子ども達が寝付いた夜、私達は魔王城の一室で意見交換会を始めた。
議題は主に各地で見つけた素材とその活用法について記された精霊古語の書物について。
「石油にナフサ、プラスチックに化学繊維ですか。
本当にこの世界は中世異世界に見せかけてとんでもないものを隠していますね」
「ナフサとプラスチックっていうのは私が勝手につけちゃった名前ですけど」
「他に表現しようがないから、いいのではないでしょうか?」
私達のお土産を見て、クラージュさん。ううん。
異世界転生者 海斗先生は感心と驚きが入り混じったような声を上げた。
「これはポリエチレンとかナイロンとかにあたるものでしょうか?」
「そうかもしれません。私には詳しくは解りませんが海斗先生は違い解ります?」
海斗先生の首は横に振られる。
「解りません。そもそも現代日本人が石油の精製分離はともかく、石油化学製品の作り方なんて素で理解はしないでしょう?」
「ですよね。既存の繊維よりも丈夫に作ることができ、精霊の力を被せることで、より強度を高めたり、特別な性質を持たせたりした繊維を作ることができるようです」
「これは繊維だけでなく他の物質にも応用ができるのでは?
例えば普通の武器防具や、衣類などにも精霊の力を纏わせることで丈夫にしたり防炎、防水など効果を与えたりとか。どう思いますか? フェイ」
海斗先生の問いにフェイは少し困ったように笑う。
「できるかもしれませんが、少ない魔術師が複雑な術式を使って行う事ですからね。
手を抜いたり未熟な術師がやると効果が途中で切れたり、品物に負担をかけてしまうことも考えられますし。
ヒンメルヴェルエクトで作った布は、自分で言うのもなんですがレベルの高い魔術師が総出の本気で作ったものですから最高級品質だと思いますが、あれと同じものを作り売ろうと思ったら材料代込みで金貨が必要になるかと」
「やっぱりそれなり腕の人がちゃんとしたものを作ろうとすると、手間やお金はかかるし、必要だよね」
フェイの言い分は理解できる。
『精霊の力』は誰もが持っているというけれど、それを使うことができる才能の持ち主は多くは無い。
不老不死世では尚更。
特別な技術の持ち主は守られるべきだと思うし、安売りしていいものでもないとは思う。
技術というのは習得するのも、守るのもタダではないのだ。
「とりあえず、様子見かな。
ヒンメルヴェルエクトは精霊術無しでの石油の精製加工に取り組んで下さるって言うし、普段に使う分には精霊術全部盛りの高級布なんてそういらないと思うから特注で作る高級品でいいと思う」
「だったら、本当に俺のじゃなくお前のを……」
「いいの。私はリオンに守って貰うから」
「マリカ……」
自分で言った後、頬が少し熱くなるのを感じた。
ああ、もう!
そんなこと気にしている場合じゃないし。
「クラージュさん。私が留守の間、魔王城に魔性が来たとかありませんでしたか?」
「私がいる間は無かったように思います。
日中アルケディウスで仕事をしている時は解りませんが」
「エルフィリーネ?」
私は同じ場にいながらも一切口を挟まずに、私達を見守るエルフィリーネに声を向けた。
彼女は余計な事は言わないけれど、私達の話はちゃんと聞いているし、疑問を投げかければ、言えないことでない限り適切に答えてくれる。
さっき、思わず赤面した私の事を見る眼差しは心なしか楽し気に見えたけど。
「特にございません。マリカ様が戻られて以降、結界も強化しておりますから、早々魔性が近づくこともございませんし」
「そんなことしてくれていたんだ?」
「魔王城に主と住人が戻ってからというもの私には『気力』が溢れておりますので。
島と城に不埒モノを近づけないくらい、容易い事でございます」
「それは、精霊の『魔法』? だっけ?」
「はい。精霊自身が使うことを許された術が魔法。
自分の許された範囲内で、できることしかできませんが」
この世界の所謂魔法は三種類。
精霊から強制的に力を引き出す精霊術、
精霊自身が使う魔法、
精霊と術師が力を合わせて行う精霊魔術
がある。と随分前に聞いた。
「エルフィリーネは、城の維持の魔法に使う『気力』を私達住人から取っているの?」
「取っている、というと人聞きが悪いですが、はい。
この城で健やかに生きる住人の意思や、想い、感謝の気持ちが私の城を護る力の源でございます」
愛され、必要とされることで道具は力をつける。
付喪神なんて話も向こうではたくさんあった。
きっとエルフィリーネはそんな感じの精霊なのだろう。
あ、そうだ……。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
私はエルフィリーネに向かい合う。
「お応えできることであれば」
「『魔王』を名乗る存在が現れて、世界を再び蹂躙して、私を手に入れるって言ったの」
「聞いております。シュルーストラムなどから、おおよそは」
「『魔王』は実在した『神』の端末で今はもういない。失われたって前に言ってたよね?」
これは以前、エルフィリーネと私が二人きりで話したことだ。皆は知らない事だから共通理解しておいた方がいいと思う。
「はい。原初の『魔王』は既に失われており『神』の元には無い筈です。
ですが、五百年の時間と不老不死者から奪った『気力』がありましたので、もしかしたら複製のようなものを作ることはできたかもしれません」
「複製の『魔王』……」
「はい。それを人間『偽勇者』と呼ばれる人間の子どもに被せ、自分を『魔王』だと思わせたのかも……」
「そういう事ができるんだ」
「はい」
エルフィリーネは素直に頷く。
「一種の暗示と思われます。
『神』は『維持』と『移動』そして、変化の技を得意としていますので人々から吸い上げた力で魔性を作り出したり、人間を作り替えたりすることは不可能ではありません。
どの程度まで変えられているかは見てみないと解りませんが……」
「オレは『魔王エリクス』を直接見てないからなあ」
「そっか。それじゃあ、私にも責任があるかな?」
「マリカ?」
「どうしてマリカに責任があるんですか?」
思わず私の零した呟きにフェイが声を荒げている。
眉根を上げて私を見るまなざしは怖いくらいだ。
「だって、礼大祭で『神』に力を送ったの私だもの。
それにエリクス君の求愛、拒否って落ち込ませたのも。
それが原因で自棄になったところを『神』に付け込まれたんじゃないかなって……ずっと思ってたんだ」
エリクス君は大神殿にとって、最初から噛ませ犬、狂言回しだったのだろうということはもう解っている。
お父様やリオンをおびき寄せ、動かす為の餌。
能力や気位の高さを利用された可哀そうな子。
そして今、自分自身を手放し、傀儡として利用されている。
「マリカ様が気に病む必要はないと存じます。所詮偽物ですし、大した力は無いでしょう」
「エルフィリーネ」
「仮に魔王と名乗るその存在が、魔王城に攻めてきたとしても返り討ち。
悪くしても侵入を防ぐくらいの事はしてみせます。マリカ様の治めるこの城に汚い手は触れさせません」
憐憫の色が全く見えないエルフィリーネ。
彼女はいつも、どんな時も揺るがない。
私がこの城を守り収めている限り。
「そうですね。エルフィリーネのいう通りです」
フェイが頷く。
「例え彼が堕ちた理由が、マリカのいう通りだったしてもあの結果は彼が、エリクスの弱さが招いたことです」
「でも……彼を救う方法は無いのかな?」
「あそこまで汚染されていると、精神と魂を身体から引きはがして、浄化するしかないと思います」
「クラージュさん……」
冷静に、冷酷に、戦士としての判断を精霊国騎士団長も口にする。
「それは……殺すという事ですか?」
「そうとも言いますね。かつて、私は『魔王』と『精霊の貴人』の最終決戦に立ち会いました」
「え?」
「そして多くの犠牲を払って打ち倒された『魔王』の魂を『精霊の貴人』と『星』が封印、浄化するのを見ましたから……」
「前魔王は『精霊の貴人』に倒されているんですね?
じゃあ……」
「本人が『魔王』の人格を否定し振り払えば。
生まれながらの『魔王』ではなく『魔王』、の役割を被せられているだけならばよもや、ということもあるかもしれません。どちらにしてもかなり難しい事ですが」
クラージュさんの言葉に、私は考える。
家族や大事な人がエリクス君にいれば助けられるかもしれない。
その人物の呼びかけで闇から目覚め、心を取り戻す。
というのは向こうの世界の物語の定番だもの。
でも、大神殿で『偽勇者』として自らを偽ってきた彼に、そんな人がいるだろうか?
「とにかく、やっぱり新年の『神』との対決が山になる。
今の『魔王』が『神』の手駒なら間違いなく引っ掻き回しにくるだろうし、大神殿も『神』も何らかの動きを見せて来るだろう」
「『魔王エリクス』の狙いはマリカ。君です。
『神』の命令だとしても、本人の執着からだとしても必ず、彼はマリカに手を出してくるでしょう」
リオンの言葉をフェイが引き継ぐ。
「彼にも救いを。そう願う君の優しさは否定しません。
ですが僕にとってはマリカやリオン。皆の方が大事ですから、次にエリクスが現れ、僕達の前に立ちふさがるなら一切の躊躇なく叩き潰すつもりです」
「私も……同じ意見ですね」
「クラージュさん」
「かつて真実の『魔王』討伐に立ち会い、共に戦い、その『終わり』を見届けた私には新たなる『魔王』が生まれたらそれを止める責任があると思っています。
全ての責任と罪は私が負いますよ」
「そんな……」
「マリカ。エリクスの事は俺に。俺達に任せてくれないか?」
「リオン?」
リオンは私を見つめ、微笑む。
その表情は凪ぎの湖面のようで静かで澄み切っている。
「あいつが『魔王』に成った責任がお前には一切ない。むしろあるのは俺だ」
「どうして?」
「あいつを取るに足らない存在と向き合わなかった。見下した。
自分の背負うべき責務、いや、呪いをあいつに押し付けた。
俺は勇者としての罪と立場から逃げるべきじゃなかったんだ。
奴がその重さに押しつぶされ、逃げ出し、結果『魔王』の役を被せられたのは俺の責任だと思う」
「それは……」
「だから、決着は俺が、俺達がつける。
できるなら、救えるように全力を尽くす。だから、マリカはマリカの信じる事。必要だと思う事。やるべきことをやってくれ」
「リオン」
「大丈夫だ。俺は一人じゃない。一人で戦って逃げるような事はもうけっしてしないから」
「誓ってくれる?」
『『星』と『精霊』とマリカの名にかけて』
私の手を取り、甲にそっと口づけてくれら。
リオンは精霊だけど、嘘つきだ。
私達を、皆を護る為には隠し事もするし嘘もつく。
でも、今の言葉と誓いは嘘じゃない。
露に濡れたような、透き通ったリオンの双眸を見つめ返してそれが解ったから。
「解った。リオン。エリクスの事はお願い」
「ああ。……先輩として、あいつをこっちに連れ戻して見せるさ」
私は託すことにした。
勇者に、偽勇者の命と、未来を。
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