ヒンメルヴェルエクト出国直前まで、私達は本気で実験とディスカッション、そして試作を繰り返した。
「黒い油、石油という素材があると随分、色々な事が可能になりますね」
フェイが随分と感心していたけれど、加熱精製という方法が知られるや否やあっという間に向こうの世界のエネルギー素材の頂点に立った資源だ。活用方法はめっちゃ多い。
とはいえ、今の私達はまだ科学的に分子構造とか性質とかを理解して分離活用しているわけでは無いんだよね。
精霊の書物、すなわち向こうの世界の言葉で書かれた書物に書かれた通りの設備を使って指示通りの熱を加えたり、圧力をかけたり。
薬品を混ぜる必要性があるものは炎系、電気系の精霊魔術で変質させることで素材が出来上がる感じ。
精霊の力は助けの力、とはよく言ったもので人類の科学の歴史を精霊魔術でかなりショートカットしているように思う。
現在できている石油繊維は多分、ポリエチレン線維かナイロンのような感じ。
本来分離させたナフサなどに特殊な加工や薬品を加えたり結合させないと生まれない素材なのだろうけれど、炎系の術を使い念じることで、その辺の過程が省略される。精霊の力が特別な触媒や薬品の代わりになるようだ。
オルクスさん曰く、精霊の書物にあった特別な呪文を使い、強くこういう形や性質になれと願う事で液体が固体化するそうだ。それをさらに術をかけて糸にする。
「精霊術というのはこのような使い方もできるのですね」
「戦いなどよりも、こういう『人間の力が及ばない』事に使う方が精霊術の本当の使い道なのかもしれませんね」
と二人の魔術師は顔を見合わせていた。
今後、精霊の書物の読み解きと科学が進歩すれば技術で加工できるようになるかもしれないけれど、今の中世異世界的技術的には石油の分離精製までが精いっぱい。
石油の加工は当分魔術師だよりになりそうだ。
とにもかくにも二日間、魔術師二名+三名が一生懸命に研究を重ねた結果、石油化学繊維+精霊魔術による新素材は本当に面白いものになった。
「そのままの繊維では熱に弱いので炎の精霊術は必須ですね」
「軽量化と摩擦による耐久度を強化するには風の術を、防水には水の術を纏わせる必要がありますが火と水をそのまま重ねるとお互いの性質が喧嘩してしまうようです」
「間に光の術を挟むと両方の術が乗るようですね。何種類まで強化が可能なのか……」
最後の日はほぼ徹夜で彼らは実験を行って
「……姫君。これをどうぞ。
現時点でできる最高のところまでもっていけたと思います」
ヒンメルヴェルエクト最終日の朝、どこか血走ったように徹夜の目を紅くしてアリアン公子は私に大きな風呂敷のような布を二枚渡してくれた。
「耐熱耐火、耐冷、防水、防塵、防摩擦、刃物も風の魔術で滑らせて反らします」
「凄い。全部盛りが成功したんですか?」
触れてみると暑さは皮手袋と同じかちょっと厚いくらい。
表面はなめらかでシャカッっとした感触があるけれどそんなに気にならないように思う。
「本当に苦労しました。術をかける順番が大事で何度も失敗を繰り返したんですよ。最初に火が必須。そこに光を重ねる。そうすると光が布に宿ってしまうのですが、水や風を重ねることによって光の術がもつ布を輝かせる性質が薄まり、火と他の術を喧嘩せず乗せることができ、外見的にも普通の布に近くなります。
布や糸そのものが熱に弱いのでそこを強化するオルクスの火の術は必須ですね」
あ、わかる。プラスチック系は火に弱いもんね。
でも精霊の力で足りない所を補えるというのはいい。
ファンタジーと科学の複合アイテムだ。
「完成した布に術をかけているので素材づくりの時に術をかければ強度や耐久度などをもっと工夫することは可能かもしれません。また、ペレットは熱を加えることで液体化、固体化も可能なようです。繊維にして良い効果が出来たので固体化させても色々役に立つのではないかと思います」
「そうですね。精霊の書物ではそれをプラスチックと呼んで、様々なものに活用できる、と書いてあったと思います」
「はい。もっともっと研究を続けて活用方法を探していくつもりです。フェイ殿に帰られてしまうと水と風の術を重ねられないので当面は神殿の神官を借りたり、次世代を育てたりする必要がありそうですが」
「魔術師の育成、ひいては子どもの教育と育成は正しく急務になりそうですね」
とはオルクスさんの言葉を受けたアリアン公子の弁。
本当は私にオルクスさんを付ける話もあったそうなのだけれど、オルクスさんが今やヒンメルヴェルエクトの事業に欠かせない人物なので諦めたそうだ。最低でも彼と同じレベルに火の術を使える魔術師が生まれないと、彼は国を動けない。
魔術師、精霊魔術使いは子どもにとって数少ない能力発揮の場。
子ども達に生きるチャンス、必要とされる機会が増えるのは良い事だ、と今は思う事にする。本当はもっと自由にその才能や能力を発揮できる場を作ってあげられれば良いのだけれど。
「アルケディウスでも研究を重ねてみます。変わった結果が出たらお知らせしますね」
「よろしくお願いします。今回は時間がかかりすぎるので諦めてしまいましたが、蒸気機関と呼ばれるものにも、食や繊維業と合わせ取り組んでいくつもりです」
ヒンメルヴェルエクトは本当にエネルギッシュだ。
何事にも前向きに挑戦し、研究、実践を進めていく。
その姿は見習っていかないといけないと思った。
「では、姫君。改めまして本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします」
「ヤール。姫君に良く仕えお役に立つように」
「はい。頑張ります。先生達もお元気で」
柔らかい、でも少し寂しげな笑顔に見送られて私達は国境を超え、ヒンメルヴェルエクトを後にした。
国境の向こうは大聖都。
騎士団が待ち構えていて大神殿に泊まれと言われるのはいつものこと。
旅の最後の騒動を覚悟して、私は気持ちを切り替えたのだった。
因みに余談になるけれど、精霊の力、全部盛りでコーティングしたこの布。一枚は王宮に提出、研究素材とし、もう一枚は私が使っていいことになった。
かなり大きい布だけれど、服やドレスを作れるほどは無い。
「となるとやっぱり手袋かな。よし。リオンの手袋作って貰おう!」
「俺のじゃなくてお前のを作れよ」
「私の手袋は王宮内での社交用だもん。そんな大げさな機能無くても大丈夫だから。
……リオンの身を護る方に使って欲しい」
「マリカ」
「いずれ、大量生産できるようになったら、他の子達のも作るよ。
これは向こうとこちらの世界の良い所を集めた夢の未来素材だもの」
後日、別件も合わせて私が自らシュライフェ商会に持ち込んでリオンの手袋を作って貰った。その過程で実はちょっとしたトラブル、というか事件というか、素敵なことはあったのだけれど、それはまたいずれ。
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