足は、疲れてフラフラだ。
押されたら、その場で転んで倒れそう。
でも、よろけそうになる身体に、力を籠める。
精一杯の虚勢と共に。
倒れる訳にはいかない。
前を睨み付ける。
そこにはまだあいつがいるのだから。
解っている。
…彼は、彼女は…
運命の姉弟。精霊に愛されし者。
同じ志と、願いを持つ者だ。
足に力を入れ直す。
であるからこそ、負けるわけにはいかない。
『彼に』『彼女に』
負ける事は、自分を信じてくれた精霊石に、キズが付く。
精霊石の信頼を裏切ることそれだけは、認める訳にはいかない。
「行きますよ!」「今度こそ、終わりです!」
『私』は、きっと今度こそ本当に最後になる一歩を、正に踏み出そうとしていた。
…全く、この女性は…。
僕は、驚きに眼を見開くしかなかった。
もう、かれこれ一刻近く戦っているのに、まだまったくと言って良い程に彼女は、戦意を失っていないのだ。
多分、体力は尽きていると思う。
そう思いたい。
こちらはもう、腕も上がらない位ボロボロなのに。
僕を呼び出した彼女は。
王宮に仕えるこの国最高位の魔術師は、試験結果を冷静に、冷酷に告げた。
それは…予想はしていたけれど…知識と能力に知らず溺れていた自分の頭に冷や水を浴びせかけるもの。
誰もが合格は確実だといい、自分もそう信じていたけれど、自分はまだまだ甘い考えの子どもにしかすぎないと思い知らせるモノ、だった。
今まで、魔王城に子どもだけでいた自分は、周囲、他者への気配りという事に頭が及ばない。
というのは自覚している事だ。
もっと正直に言ってしまえば、リオンとマリカ…そしてアルとライオット皇子以外の人間は、自分にとってどうでもいい、と言い切ってしまうのもなんだがどうでもいい。
そう思っているのだ。
城の兄弟達は大事だし、可愛いと思う。
自分に協力してくれる大人はありがたいとも思っている。
守りたい、という気持ちは存在する。間違いなく。
…でも、彼等を気遣って作戦を変える。
そんな考えが、自分の中に欠片も無い事に、僕は試験を受けて気付かされていた。
リオンと、マリカと、精霊。
それを守る為なら、僕はきっと何の遠慮も無く、躊躇も無く彼らさえも切り捨てるだろう。
それでいい、と覚悟を決めている。
けれど、そんな覚悟は甘い、子どもの考えだと、この女は笑い飛ばすのだ。
「大事なものを最優先に、他のものを切り捨てるのは簡単な事。
大事なものと、そうでないもの、両方を立てて、生かし切るのが大人、というものなのですよ」
遠慮のない蹴りを鳩尾に打ち込んだ彼女は、そう高らかに言い放つ。
とっさに間合いを空けるという名目で距離を取ったのは、それこそが正しいと認めるのが悔しかったからだ。
王宮魔術師、ソレルティア。
認めざるを得ない程に、強く、美しい大人。
術師としての総合的な力は、多分、僕が勝るだろう。
リオンとずっと戦い続けて来た自分は、戦闘力だってそれなりにある。
自惚れだと言われても、それは紛れもない事実だ。
でも、こうして戦っていて、勝利するヴィジョンが全くと言って良い程見えてこない。
少し気を抜けば遠慮なく叩きのめされる未来があることは確実に解るのに。
金髪、碧眼。
杖無しで精霊に呼びかけ、術を行使する、精霊に愛された者。
精霊石が限界で杖が使えなくなっているというけれど、こうして戦えば、力の限界や喪失などなんの冗談だと思う。
正直、修行や下積みを一気飛ばしにして最高位の精霊石を得てしまったから。
今、この時まで杖無しで精霊の力を借りる、なんていう思考は全く欠片も持っていなかった。
知識や術の発音、使い方は頭のなかにあるけれど。
『まさか、其方、杖無しで術が使えないと言いますか?』
『勿論、できます!』
挑発に無意識に返すまでやったことは無かった。
完璧ぶっつけ本番。
彼女の発音と、使いこなしを真似てやってみているだけ。
でも、こうして杖無しで精霊に力を借りると余計にはっきりと解る。
理解できる。
精霊の存在と、僕達に力を貸してくれようという優しい意思を。
無意識に、自分の能力に驕り、足りないからこそ真摯に願い、気遣う思いというものを持っていなかった、と気付かせられる。
それは精霊に限らず、きっと人間関係でも…。
…本当に、僕はどうしようもない子ども、だったんだな。
大事なことを解っていない。
と罵られても仕方がない、と今なら理解できる。
戦いが終わったら、頭を下げ教えを請おう。
と覚悟は決めている。
悔しくても、それがリオンやマリカの、そしてこれからの自分の為に役に立つのなら、どうということはない。
自分に力が足りないことを突き付けられるのは悔しいけれど、理解できたのならそれを埋めて行けばいい。
この女の様に。
けれど、それは今じゃない。
この勝負には、負けるわけにはいかない。
負けて、一時たりともシュルーストラムを、この女の手に預ける訳にはいかない。
シュルーストラムは、僕の杖。
絶対に渡すわけにはいかない、僕の力だ。
「そろそろ、終わりにしましょう」
僕は間合いを開けて、短剣に炎を宿らせる。
「エル・フェイアルス」
ボッ、鈍い音がして剣に炎が宿った。
「ほう!」
あの女が、見たことも無いものを見た。そんな顔で感嘆の声を上げる。
実際見たことはないだろう。
精霊を武器に纏わせて戦う戦い方は、マリカが編み出した新しい技術だ。
「面白い事を考えますね」
「風の術だけしか、使えない訳ではないですから…」
剣に炎を纏わせることで、剣の耐久力と攻撃力を上げる。
この短剣そのものは魔法の武器ではないし、ずっと戦い続けて強度も落ちてきている。
ここで一気に決めて、終わらせてやる!
「行きますよ!」
僕が短剣を掲げる。
「今度こそ、終わりです!」
彼女は受けて立つ、と言わんばかりに身構えた。
体力も、そろそろ限界。
これがきっと最後の攻防になる。
無言で、地面を蹴った。
真似るのはリオンの形。
正面から真っ直ぐに打ち付けると見せかけて、剣を返して側面から!
「!」
軌道を読み損ねたようで、右側ががら空きだ。
獲った。
そう思って剣を振り下ろした瞬間に聞こえた、キュポンという何かが揺れる音。
「エル・ミュートウム」
「うわあっ!」
バシャン!
と水しぶきが顔に降り注ぐ。
ミュートウムは水の盾。
炎の剣を止めるには最適解ではあるけれど、風や空気に宿る熱を集めるエル・フェイアルスと違って、一体どこから水なんて…
渾身の攻撃を止められて呆然とする僕に彼女は、追いうちの様に何かを投げつけ、一気に間合いを詰めて来る。
投げられたものが小さな、手のひらサイズの小瓶だ、と気付いたころには
「うっ!」
僕は首元を捕まれ、そのまま全体重をかけられる。
足はバランスと力を失い、あっけなく崩れてしまう。
「時間と、杖があれば空中から水をくみ出す事も、できなくはないですが、こんな時の為に精霊を用意しておくのも魔術師としての備え、というものですよ」
馬乗りになるように上から押し倒された。
「…僕は…まったく何の準備もさせて貰えなかったのに…ずるいと、思います」
「まあ、それは否定しませんが…さて、降参しますか?」
体格が違う。身長も違う。
女性にしては高身長な彼女は、僕をがっちりと抑え込んでいて、身動き一つできない。
でも、僕達は術者だ。まだ手はある。
頭の中をフル検索し、方法を探す。そして実行に移そうと思った正に、その瞬間小さく響く、時告げの音。
そして
「そこまでだ!」
声が響いた。
「時間切れだ。良い勝負ではあったがこの戦い、私が預かる!」
飛びずさり、跪く彼女。
でも、僕は彼が、誰か解らない。
僕達の戦場だった場所の中央には、今、一人の見知らぬ男性が立っていた。
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