ほのぼの新酒の試飲会の筈が、なんだかとんでもない話になったな。と思う。
まさか、こんなところでフェイの親かもしれない人の話を聞くことになるなんて思わなかった。
私は寝室で一人、寝転がりながらさっきの話の事を思い出していた。
「フェイと似た子どもを見た、というのはいつの事ですか?」
「あ、他人の空似ではないかと。どうぞお気になさらず」
「別に責めているわけではありませんから。純粋に知りたいだけです。話して頂けませんか?」
私の言葉にどこか困ったような顔をしながらテロスは話してくれた。
「今から十三~四年くらい前ですかね? 十五年にはなってない気がします。
うちの蔵に働きたいと女がやってきて」
シュトルムスルフトの民族衣装、コートと覆面を纏った紫の瞳の綺麗な女性だったのだそうだ。
彼女は不老不死者ではなかった上に妊娠していたが、葡萄の収穫シーズンは猫の手も借りたいくらいだったのでとりあえず短期雇で蔵に入れたのだという。
覆面を外した後は、その美しい銀髪と容姿に皆驚いた。けれど、訳ありということが解ったので本人が言うまでは何も聞かないと決めて見守ったらしい。
「うちの蔵は元々、シュトルムスルフトから流れてきた農民だったんですよ。
といっても、その頃にはもう何百年も経っていて、先祖は~っていうくらいの話題でしたけれど。彼女は良く働くし、故郷も同じだっていうんで親しみを持って、蔵に正式に入れてもいいか、ってくらいの話になっていました」
収穫時期の終わりを待っていたかのように、彼女は産気づき、蔵の人達の力を借りて出産。
男の子を産んだ。
けれど、新年が近づいてくるとどこか落ち着かなくなり、ある日突然姿を消したという。
「お礼のつもりでしたかね。首飾りを置いて行って、着の身着のまま、逃げる様に。
赤子と一緒に。
多分、給料として与えた金は持って行ったようなのですが。
生まれて一か月も経たない子を連れてどこに行ったのかと心配で、できる限りは探しました。でも結局はそのまま見つからず、いつしか忘れかけていた次第で」
「その女の人が密入国者だ、というのはどうして解ったんですか?」
「彼女が消えた後、心配でシュトルムスルフトの国境に問い合わせたんですよ。国境を通れば記録が残るかな、って思って。首飾りも大事なものかなと思ったので返してやりたくて」
でも、国境には女性の入国も出国も記録されていなかった。
国境も広いし、壁があるわけでもない。
森や山に紛れれば女性一人が侵入することは不可能ではないのだろう。
「その首飾り、というのは? 今、持っています?」
「いえ、こんなことになるとは思っていませんでしたので家です。取りに戻らせてもいいですが一日くらいかかるかと」
「それでは間に合いません。いりませんし」
「フェイ」
きっぱりと、振り切るように告げたのは他でもないフェイであった。
「面白い話ですが、僕は今、アルケディウスの人間ですのであまり親とか血筋とかに興味はありません。今、お前の家族がどうとか、親がどういう人間だとか言われても困るだけです」
「だが……お前は……」
「言わなくていいです。リオン。僕は貴方に救われた。
今は、アルケディウスで貴方とマリカに仕える者。それだけでいい。
他のことはいらない。
それだけで、いいんです」
本人がそういうのでは、それ以上追及はできない。
例え、母親が密入国者であったとしても、十数年前の事でほぼ時効だろうし、親の罪を子どもが背負う必要は無い筈だ。
フェイは神殿に独立した戸籍で登録されている。
今は文官試験に合格した準貴族で魔術師、後見人は王宮魔術師と文官長。
シュトルムスルフトでは魔術師であることは隠す方向でいく話になっているけれど、万が一突かれる羽目になっても皇女の力と、本人の実力で守ることは可能だと思う。
「解りました。お話をありがとう。テロス。
今の話は吹聴せず、新しい葡萄酒の件を言われた通りに手配して下さい」
「かしこまりました。お耳汚し、申し訳ありません」
「あと、テロス殿。以降はこのような強引な手段は控えた方がいい。マリカ……皇女は心の広い方でいらっしゃるのでお許し下さったが、皇族の馬車を止め、毒見もしていない酒を飲ませるなど本来であれば危険人物とみなされても仕方ないですよ」
「は、はい。申し訳ありません」
「私はあんまり気にしませんけどね」
「僕も気が緩んでいましたが、シュトルムスルフトに入ったら気を付けた方がいい。大聖都産の食べ物、飲み物には別の意味で注意が必要ですし」
「?」
フェイの注意というか指摘にフェイの身分が解ったのだろう。
同時に自分のしでかした無礼にも気付き、テロスは肩を竦め、両膝をついて謝罪した。
テロスは蔵に戻っていったけれど
「フェイが言った通り、色々な意味で気を引き締め直した方が良さそうですね」
ミュールズさんが噛みしめる様にそう言っていたのが忘れられない。
明日からはシュトルムスルフトに入る。本格的な未知の国。
最初から変な話も降ってきて、なんだかこう、色々と嫌な予感もする。
『あまり、気にしない方がいいよ。実際の所、あんまり考えすぎても良くないし意味がない』
「ラス様」
『どうしてもの時は我々が手助けする。案ずるな』
「アーレリオス様。ありがとうございます」
どこからか、ぴょいと、私の寝台の上にお二人。
二匹の精霊獣が飛び乗ってきた。
柔らかい、ぬくぬくの感覚が気持ちいい。
癒される。
「どちらかというと、癒しが必要なのはフェイのような気がしますけれど」
『フェイは僕らのもふもふなんかじゃ癒されないだろう?』
『あれは強い。アルフィリーガの側に在れば尚更に。
お前が気にする程の事も無かろう』
「そうですね」
かといって、いきなり出生の秘密を聞かされて、心穏やかでいられるかと言ったら無理なのは解っている。私だってタシュケント伯爵家との騒動では相当に心乱れたし。
多分、今頃、間違いなくリオンとアルがフォローしてくれている筈だ。私も心がけてフェイを守ろう。全力で。気持ちを引き締めて。
そう決めていた。
翌日、大聖都との国境を越えて私達はシュトルムスルフトに入った。
冬だけれど、外に出た途端はっきりとした空気の色の変化を感じた。
もわっ、とそう表現するしかない熱気。乾燥した空気。
秋国だけれど、プラーミァと隣接しているし砂漠も多いという。
そういう国なんだろうな、と素直に思った。
国境を出てすぐの所で跪く一団に気付く。
白いチュニックの上に、たっぷりとしたコートを羽織る人々。
ターバンじみた被り物はプラーミァのものと似た感じがする。
見るからにアラビア。
「アルケディウスに輝く宵闇の星。マリカ皇女にはお初にお目にかかる」
一団の先頭に立つのは三、いや四十代かな。がっしりとして顎髭を生やした男性だ。
黒髪、黒い瞳。日本人っぽいけれど、顔つきと体格は中東系の濃い感じがして明らかに違うと解る
「私の名はシャッハラール。この国の第一王子です」
「お初にお目にかかります。アルケディウス皇女 マリカにございます。
どうぞよろしくお願いいたします」
できるだけ丁寧に自己紹介に対する挨拶を返したつもりではあるのだけれど……?
ん?
シャッハラール王子の私を見る視線に気づいた。なんだか、絡みつくような、値踏みするような感じで気持ち悪い。
私だけ、ではなく周囲の随員達。特に女性随員達に向ける視線はなんだか、獲物を見つけ舐め回す蛇のようだ。
「……まあ、我慢できないこともない、か? 将来性に期待、だな」
「?」
意味の解らない小さな呟きの後、王子はパチン、と後ろに向けて指を鳴らした。
後ろにいた部下と思しき人が何やら包みを持ってきて、王子の横で掲げている。
「姫君、そしてアルケディウスの女性方々。どうぞこれを」
「なんでしょうか?」
「髪布です。お持ちでは無いと思って念の為用意しておきましたが、シュトルムスルフトでは女性のみの外出は禁じられており、外に出る場合には髪と顔。
最低でも髪の毛を他人に見せてはならぬと、されております。女の髪と顔を見ていいのは夫となる男だけなのですよ」
「え?」
「ですので、ここから先は髪布で頭を隠して下さい。顔も隠し、服も変えて頂きたいですがそれはまあ、多めにみましょう」
「私、他国の衣装を軽々に身に着けてはいけないと言われているのですが……」
他国の王族から贈られた衣装を身に着けるのは、その国の支配を受け入れたという意味になる。最初の国、プラーミァで言われたことは忘れられない。
「シュトルムスルフトでは髪を晒した女は失礼ですが売春婦とみられ、襲われても文句は言えない。
これらの品は我々からの好意と誠意なのですが……」
「マリカ様。これを……」
話を聞いていたミーティラ様がスカーフを出してくれた。
比較的シンプルな薄紫のバティック染め。
「ミーティラ様?」
「プラーミァのものですが。万が一の時の事を考えてティラトリーツェ様から預かっておりました」
旅用の共通衣装にはあまり似合わないけれど、とりあえず頭に被って髪を隠す。
チッ、と小さく舌打ちが聞こえた気がした。
間違いなく王子の一団から。
「皆さんはどうするんです?」
「スカーフを身につけないと外を歩けないというのが国の風習であるのなら、従うしかないでしょう。とりあえずこの場はお借りして途中で調達でき次第お返しします」
「解りました。……ご厚意感謝します。部下の分だけ一時的にお借りしますね」
「どうぞ……。プラーミァの物よりもシュトルムスルフトの物の方が良いとは存じますが」
どこか悔し気な王子の言葉は無視。とりあえず女性随員達は馬車に入り、スカーフを身に着けた。
そう言えば、前にリオンから買ってもらったスカーフがあったっけ。
この先、日常でも頭を隠せと言われるならそれを使おう。
「では、ご案内致します。シュトルムスルフトは寒暖の差が激しいので、お気を付け下さい」
先導する王子達が跨ったのはなんとラクダ。
本当にアラビア風なんだな、とこの時はまだのんきに思いながら、私達は前途多難なシュトルムスルフト滞在、その第一歩を踏み出したのだった。
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