「ラフィーネ様、こちらです。
アルが良い場所を確保してくれました」
「ありがとう。ガルフ」
翌日、私達は朝早くから大神殿に並んでいました。
今日は礼大祭本番。
『聖なる乙女』の舞がもうじき始まるのです。
ギルド長を始めとする大店の常連たちは先にいい場所を確保しているようですが、私達も早朝から並んだり付け届けなどをしてなんとかそう悪くない席を確保しました。
アルケディウス商人、と言うのも大きく働いたのかもしれません。
通路際 中ほど。
姫君が舞台に上がるのもここからなら見える筈です。
「楽しみですね」
「ええ」
私達が期待に胸を躍らせていると、まず、神官長が現れました。
「『神』は我々に求むる全てをお授け下さいました。
永遠の命。不老不死。
失われる事の無い健康、大切な者たち。
我々が、今、ここに安寧を享受し日々を生きる事ができるのは『星』と『神』と『精霊』の力によるものです」
創世神話から始まる説教は礼拝で行われるものとほぼ同じ。
炎天下のそれは舞が楽しみであるだけに、やや辛くはありますが神事です。
皆、一言の文句も言わず黙って聞いています。
「本日、ここに『神』と『星』と『精霊』の加護を受けた新たなる、そして真実の『聖なる乙女』を我らは迎えました。
彼女の舞は、皆の感謝と祈りを『神』に伝え、我々に祝福を授けるでしょう」
そして舞台の中央に膝をつき、神官長は祈りを捧げます。
私達には意味の分からない、不思議な発音の呪文です。
かなり、長く続いたと思った呪文が終わり、神官長が立ち上がります。
「『神』に感謝を! そして祈りを!
無垢なる『聖なる乙女』の舞と共に、今、ここに力を捧げん!!!」
ぶわりと、周囲の人達から『熱』を感じます。
私自身も不思議に、鼓動が高まるのを感じていました。
これから、特別な何かが始まるのだ、と胸が躍るのです。
「? どうした。アル?」
「……いえ、なんでもありません」
ガルフの従者がきょろきょろ首を回しているのを見ているうちに、ピタリ。
喧噪は水を打った後のように静まりました。
『聖なる乙女』
マリカ様の入場です。
祭壇に続く道をマリカ様は一人、静かに歩いて行かれます。
その凛とした様子はとても成人前の子どもには見えません。
祭壇から降りた神官長が頭を下げ、マリカ様の登壇を見守ります。
ゆっくりと階段を上ったマリカ様。
純白のドレスを身に纏った姿は、正しく神の花嫁といった風情で息を呑むほどに美しいものでした。
周囲からもうっとりとした吐息が零れています。
昨日の礼拝でも思いましたが『聖なる乙女』のドレスを手がけ、今、この風景を作る助力が出来た事が心から誇らしく、服飾を手掛けていて良かったと心の底から思えました。
でも、舞はこれから。
私達は固唾を飲んで舞台の中央に立ったマリカ様を見つめます。
ピーン、と澄んだリュートの音色が、夏空に響き渡り、そして胸に手を当て、跪いていたマリカ様の手が高く掲げられると共に、舞は始まったのです。
舞は本当に素晴らしいものでした。
いえ、素晴らしいなどという言葉で括っていいものではないと、私は思います。
本当に目の前の光景が、現実に繰り広げられているのかと思う程に私は心を奪われたのです。
滑らかな足さばき、上下左右に一時も休むことなく、でも美しく優美に空を抱く姿は人を感じさせず、地上に降りた精霊のようでした。
マリカ様が庶出の皇女として認知されたのは昨年の秋の大祭ですから、まだ一年と経ってはいません。
けれど、指先、足の動きまで気を配られた舞は習熟を感じさせます。
僅か一年で、これほどまでに人は美しく動ける様になるのかと驚く程です。
そんな風に、舞に魅入っていた私は
「! ラフィーネ様!」
ガルフに声をかけられるまで気が付きませんでした。
私の身体が、いえ、会場全体が白く発光していることに。
会場全体が、というのは正確ではありません。
会場にいる全ての人間が、というべきかも。
身体全体を白く薄い光の幕が覆っています。
触れることもも感じることも出来ないその光はゆっくりと、私の身体を放れ空を舞っていきます。
止める事はできません。
でもそれは不快ではないのです。
不思議な酩酊感が私の身体を支配して行きます。
まるでお酒を飲んだ時のようにふわりと、空中を漂うような気持ちです。
自分はここにいるのに、心の一部が空を漂い全体に溶けて一つになるような。
夢見るような一体感を感じます。
でも、視線は舞台から離れません。
何故なら、舞台全体がだんだんに驚くような変容を遂げていたからです。
マリカ様は舞い続けています。
けれどその舞台全体を丸い泡のようなものが包んでいるのです。
その泡が、おそらく私達から抜け出た光であろうことは感じられます。
色は白、それに薄い青が混ざっているような美しい水色でした。
きっと、私達がこの場に立ち、舞を見る事で『神』に捧げる祈りと、力というものであろうということが感じられます。
抜けていく力に心が蕩けるようですが、それを止めたいとは思いません。
マリカ様の舞はますます美しさを増して行くようでした。
そろそろ山場であるのか、くるくるとマリカ様は回転を続けます。
指先に付けられた薄絹が風を孕んでふわふわと揺らめくと同時、さらに私達は驚きの光景を目撃します。
マリカ様の回転に合わせて、舞台を包んでいた泡が渦を巻き、空へと立ち上っていくのです。
真っ直ぐ上に、ではなくどこかの方角に飛んで行ったような気がするのですがそれがどこに向かって行ったものなのかは解りません。
きっと、いずこかにおわす『神』のところに向かったのでしょう。
私は、素直にそう信じられました。
やがて、さらに不思議な事が起こりました。
空に飛んで行った光は、どうやら私達から捧げられた全て、ではなく一部が余ったようでした。
まだ舞台上には薄い光が取り巻いています。
それが最後の回転を終え、舞台上で膝をついたマリカ様が胸の前で合わせた手を前に伸ばした時、パシン! と弾け、私達の上に降り注いだのです。
まるで、冬の雪の朝。
新雪から雪の欠片が零れるように、キラキラと煌めいて。
ふわりと、私の上に降りた光が身体に触れると同時、私は今まで感じていた酩酊感が一気に抜けていくのを感じました。
例えは悪いですが居眠りの後、夢から覚めたように、あるいは食事をした後のように意識が明るくなります。
身体が不思議な熱を帯び、抜けた力が戻って来る感じです。
私は、はっきりと理解しました。
今、私達は本当に素晴らしい体験をしたのだと。
会場にいる全ての人間が一つの美しいものを見て、心を動かされ、溢れた感動や祈りが一つになり『神』に捧げられたのだと。
普段、何もできない我々が、今、不老不死と言う恩寵を与えてくれた『神』に何かを贈り、そして贈られ返されたのだ。
と。
舞が終わり、マリカ様はゆっくりと壇を降り退場されて行きます。
ぱち、ぱち。
と誰かから始まった拍手は、やがで万雷の喝采となって退場して行くマリカ様を見送ったのでした。
「……とんでもない、経験でしたね。ガルフ」
「ええ。自分の力がマリカ様を通して一つになり『神』に捧げられたのを確かに感じました」
「ギルド長が毎年通うのも解る気がします。少し、というかかなり疲れましたが倦怠感よりも、充実感の大きさと言ったら……」
「ええ、商売のことを抜きにしてもこれは見逃せない」
終了後、私はガルフと頷き合います。
私は、きっと生涯この日の出来事を忘れないでしょう。
金貨の対価などでは収まらない素晴らしい感動を私は得たのです。
胸が今もワクワクとときめいています。
ここ暫く経営が忙しく、実際に針糸を持つ事も衣装の案を出す事も無くなっていましたが、この感動を国に戻ったら新しい服として形にしたいな。とか。
来年のマリカ様の衣装は、あの舞をより美しく見せる素晴らしいものにして見せる。とか。
年甲斐も無く。子どものようにはしゃぐ気持ちで。
「……帰りましょうか。今日と明日の宴はこの話できっと持ちきりですね」
「そうですね。……アル、行くぞ」
「……ちょっと、待って下さい。すぐ行きます」
やがて儀式を終えた会場は閉じられました。
名残惜しい気分で私は宿に戻ります。
来年もこの場に来ると、その時はプリーツィエ達も連れて来て感動を分け合おうと、心に決めて。
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