貴族社会についてはよく解らないけれど、この世界。
少なくともアルケディウスおいては社交シーズンの開始は夏から秋になる。
冬になると尋常ではない雪に閉ざされるから外には出て来にくいのだと聞いている。
夏の戦の開始が社交シーズンのスタート。
今日がその始まりを告げる宴で、顔合わせと挨拶が行われる。
戦の間はそれぞれに準備や根回しを行う。
そして戦が終わり大祭の間に貴族男性達の領地間の情報交換や新しい法案を決める国務会議が行われ、大祭の終わりの宴の後から本格的な社交が始まるといった形だ。
中世異世界ならやっぱりそうなってしまいがちなのだろうけれど、やはりこの世界でも基本的に参政権は男性だけのもの。
女性が統治を行う事は妨げられていないけれど、議会への投票権とかは無いのだと聞いた。
以前、罪を犯して当主が投獄されたドルガスタ伯爵家は、今は夫人が代わりに統治しているので参政権はないらしい。
「宴には来ますから気を付けるのですよ」
お母様はそう言っていたので、気を付けるけど第一皇子派閥を追い出されて、今は第三皇子派閥に守られているので逆に優しくして取り込んだ方がいい気がする。
十八の領主と大貴族。
今日はその本格的な顔合わせの日になる。
「今日の宴では特に料理と言えるものは出ません。
談話用のテーブルや茶菓子はありますけどね。
基本は大祭の最後、其方がお披露目された舞踏会と同じです。互いに会話をして挨拶を交すもの。
貴女は最初と最後に主役としてリオンと踊って、後は諸侯からの挨拶を受ければいいのです。
よもや覚えた大貴族達の名前やその他、忘れてはいないでしょうね?」
控えの間で最後の身支度を整えて貰う私に、お母様が釘を刺す。
「だ、大丈夫です。覚えてます。
多分」
「多分?」
「いえ、覚えてます。バッチリ」
領地と、御当主の名前がややこしいから大丈夫、とは言い切れないけれど、多分忘れてはいないと思う。
領地の名前は食材と組み合わせて覚えた。
トランスヴァール伯爵領は海産物の宝庫、ハルトリーゲル伯爵領はナーハとパータトが良く採れるってね。
「それならよろしい。
菓子や化粧品については即答してはいけませんよ。
其方は権利者で考案者ではありますが、権利者はゲシュマック商会とシュライフェ商会。
そちらに任せてあるとしなさい。作り方を教えるなどは厳禁です」
「はい。解りました」
私が全ての知識を持っている、と言ってしまえば私を囲い込んで自分の物にしてしまえば、付随する全てを手に入れられる。
そう思うドルガスタ伯爵やタシュケント伯爵のような人物がいないとも限らない。
というか、むしろいる。
お母様は言い切った。
「貴女は女で、子どもですから。
痛めつけて身体を奪えば、簡単に言う事を聞かせられる。
そう思う愚か者は少なからずいるでしょう。そんな事をすれば罪を認めるようなものなのですけれど、タシュケント伯爵家のように
『誠実と愛』
で其方が自分から来た、と言い張れると思うのかもしれません」
今回は名前を覚えるのが精いっぱいだった前回と違い、お母様付きっきりで
第三皇子家と友好的でそういうことは絶対しないだろう人。
荒事はしてこないだろうけれど、地位やお金に目が眩むかもしれない人。
強硬手段をしてきかねない人などを教えて頂いた。
当然だけれど、第三皇子派閥の人よりも、第一皇子派閥の人に危険度が高い人が多い。
注意して、そう言う人たちを丸め込める方法を考えないと。
「とにかく、してはいけないのは卑屈になる事。
人によっては庶出の婚外子と蔑みをかけて来る者もいるかもしれませんが、気にせず顔を上げていなさい。
貴方は紛れも無い第三皇子の娘で、皇王陛下が認知した皇女なのだ、と」
「はい」
好き嫌いを顔に出さず、ニッコリ笑顔で相手が望む答えを読み取って返す。
うん、大丈夫だ。
そういう人あしらいは前世で慣れている、と思う。
「では、そろそろ行きますよ」
舞踏会そのものはもう始まっている。
けれど、主賓皇族があんまり早く行っては歓談や交流の妨げになる。
大聖都の舞踏会と同じように開会の合図があるわけではないので、適当なタイミングを見計らって皇族は入るものらしい。
その辺のタイミングは私には解らないので完全にお父様とお母様にお任せしてついていく。
大広間の扉が開くと、周囲の空気がざわりと動いたのが解った。
会場に集まる紳士、淑女達、その視線が一斉に私達に。
より正確に言うなら私に向かっている。
うーん。怖い。
リオンやカマラ。ミーティラ様にミュールズさん。
それに今後影武者をしてもらう都合上、場数を踏んでおいた方がいい、ということでノアールも着いてきている。
大貴族は十八人でもその奥方、子弟、側近や護衛などがいるからやっぱり百人を超えるかなりの人だ。
大聖都での舞踏会よりも人が多い気がする。
ドキドキが止まらない。
と、そっちに気を取られていたせいだろう
足がもつれてしまった。
(しまった! 倒れる)
そう思ったのだけれど、腕がくいっと引かれて体勢が戻る。
見ている人たちには少しぎこちなく見えたかもしれないけれど、衆人環視の前で転倒、なんてことは免れた。
「…ありがとう。リオン」
「気を抜くなよ。まだ始まってもいないんだから」
うん、と小さく頷いて私は背筋を伸ばした。
背中を丸めてはいけない。
まっすぐ前を向いて。
何度も教わってきたことだ。
前方の一角に場をとってホッと一息。
勿論息をついている余裕などないのは解っているけれど。
だって、私達が落ち着いたと思ったと同時、次から次へと大貴族達が挨拶に来るから。
「エルトゥルヴィゼクス。ライオット皇子。
今年もどうぞよろしくお願いする」
まず、最初にいらしたのは穏やかな目をした五十代くらいの男性だった。
パッと見、お父様と同じ年くらいに見えるけれど貫禄とかはこの方の方が上だ。
っていうか、この挨拶、本当に利用範囲が広いんだね。
新年や乾杯の挨拶だと思ったけれど、久しぶりとか、始めましての意味にも使えるんだ。
今年、最初に出会った訳だから違和感もない。
「エルトゥルヴィゼクス。パウエルンホーフ侯爵。
今年もどうぞよろしくお願いします」
お父様が頭を下げたので、私達もそれに従う。
「マリカ。この方はパウエルンホーフ侯爵 カウルトゥス様。
皇王妃様の弟君に当たられる。私の叔父上だ」
「エルトゥルヴィゼクス。パウエルンホーフ侯爵。
この度は有能な部下をお貸し下さいましてありがとうございます。
ミリアソリスの有能な文書作成能力や情報処理能力には旅の間、とても助けられました」
「これはこれは、丁寧な御礼いたみ入ります。マリカ姫。
私がミリアソリスをお貸ししたことを、御記憶下さっていたとは。
やはり、皇子の血を引くだけあって優秀でいらっしゃる」
パウエルンホーフ侯爵は目を細めて褒めて下さった。
とりあえず、初対面としては及第点を頂けただろうか?
「姉上のコネを使って、第一陣の研修に料理人を紛れ込ませて貰っているのですが、休暇の度に戻ってきて披露してくれる『新しい味』はどれも素晴らしく、堪能させて頂いております。
早く合格を貰って帰ってきてほしいものだと、郷の者全てが待ち望んでいるのですよ」
「パウエルンホーフ侯爵家の研修生さんはとても優秀だと聞いております。
合格もそんなに遠い事では無いでしょう」
「そうであって欲しいものですな。
今日の宴に出されている菓子にも大貴族達は皆、目を見開いておりますよ。
クッキー、パウンドケーキ、チョコレート。
早く自領でも味わいたいものです」
確かパウエルンホーフ侯爵家の料理人は、おっしゃる通り一番に送り込まれた研修生の一人だった筈だ。
二級合格者でもある。
研修生の半分以上が既に二級に合格しているけれど一級の試験に合格して郷里に戻った人は実はまだいない。
三十種の料理を作れるようになっても、できるだけレシピを学んで帰りたいという思いが強いみたいだ。
一期ごとに滞在費が取られるから、夏の終わり頃には多分、戻る人も出てくると思うけれど。
「我が領地はロンバルディア領程ではありませんが肥沃で農業に向いているようです。
今年は麦とエナを本格的に育てるように命じ、かなり良い手ごたえを得ています。
収穫後にはエクトール荘領外で初めてとなる麦酒の醸造を王都の酒造局と共に行う予定。
せひとも今後ともより良い関係を賜れれば幸いです」
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願いいたします」
私は侯爵とそんな食に関する話をして、お母様は御夫人と美容品の話をしたりして、私の皇女としての初挨拶は終了。
「まずまずといったところかしらね」
「パウエルンホーフ侯爵は国全体でも一二を争う大領地の主だ。
できればいい関係を続けていきたいから、機嫌を損ねるなよ」
第三皇子派閥のトップなんだって。
うん、仲良くしていきたい。
その後、やってきて下さったのはトランスヴァール伯爵 ストゥディウム様。
「エルトゥルヴィゼクス。皇子、姫君。
夏を待ちかねておりました」
鮮やかに微笑むストゥディウム様は去年より数段生き生きとしている。
「ゲシュマック商会との海産物取引のおかげで、我が領地は本当に数百年ぶりの活気で溢れているのです」
「こちらこそ、ビエイリークからの海産物のおかげで『新しい味』はますます進化しております。
感謝の念に堪えません」
ビエイリークが貝や魚だけではなく、昆布、てんぐさを水揚げしてくれるようになったおかげで、昆布だしと寒天が料理に仕えるようになった。
昆布でとった出汁はエルディランドなどでとても好評だった。
醤油が仕えるようになったので特に和食風料理との相性が抜群だ。
最近ではビエイリークでも海産物の使用研究が始まっているという。
魚醤や鰹節、鮪節などが完成したらさらに味が深まると思う。
楽しみでたまらない。
「それでマリカ姫。どうか、こちらをお納め頂けないでしょうか?」
「え? なんでしょう?」
差し出された布張りの小さな木箱を私はそっと開けてみた。
「うわー、キレイですね~」
それは一粒真珠のペンダントだった。
10ミリ以上はありそうでおっきい。
歪みの無い真円。白にピンクの宿った優しい色合いが夢見るように美しい所謂桃色真珠と言われるものだった。
「近年でも滅多に見ない名品だと自負しております。
どうぞお納めいただけないでしょうか?」
「私のような子どもがこんな見事な真珠を頂いてもいいのでしょうか?」
「我が領地に光を当てて下さったお礼です。どうかこれからの諸国旅行などで姫君の美しさを引き立てるお役に立てていただければ嬉しく思います」
こんな高価で美しい真珠を手にしたことなんて向こうの世界でもない。
どうしよう、と後ろを振り向くとお父様とお母様が頷いて下さった。
貰って良い、ってことなのかな?
「では、ありがたく頂戴いたします。大事に使わせて頂きますね」
私は木箱をそっと胸に抱きしめる。
向こうの世界で趣味の彫金をしていた時に、真珠を使ったデザインをした時があったけれど、こんなにいい真珠じゃなかった。
バロックの安い奴で。
あ、そうだ。
「ストゥディウム様。そちらではバロック…真球でない真珠は、どうなさっておいでですか?」
「形の歪んだもの、ですか? 加工して少し安めに売りだしたりしておりますが…」
「商品にしないもので構いませんので今度見せて頂けませんか? ちょっとやってみたいことがあって…。
勿論、買い取ります。適正価格で」
「? 解りました」
「…こら、また、何をするつもりなの?」
「な、内緒です。でも、変な事はしませんから」
私とストゥディウム様の会話を聞いていたお母様が眉を上げる。
けど、これは内緒だ。
ずっと考えていた事ではあるけれど。
そんな風に会話を楽しんでいるうちに、BGMの曲調が変わった。
宴の中盤。
大聖都と同じ、円舞曲のイントロだ。
大広間の中央に、比較的若く見えるカップルが集まり出した。
「ほら、行ってこい」
お父様が、私の背中を押し出す。
私としては会話をしている方が気が楽なのだけれど、今年、今回はどうしても逃げられないらしい。
去年は怪我をしていたから勘弁して貰ったけれど。
「リオン、お願い」
「はい」
さっきとは違う騎士モードになってリオンは私の手を取ってくれる。
この手があれば大丈夫。
私はリオンと一緒に広間の中央に進み出た。
楽師席を見ると、最前列でアレクが手を振ってくれている。
よし、いい感じに肩の力も抜けた。
私はリオンの手を取って、踊り始める。
この国で最初のダンスを。
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