今日、私達は一週間を過ごしたフリュッスカイト王城クレツィオーネ宮殿を後にする。
いつものように有能な私の随員達は片づけを綺麗に終えてくれて、残っているのは私達と、私達の身の回りのものだけだ。
「では、行きましょうか」
最後の荷物をみんなに任せて、私は部屋を出た途端に少し寂しくなった。
二週間って短いなっていつも思う。
「ピュール、ローシャ……」
足元に寄り添う二匹の精霊獣のぬくもりに元気を貰って、私は宮殿の長い廊下を歩いていく。
そして、最初に来た時と同じように回廊の中央の大きな扉の前に立った。
違うのは扉の前に立っているのが、案内してくれたフェリーチェ様ではなく
「ソレイル様」
「姫君、今日まで大変お世話になりました。どうぞ、中へ。
扉を開けて下さい」
「はい、ソレイル公子」
後半部分は門を守っていた兵士さんに言った言葉だけれど、兵士さんのソレイル様を呼ぶ尊称に私は首を捻った。
「公子?」
「ええ。特例ですが、精霊神様の加護を受けたということで公子として認められることになりました。いずれ、正式に謎を解いて公子の資格を得ることを目指します」
水色に輝く水晶がついた杖を手に持ち、私達を促すソレイル様の瞳は数日前とは違う強い輝きを放っている。自信とやる気が満ち溢れている感じ。
自分は必要とされている、という思いが胸に宿っているからだと思う。
やっぱり、子どもを育てるには自己肯定感大事だよね。
いずれ君主の地位をソレイル様に譲るってメルクーリオ様は言ってたけれど、そうなってもきっと大丈夫だと思う。
開かれた向こうは大広間、昨日もパーティをやった場所だ。
そこに集まった全ての人達が跪いていた。
私達と、広間の最奥。王座に座す公主様に向けて。
「アルケディウス皇女マリカ様。
二週間、本当にお世話になりました」
私達を案内してくれたソレイル様も、膝をつく。
傍らには二人の兄公爵様も。
立っているのは私と公主様の傍らに立つ公子夫妻と、王配たる公爵様だけだ。
あ、あと、公子の肩に猫がいる。
あの猫が精霊獣なのは簡単に解った。
前の時のような地味な姿ではなく、白銀の毛並みに紺碧の瞳。
毛足の長いチンチラペルシャしているのは、外見の威圧効果を狙っているのかもしれない。
そういえば、滞在期間中殆ど、公爵様とお話しする機会もなかったなあ。
「姫君のご助力のおかげをもちましてフリュッスカイトは『精霊神』の復活という悲願を果たし、新たなる道へと歩みだすことができるようになりました。
心から感謝申し上げます」
「私は、大したことは……。フリュッスカイトとヴェーネを思う皆様の思いが『精霊神様』に届き促したのです」
「精霊神様がお力を取り戻し、正式に降臨なされた事で大貴族達も、改めて公家に協力を誓ってくれました。今後は皆で力を合わせて『食』の復活とよりよい良い未来の実現に向けて、新しい指導者の元、取り組んでいきたいと思います」
柔らかく微笑む公主様に、私は丁寧に頭を下げる。
「フリュッスカイトとアルケディウスは隣国同士、力を合わせるのは当然のこと。
今後もより良い関係を築いていければうれしく思います」
「ありがとうございます。これにてアルケディウス皇女 マリカ様のフリュッスカイトでの任務の終了を宣言いたします。
どうか、またおいで下さいませ」
「叶うことならぜひ」
公主様の宣言を経て、私のフリュッスカイトでの仕事は完全に終了となる。
「では、姫君。国境まで送ろう」
「え? 公子……次期君主自ら、ですか?」
「無論。我が国を救って下さった『聖なる乙女』の見送りだ。他の者には任せてはおけぬ。
行くぞ!」
「あ。待って下さい。では……」
私は最後に一礼して、急いで先に行ってしまった公子を追いかけ部屋を出る。
「もう、最後なんですから公爵様達やソレイル様にもう一度ちゃんと挨拶させて頂きたかったのに」
コンパスが違いすぎるので追いつくのは大変だったけれど公子は、ちゃんと外で待っていて下さった。
「すまぬな。ソレイルからの頼みなのだ」
「?」
「いや、気になさらなくてもいい、姫君。
あれが男として乗り越えなくてはならない、最初の試練であるが故に」
「? ??」
黄金の階段を降りて、外に出ると潮の香りが鼻孔を擽った。
待っていたゴンドラに揺られて、水路を行けば、たくさんの人達が手を振ってくれる。
あまり一般の人達と触れ合う機会は無かったけれど、それでも親しみを持ってたのが嬉しい。
ヴェーネの人達の優しさが、胸に波紋のように広がっていく。
どの国に行っても、私は必ずその国が好きになる。
私はフリュッスカイトとそこに住む人々に全力で手を振って別れを告げたのだった。
◇◇◇
皇女の帰国の式典を終え、他の者達が立ち上がって、退室しても、一人、膝をついたまま顔を上げない、上げられない者がいた。
「よく、堪えましたね。ソレイル」
「は、母上……」
見れば、彼が涙を見られないよう堪えていたのが解る。
気が緩んだのか、それとも必死で耐えても耐えきれなかったのか。
分厚い絨毯の上にはいくつもの涙染みが落ちている。
少年が父母の元を訪れたのは昨夜のこと。
少女に思いを告白し、躱された夜。
彼が苦しい胸の内を相談できる者は、やはり頼れる者は父母であったから。
「……寂しいです。苦しいです。
母上、これが……人を好きになる、ということなのでしょうか?」
「そうですね。きっと、そうでしょう」
彼はショックを受けていた。
自分で思う以上に、彼女に断られたことに胸が痛いと感じる自分に、驚いていた。
「わかりません。自分の気持ちが。
僕は、ただ、フリュッスカイトを守る為に、あの方が欲しかっただけ、なのに」
「最初は、そうだったかもしれませんね。
でも、人の心は変わっていくものです。そして、心というのは自分さえも時として解らないものなのですよ」
少年は思う。
始まりは、間違いなく打算だった。
でも、
「良ければお話ししましょうか?」
「お友達になりましょう」
彼女は自分を子供として見ず、打算でもなく、計算でもなく、一人の人間として尊重してくれた。
そしてこの国の為に、嵐の中に飛び込んでさえ来てくれた少女。
生まれて初めて見た年の近い、女の子だから、ではきっとない。
彼女自身の魂に、心に、恋をしたのだと、今なら理解できる。
「母上、僕はなれるでしょうか?
いつか、彼女にふさわしい男に、彼女に恋愛対象として見てもらえる男に」
今の時点で自分は彼女にとって恋愛対象では無いことが分かっている。
そう思うだけで心が痛い。
どうしたらこの痛みは晴れるのだろうか?
彼女に相応しい男になり、彼女に愛して貰うしか方法は無いように思う。
しかしその為の道のりはあまりにも遠い。
事象の道筋を理解し、計算する自分の異能を持ってしても。
その時
「なれるか、ではない。なるのだ。ソレイル」
「父上……」
項垂れる自分の傍らに膝をつき、そう言ってくれたのは父公爵だった。
この国において、『精霊神』の血をひかない父公爵の発言力は高いものではない。
政務や国防において、女性公主を支える有能な文官ではあったが、子育てにも、教育にも、今回の皇女訪問とそれに纏わる関連事象にも彼は、徹底して口を出さず、妻の邪魔をせず、足元や背後を固め、見守る姿勢をとっていた。
その父が、もしかしたら初めてかもしれない、自分に差し伸べてくれた手。
ソレイル公子は涙に緩む目で見つめている。
「『精霊』の力を持つ女の宿命は重い。
一人では押しつぶされてしまう程に。なればこそ隣に立つ男にはそれを助け支える力が必要なのだ。
その為にできるか、などと泣き言や弱音を吐いている暇はない。
やるか、やらないか。やらないのなら諦めろ。でも、やると決めたのなら全力を尽くせ」
前君主、大公亡き後、ナターティアは決して上位の継承権を持つわけではなかった。
それを助け、支え、公主へと導いたのは幼馴染であった父公爵だと、聞いたことがある。
彼は、陰に日向に母を支え、その言葉を実行してきたのだと今更ながらに思う。
「やるか、やらないか」
それは尊敬する兄の口癖でもあり、自分自身に問いかけ約束する言葉でもある。
「やります!」
少年は涙を拭いて顔を上げた。
眦にはまだ涙が残っているけれど、力と意思は戻ってきているようだった。
「そうか。だが、容易いことではないぞ。彼女にはルイヴィルさえも下す戦士がついている」
「今は、その資格さえないのが解っています。だから口にしません。
姫君を黙って見送ります。
勉強を重ね、力をつけ、いつか彼女の隣に立つに相応しい男になれるその時まで」
そして、彼は父母の前で告げた誓いを果たした。
涙を隠し、一人の貴族として皇女を見送るという偉業を成し遂げたのだ。
少年は涙を拭き立ち上がる。
「父上、母上。
僕に教えて下さい。君主になる為だけではない知識を」
「ソレイル」
古き言葉で太陽の名を持つ少年は、今、その瞳を強く輝かせ前を向く。
一人の男として。
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