燃え盛る炎の中に私は立っている。
魔術師が与えてくれた守護の術のおかげで熱くはない。
草原に立って、夕陽を見ているような気分だ。
「ぐああっ! 熱い、熱い!!」
足元で呻き声を上げる男がのたうつ。
爆発の中央にいたからだろう。豪華で刺繍たっぷりの重そうな服のあちらこちらが燃え上がり、煙を上げていた。
今までずっと私を見下していた男を、今は私が見下す形になる。
うーん、困った。
まったく、一欠けらも可愛そうだな、とか助けてあげたい、という気持ちが湧いてこない。
まるで石ころが足元で転がるのを見ている気分だ。
私、やっぱりどこかおかしいな。
「う、うーーうっ!」
「アル!」
一方で、こっちには弾ける様に身体が動いた。
床の上で後ろ手に縛られ、猿轡までか転がっているアル。
「ゴメン、ぼんやりしてた。怪我はない?」
とっさに駆け寄って轡を外す。
ふう、と大きな息を吐き出してアルは身体を起こした。
枷も外してあげたいけど、それやっちゃうと伯爵の悪事の証拠が減っちゃうから。
「ああ、大丈夫だ。フェイ兄がかけてくれた守護の術のおかげで熱くもねえし、怪我の一つも無ぇよ」
確かに爆発の怪我はないだろうけれど、服のあちこちに血が滲んではいる。
「良かった。…痛い目、怖い目に合せてごめんね」
「これくらいなんでもない。でも…マリカ、お前、けっこう男前だよな」
「何が?」
意味が解らなくて首を傾げる私に、少し悩んだ様に考えたアルは立ち上がると、私の服の前を見やった。
「あ…」
思い出した。服を切られたんだ。夏用のワンピの前が胸元で真っ直ぐスカートまで裂かれてまるでコートかカーディガンみたいになってる。
まだまっ平ら。ふくらみなんて殆どない平原の胸元だけど、下着まで見えて、確かにちょっと恥ずかしい。
慌てて襟元を合わせる。
「ありがと。忘れてた」
「少しは危機感持って身体を大事にしろよ。油断すると変な奴らに喰われるぞ」
「うん、気を付ける」
アルの言葉には説得力がある。
本当に気を付けよう。
子どもな自分など性的な魅力はないと思うけれど、人の思考、嗜好はそれぞれだ。
…あの歪み切った伯爵みたいに。
「でも、凄い威力だったよな。なんで何にも、魔術も薬も使ってないのにあんなに爆発したんだ?」
「粉じん爆発、っていうの。目に見えない粉が空気中に散らばっていて、それに引火…火がついて燃え上がったんだよ」
私の説明にアルはよく解らないという様に首をぐるりと回す。
石作りの倉庫だから、周囲はまだ四角に壁が残っているけれど、木で葺いた屋根はもう見る影もなくぼろぼろで、大きな穴が開いて燃えている。
床にいくつか置いてある小麦粉の袋も、ジリジリと煙を上げてる。
もったいない。後で何かに使えないかな?
「でも、とりあえず成功、かな?
放火はどんな国でも重罪だよね」
今回の件。
ドルガスタ伯爵に被って貰う罪状はたんまり用意した。
家屋侵入、窃盗未遂。
呼び出したのはこっちだから誘拐、は無理かもしれないけれど拉致監禁、私への暴行、強姦未遂、そして放火も。
伯爵が、子どもを支配するのに怪しい香を使っているのはアルや皇子から聞いていた。
皇子曰く、麻薬のような者で国法で使用が禁止されているのだそうだ。
不老不死者にとっては、一時気分が良くなってハイになったり意識が飛ぶくらいのものだけれどそれに溺れる人が最初の三十年で大量に出た為今は厳重に取り締まられている。
脳の発達が未成熟な子どもに常用すれば、意識が奪われ、自我を損ない、最終的に精神が壊れてしまう可能性が高いという。
ますます許せない。
香を使うのに火を使うだろうから、見えない範囲で可能な限り粉を閉鎖空間にまき散らしておいた。
そして、捕まってからもできるだけ暴れて、粉をまき散らす。
どの程度あればいいのか解らなかったから、なるだけ頑張った。
結果、予想通りに大爆発してくれたのだ。
私とアルにはフェイとシュルーストラムが事前に守護の術をかけてくれた。
風の精霊のコートみたいなもの、かな。
熱と炎から守ってくれてる。
だから、炎の中でこうして平気に雑談できてる。
でないと
「ぐああっ、熱い、熱い…」
「この! 消えろ! 消えろ!!」
のたうち回る伯爵や、向こうで懸命に服についた炎を消そうとする男達のようになる。
不老不死で怪我はしなくても、温度は感じるし衝撃もダメージになるんだろうな、となんとなく解ってきた。
薬類も、長時間では無くても効果が現れる。
だから、毒見とかも必要なんだ。
「アル、その子も守ってくれてありがとう」
「…恨みが無いわけじゃないけど、こいつが悪いわけじゃないからな」
私達の足元に寝そべるアッシュブロンドの少年。
伯爵の奴隷の一人は意識を失ってるだけだ。
特に火傷とかもしていない。
爆発の瞬間、アルが自分の守護の術の中に入れて庇ってくれたから。
ガチン!
と後ろで音がする。
鍵がかかっていた扉が開く音だ。誰かが入って来る。
思ったより遅かったな。爆風で扉がひしゃげたのかも。
さて、最初に入ってくるのは敵か味方か。
「アル。ここから先は私達は被害者だからね。
悪い事は全部伯爵たちのせいでよろ」
「任せとけ。マリカも調子に乗りすぎるなよ」
頷きあって、私達は床に伏せた。
と、飛び込んできたのは見知らぬ男が二人。
伯爵が外に置いてた見張りだ。
「伯爵! 一体何が? ご無事ですか?」
「早く、早く火を消せ! 熱い、熱い!!!」
燃え上がる炎に飾り付けられた手腕や、胸を掻きむしる伯爵の様子に気付いたのだろう。
男達は顔を隠すためのマントを外して、バタバタ、伯爵の服を叩く。
ここには消火用の水も無いしね。
そんなこんなをしているうちに、あれれ?
周囲から重苦しい音が響いて来た。
じゅうじゅう、じゅわじゅわ。
何かを搾り取るような音が天井から聞こえてきて暫く、何だろうと私が顔を上げるとあら不思議。
屋根に取りついていた炎の塊がすべて消えていた。
周囲の火も小さくなってる。
一体何が?
「皇国騎士団だ。これは何の騒ぎだ!」
開かれていた扉から何人かが中に飛び込んで来る。
大人が数人と…
「魔術師 炎を完全に消してくれ。その他の者は中にいる人間の保護、確保。
一人も逃すな!」
「はっ!」
あ、命令に従って杖を掲げたのはフェイだ。
なるほど、フェイが魔術で火を消してくれたのか。
兵士達に指示を出すのははっきりとした白いコートを纏った騎士。
声になんとなく覚えがある。伏せていてよく解らないけど…。
皇国の騎士団ならライオット皇子の息がかかった人達の筈。
私がなんとなく安心して眼を閉じる、その向こう側で
「うあああっ!」
はっきりとした興奮と、驚愕を孕んだ悲鳴が響いた。
多分、伯爵の声。
「大丈夫か?」
支え起こしてくれた騎士に、私はその背中を指さした。
「そ、その方が、この倉庫の放火犯人です。捕まえて!」
「なに?
捕えられれば身の破滅、そう思ったのだろうか。
伯爵は側にいた騎士に体当たりをかませると、ドタドタ、たった一つの入り口に向かって走っていく。
「衛兵! 容疑者が外に出ようとしている!
逃がすな!」
指揮官が声を上げた、その瞬間、漆黒の獣が奔った。
「なっ!」
スタートは明らかに伯爵の背後、小屋に飛び込んだ騎士の傍らにいた筈だ。
けれど、
「うわあっ~」
その黒い影は一瞬で伯爵を追い越し、駆け抜けざま足を払っていた。
「ぐああっ!」
精一杯の全力疾走をしていた分、勢いがついていた伯爵は突然、がくんと崩れた自分の足と殺すことができなかった勢いにぐるんぐるん。
まるでダンゴムシのように丸まって転がり、入り口横の壁に激突した。
あれは結構痛いだろうな、と思ったけど伯爵は、微かな呻き声を上げた後、直ぐに立って入り口に顔を向けた。
ダンゴムシの激突は多分、僅か数秒のことだけれども。既に完全に扉は封鎖されていた。
槍を持った数人の兵士、そして…銀の短剣を構え、こちらを見ている少年がいて…
「そこをどけ!」
「リオン…」
子どもと侮ったのか。兵士よりくみしやすいと思ったのか。
伯爵はリオンに向けてタックルを仕掛ける。
けれど、それは愚かな行為だ。蛮行と言って良い。
何故ならそこに立っているのは、アルケディウス、もしかしたら世界最強とも言えるかもしれない獣、なのだから。
激しい恫喝も、体格のまるで違う突進も、リオンには届かない。
スッと身を屈めたリオンは、身体の勢いを殺さず伯爵の膝を刈る。
「があっ!!」
完璧な野球のスライディングを見ているようで、瞬きしている私と、周囲の兵士たちの前でリオンはそのまま後頭部を打って呻く伯爵の右腕を掴み、流れるような仕草で後ろに捻りあげた。
「な、何をする。ぶ、無礼者…。放せ! 私は、大貴族…伯爵位を持つ者だぞ」
逃げられない、と解ったからだろうか。
今度は身分を盾に己の意志を振りかざす。
ぎりり、と拳と共に握りしめられたリオンの怒りが聞こえるようだ。
ゆっくりと…開かれた手のひらは、硬い刃として、首元を打って
「あうっ…」
伯爵は意識を刈り取られるに留められた。
「放火容疑者に、貴族も何も関係ない。申し開きがあるのなら第三皇子の前ですることだ」
「リオンの言う通りだな。ドルガスタ伯爵と、その配下の者達を捕え、牢へ。
他の者達の保護、確認も続けろ!」
「はっ!」
白いコートの騎士の命令に、衛兵、兵士たちが動き出す。
それを確認して
「大丈夫か? 怪我はないか?」
指揮を終えたその人は私の横に膝を折り、目を合わせて下さった。
「ヴィクス様…」
やっぱり第三皇子の腹心にして副官、ヴィクスさんだ。
「怖い目にあったようだな。もう大丈夫だ。…皇子から大よその事は聞いている。安心するがいい…」
大きなマントを肩からぱさりとかけて下さったのは、私の服の様子に気付いたからだろう。
耳に囁くように伝えられた声に安堵する。
「ありがとう、ございます…」
顔を上げれば、伯爵と手の者は少年を含めて全員が縛り上げられていた。
乱暴に立たされ連れ出されて行く。
そして…私は見る事ができたのだ。
遠い、というほど前ではないけれど、昔、二人の少年が、一人の男の子を救い出した。
魔王城の始まりより前、それが『私達』の物語の始まり。
最初の『魔王城の家族』が生まれた時。
気が付けばもう夜明け。
太陽が静かな灯りを注ぎ始めている中で。
「大丈夫か? アル?」
「もう、心配ありません。一緒に行きましょう」
「…ありがとう。兄貴」
差し伸べたれた兄弟の手を、光をアルが掴むその様を。
兄弟を取り戻すその時を。
私達はやっと大切な光を、掴み取り、取り戻したのだ。
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