私達の前に現れたフェイは、共通服の礼装を身に着け、手に杖を持っている。
風の王の杖。
虹水晶が煌めく美しい杖を見れば、誰もがこの杖と、持つ魔術師が別格の存在であることを理解する。
「お久しぶりでございます。大伯父上。
久しぶりに帰国しながらご挨拶にも向かわなかったことをお詫び申し上げます。
何か御用でございますか?」
丁寧な挨拶、完璧な礼儀作法。
けれど、そこに1mmの敬意も込められていない事は見れば解る。
「フェイ……貴様!」
怒りのままに声を荒げようとしたであろう公爵は、周囲を見回すとそれ以上の言葉を紡ぐ事が出来ずに俯いた。
まあ、それは言えないだろうね。女王陛下暗殺、王位簒奪を計画した貴族同盟。
その誓約書を奪われたから、返せ、とか。
衆人環視の只中では。
「フェイ。どこに行っていたの?」
「王宮です。大祭の会議中に失礼かとは思ったのですが、休憩の時間を見計らい女王陛下に面会を申し込んで参りました。
正式に、シュトルムスルフト国の王族籍から外れることを、会議でご了承いただけるように伝達、配慮願いたいと」
「なっ!」
公爵が潰れたカエルのような鈍い声を上げた。
「そう。正式にお願いしてきたんだ」
「はい。女王陛下は残念だとおっしゃり、引き留めて下さいました。
ただ、これからの会議で議案として挙げて下さるとのことなので、明日はもしかしたら会議に呼ばれるかもしれません」
「貴様! 王になる気はないと申すか!」
「勿論。シュトルムスルフトの王位など僕には荷が重すぎますからね」
フェイの言葉にハッとした公爵は我に返ると同時、顔を真っ赤にしてフェイを罵倒した。
「この裏切り者! 恩知らず!」
「公爵様。裏切り者とか、フェイが王にとかどういうことでしょうか?」
その怒声を私はなるべく、キリリとした威厳のある声と、姿で遮った。
「フェイは大神殿の神官長です。
今回の帰国は正式に、シュトルムスルフト籍から離脱し、大神殿と『神』と『星』に忠誠を誓うとのことなので同行を許したのですが」
「大神官! 彼は王の杖を預かるシュトルムスルフトの七精霊の子です。
勝手に去就を定め、取り込まれては困る」
「そういう貴方こそ、僕の去就を勝手に決めて貰っては困ります。そもそも、僕には王になることによって生まれる利点は何もない。
王になることを誰もが望むと思ったら、大間違いですよ」
それでも公爵は諦めきれない様子で、私に言い縋るけれど、何せ当のフェイが素知らぬ顔なのだ。脈は無い。
「それとも、貴方は私に大聖都の神官長として持つ価値に相当するものを、私が王になった時に与えて下さるとでも?」
「王になる事以上の価値が神殿にあるのか?」
「あります。自由に使える金銭、頭を押さえる上司のいない健全で過ごしやすい職場環境。
自分の実力を思う存分発揮できる仕事場。良好な人間関係」
「!」
「王という立場に括られても、配下である者に大きな顔をされて、思う通りにできない苦悩を僕は伯母上で見ていますからね。王を助けたいと思いこそすれ、王になりたいとは思いません」
よどみなくメリットを述べるフェイの言葉はもっともな話。
フェイは今、神官長として大神殿と全国の神殿を纏める役割をしている。
上に面倒な上役はいない。給料は月高額金貨二枚。生活費別。
神殿ではほぼ使わないので貯まる一方だと言っていた。
自分のやりたいことを、誰にも邪魔されずにできるということは仕事をする上でかなり重要なことだ。居心地が良いのは間違いないだろう。
自分で責任を負わなくてはならないことも多いけれど、それはそれで。
とにかく、大神殿で自分の実力をフルに発揮しているフェイが今更シュトルムスルフトの王位なんて欲しがるとは思えない。
鳥のように自由な心と魂をもつ彼に首輪をつけるのなんて無理な話だ。
「そもそも、大伯父上と私が会うのは、今回の訪問では今が初めてです。
いきなりそのような話を頂いても困惑するばかり。
どうか、その行動力や発想力は、伯母上と新しいシュトルムスルフトの為にお使い下さい」
私はフェイの意図を理解した。
フェイは今回の件をなかった事、聞かなかった事にしてやるから、素直に引けと言っているのだ。
確かに初日、フェイを呼び出した手紙には差出人の名前が無かったし、今日の呼び出しは(後でリオンから聞いたことだけれど)正体を知られないようにかフェイを外に呼び出し、そこから外の見えない箱馬車で公爵の城に連れていかれていたとのこと。
今なら、まだフェイが口を噤めば無かったことにできなくもない。
これは、フェイの温情と言えるだろう。
でも
「どいつも、こいつも……女、子どもの分際で……」
どうやら公爵にはフェイの思いが伝わっていない様子。
「覚えているがいい! 私を敵に回したことを後悔させてやる!」
代り映えのしない捨て台詞を残し、公爵は去って行った。
残ったのは私とフェイ、カマラに神殿関係者達だけ。
「やれやれ。話の通じない相手というのはこれだから困りますね」
「フェイ。大丈夫?」
「ああ、心配ありませんよ。こんなこともあろうかと手は打ってありますから」
「?」
「詳しくは夜にでも」
そう言って、私に向けて微笑いかけた笑顔は柔らかく、暖かく、透き通る春の湖水のように優しかった。
まるで、何もなかったかのように。
その日の夜。夕食時に私は公爵家での詳しい話と、その後の事をフェイやリオン、アル達から聞いた。
半分は精霊神様の所で、覗き見していたけれど、その後の事は解らなかったからね。
詳しい内容はまだ色々と仕掛けている所なので言わないけれど、フェイの計画通りにいけばかなりえぐいことになりそうだ。
「公爵は現在、健在の王の血縁者の中では最年長であるが故に、色々と力も強く、発言力も大きくて。現在、一族の代表としての立場は長男に譲っていますが、この長男、完全に父親の言いなりに使われている様子。
良く言えば一目置かれ、悪く言えば煙たがられる老害です。
そこを上手く突いていこうかと」
「老害、かあ。長すぎる不老不死時代の弊害だね」
「ええ。皇王陛下やタートザッヘ様のように、その知恵や力を後進の為に使って下さるのならいいのですが、自分の地位にしがみ付くのは正直見苦しい。
ですから、これを機にきっぱりと大掃除致します」
「公爵も馬鹿な真似をしたもんだ」
「まったく。フェイ兄を怒らすなんてな」
リオンとアルは他人事のように言っているけれど、多分、フェイの大掃除。
その実行犯はこの二人だ。
「オレはさ、フェイ兄には基本的に逆らわねえって決めてんの。
怒らせたらリオン兄よりマリカより怖いのはフェイ兄だからな」
「そんなに怖い?」
「怖いさ。なあ?」
サラダをパクつきながら言うアルに私は首を傾げたけど、当のアルは微妙な笑い顔でリオンの後ろに立つ従者待遇のアーサーやクリス。リュートを弾いてBGMをしてくれたアレクを見やる。彼らは私にとっては兄弟だけれど、公式の場では一介の使用人に過ぎないので一緒の食卓を囲むことはできないのだ。
顔を見合わせた彼ら。
もしかしたらアルに頷きかけたのかもしれないけれど
「アル?」
フェイが一言、発した瞬間、ピキーンと空気が凍った。
「失礼な事を言わないで下さい。
僕は何もしてない相手に対してそんなに怖がるようなことはしませんよ」
その言葉にさらに周囲の温度が下がる。アルは苦笑い。
「因果応報。
恩には恩を。良き行為にはそれ相応の感謝を。
その一方で自分の恵まれた立場に甘え、思考停止して相手を思いやれない様な相手には相当の報いを与える。ただそれだけのことです」
アルの名を呼んではいたけれど、フェイが圧をかけたのは他の三人も、かな?
リオンは対象外だろう。ちょっと困ったような顔をしているけど。
「それだけ、って言うけどさ。
まあ、いいや。オレはフェイ兄が間違っていない限りは言うことを聞くから」
「結構。今回は君の力も色々と借りないといけませんからね。
しっかりお願いします」
「りょーかい。そろそろ、圧を止めてやれよ。フェイ兄。
アーサー、トラウマ思い出して泣いちまうぞ」
「別に何も変な事はしていませんよ」
「トラウマ? ちょっと、三人とも大丈夫?」
見ればアレクはリュートを止め、青白い顔。クリスも口をパクパクとさせている。
アーサーなんか、手足がガタガタ震えて今にも倒れそうだ。
猛禽に睨まれた小鳥みたいに。
なんで? どした?
「マリカは気にしなくて構いません。
とにかく今回の件は、公爵が素直に引けばここまで。
ですが、身の程や立場を弁えず、荒事に出るつもりなら容赦するつもりはありませんから」
理由は解らないけれど、氷のように冷たいフェイの微笑に。
私もフェイを敵に回してはいけない。と何故か思ったのだった。
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