深夜、私達は牧場を後にした。
夜遅いというのに殆どの人が見送りに出て下さったことに恐縮する。
「こんなにたくさんのチューロスとお肉、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。
これ程の量のレシピを無料で頂いてもいいのでしょうか?
貴重な燻製器まで」
「いいんです。牧場をされる皆様でご活用し広めて頂ければ幸いです」
牧場主ご夫妻が恐縮した顔で頭を下げるけれど、私は首を縦に振って頷いた。
私は燻製器と、チーズフォンデュ、オイルフォンデュ、バター、アイス、クッキー、パウンドケーキ。
牛肉の燻製、その他牧場で活用できそうなレシピを思いつくまま置いていくことにしたのだ。
子牛一頭分の牛肉と馬車に乗せられるだけ、とにかく持って行って欲しいと積んで頂いたチューロスと引き換えにしても安い事は承知している。
けれど、第一次産業従事者は優遇するのが基本。
彼らが作ってくれないと、食は広まらないのだから。
「今は、国同士の交流や観光など難しい時代ですが、いつか自由に人々が土地を行き来する時代になれば、その土地ならではの料理が目玉になって人を呼び集めることもあるかと思います。
素晴らしい牧場と、その産品を大事に育てて下さいね」
「ありがたきお言葉、心から感謝申し上げます。
命を無駄にせず、使い切ることを我らに思い出させて下さった姫君。その恩義に報いられるように我々は全力で尽くしていくことをここに誓います」
「よろしくお願いいたします」
「近いうちに改めて今後の打ち合わせに参る。
今週の宴席用の食材は我らが持ち帰るが、引き続き需要は続くと思われる。
他の牧場主たちとも連携を取り、備えておくように」
「かしこまりました」
領主ラウクシェルド様の言葉に頷く牧場主さん。
チューロスは作った後の熟成に時間がかかるし、お肉も食べられるまでに育てるには年月がいる。
一つの牧場だけでは国を支える事はできないので、確かに連携が必要だろう。
自分の牧場だけ栄えればいい。
そんな人では無かった事に安堵する。
「では、ばあや。元気でね」
「ありがたきお言葉です。姫様も、皇子様もどうぞ末永くお健やかであられますように」
「良き対応感謝する。今後も頼んだぞ」
「お任せ下さい」
「うむ、では出発する!」
私達の馬車が見えなくなるまで、彼等はずっと見送ってくれていたようだった。
「楽しかったね」
「はい。エクトール荘領を思い出します」
「ああ、確かに雰囲気似てたかも」
カマラの呟きに、私は素直に納得同意する。
山奥で丁寧に食を守り続けて来た人々。
彼らの努力には、もっと光が当たってしかるべきだ。
「ここからはまた山道です。辛いですが少しでも休んでおかないと到着後、直ぐに動けなくなってしまいますよ」
「うん、ありがとう」
ミーティラ様に促されて、私は毛布に包まって目を閉じた。
瞼の裏に、牧場の穏やかな風景が浮かぶ。
アーヴェントルクは敵国の印象が強かったけれども、それは王宮だけの事で市勢に生きる人々はごく普通の、牧歌的で優しい人たちだ。
彼らにとってはきっと、王家の内乱なども関係ないのだろう。
かつては耕作地が少なくて、食べるにも困ることが多くって。
戦に出たり飢えに苦しんだりしていたけれど今はその心配も無く、生きがいは無いけれど穏やかに暮らしていける。
そして不老不死のおかげで『生きる為の戦争』をしなくても良くなった。
富国強兵を願って革命を起こした現皇帝陛下には皮肉な話だけれど。
もし『神』を倒し、不老不死が無くなったら。
彼等はどう思うだろうか。
私は疲れに蕩け次のる意識の中、今まであえて考えないようにしていたことを思い出してしまっていた。
旅程は昨日とほぼ同じ。
深夜のうちにある程度距離を稼ぎ、夜間に一端休息。
夜明けを待って出発。
翌日の昼前に次の目的地に到着する。
「うわー。見て下さい。凄い。一面の花畑がそこかしこに!」
「真っ白で綺麗ですね」
「あちらは真っ青ですわね。なんて美しいのでしょう。地面に広がる湖のよう」
切り立った渓谷の真ん中の街道を行くと、周囲には本当に見事な花畑が広がっていた。
青天と新緑の中に広がる白、青、黄色、赤。
鮮やかな色合いは眩しい位にこの風景に似合っている。
やがて、街というには小さい集落に馬車は辿り着き止まる。
「お父様!」
「アザーリエ!」
馬車を降り、集まっている人達の元に今度は真っ先に駆け寄ったのは皇子の第二妃アザーリエ様だった。
「マルティニーク。待たせたな」
「いいえ。誉れ高き我らが皇子と、アルケディウスの輝かしき姫の御来訪を心から歓迎いたします」
迎えて下さったのは壮年の男性。
お父様、とアザーリエ様がおっしゃったことから話に聞いていたアーヴェントルク大貴族五位のミルトブール伯爵 マルティニーク様だろう。
王城で少しだけ顔を合わせた。
私達が領地を見学する為に、別行動で話を通しに来て下ったのだ。
「この度は無理を聞いて頂き、ありがとうございます。
ミルトブールの地では養蜂が盛んと伺いました。
『新しい味』にも、そして近年女性に人気が上がっている化粧品にも、蜂蜜は重要なのです。ぜひ、見学させて下さいませ」
「こちらこそ。我が地の産業に光を当てて下さいましたこと感謝申し上げます。
時間もないでしょうから、まずこちらへどうぞ」
奥まった家の一軒に案内された私達は、そこで服の上に着るように、と手袋とつばの広い帽子。
それからマントを渡された。
帽子には首周りに薄いヴェールのようなものが付いている。
「これは?」
初めて見るであろうセリーナやノアールは首をかしげている。
というか普通に生きてたらあまり見る事も、着る事も無いものだ。
「蜂に刺されないようする為の面覆いと手袋ですね。
ミツバチはこちらから攻撃しない限りは滅多に人を刺す事は無いそうですけれど危険は危険ですから」
「蜂、というのは人を刺すのですか?」
あー、そこからか。
外の世界からキッパリ切り離されていた娼館や貴族の館育ちのセリーナやノアールは怯えているけれど
「小さな生物の生きる為の、身を護る武器ですから私達がとやかく言えることではありません。
お互いの生き方を尊重し、上手に付き合っていくことが大事です」
人間に限らず、全ての生き物と接する上で共通する事だと思う。
「怖いならここで待っていてもいいですよ」
「い、いえ、行きます」
我ながら意地悪だと思うけれど、主が行くのに側仕えが付いてこない訳にはいかないだろう。
完全防備ができたところで私達は外に出た。
使用人さんの案内に従って、少し歩くと大きな大きな、花畑に出た。
まるで地面に降りた雲のように純白の花が群生している。
「真っ白でキレイですね」
「ナーシサスの花ですね。今年は春の訪れが遅かったのでまだ残っていますが最後の名残です」
ナーシサス……水仙系の花かなって思う。
これで名残なら最盛期はもっとすごかったろうなって思う。
そしてその上を飛び交うミツバチたち。
側にはかなりの量の巣箱が並んでいる。
「花の蜜を集めて来た蜂はこの巣の中に貯め込み、蝋で蓋をします。
ここで集めているのはその蝋で蝋燭を作るのに使うのですが、蜜も一部採取して皇家や大貴族に献上しています」
食が必要とされなくても嗜好品としての甘いものの需要はそこそこあるようだ。
説明してくれるマルティニーク様の合図で使用人が巣箱から板を一枚引き出した。
うじゃうじゃっと板に張り付く大量の蜂はちょっと怖いけれど、軽く煙をかけて払ってみれば中には相当に重そうな蜜と蝋がみっちり詰まったハチの巣が。
この表面の蝋をはぎ取ってゴミを取り除いて蝋燭などに。
そして蜜は手回しの遠心分離機で巣から除いてろ過して出来上がり、だという。
「うーん。手間がかかっていますね。
なんだかシャンプーに遣うのが勿体ないくらいです」
魔王城にいたころは巣からこっそり能力で頂いてた。
贅沢なのは解っていたけれど、こうして改めて見ると…罪悪感。
でも、豪快にご領主さまは笑っている。
「蝋などに比べると蜜は需要が少なく余り気味ですから、何かに使って頂けるならその方がありがたいですよ」
「皆さんは食べたりなさらないんですか?」
「蜂も、花も蜜もご領主様のものですから…」
「ご領主さまは?」
「砂糖などに比べると、蜂蜜は甘味としては格下のような扱いです。
何せ虫が集めるもの、ですし。
砂糖が入手できない時に使う、という感じでしょうか?」
「もったいない!」
本当に勿体ないと思う。
蜂蜜は太古から人間にとって一番身近な甘味料の一つとして珍重されて来た筈だ。
栄養分も豊富だし、何より美味しい。
食べるダイヤモンドだと言った人もいる。
「余る分が出るというのなら、それこそ譲って頂きたいです。
シャンプーに使う分とかはあまり質が良くなくてもいいので…」
「シャンプー?」
ご領主様はご存じなかったらしい。まだこの国には数本しか入れてないしね。
「髪を洗う液です……。えーっと」
やって見せた方が早いんだけれど、今回は途中でお風呂に入れると思っていなかったのでシャンプーをもってきていない。
きょろきょろ。きょろきょろ。
「どこか竃があるところはありますか? お借りしたいんですが」
「ありますが……。こちらをどうぞ」
「あと、さっき分離した蜂蜜を少し…」
「はい」
「ありがとうございます。少しだけ、中を覗かないで下さい」
首を傾げる養蜂場の人達や皇子達を置いて私は、私の従者だけ台所に入れるとお湯を沸かして貰った。
そして生蜂蜜とお湯を混ぜて、お塩を少し…。
私の手順を見てミーティラ様が目を大きくした。
そういえばお母様には教えたけれど、お母様が教えていなければミーティラ様は作り方を知らない筈だ。
「シャンプーはこんなに簡単にできるものだったのですか?」
「シー、です。内緒。製法を教えるのはまだ禁止されていますから…絶対にしゃべっちゃダメですよ」
作るのそのものは一刻とかからない。
完成品を手近な容器に入れて、部屋の外に出ると養蜂場から少し離れた場所に皆さんを呼び集めた。
「これから、多分各国の貴婦人たちの間で流行するであろう、これがシャンプーです。
もし良ければ、どなたか試してみて下さいませんか?」
皇子妃様達は興味津々だったけれど、流石にこの人数の前で洗い髪を晒すわけにはいかないからだろう。
養蜂場で働く女性の一人が手を上げてくれた。
私がやろうかと思ったけれど、止められたのでセリーナに、私にやってもらうのと同じ要領で髪を洗って貰う。
髪の汚れをさっと水で洗い流し、シャンプーを丁寧に頭皮になじませていく。
それからお湯で洗い流す。
「おお! これは凄い!!」
多分、今まで殆ど髪の毛なんて洗った事の無い人だから、というのもあるんだろうけれど、たった一回使っただけで髪の毛に見違えるような艶が出て来た。
髪の水分を取り去り、フェイに風でドライヤーのように髪の毛を乾かして貰うと、一目瞭然。
サラサラツヤツヤ、頭のてっぺんには天使の輪が浮かぶように輝いている。
「これは……どのようにして作るのですか? 蜂蜜が材料で?」
「随分と短時間ででていらっしゃいましたが……」
「ちょっと込み入った手順はあるんですが、作り方そのものは難しくはないんです。
既に販売契約を結んでいる業者があるので、口外できないのですが……」
「アルケディウスからの輸入を待つのではなくアーヴェントルクで、しかも私の領地でシャンプーが作れたら、どんなに素晴らしい事でしょう!」
「どんなに値段が張ってもいい。教えて頂きたいところです。ぜひ!」
ご領主様やアザーリエ様の目の色が変わっている。
無理も無いけれど。
貴婦人相手にこれは絶対無敵の武器になる。
皇子は…と言えばいつもと変わらない笑顔で私を、見ている。
これはこれで、かえってこわいな
「城に戻ったら、検討致します。
ですからどうか、今後も養蜂を守って下さい。
この先、間違いなく重要な産業の一つになりますから……」
私はニッコリ笑って押し切り誤魔化しとおした。
つもりだった。
その後、私は蜂蜜を食に使ったパンケーキや、蜂蜜キャンデー、クッキーなどのレシピをお知らせした。
代わりに、大量の蜂蜜を分けて頂いて。
「くれぐれも、シャンプーの製造法について色よいお返事をお願いいたします!
詳しくは後ほど戻りましたら改めて…」
ご領主様には随分と熱の籠った目で見つめられてしまった。
まあ、実際問題としいて養蜂がそれほど盛んでは無いアルケディウスだ。
今後需要が高まっていくと、諸外国への輸出はシュライフェ商会一社には手が余ると思う。
ちゃんと代理店契約を結んだりしながら蜂蜜の産地を確保し、製造販売を委託するのは悪い話ではない。
筈だ。
「戻ったらお母様と相談かな」
日暮れ前に養蜂場を後にすれば、私の強行アーヴェントルク観光は終わり。
戻ったら、報告会に舞踏会、調理実習、アンヌティーレ様。
気の抜けない日々が待っている。
「はあ~。気が重いなあ」
「マリカ様」
「アーヴェントルクがステキな国だって解れば解るほど、皇家の方や王宮の人達が魔性に見える」
「それはちょっと言い過ぎでは…」
「だって事実だもん。ああ、ステキなアーヴェントルクだけ見て国に帰りたかったなあ」
まあ、逆に言えば、こんな機会がなければ私にとってのアーヴェントルクは怖い国でしかなかったのだろう。
良い機会と思い出を頂けたと思って気持ちを切り替えるしかない。
「よし、明日からまた、頑張ろう!」
私は気合を入れる。
王都に戻った私達を、予想通り、予想以上のトラブルと騒ぎと問題が待っていたのだけれど。
それはまだ、解らなかったから。
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