勝負は…当たり前だけど…一瞬で決着した。
「…そんな」
「勇者殿が負けるなんて…」
呆然とする大聖都の騎士や兵士達のざわめきの中、
「嘘だ…。勇者の転生である僕が、負けるなんて」
剣を落とし、膝を崩し呆然と手と、自分を倒した相手を見つめる偽勇者を、本物の勇者は何の感情も見えない、静かな眼で見降ろしていた。
私が、皇王陛下に偽勇者エリクスとの勝負について、話をしたのはプラーミァ王国の方々が食事を終えて帰って直ぐの事だった。
兄王様が
「明日の朝は、俺達も見物に行かせて貰おう。
勇者の転生の態度には、俺達も色々と腹を据えかねていた。
良い見物になるだろう」
と言い残して行かれたからだ。
「明日の朝、とは何の事だ。マリカ?」
嘘偽りは許さない、と眼で問いかける強さは、ライオット皇子とよく似ていて、やっぱり親子でいらっしゃるなあと思いながら私は、昼間。
玄関でのエリクスとの騒動をお話する。
元々隠すつもりは無かったし、隠しきれる話でもない。
周囲に使用人や護衛騎士、いっぱいいたしね。
「正直、あの子の態度には腹に据えかねたのです。
一度、鼻っ柱をへし折っておかないとろくな大人になりません!」
私がきっぱり、ハッキリ言い放つと、皇王陛下、皇王妃様、両方がユニゾンのように溜息を洩らした。
「舞踏会の様子から面倒な事になるとは思ったが、そこまでの騒ぎになるとはな」
「ティラトリーツェから騒ぎを起こさぬように言われているでしょう? もう少し穏便な方法は無かったのですか?」
「十分、穏便であると思っておりますが?
それにあんな剣の腕も大したことの無いお粗末な子どもが『勇者の転生』として今後、復活した魔王と戦うことになったら命の危険もあります。
今のうちに、自分の実力と身の程を知っておく方が彼の為にもいいと思うのです」
「仮にも勇者の転生、大聖都の守護騎士の一部隊を預かる者の剣が大したことは無い、と?」
「圧倒的にリオンの方が上です。贔屓目抜きで」
「それは…そうであろうが…リオン」
「はい、皇王陛下」
跪くリオンを見やる皇王陛下の声は気難しさを繕っているがその眼には楽し気な光が宿っている。
「勝つ自信はあるのか?」
「はい」
余計な事は言わない。
ただ一言の誓いに全てが込められている。
「良かろう。
其方に皇女の唇と、アルケディウスの誇りを託そう。
儂も出向く。必ず勝て。大聖都に七王国の実力を見せつけてやるのだ」
「必ずや」
それが昨日の話。
朝、約束の土の刻。
「うわー、凄い人だね」
大聖都の会議場から離れた騎士団の訓練区画はビックリするくらいの見物客で周囲を埋め尽くされていた。
アルケディウスは別に吹聴しなかったら、言いふらしたのはエリクスだろう。
もしかしたら面白がった兄王様かもしれないけれど。
見れば本当に兄王様達もいらっしゃるし、フリュッスカイト、アーヴェントルクの両君主様までいらっしゃる。
「あ、リオン兄、あっちのドでかい騎士が、リオン兄の事睨んでるぜ」
私の用意したバスケットを持ってくれていたアルが瞬きする。
訓練場の向こうとこっちだから私には良く見えないけど…側にナターティア様がいるから、フリュッスカイトのルイヴィル様かな?
「しまった。ルイヴィル殿から大聖都にいる間に手合わせを、って何度も連絡が来てたんだった。
護衛任務で忙しいから、って断ってたのになんで勇者と手合わせできて、自分とはできないんだって怒られる」
「ゴメン、リオン」
頭を抱えるフリをするリオンだけど、眼には輝く自信。
応援に来た私達はその瞬間に確信した。
リオンは絶対に負けないと。
「あ、来たようですよ」
見れば周囲からざわめきが湧きたった。
大聖都の『勇者』エリクスが現れたのだ。
この間の神官長に負けずと劣らない数の、小姓、護衛騎士を従えて。
周囲から黄色い歓声も上がる。あれはもしやファンという奴だろうか?
大聖都には女性の使用人さんもたくさんいる筈だから、外見だけはいい、エリクスは人気があるのかもしれない。
この人数の前で恥をかかせるのは可哀想かな、と思うけれど自分で言いふらしたんだから自業自得。
と思っておこう。
「じゃあ、リオン。頑張って」
「ああ、安心して見てろ」
「心配はしてません。思う存分やってきて下さい」
エリクスより、一足先に進み出て、訓練場の中央に立つリオン。
少し後に余裕を感じさせる足取りでエリクスも同じ場についた。
「逃げ出さずに来るとは良い度胸だ」
闘技場の中央での会話は私達には聞こえない。
後でリオンに聞いたら、そう開口一番言ったのだそうだ。
「僕はこれでも剣の腕には自信がある。
皇子の勇者である為に、別れてからもずっと訓練を重ねたんだ。
年上の相手ならともかく、年下である君なんかに僕は負けない!
姫君も…ライオの信頼も君に渡すものか!」
その一言で、多少は手加減してやろうか、と思ったタガが大人げなく弾け跳んだ、とリオンは後で哂っていた。
剣を構える勇者に、リオンに審判役の護衛騎士の声がかかる。
「始め!」
「やあああっ!」
声を上げ、エリクスがリオンに挑みかかった瞬間だった。
「え?」
誰もが息を呑み、驚きに目を見開いた。
キン!
高く弾ける鋼の音と共に音を立てて、地面に剣が突き刺さる。
「う、うっ!」
と同時に私達が見たものは、腹を抱え、床に尻もちをついて唸るエリクス。
そして彼の眼前に、無表情で短剣の切っ先を向けるリオンだけだった。
開始の合図と、この光景の間に何があったのかは解らない。
けれど…
「勝負あり。勝者 アルケディウスのリオン」
審判が公平に勝者を告げると、周囲は一気に騒めいた。
「…そんな」「まさか?」
「勇者殿が負けるなんて…」
「嘘だ…。勇者の転生である僕が、負けるなんて」
呆然と手を見つめていたエリクスは、我に返ったように立ち上がると剣を掴み、
「貴様! 僕に何を仕掛けた?」
「何も? ただの実力の差だ」
「ふざけるな! 何か卑怯な真似をしたのでなければ、この僕が、ライオット皇子が認めた勇者の転生が、年下に負ける筈はないんだ!!」
叫びながらリオンに挑みかかった。
『年下、ね』
勇者のロジックに私は気付く。
この世界は不老不死世界。
周囲の大人は全員、もれなく年上の不老不死者である。
子ども上がりでも十数歳、下手したら数百年単位で戦いの訓練を続けて来た相手に例え素質があったとしてもポッと出の子どもが簡単に、叶う訳はない。
筋は良かったんだろうし、正しい教えを受け、訓練したのでそれなりの腕に確かになれたのだと思う。
ただ『勇者の転生』とちやほやされ、筋がいい、と褒められたことで、変な方向に、変な自信を付けてしまった。
勝てば自分が強い、負ければ相手が年上だから。
褒められる事で自己肯定感を育てるのは良いけれど、それがねじ曲がってしまえば、後は根拠のない自信で人を見下す偽勇者の出来上がり、という訳だ。
その証拠に一般人は『勇者の敗北』に驚いてるけど大神殿の守護騎士にはあんまり驚きは見えない。
切りかかってきたエリクスに今度のリオンは、剣を交してあげている、けれど見る人が見ればその動き、剣の捌き、足取り。
実力の差は明らかだ。
十合と切り結ばないうちまた剣が空を飛ぶ。
当然、エリクスの剣だ。
と同時に膝を付く。
今度の勝敗は誰の目にも明らか。
誰も文句のつけようのないリオンの勝利である。
「そんな…何かの間違いだ…僕が、負ける筈が…。
そうだ! こいつが、何か…卑怯な真似をしたに違いない。さもなければこの僕が…」
悲鳴じみた声は割とはっきり、耳に届いたけれど
「え?」
その時もう誰もエリクスの事など見てなかったし、声も聞いていなかった。
激しく響く鋼の音。
本物の戦いに目を奪われていたから。
「あ、あれ、さっきのドでかい剣士?」
二度目、エリクスを倒し、彼に背を向けたリオンは、突然、音も無く近づいた気配に気付き、振り下ろされた剣を受け止める。
「良く受け止めたな。流石は秋の戦の『勝者』」
「ルイヴィル殿…」
闘技場に飛び込み、リオンに剣を向けたのはフリュッスカイト最強の騎士、ルイヴィル様だった。
にやりと薄い笑みを浮かべたルイヴィル殿は、それ以上の言葉を発せずそのままリオンと切り結び始める。
長剣と短剣の打ち合いが始まると、もうその場にいる全員がエリクスの事など忘れてしまう。
それ程に『本物の戦士』の剣戟は美しかった。
私は以前、ライオット皇子と成長したリオンの戦いを見た事がある。
鮮烈な、太陽のぶつかり合いのようなあの戦いには比べるべくもないけれど、眼の前で繰り広げられる戦いも、鮮やかで心が奪われる。
ルイヴィル様の剣の腕は『難攻不落』と呼ばれるだけあって堅実で隙が無い。
小さな体に、短剣。
一撃の重さに関してはどうしても後れを取るリオンの攻撃を的確に受け止め、捌いていく。
一方のリオンも勿論、負けてばかりではない。
頭一つ以上の体格差から繰り出されるルイヴィル様の攻撃の軌道を的確に呼んで弾く。
さらには身体の身軽さを生かし、足元を狙ったり、攻撃に空いた脇腹に蹴りを入れたりと反撃の機会を伺ってはそれを為し得ていた。
極められた戦いの技は、美しいという感情を人に齎す。
ルイヴィル様とリオンの戦いは見る者に、人の力の可能性と魅力を思うさま伝えていた。
突然、何の予告も無しに始まった戦いは、突然、何の予告も無しに終わる。
ルイヴィル殿が、スッと剣を引き後ろに下がったからだ。
リオンもそれに合わせて身を引く。
「噂にたがわぬ、技と身のこなし。
正々堂々と挑んでも、私を下す事は貴公なら可能であったろうに」
「いいえ」
ルイヴィル殿の賛辞にリオンは謙虚に首を振る。
謙虚ではなく、本心だと言っていたけれど。
「こうして剣を合わせて解りました。俺はまだまだ未熟。
鎧騎士と名高い貴方がその真価を発揮する戦いでは、叶わなかったでしょう」
「…世辞であっても嬉しいものだ。
これで、やっと敗北を受け入れられる。情けない事ではあるがな…」
静かに微笑んだルイヴィル様は闘技場の中央に立つと戦いを見つめていた観衆に声高らかに宣言する。
「見たか! 今の戦いを」
流石一国の騎士、その頂点に立つ方。様になってる。
まるで舞台上に立つ役者のように。
「この少年の実力は本物だ。勇者の転生を倒したのもまぐれや策略では無い。
彼は秋の戦で、フリュッスカイトを破り、五百年を戦いと剣に捧げたこのルイヴィルが、真実の戦士だ、と認めた男なのだ」
ルイヴィル様の宣言に沸き起こった拍手は、あっという間に場全体に広がっていく。
「ルイヴィル様…」
私はルイヴィル様に向けて、祈りに手を組んでいた。
敗北の怨みを晴らし、リオンの実力を確かめる為、とはいえルイヴィル様の言葉と行動は『勇者を破った』リオンの実力を証明し、賞賛に値する者だと示してくれたのだから。
「お解りになりまして?」
拍手と喝采の中、すっかり忘れられた少年に私は手を差し伸べる。
「子どもであろうと、自らに役割を科し前に進もうと、それを為そうと努力すれば、不老不死者にも届きうるのです。
私は、生まれながらの才能よりも、その努力を尊く思います。
そしてエリクス様にも、その努力ができる方であってほしいと願うのです…」
「姫君…」
エリクスを立ち上がらせ、そう告げると私は持ってきた籐編のバスケットを足元に置く。
「朝食、まだでございましょう?
作って参りましたので、良ければ召し上がって下さいな。
そしてまた、友人から始めさせて頂ければ幸いです」
後は、エリクスの返事は待たずにアルケディウスの場に戻り、リオンを待つ。
ルイヴィル様と親し気に暫く話した後、リオンは私達の所に戻って来てくれた。
「お疲れさまでした。リオン」
「お疲れー」
「ありがとう。リオン。我が儘を聞いてくれて」
「気にするな。俺も『勇者』に八つ当たりしただけだからな」
「あいつ…どうなるかな?」
「さあ…後は、あの子次第だから」
バスケットを小姓に運ばせて、ふらつきながら場を離れたエリクスに声をかける者は誰もいなかった。
彼がこの経験をどう生かすかは解らない。
敗北に心を入れ替えて前向きになってくれるかもしれないし、逆に逆恨みしてさらにねじれてしまうかもしれない。
『大神殿の勇者』に私が関われるのはここが限界だ。
できれば、ねじれず努力する才能、を目覚めさせて欲しいものだけれど。
努力する才能、だけは誰にでも存在し、その人の心次第でいつでも目覚めさせることができるのだから。
「さあ、帰ろう?
フリュッスカイトの方を迎える準備もあるし、皇王陛下からお言葉もあると思うし…」
「お怒りじゃないかな? 少し、派手にやり過ぎた。
ルイヴィル殿が後で、取りなして下さる、と言っていたけど」
「大丈夫だよ。お祖父様もリオンの事、応援してて下さったんだし」
勝利に浮かれ、戻る私達は気付かなかった。
大神殿の奥から、この勝負を、そして私達を見つめる昏い目があったことを。
「!」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
リオン以外には。
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