異世界でも、子どもが生まれるのだから男女の営みはあるんだろうな。と思っていた。
ガルフの口ぶりや、女の子が売られる。という話も聞いていたから、そういうこともあるんだろうな。
とも感じてはいた。
でも、現実に見るとやはりもやもやした思いは溢れて来る。
私達の世界でだって、そういう話はいくらもであった。
偉そうな事は言えない。
けれど…。
ベッドで眠る女性の落ちた手を布団に戻す。
服の下に見えるいくつもの傷を見ないふりをして。
魔王城の島に突然やって来た一人の女性。
相当疲労困憊していたようで、気を失ってから数時間過ぎてもまだ目を醒ます様子はない。
私達は採集を中止して、とりあえずフェイに女性について貰って大急ぎでお城に戻った。
「お帰りなさいませ。
我が主。お知らせしたいことが!!」
城門を潜って直ぐにエルフィリーネが飛び出して来た。
「来訪者でしょ。もう見つけた。直ぐに対処するから着替えを手伝ってくれる?」
「解りました」
「みんなは、お部屋で待ってて。アル。後でちゃんと話すからみんなをお願い。リオンは着替えたらフェイと交換して一緒に来てくれる?」
「いいぜ」「解った」
「私は?」
「エリセ。ミルカ。冷蔵蔵に昨日の残りのピアンのジュースと、ミルクスープが残ってるはずだからお弁当の残りのパンと一緒に後で持ってきてくれる?」
「うん」「解りました。姉様」
みんなに指示をしたあと、私はエルフィリーネと服を着替える。
この城と島の主っぽく。
ガルフの時の様な演技はできないけれど、彼女の話はちゃんと聞かなくてはならない。
「ねえ、エルフィリーネ」
「はい」
「不老不死の大人は、どうしても城には入れられない?」
私の質問に、彼女は、髪を梳かしてくれる城の守護精霊は一切の躊躇いなく
「はい」
そう答えた。
「私の感情的なものだけではなく、そもそもが不可能なのです。
精霊の力溢れるこの城に前の主が守護を残して行かれました。
住人を守るため、神の力と強く反発します。
神が特別な守りでも与えてそれを破らぬ限り、神の呪いを受けた人間が城に足を踏み入れれば命を失うでしょう…」
「そう…」
彼女に我慢を強いるのは気の毒だと思ったけれど、物理的に不可能だとするとあの女性を城に入れるのはやはり難しいか。
出産前後の女性を一人にしたくはない、と思ったのだけれども。
考え込んでしまった私に
「……………………どうしても…、主がどうしてもと仰せであれば…」
エルフィリーネは、小さな言葉を落とした。
「え? 方法があるの?」
不承不承、と言ったていで彼女が言ってくれた提案は、もちろん簡単な話ではなかったけれども、私達のこれからに関する重要なことで。
私はそれを一つの可能性、選択肢として胸に大事にしまった。
私が村に戻り、彼女についてからけっこうな時間が経った。
お昼に彼女と出会ってから、もうすぐ夕刻、日が暮れる。
そう思った、その時だ。
「あ…」
彼女がゆっくりと目を開けた。
「気が付かれましたか?」
私が静かに、できるだけ優しい笑顔で微笑むと眼が合った。
彼女は一瞬の逡巡の後
ガバッと飛び起きた。
「も、申し訳ありません。ご、ご無礼を!!」
「ああどうか、そのまま。
お腹の子の為にも無理をしてはいけませんよ」
止めなければ、多分、降りて跪いていたであろう彼女を、私はベッドに留める。
「私はマリカ。この地を預かる者です。
安心して下さい。どんなことがあろうと、この地にある限り貴女と、貴女の子が傷つけられることはありません」
「は、はい…」
「ああ、少しお疲れでしょうね。まずはこれでも飲んで下さい。
大丈夫、毒などは入っておりませんから」
緊張をほぐす様に笑って、私はベッドサイドに置いておいた陶器のジャグからピアンのジュースを注ぎ、毒見のように一杯飲んでから別のコップに入れて彼女に渡す。
「…これは、ガルフ様の店の…」
ジュースの入ったコップを見つめて彼女は呟く。
私の後ろで様子を見ていたフェイの肩がピクリと動いた。
「ガルフをご存知なのですね。ええ、ガルフに私が授けたものです。どうぞ。甘くておいしいですよ」
少しでも知っていたからなのか。
彼女は躊躇いながらも、コップに口を付けた。
こくりと、一口。その味に目を見開く。
後はもう一気に、喉だけではなく、身体と心の渇きを癒すジュースを飲み切った。
「あ、ありがとうございます。本当に…美味しかったです」
「それは、良かった。では、いくつか、お伺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」
「は、はい」
「悪い様にはしませんので、気持ちを楽になさってくださいね」
目元に涙を浮かべる彼女に、私は静かに問いかける。
確かめておかなければならないことが、たくさんある。
城の子ども達を守るためにも、彼女を助ける為にも。
「まずは、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はい。私はティーナ。子どもあがりにございます」
この世界で不老不死を持つ大人には二種類の存在があり、500年前の『祝福』以前から大人であった者と、その後、生まれ成人してから不老不死になった者は明確に区別されている、とは聞いていた。
子どもとして生まれ、成長し、その後不老不死を得た者を『子どもあがり』と呼ぶらしい。
はっきりとは聞いたことが無かったけれど、最初から成人していた者とは明確に区別されているようだとは感じていた。
「私は、とある貴族の館にお仕えしておりました。
そこで恩寵を賜り、成人させて頂いたのですが…申し訳なくも、主の子を宿す事となり…」
私は、自分の唇を噛みしめる音が妙にはっきりと聞こえるのを感じていた。
つまるところ、愛人として囲われ弄ばれ、妊娠させられたということだ。
「本来なら、術で流すところであったのですが、主はその子を生む様にお命じになりました。
…新しい跡取りとして一から教育しなおす、と。
ですが、それを聞き、主のご子息がお怒りになり、子を流せと…」
頭が怒りでガンガンと沸騰する。
おそらく、その貴族の息子は放蕩息子なのだろう。主が嫌気がさすほどに。
不老不死の世界では処分もできない。
だから、新しい子を自分の思う通りの子に育ててやり直そうとした。
それが気に喰わない息子は、子の命を狙った。
「身の危険を感じ、館から逃げ出し、行き倒れていたところをガルフ様に救われました。
事情を聴いたガルフ様は
『どうしても、命を賭けても子を守りたいのなら、ここに行き門をくぐれ。
そうすればきっと助けてくれる方が現れる』
と路銀と地図を下さり、私は追手から逃れてなんとか門に辿り着き…」
「この地にやってきたというわけですか。
ガルフも危ない橋を渡る。一歩間違えば契約違反と取られ命を奪われていたかもしれないのに」
「えっ?」
「…それだけ、この母子を守りたい、救いたいと思ってくれたのでしょう。ガルフを責めてはいけませんよ」
呆れたように肩を竦めるフェイに、私は本心からの思いで声をかけた。
島の事を他者に洩らせば死ぬ契約。
今回は多分、お腹の子に告げたと思われてか、それとも私達に不利益を与えない、情報を洩らさないギリギリの許容ラインだったのか。
術式は発動しないで済んだようだけれど。
本当に、ガルフは命を賭けてこの母子を救ってくれたのだ。
感謝したい。心から。
「では、今度は今の貴女の状況を私がご説明します。
よく聞いて下さいね」
「…はい」
頷くティーナに静かに語る。
「まず、貴女がいるこの島は、俗に呼ばれる魔王の島です。神の祝福を受けた者が世界で唯一死ねる場所」
「えっ?」
彼女は自分がどこにいるのか、どこに来たのかも知らなかったのだろう。
それでも我が子を守りたいと必死で逃げて来た。
私は。そのまま話し続ける。
「それ故に、追手はまずこの島にはやってこないでしょう。
王都を出て、ガルフに教えられた門をくぐるまで追手の気配はありましたか?」
「いえ…。ガルフ様はできるだけ追われないようにしてやると、言って下さっていました。
王都を出る時、別方向に向かったように見せかけることもしたので多分…」
「なら、とりあえずの危険はないでしょう。門をくぐらぬ限りこの島に辿り着く事は難しく、門を使おうとすれば私達は察知、対処できます。
追手については心配する必要はありません。安心して下さい」
「ありがとうございます…」
ホッと息を吐き出すティーナは無意識か胎に手を触れる。
それは我が子を思う、母の仕草そのものだった。
「第二に、言うまでもありませんが、貴女のお腹には子が宿っています。
妊娠、出産の仕組みなどおそらく学ぶこともなかったでしょうから伝えますが、おそらく妊娠中期。早くてあと三月、遅くとも五カ月の間に貴女の子は生まれるでしょう。
貴女が王都を出た時の暦はいつでしたか?」
「確か…火の一月の始めでした」
「では、冬の前。早くて風月の終わり、遅くても空月にはですね」
「そんなにはっきり解るのか?」
リオンとフェイが驚くような眼でこちらを見ている。
説明が大変なので妊娠周期の話なんか、今はしない。
加えて私は専門のお医者さんとかじゃないので正確な受胎日とか、そこから逆算しての予定日なんか解らない。
ただ、お腹の様子からして妊娠五カ月から、七カ月の間だろうと思い、そこから計算して予想するだけだ。
保育士として母子の健康は必須科目だったから知識はそこそこあるけれど。
「今までも子が身体に宿ったことで、辛い事が多かったでしょう。
これからはお腹が大きくなり、動きづらくはなりますが前ほどの吐き気や不安に襲われることは無くなると思います。
よく頑張りましたね」
私が労うと、ティーナはポロポロと大粒の涙を流して泣き始めた。
「あ、ありがとう…ございます。
私…誰にも…相談も…できなくて……、身体が…おかしくなっていくのが…怖くって…」
椅子から立ち上がり、私はティーナの背中をそっと抱きしめる様に撫でた。
なんの知識も無く女性が一人で子どもを宿し、誰も教えてくれる者も無いまま、身体の変化に耐えて行くのは辛すぎる。
しかも、命を狙われ、安らぐこともできないとなればなおのこと。だ。
「本当に、よく頑張りました。偉かったですよ」
ティーナの顔が、私の胸元に寄せられる。
私はそれを彼女の涙ごと、思いごと、精一杯抱きしめた。
誰も褒めてなどくれなかっただろう。だから、せめて私は褒めて認めてあげたい。
ティーナが頑張ったからこそ、子どもの命という希望は、魔王城に届いたのだから…。
「とりあえず出産まではここに滞在するといいでしょう。
この家を貴女に貸し与えます。
私達は魔王城の住人、共には暮らすことはできませんが、毎日様子を見に来ます。
この島には貴女を害する者はいません。一人での生活は心細いでしょうがそこは安心して生活して下さい」
「ありがとうございます。こんな…立派な部屋を…よろしいのでしょうか?」
「ええ…。ただ、貴女には出産までの間に、考えて頂かなければならないことがあります」
私は、少し落ち着いたティーナに今後のことを提示する。
「考えねばならないこと…ですか?」
「ええ、出産後の、貴女の居場所について、です」
出産まではこの島に滞在させる。
それは決定で構わない。
城には入れず、城下町で過ごさせることでエルフィリーネにも納得してもらっている。
「出産までは、私達が貴女を守ります。
出産の成功は、正直私自身確約はできませんが、可能な限り母子が健やかに在れる様に努力いたします。
その後については、貴女には三つの選択肢があります。
一つは、出産後、島を出る事。
この島の秘密を洩らさない契約を交わしたうえで、ガルフの元で働くことが条件、これは絶対です。
その場合、子どもの安全を考えるならここに置いて行った方がいいでしょう。
貴族に渡すというのならそれでも構いませんが…」
ぶるぶると大きく震え、ティーナは首を横に振る。
貴族に子を奪われたくなくて、ここまで逃げて来たのだ。
外に戻る可能性はあっても子を連れて外に戻ることは多分ないだろう。
「二つ目は出産後、この島、この城下町のこの家に留まることです。
ただ、この島には魔王城以外に人は住んでいません。
この家は外から来る稀人を持て成す為の館。貴女と子が住むのは問題ありませんが冬の間は私達も助けに来ることはできなくなります。
深い雪に閉ざされるため、生活は楽ではないかもしれません」
ティーナが考え込んでいるのが解る。
冬の厳しさと孤独について考えているのだろう。
本当は出産後の母親を子どもと一緒とはいえ、一軒家に閉じ込めることはしたくない。
出産直後の子育ては本当に大変なのだ。
産後鬱とかに悩む人はたくさんいる。
「そして、最後は魔王城の城に入る事です。
使用人として働いてはもらいますが、子どもと共に暮らす事ができますし、衣食住全て保証します。
ただし、その場合、不老不死を捨てるのが絶対条件となります」
「えっ?」
「魔王城の城は、不老不死を持つ人間は入れないのです。
神の呪い、祝福を返還し、星に帰依することが魔王城の住人となる条件。
事実上、この島からは出られなくなると思って構いません」
「それは…」
エルフィリーネが告げた「不老不死を受けた大人」を魔王城に入れる唯一の方法がこれだ。
変生の簡易バージョン。
神の祝福を剥ぎ、人間に戻す術は『魔術師』がいれば使用可能だという。
ただし、神の祝福を一度受け、それを剥がした人間が神の領土に戻った場合何がおきるか解らない。
最悪、神の怒りに触れその場で死ぬこともありうるとエルフィリーネは言った。
逆に不老不死者が無理に魔王城に入ろうとした場合も、最悪の場合に死に至る、というから。
「今、すぐに決める必要はありません。
出産までまだ時間はあります。
その間、お腹の子ともよく相談して考えて下さい。子どもが生まれ、落ちついたら返事を聞きます」
「…ありがとうございます。ご温情心から感謝申し上げます」
私は椅子から立ち上がり、リオンとフェイに顔を向ける。
「もう、夜も更けました。私達は戻ります。
明日、また様子を見に来ますから、今日はゆっくりと休むといいでしょう」
枕元に些少ですが飲み物と食事を用意してあります。召し上がって下さいませ」
「はい…」
「おやすみなさい。貴女の眠りに精霊の祝福がありますように」
城下町を出て、三人で城に戻る。
「ごめんね。また一人で突っ走った。アルにもみんなにも謝らなくっちゃ」
「いや、それは別にいいさ。
来訪者の対処なんて、俺達にいいアイデアが浮かぶ訳じゃない」
「そうですね。放置か追い出すかが関の山です」
「私だって、できるのは彼女に選択肢をあげることだけだから。
でも、赤ちゃんを見捨てず、ここまで必死に来たのなら、できるだけ、助けてあげたいの…」
俯く私の頭を
ポンポン、ポンポン。
リオンとフェイ。
それぞれが、それぞれに撫でる様に叩く。
間違ってないよ。
それでいいよ。
と言ってくれているようで。
私はとても嬉しかった。
「暫くの間、チビ共は外に出せないか?」
「ううん、出そうよ。むしろ、ティーナには子ども達と触れて欲しいと思う。
今まで多分、間違いなく子どもと接したことなかったでしょ?
これから、お母さんになるんだもの。子どもってものがどんなものか、接してほしいと思う」
子どもを置いて外に戻るとしても、生まれてくる子どもにとってティーナはたった一人の母親だ。
ティーナだって我が子を守ってここまで来たのだ。
きっといいお母さんになれる筈。
親子関係とか崩壊していると思った世界の、あの二人は希望でさえある。
「城の子ども達が『母親』を見て不安定になったりしませんか?」
「それはない、とは言い切れないけれど…でも、大丈夫だよ。きっと」
私は二人と白亜の城を見上げた。
一年間、作り上げて来た絆に、自信はある。
「だって、私達は魔王城の家族だもの」
魔王城に変化を連れてきた母子の話。
しばらく魔王城の島に滞在します。
彼女がどのような選択をするかはこれからの話。
表紙ラフイラストをマリカからリオンに変更しました。
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