フリュッスカイト二日目。木の曜日。
私は舞踏会が始まる前にもう、すっかり疲れきっていた。
一週間、馬車に揺られてきて、昨日到着した後、即座に調理指導の仕事が入った。
今日も朝から昼過ぎまでは晩餐会メニューの指導と確認。
実際に出すものを作る時には、流石に立ち会えない。
晩餐会の着替えとかしなきゃならないから。
ギリギリまで料理人さん達にアドバイスして、料理のチェックをして、昼過ぎには部屋に戻った。
その後、速攻でお風呂に入って身支度を整えてけっこうギリギリ。
ドレスはハイセンスなフリュッスカイトに合わせて、共通衣装の中でも一番華やかなものを選んだ。それでも地味かもしれないけれど、子どもらしい可愛らしさで勝負する。
……自分で言うのもなんだけど。
「こら、気を抜くなよ」
リオンが囁く声に背筋を伸ばす。
そう、晩餐会を終えた、これからが社交の本番なのだから。
晩餐会に出した料理は、予想以上の反応を得た。
前菜として一番に出した料理がオリーヴァオイルとパン、だったから本当に最初はもう悪い意味で空気がざわついたのだ。
でも毒見をかねて、と言って
「まあ、ふんわりと柔らかい。これが本当にパン、ですか?」
「はい。天然酵母と呼ばれるものを使って作ったものです」
公主様が一番に手に取り、パンにオイルをつけて口に運んで下さった。
「まあ! なんて素晴らしいの!」
華やかに上げられた声に嘘や偽りは欠片も見えない。
「鮮烈で、瑞々しくて、濃厚なのにしつこさの欠片も無い。
オリーヴァの油で作った料理は新年以降、何度か口にしていたけれど。
流石マリカ様、直々の差配。
今回のはその上を行きますわね。余分なものを全てそぎ落とした純粋なオリーヴァの油の味を、この柔らかいパンが口と心に寄り道なしに運んでくれますわ」
「ありがとうございます。フリュッスカイトのオリーヴァ油が素晴らしいからこその味にございます」
主賓、公主に続き、公配君、公子様や公子妃様も食べて満面の笑みを咲かせれば大貴族達も流石にスルーはできなくなったのだろう。
躊躇いがちにパンを手に取り口に運ぶと、それぞれに目を輝かせる。
「な、なんだ? これは?」
「これが本当にパン? 本当にオリーヴァの油?」
隠しても隠し切れない人々の歓声に私は、晩餐会の成功を確信した。
思った通り、その後の料理も好評を博した。
特に人気があったのはカルボナーラのパスタとシャーベット。
次点でカツレツ。マヨネーズも良い反応だったと思う。
ただ、その分、皆の目の色は確実に変わったけど。
「スープが冷たい? 冷えているのではなく、これはワザとですか?」
「ワザとだ。冷たいものは冷たいままに、温かいものは温かく。
その為に姫君は魔術師を使ってもいる。その心配りと理こそが『新しい味』の真価かもしれぬな」
料理への質問はそれぞれありそうだったけれど、実際に言葉を発して質問したのはほんの数人で、私が答える前にメルクーリオ様やフェリーチェ様がカバーして下さった。
私の前が最上座である公主様で、その隣が公配君、公主様の左隣が空席一つ開けて、両脇に男女のペアが続いていた。ちなみに私の両隣はメルクーリオ様とフェリーチェ様。
大貴族や公と呼ばれる方達からのガードの為だと思われる。
で、よっぽど焦れていたと見えて
「皆も、『新しい味』の価値を理解した事でしょう?
これから二週間、フリュッスカイトに知識をお授け下さる、『聖なる乙女』に無礼はなりませんよ」
と公主様に釘をさされたにも関わらず、こうして舞踏会が始まった途端。
「姫君、今日の料理はどのようにして作られるのですか?」
「パータトなど味の無い腹に溜まるだけの付け合わせと思っておりましたが、今日、出て来た料理はとてつもなく美味でした。ぜひ我が領地でも試してみたい」
「ちょ、ちょっと待って下さい。いっぺんに言われても……」
私の周囲にとんでもない人が集まってきた。
フリュッスカイトでは他の国であったような、順番待ちの概念は無いっぽい?
とにかく、私に話しかけようと人が我先にと詰め寄って来るのだ。
正直怖い。
私は子どもで、押しかけて来るのは大人で圧迫感が凄いんだもの。
礼儀はどうしたの?
せめて一人ずつ、並んで順番に顔と名前を覚えさせて!
バーゲンに押し寄せる人のような群れを、懸命にリオンとカマラが押し留めていてくれていた時。
「いい加減にするがいい。お前達」
低く、鋭い声に大貴族達の動きが一斉に止まった。
と、同時に私の前に大きな影が立ちふさがる。
「…あ、ルイヴィル殿」
「久しぶりだな。少年騎士。随分と成長した様だ」
リオンが懐かしそうな声を上げた。
私の前に立って、物理的に盾となって下さるのはフリュッスカイトの騎士団長 ルイヴィル殿。
そしてもう一人、彼等を制して下さったのはやはりメルクーリオ様だ。
「母上の言葉が聞こえなかったのか? 皇女が困っているのが解らないのか?」
ルイヴィル様に促されて、私達は壁沿いのソファに向かう。
けれど、メルクーリオ様に大貴族達が向ける目はけっこう厳しい。
「公子……、公主家は星の宝、『聖なる乙女』を独り占めするおつもりですか?」
「皇女をお招きし、経費を出したのは公主家だ。文句があるというのなら自身でアルケディウスと交渉し、経費を払うがいい。さすれば誰憚りなく姫君と話ができるぞ」
「……くっ」
「だが、その経費は我々が治める税によって賄われている筈。
であるなら我々にも権利がある」
「まあ、そうだな。だが、仮にも一国の皇女で在る姫君に好を求めんとするのなら、最低の礼は弁えるべきであろう。姫君はご覧になっているぞ。
彼女が訪れた昨日まで、北国の小娘と侮っていたお前達が、今日の料理に、香りに、美しき髪艶に、美しさに掌を返した事を……」
的確に大貴族達に無作法を指摘するメルクーリオ様。
声を決して張り上げている訳では無いけれど、鋭く厳しく場に響く。
「だ、だからと言って公主家だけがその恩寵を得るなど厚かましいにも程がある。
この舞踏会が終われば、母上は城の奥から姫君を出さないつもりだろう?」
「サートゥルス」
母上、その言葉に私は視線を向ける。
そこには華やかな金髪、蒼瞳の男性がいる。
「ルイヴィル! 貴様も国防を預かる俺を指しおいて何故、兄上の命令に従っている!」
「何故も何も私は公主家に忠誠を誓った騎士団長です。
公子のお言葉に従うのは当然のこと」
兄上、ってことはメルクーリオ様がおっしゃっていた弟のお一人か。
国防を預かるというだけあって、良い体格をされてる。
筋骨隆々。背もメルクーリオ様より高いかも?
「私も、国の商業を預かる者として元商人の皇女様とじっくりお話はさせて頂きたい。
兄上達には時間がおありでしょう。
ですが私達にはその機会さえも限られているのです。ここはどうかお譲り願いたい」
「ジョーヴェ」
金髪の男性とは別に、もう一人男性が進み出た。こっちは銀髪、アイスブルーの瞳。
さっきの人と比べると半分くらいに見える細身だけど、目つきは鋭い。
獲物を狙う鷹のような眼差しだ。
彼等に同調するように大貴族達も頷いている。
こちらも公主様の御子のお一人なんだろう。
「厚かましいのはどっちだ? だが……」
会場の客、殆ど全てを敵に回したような状況に、大きく息を吐き出した公子は顔を上げ、呆れたように肩を竦めると
「いいだろう。星の輝きは確かに独り占めにしてはならぬものだ」
腰に手を当て、そう溢した。
大貴族達の顔が歓喜に輝いた、その瞬間
「ただし」
けれどメルクーリオ公子はピッと、手を伸ばし厳粛な顔と声で告げる。
「お前達に問う。
アルケディウスの姫君は、八人の女、十五名の男の随員を連れてこの国においでになった。
一週間の長旅。
もっとも年若い随員は八歳で、六割の随員は不老不死だ。
では、姫君の御年はいくつだ?」
「え?」
問答をかけたのだ。
彼が問いを紡いだ瞬間、場が凍り付いた。
いや、本当に、あれほど騒がしかった舞踏会会場が一瞬で静まり返る。
一言の意義や抗議の声さえ聞こえない。
「相手に敬意をもって話をしたいと望むなら、最低でもその御年くらい知っていて当然だろう。正しく答えられたなら、姫君の話し相手として認めてやるから来るがいい。
ただし、一度でも間違えたなら、姫君はその者の名を不快な思いと共に記憶に留めるだろう」
そう言うと、皇子はもう話が終わった、と言わんばかりに振り返ると壁沿いに立っていた私達の方に手をさし延べて下さった。
「姫君、礼儀を知らぬ者達が失礼をした。どうぞこちらへ」
落ち着いてみれば、フリュッスカイトにも話をする為のテーブルや席はちゃんと用意されていたようだった。
フェリーチェ様がクッションを整えながら微笑んでくれているので、招かれるまま席に着く。疲れた。
本当に疲れた。
まだ始まってもいないのに疲れ切った私に、申しわけないという顔でフェリーツェ様が微苦笑する。
「驚かれましたか? フリュッスカイトは各領地がそれぞれ圏を競っている、と言えば聞こえはいいのですが、大貴族達が公主家を低く見ているところがあるのです」
「女性君主はどうしても甘いと侮られがちだからな。
五百年以上もの長きに渡り正しく国を治めているのに、情けない話だ」
私に勧めた席の反対側にドンと腰を下ろし、吐息をつくメルクーリオ様。
「かといって、私が君主の座に就けば、今度は若造と舐められる。まったく、どうしたものやら」
「大変ですね。フリュッスカイトも……」
顔を上げると今度は大貴族達が、公主様達の方に向かって行っているのが見えた。
流石にさっきほどの迫力は無いけど……あ、そうだ。
「公子、さっきのあれは?」
公子が大貴族や公達に問題をかけたとたん、周囲に押し寄せる人がいなくなった。
脅しをかけたにしてもまるで、潮が引いた様でちょっと驚く。
そんな私に公子はニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべて見せる。
「フリュッスカイトは知恵を重んじる国だと言っただろう?
相手との交渉などにおいて、問答が良く使われる。
問いをかけられて、それに正しく応えられなければ、武で敗れたよりも大きな恥辱。敗北だ。
逆に、問題をかけた方は、正答されたら、相手に譲らねばならん。
故にあ奴らは今、必死で正解を考えている筈だ」
「ああ、あれもやっぱり論理問題だったのですね」
「ちゃんと国賓に礼と敬意をもって、事前調査をし年くらい調べておけば問題にもならない問い。篩い分けには丁度いいだろう」
論理問答が重視されるお国柄?
昨日、私が問答を間違えていたら本当にヤバかったのだと今更に気いて肝が冷えた。
「論理問題、というのは良く考えれば答えが出る問題だ、と昨日伺いましたが、さっきの問いで姫君の御年が解るのですか?」
カマラが私の耳元で囁くように問いかけた。
真面目なカマラは一生懸命考えていた様だ。
「いや、解らないと思うよ」
情報が足りない。あのヒントだけでは知らない人には、絶対に私の年齢は解らない。
「では……、さっきの問題の答えは……」
「多分、この場合は……」
「兄上、僕には答えが解りません。
情報が足りないと思います。ですから教えて頂けないでしょうか?」
「ほう……。やっぱり正解を言えたのはお前だけか。
ソレイル」
気が付けば、ただ一人の正解者がそこにいる。
満足そうな笑みで顔を向ける公子様の前で、一人の少年が照れくさそうに微笑んでいた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!