その日、私はヒンメルヴェルエクトの王宮にやってきていた。
勝手知ったる王宮の、応接室。
急な面会依頼であったけれど、大神官にして『聖なる乙女』の面会に大公様は直ぐに応じて下さった。
大神殿の、神官の『正装』を身に纏いサークレットも身に着けて、私なりの完全武装。
左右にリオンとカマラがいて、さらに後ろには魔術師としてセリーナもついていてくれる。守りは完璧だ。
ここで、なんとしてでもアルの情報を少しでも手に入れる。
私は自分自身に強く気合を入れて言い聞かせた。
「お待たせいたしました。マリカ皇女。
緊急の御用件とは一体何でしょうか?」
「この度は急な申し出に応じて下さいましてありがとうございます。ヒンメルヴェルエクト大公閣下。実は、アルケディウスのみならず、大聖都やひいては今後の世界の科学を始めとする発展に大きな影響を与える事件が発生いたしまして。
解決にご協力を賜りたいのでございます」
「それはそれは。我々にできることであれば、全力でお手伝いさせて頂きますが」
ここにいらっしゃるのはヒンメルヴェルエクトの大公閣下。
護衛はついているけれど、王族は一人だけ。大公妃様も公子もご一緒ではない・
「姫君は、進水式で『神』を降ろされ意識を失われていた、と聞いたがお身体の具合はいかがかな」
「もう、すっかり復調いたしました。
前よりも調子がいいくらいですわ」
「それは、何より。確かに前よりもお美しくなられたようにお見受けする。流石、『精霊神』に愛された乙女だけのことはある」
どこか品定めするような視線が結構痛い。
胸のふくらみは固く布を巻いてできるだけ押しつぶして隠し、髪の毛は金のメッシュがなるべく目立たないように編みこんで貰った。
外はそんなに変わっていない、と思いたいなあ。
「それで、本題に入りたいのですが」
「ああ、これは失礼。それで、オルクスに用事と?」
温厚な笑みを浮かべながら問いかける大公様に私ははい、と頷いて見せた。
けれど
「面会をお許しいただけますか?」
私のお願いに、首を横に振る大公様。
「申し訳ございません。まだ奴は視察より戻っておりませぬ故」
「え? フリュッスカイトでは既に帰国したと聞きましたが? 大神殿の転移陣を使いアリアン王子と帰国したのが二日前と記録に残っています」
「よくご存じですな」
「フリュッスカイトでお話を伺えたら、と思いましたら既に帰国しているとのお話で。
急いで戻り、手続きをとったのです」
フリュッスカイトでの進水式の後、幾人かの国賓は帰国を遅らせ、船の内部見学や商人との交渉、港の工場見学などを行った。自分の国でも新型船を作りたいという意図があってのことだろう。
『一朝一夕で真似できるものでは無いし、切磋琢磨することで技術の向上にも繋がる』
とフリュッスカイトの大公、メルクーリオ様は積極的に見学を受け入れているという。
ヒンメルヴェルエクトの公子、アリアン皇子とその腹心、オルクスさんも視察を行っていたがアルの失踪日の昼、帰国の途についていることまでは調べがついている。
だから、アルの誘拐にオルクスさんが関連していると解った翌朝、一番にヒンメルヴェルエクトへの依頼を行って、一日開けた今日、面会にこぎつけた。
中世の貴族、王族対応としてはかなり。最速に近いと思う。
「国には戻っているようです。ですが、王宮には戻っておりません。
奴は炎の術を得意とする魔術師ですからな。各地の工場で引く手あまた。いつも求められておるのです」
「そうですか。いつ、お戻りになられますか?」
「我が国には通信鏡もまださほどありませんので連絡をつけるのは難しいですな。
アリアンであるのなら、どの順番で工場を回っているのか把握しているかもしれませんが」
「では、アリアン公子とお話させて下さいませ。それから、この封蝋はオルクスさんの個人のものですか?」
「封蝋?」
私が差し出した手紙に大公様は手を伸ばす。
中世の手紙と言うと封蝋で封緘されているイメージがあるけれど、そもそも手紙そのものが高価なこの世界。普通の商人は商売のやり取りなどに封蝋など使わない。
王族であってもよっぽどの時だけだろう。
特別感はあるから目につくけれど。
「宮廷魔術師は、封蝋など持っておりません。
これは……アリアンのものですな」
「そうなのですか?」
大公様が静かに頷く。
私も勉強不足だな。私自身が手紙の処理をする事とか殆どなかったから、何処の国の誰がどんな封蝋を使っているとか全然知らなかった。
「はい。公子と公子妃が使う紋章です」
「ということは、公子が指図してこの手紙を書かせた、ということですか?」
「その可能性はありますが、その時にはアリアン自らが署名するでしょう」
「実は、この手紙の中にはオルクスさんが『高貴な存在』と匂わせる第三者の存在が示唆されているのです」
「どういうことですかな?」
「詳しい事情は申せませんが、ある孤児が現在行方不明になっております。
そしてオルクスさんは、彼に自分は君の両親を知っている。話をしたい、と誘っているのです。さらにはとある高貴な存在が関わっているので内密に、と」
「姫君、それは……」
本当はもしかしたら、大公様に知られたくない事かもしれないけれど、言っちゃう。
何せ誘拐事件だからね。
人質救出の為には迅速な対応が求められる。
見た限りでは大公様は、直接関与してはいない様子。
手紙を手に取り、青ざめている。
「興味がないと、断った後、彼は誘拐されています。
なので、もしや、と思いました」
オルクスさんの単独犯かと思ったけれど、話の流れからして公子か公子妃が関与している可能性も否定できない。
「以前、少し小耳に挟んだのですが、オルクスさんは神殿孤児院の子ども上がり、だそうですね。そして公子妃様も……」
「そんな話をよく……」
最初にヒンメルヴェルエクトを訪問した時に、ご本人から聞いたことだ。
名誉とか今の立ち場とかがあるから、あまり吹聴するつもりはなかったけれど、オルクスさんが『神の子ども』であるのなら、その知り合いである公子妃様ももしかしたら、なんて嫌な想像が広がる。
「オルクスさんの消息を知りたい、という理由ではありましたが、改めてアリアン公子とできれば公子妃様にもお話を伺わせて頂けませんか?」
「解りました。ですが、すぐには難しい話です。日を改めて頂けますか?」
公子も忙しい。公子妃も公務があって、直ぐに連絡を取るのは難しい、と言われれば仕方ない。
ここは中世異世界。通信鏡とか連絡手段ができてきたとはいえ、電話をかけて連絡を取って車で急行、なんてできる世界では無いのだ。
「事は一人の人間の命と尊厳がかかっております。
大至急。連絡が取れたら日を改めなくても構いません。大至急大聖都に知らせて下さい。
緊急なので、大神殿直通の『通信鏡』をお貸ししますので」
リオンが通信鏡をテーブルの上に置く。
大聖都にしか繋がらないものなので、悪用はできないと思う。
「消息を絶っている子どもは、ゲシュマック商会の科学部統括です。
彼がいなくなった場合、各国の素材流通にも大きな影響を齎します。
無論、そんなことは二次的なものですが。彼は、私の大事な腹心にして家族とも言える存在です」
「は、はい……」
「万が一、ヒンメルヴェルエクトが国として彼の誘拐に関わっているとしたら、それ相応の対応をする可能性もあります。どうか、よく話し合ってしっかりとした対応をお願いいたします」
「わ、解りました。可能な限り、迅速に」
本当に顔色を無くした大公閣下が汗を拭きながら頷く。
ヒンメルヴェルエクトは繊維工業を始めとする、色々な分野で科学技術を取り入れることに積極的だ。
もし、今後、ゲシュマック商会が流通を管理しているゴムや化学薬品が入らなくなったら相当に困るだろう。
でもアルを取り戻す為なら、私は厳しい事でもする。
その信念を全力の圧力で表して、私は城を後にした。
ヒンメルヴェルエクトのアリアン公子から、話がしたいと連絡があったのは、翌日の朝のことだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!