別された生活を送るところを格段の配慮をもって、国に残るを許し、事業や国務、政務に携わることができるようにするとの神官長のお言葉。
『聖なる乙女』として相応しい生活が送ることができるように、アルケディウスの神殿には姫君の宮を既に整えてございます」
私の前にスッと影が降りた。
お母様が場所を変えたのだ。私を守るように。
「その設備も王宮に決して引けを取らぬと自負してございます。
無論姫君に仕える従者も十二分に。お望みであるのなら王宮からの従者も受け入れましょう。
皇子やご家族との面会も許されておりますれば」
ペトロザウルが語る言葉は、もったいぶっているけれど、どれ一つとっても私にとっての好条件はない。
むしろ行きたくないの思いが募るばかりだ。
家族に会う事に許しが必要だなんて、絶対に嫌だ。
「答えになっていないぞ。ペトロザウル。
誰がそんな決まり、定めを決めた、と言っている!
貴様ら『神殿』が勝手に決めた『定め』を娘に押し付けるな!」
「別に私共が定めた訳ではございません。
これは『星』の代行者たる『神』の御意志。
『星』と『神』と『精霊』の御名に置いて定められた星宿にございます」
憤るお父様から顔を外し、ペトロザウルは皇王陛下と皇王妃様に向かい合った。
壇上と壇下であるけれど、その言葉は明らかに上から目線だ。
『神』の代弁者である自分に酔っているようにさえ見える。
「どうぞ、陛下。ご決断を。そしてご命令を。
英明な陛下で在らせられれば、この国にとってどうすることが一番有益か御理解頂けるでしょう」
会場中の目視を集めた皇王陛下は、静かに目を閉じまた開くと
「…私は、孫を籠に閉じ込めるつもりはない」
「お祖父様!」
「なんと!」
決定を言葉にした。
当然、と言えば当然ながらペトロザウルの眼差しは剣呑なものに変わる。
「『神』の御意志に逆らうと?」
「『神』御自身の言葉であるなら考えもしよう。
だが、マリカは大聖都において神官長より、当面は王宮にて通常通りの生活を行い、要請に応じて儀式を執り行うと言質を得ている。
今の提案は其方のみの判断であり、言葉であろう?」
「…確かに。神官長からは姫君の御意志に委ね、時を待てとお言葉を預かってございます」
「ならば、マリカが望まぬ以上、神殿にマリカを仕えさせる、というのは無い話だ。
下がるが良い」
「いえ、姫君はご自身の意志で、神殿に上がられます。
ですので婚約は不用。御心積もりと申し上げている次第で…」
「私は、神殿になど上がる気は…」
ありません、と言いかけて私は息を呑み込んだ。
くい、と首を振ったペトロザウルの視線の先、舞踏会場の大広間の入り口にさっきの子ども達がいたのだ。
跪き顔を下げる二人の子どもの後ろには、抜き身の剣を携え構えた神殿騎士が…。
「…あ、あれは何ですか? ペトロザウル様」
「神殿の下働きの子どもでございます。
『聖なる乙女』マリカ様に仕えるべく用意されましたが、マリカ様が神殿に上がられないのであれば、必要のない者。
処分いたします」
胸の奥で、ヒュッと風が鳴るような音を立てた。
ガクガクと震えが止まらない私を背後でリオンが支えてくれる。
神殿長の言葉に騒めく会場の大貴族達。
そんな中、お父様の雷霆のごとき怒りが奔る。
「! 貴様、自分が何を言っているのか解っているのか!
アルケディウスでは昨年から、子どもへの非情な行為は法律により、禁じられている!」
「それは、人の世の法。『神』の理に生きる我ら、神殿の者には関係ございません」
あっさりと言ってのけるペトロザウルにぐっと、言葉を失うお父様。
反論できないという事は神殿は『治外法権』の権利が与えられているのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
問題なのは…
「私が…神殿に上がらなければ、無関係の子ども達を…殺す…と?」
「『神』と『精霊』の名に懸けて『星』にお返しするだけでございます。
御心配なさらずとも、アルケディウスの神殿には後、六人拾われた子どもがおります。
一人や二人減った所で何の支障もございません」
平然とした顔で言い放つ神殿長を、私は本気で殺したいと思った。
子どもを私を脅す使い捨ての道具としか見ていないペトロザウル。
私がもし、断れば今、王宮にいる子どもを助けることはできても、神殿に残っている子ども達は酷い目に合わされるのかもしれない。
…子どもや家族を盾にされても、私が毅然とした態度で拒否すれば相手は手荒な真似はできない。
そんな私の考えが甘かったのだと思い知らされる。
私の身体を乗っ取り、道具として使おうとした『神』のように。
権利や法律で守られた大人や、ゲシュマック商会の子ども達に手が出せないのなら。
『神』の使徒達は何の躊躇も躊躇いも無く、私に言う事を聞かせる為に無関係な子ども達の命を刈り取るのだろう。
私がそれに、耐えられない事を十分に理解した上で…。
「もし姫君が神殿にお仕え下さるのであれば、捨てられ行き場の無い彼らも『聖なる乙女』の恩寵を賜り、幸せに生きる事ができるかもしれませんな」
つまり、私が神殿に上がればあの子達は私の権限で保護し、守ることができる。
でなければ死あるのみだ、と。
完全な脅迫に、お父様の顔が怒りに真っ白になる。
「貴様…。そこまでしてマリカを神殿に括りつけたいか」
「『聖なる乙女』は神殿にあるべきでございます」
けれどもペトロザウルは私を、見る。
にやにやと、勝ち誇った笑みを浮かべながら。
「さあ、どうぞご決断を。『聖なる乙女』
神殿に上がり、その慈悲をもって子ども達を救い、国を、世界を支え、導く職務を全うされるか。それともあくまでご自分の自由を求められるか…」
例え、脅迫で強要されたものであったとしても。
皇王陛下と、国中の大貴族が集まる舞踏会で言質を取られればもう逃れられないだろう。
これだけ無茶をし、皇家をコケにし、恨みを買ってもペトロザウルは、神殿は、私を取り込みたいのか…。
『皇女』として『聖なる乙女』として私の機嫌を取り、好印象を付けて自分から仕えさせようとするのではなく。
この男はあくまで自分の思い通りになる道具として、私の首に縄を付けて扱うつもりなのだと解った。
…結局、これがこの世界における『子ども』の扱い方なのだ。
勝ち誇ったような顔で私を見るペトロザウルには恨みしかないけれど。許せないけれど…。
一度、屈服してしまったら同じことが繰り返されるのは解っているけれど。
でも、何の罪も無い子ども達の血が流れ、命が奪われるのを見る決断は…どうしても…。
できない。
「わ、私は…」
「マリカ!」
絞るような声で、
神殿に行く。
と言いかけた私の意識は、そこで途絶えた。
最後に何かが、柔らかい何かがぶつかってきたような衝撃があったことは、覚えているのだけれど…。
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