昼休憩が終わると、シュライフェ商会には勝者の喜びと敗者の嘆きが響きます。
「今日は本店の料理になんとかありつけたんです。魚の味がたっぷりと出たスープがもう、最高の味で!」
「いいなあ。私はエスファード商会の方に行ったんだけど完売。
少し前まで穴場だったんだけど…」
「ビフレスト商会も段々に人気になって来て、入れない事多いですよね」
針子の娘たちが口々に噂をしているのは昼食の話。
今日は『新しい食』に在りつけたか、という話です。
「プリーツェ様は、食事に出られなかったんですか?」
「マリカ様が国王会議からお戻りになられたのですから、いつお呼び出しがかかるか解りません。できる限り準備は進めておかないと」
針の手を止めない私の返事に針子達は申し訳なさそうに顔を見合わせてエプロンを身に着け、針を持ち直しますが、…彼女達の目は私のテーブルの端に置いておいたものを目ざとく見つけたようです。
「それは?」
「私の昼食です。ゲシュマック商会から、パンとジャムを買って来てますので…」
「うわ~、ずる~~い」「自分ばっかり」
別に何もズルい事はしていないのですけれどね。
食べ物に向ける女の執着というものは例え不老不死世界でも変わらないものなのかもしれません。
私はプリーツィエ、シュライフェ商会の針子兼デザイナーです。
ここ、シュライフェ商会の針子部屋は職人街の一角にあります。
本店の商業店舗は中央広場に程近いところにありますが、こちらは請け負ったドレスや衣服を作る言わば作業工場なのです。
一階は工場直販の既製服販売エリア。
残りの二階、三階は針子部屋。
さらに上階は針子達が部屋を借りて住んでいます。
仕事はノルマ制なので、おしゃべりなどをしていても手が動いていればあまり怒られることはありませんが、あまりおしゃべりが過ぎるようなら、注意する必要があるかもしれない、と思いました。
今、この部屋で作られているのは皇室の皇女 マリカ様のドレスなのですから。
シュライフェ商会はアルケディウスでも指折りの服飾専門店です。
人は不老不死になっても、裸では生きられない。
食は不要になっても服飾の需要は無くなることないので安定した商売を五百年続けています。
無数にある衣料品店の一つであったシュライフェ商会躍進の始まりは、不老不死以前に現主人であるラフィーニ様が、当時の御主人であらせられたマナウス様とご結婚なさった事に始まります。
優れた裁縫の腕とセンスをお持ちだったラフィーニ様は徐々に顧客を増やしていきますが、その最中にマナウス様が病没。
一時は存亡さえ危うかったシュライフェ商会を、後を継いだラフィーニ様が経営手腕も発揮されて建て直し、貴族、皇族のお客もそのセンスで虜にして現在王都第二位と言われる礎を築かれたのです、
中でも第三皇子妃 ティラトリーツェ様を顧客として掴めたのが大きいでしょう。
そして最近は御息女マリカ様を。
現在、シュライフェ商会は押しも押されぬ王都、つまりはアルケディウス第二の服飾、衣料商会として大きな力を発揮しています。
給仕を行うゲシュマック商人の料理人、と最初に在った時紹介されたあの女の子、マリカ様がまさか、第三皇子の隠し子で皇女様だったとは思いもしませんでした。
でも、言われてみれば納得なのです。
髪の毛の汚れを落とし美しくする『シャンプー』
唇に艶を出す油『口紅』
料理人の清潔を守る『コックコート』
どれも、食うや食わずの生活を強いられる、普通の子どもから生まれて来るものではありませんから。
高度な教育と、自分や周囲の身の回りを気遣う心の余裕がないと考えつく事さえ出来ないはずです。
加えて、あの気品、姿勢の良さ、力のある眼差し。
きっと第三皇子はいつか、姫君を皇家に戻す為に最高の教育を施されておいでだったのでしょう。
紫水晶をはめ込んだような美しい瞳。
艶やかな宵闇を糸にしたようなサラサラの髪。
細くしなやかな指先、小鹿のようなすんなりと伸びた手足。
あの方の魅力を最大限に発揮できる衣装は…。
「…―ツィエ様、プリーツィエ様」
「あら、何ですか?」
作業に没頭していた私は、肩を叩かれる声にハッとして顔を上げました。
別に寝ていた訳では勿論ありません。
作業に集中すると、周りが見えなくなるのは私の癖なのです。
「作業に区切りが付いたら、ラフィーニ様が本店の方に来て欲しいとの事です。
マリカ様がお戻りになられて、シュライフェ商会の方に新しい要請が来たそうですから」
「解りました。直ぐに行きます」
刺繍の針を止めると私は作業用のエプロンを外しました。
この作業用のチュニック風エプロンのおかげで仕事がしやすくなった、とはここの針子だけでは無く、色々な仕事をする女性からの声です。
手元が自由に動き、なおかつ服の前後ろがすっぽりと包まれ守られる。
着脱も後ろに手を回さず、横のボタンを外せばいいだけなので楽なのもありがたいところで、最近はコックコートと共にシュライフェ商会の主力製品の一つになっています。
このエプロンもマリカ様のアイデアなのです。
話がそれましたが、身だしなみを整えてから私は工房を出て本店に向かいました。
工房から本店までは四半刻もかかりません。
本店に入り、二階の応接室に向かうとラフィーニ様が待っておられます。
「お待たせいたしました。
何か御用でございましょうか?」
「待っていましたよ。プリーツィエ。
マリカ様の注文を受けていた新しい旅装と礼服の進み具合はどうです?」
執務机から立ち上がり、私に来客用の椅子を進めたラフィーニ様のハシバミ色の瞳を見つめながら、私は答えます。
現在、マリカ様とその関連の服は工房が最優先で作業しているのでどれもある程度のところまで進んでいます。
「現在、殆どの服が仮縫いまで進んでおります。仮縫いが終われば後は一月ほど、でしょうか?」
「先程、第三皇子妃様から使いが来て数日中に仮縫いの時間を作るので館に来るように、とのことです。
準備をお願い。
後、乳児用の服の代えとオムツも持ってきてほしいとの注文も入っています。
こちらは仮縫い無しの簡単なもので構わないので数が欲しい、とのことですね」
注文用の木札を確認しながら出される指示は予想の範疇。
準備も進んでいます。
「そちらの用意も問題なく進んでおります。乳幼児はどんどん成長していくので仮縫いをして身体に合わせていく時間はありませんので、寸法に余裕を持たせつつ少しずつ大きくしたものを用意しています」
「流石はプリーツィエね。乳児服に携わるなど五百年針を握って来たけれど滅多にないので勝手を忘れていました」
ほう、と息を吐き出しながらラフィーニ様は感心したように私を見ます。
ラフィーニ様はマナウス様との間にお子を設けることなく死に別れてしまわれましたし、私も夫との間に子は在りません。
ですから『子ども』というものには決して慣れているとは言えませんが、ここ一年で子供服の注文が相当に増えました。
解らないなどと甘い事はとても言っていられません。
それに、子供服を作るのは、とても楽しい事です。
素材の良い子ども達が、良い服を着て立つ姿を見るのは胸が躍ります。
新年の参賀に立たれたマリカ様や、騎士試験で優勝した少年騎士が私の考え、仕立てた服を着て喝采を浴びる姿を見るのは本当にうっとりとさせられたものです。
子どもというのは今まで、低く見られがちでしたが今年からはアルケディウスでは保護されることが法律で決まりました。
実際、接してみると子どもという存在は瑞々しく、華やかで美しい花のような存在だと思います。
彼等に会うたび、話をするたび、次はどんな服を作ろうか、アイデアが泉のように湧いてくるのです。
「ティラトリーツェ様のお子は双子です。
今後もどんどん成長していかれますから注文は続くでしょう。準備は怠りなくね」
「心得ております。お任せくださいませ」
私は胸を張ります。
今、この国で一番、子供服を手がけ良い形で作れるのは自分だと自負していますから。
いくつかの追加注文の話を確認した後のふと、開いた会話の隙間
「ねえ、プリーツィエ。
貴女はアデラを覚えていて?」
ラフィーニ様はぽろりと、そんな言葉を溢しました。
「はい。覚えております。かつてこの商会の針子でガルフ様の商会に嫁いだ…」
私も社交辞令では無く覚えておりました。
アデラは不老不死前からこの商会に勤めていた針子の一人でした。
控えめな性格と容姿に似合わず、蠱惑的な体形をしていて多くの男性から言い寄られていました。
優しい彼女が、当時力を付けて来た若手の商人に見初められて結婚した時には、祝福したものですが…。
「今、あの子はアーヴェントルクのオルトザム商会で商会長の第二夫人をしているの。
今年になって時折、ガルフの店の様子を伺う手紙が来ます。どう、対応したらいいと思います?」
指し出された手紙を手に取ることも出来ず、私は声を出すこともできません。
『ガルフとアデラの離別』は、アルケディウスの王都に店を出す商業主なら誰も知らない者がいない位の大醜聞であったからです。
不老不死世界になり、食品扱いが一度絶滅した時、若く勢いがあっただけにガルフ様の店は大きな借金を背負いました。
その借金の返済の身代、と言っては言葉が悪いですが多額の無期限無返済融資を受ける代わりにアデラはガルフ様と離婚、他国の豪商に嫁いだのです。
ガルフ様は勿論、最後まで反対していた筈ですが、確か最後はアデラが悪者になるような形でガルフ様の側を離れた筈。
その後、借金を返済し店を畳んだものの『妻を売った』負い目からか、ガルフ様は商業の表舞台から姿を消しました。
一去年の春。
食品扱いを再開するまで。
「様子を伺う、ってよりを戻したい、という事ですか?」
それはムシが良すぎだろう、私はそう思いましたが流石にそうではないようです。
「いいえ。アーヴェントルクでも『新しい食』が話題になり始めているので、その情報、できるなら好が欲しい、という話のようです。
夫である商会長の差し金かもしれませんね」
「どちらにしてもムシの良すぎる話だと思います。
下手に関わらない方が良いのではないでしょうか?」
私は自分が我ながら厳しいと承知しつつも、アデラの肩を持とうという気がまるで湧いてこない事を感じていました。
アデラにしてみれば、我が身を裂く思いでガルフ様の為に選択した結果なのかもしれません。
ですがガルフ様がそれを望んでいなかったのは解り切っていますし、そのような手段を取らなくてもガルフ様ならきっと商売を畳むくらいはやりとげただろうと私は思います。
今、ガルフ様の店、ゲシュマック商会はアルケディウスで、いえ世界で一番勢いがある商会で在ると言っても過言ではありません。
なんとかして縁を繋ぎ、自分の商売に繋ぎたいと、商業主なら誰でも思うでしょう。
『食』という一大産業の復活は、食の世界のみならず周辺産業にも大きな影響を与えています。
カトラリー、皿、鍋など調理用品の製作で、木工、鉄工ギルドは新しい需要にフル稼働中。
我々シュライフェ商会もエプロンやコックコートなどで多大な収益を上げています。
逆に敵に回したら一番恐ろしい商会でもあり、かつてはアルケディウスの服飾第三位と言われたウォーキン商会は店主ザックとガルフ様の仲違いから勢いを失い、今は見る影もありません。
「今現在、シュライフェ商会がガルナシア商会に迫る躍進を続けているのは、ゲシュマック商会とマリカ様あってのことです。
子供服、コックコート、エプロン、シャンプー、花の水。
どれもマリカ様と仲介するゲシュマック商会の協力なしでは在りえなかったもの。
変に藪を突いて蛇を出し、ウォーキン商会のように遠ざけられるよりは、構わない方がいいと存じます」
「…そうね。今後フリュッスカイトからオリーヴァ油が正式に輸入されれば発売される予定の口紅、花の香りの油なども控えています。
アデラには可哀想ですが、ガルフとマリカ様の機嫌は損ねられませんね。
当たり障りのない返事を返しておきましょう」
「はい」
私には遠い昔の、小さな胸の痛みを振り払います。
まだ駆け出しの針子だった頃、若くて優しく、それでいて凄腕だった商人に憧れた青い果実のような思い出。
彼に恋をするとか、アプローチしたとか、そんな積極性は昔の私にはありませんでした。
でも彼が同僚と結婚すると聞き、誰にも知られない所で枕を濡らした事は確かにあって、今も、五百年の時に埋もれてもふいに蘇ってはこうして心を苛むのです。
今の私には子どもこそありませんが、優しく私を理解してくれる夫もいます。
国を動かす豪商になった彼に今度こそアプローチを、などと思うのはそれこそムシが良すぎますし、人の道にも劣ります。
ただ、私はゲシュマック商会と、子ども達の為が輝く為に、彩りを添える手助けをする。
その為に全力を尽くして行こうと思うだけ。
それだけなのです。
「そうだ。プリーツィエ。
シュライフェ商会に、食堂を作るというのはどう思いますか?」
「食堂、ですか?
シュライフェ商会もガルナシア商会のように食料品扱いに参戦すると?」
急に変わった話に私は小首を傾げながらも、耳を向けます。
少なくともアデラの話よりは楽しいものになりそうですから。
「そうではありません。
最近、針子達は昼休みに店を抜け出してゲシュマック商会の店に並んでいるのでしょう?
休憩中の事ですし、食事をすると明らかに作業効率が上がるようなので禁止するつもりはありませんが、抜け出せない営業担当の者達から羨ましいと苦情が出ているのです。
ならば予算を取って、店に食事ができるところを作ってはどうかと思ったのです。
最近は、マリカ様とゲシュマック商会のおかげで潤っていますしね、店員還元も必要でしょう?」
片目を閉じてみせるラフィーニ様の提案はとても素晴らしく思えて、私は思わず手を叩いてしまいます。
店で食事ができるとなればさっきのように毎日の熾烈な食事バトルもなくなり、針子達も仕事に集中する事でしょう。
「それはステキな案だと思いますわ。皆も喜ぶこと間違いなしです」
「何より、私も『新しい味』をもっと身近に味わいたいのです。
商会長の身分ではなかなか、店に並ぶわけにもいきませんからね。どんなメニューがあるか知っていて?」
「確か本店のメニューは『オボン』と呼ばれる四角い大きな板に乗せられて供せられるものが多いですね。
スープと、肉料理…最近はビエイリークから特別な手段で運んでくるという海産物もたまに出てきて人気…、あとは軽い野菜のサラダ、あと小さな甘味で中額銅貨五枚です。
料理は日替わりで、毎日違うメニューが…列に並んで食事にありつければですが…評判です。
一番人気はやはりパンケーキだと思います。
下町の串焼き屋は私達にはなかなか捕まえづらいですし…。朝、パン屋でパンを買ってくるのが私達にとっては一番確実に新しい食に在りつける方法かと。
大祭の時の「クレープ」も私は好きなのですが、あれは大祭限定メニューなので…」
「あらあら、随分と貴女も『新しい食』にハマっているのね」
「も、申しわけありません。その…針子達の噂です」
ついつい、力の籠ったプレゼンになってしまったことに気付いて私は、俯いてしまいました。
恥ずかしさに顔が熱を帯びているのが解ります。
嘘です。
針子たちの前ではそっけなく装っていますが、ゲシュマック商会の『新しい味』にシュライフェ商会で一番ハマっているのは私かもしれません。
毎日パン屋に寄っていくもので顔なじみになって、ジャムを分けて貰うくらいにはあの味の虜になっているのです。
夫も気に入っていますし。
「もし良ければ次の仮縫いの時にでも、マリカ様に個人のレシピの買い取りと、使用を許可して頂けるかどうか伺ってきて頂戴?」
「解りました」
「それから春になり花も咲き始めましたので、花の水作りを始めたい旨のお話も。
今年は花の油の作り方も教えて頂けるといいのですが…。金額について出し惜しみはしないので良くお願いして来てね」
「心得ております」
その日の夕方に第三皇子家からの遣いから、明後日には仮縫いの時間が取れるので来て欲しいというお話を頂きました。
三日後にはマリカ様。
あの聡明で可愛らしい皇女様とお会いできる。
私は頬に浮かぶ笑みを隠せないまま、大急ぎで仮縫いの衣装や新しいスケッチを纏めたのでした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!