何を考えているか解らない。
こいつを前にそう思ったことは、少なくなかった。
いや、こいつの行動を我が弟ながら理解できたことなど、一度も無かったと思う。
でも、その中でも今回は極め付けだ。
「俺は、皇国を変えていきたいと思っている。
興味のあるやつはのってみないか?」
そう言って手を伸ばす奴は、明らかに私とは違う生き物として、違うものを見つめていた。
皇国の夏の大祭は今日で最終日を迎える。
例年、アルケディウスでは夏と秋の戦いの後に行われるこの祭りは、実は所領の者達が集まり会議を行う社交の場でもある。
大祭を理由に普段は各領地の統治を行う貴族が集まり、情報を交換し、今後について話し合う。
女達には女達の社交があるように、男には会議があって、税収や国の方針について意見を交わし合うのだ。
とはいえ、例年だったら大した何かがあるわけではない。
何せ誰もが不老不死を生きる世界なのだ。
1年経とうと、50年経とうと、500年経とうとどの国も同じ王が同じ統治を行っている。
国と国の間には本気で行われる領土侵略の戦はない。
魔性などが現れる事も稀。
反乱などもほぼ皆無。たまに盗賊などが現れるくらい。
新しい何かが起きる事も無いから、地領の様子や産業について軽く話し合って、税の割合を決めて、後は狩りの話や、ゲームなどをして終わりだ。
戦に勝てば、戦の様子なども話題になるが今年は敗戦。
領主たちも戦の事を話題にはしないだろう。
だが、奇妙な事に今年は様子が違った。
会議が始まって早々に
「ケントニス皇子 今年の宴席の料理はどのようなものですかな?」
大貴族。
領地を治める一人、ロンバルディア候がそんなことを聞いてきた。
「料理の差配は妻に任せているので詳しくは知らぬ。
ただ、何やら変わったモノを用意するつもりのようだ」
私はそう答える。
本当に知らぬのだから、そう応じるしかない。
「それは、楽しみですな。
実は、少々楽しみにしておるのです。最近噂に名高い王都の新しい料理とやらにありつけるのではないかと」
少し目を見開く。
会議の議題もそこそこにそんな話をふってくる楽し気な眼差しはとても大貴族とは思えない。
「新しい料理? ライオットが持ってきたアレのことか?
確かパウンドケーキとかいう…」
開戦の宴は、皇族など内輪の者が主体であったので諸侯は出された料理を食してはいない。
確かに珍しい菓子が出されたが、私は甘いものが好きではなかったこともあってあまり興味を持ってはいなかった。
何より、ライオットの差配だったのだ。食べる気にもならなかったというのが正しい。
アドラクィーレや他の者達はとんでもない形相をしていたが。
「そう、それでございます。
ここ1年余り、王都では『食』が新しい流行になっていると聞いております。
特に庶民の間では、食べると力が湧き、世界が変わるとまで。
我が領地の商人も、この祭りで何か手がかりを、と動いているようです」
「それは大げさではないのか?
まあ、モノを食べると力が出る、ということを否定はしないが、それでもたかが食い物、であろう?」
「たかだ、食い物、されど食い物…ということだ。兄上」
「…ライオット」
私は鷹揚に顎を撫でながら笑う弟をねめつけた。
会議の最上段は私、その横に第二皇子トレランツ。
ライオットの席は、そこからさらに一段下がった臣下の席になる。
不老不死の世界、王位継承の可能性は無いに等しいが、それでも私が第一王位継承者。
第二位がトレランツだ。
ライオットは第三位であり、城を出て独立している。
正式に継承権の放棄はしていないものの、政務の事実的な執行を担当しているので臣下に下ったも同然の立場だ。
なのに、この弟は我々に全くと言って良い程、畏敬の念を見せない。
外見だけは父を思わせる威風を漂わせているが、内面は全く子どものようなものだと知っている。
皇族が実際に政治に入って何の意味があるのか。
変わらぬ政ごとなど官僚達に任せておくべきなのだ。
まったく、あきれ果てる。
「食い物など、この世界には不用のものだ。無くても500年、何の不自由も無かったのだからな」
私の言葉にけれど、頷く者はそう多くは無い。
部屋の様子を見回し、ライオットは口角を上げると軽く手を叩いて見せた。
すると数名の使用人が議場に入って来て、会議の列席者の前にお辞儀をしながら小皿を置いていく。
白地の小皿には、薄黄色の板のような者が数枚ずつ乗せられている。
「ライオット、これはなんだ?」
「なじみの店から預かって来た。クッキー、という菓子だそうだ。
この大祭で売り出し、大人気だという。
美味いぞ」
怪しいものを見るような大貴族達の視線を気にも止めず、奴は会議の最中だというのに、ばくばくと皿に手を伸ばし菓子を口にする。
「別に無理強いはせん。食いたいようなら食えばいい」
誰がまともな毒見もしていないものを、と私は嗤笑したのだが、
「ほう、これは美味」
「ロンバルディア候?」
「ライオット皇子様、この材料はなんでございましょうや?」
さっき、私に食べ物の話題を振ったロンバルディア候が手に取り一口。
途端に目を大きく開いて、ライオットに尋ねる。
「基本は小麦、砂糖、牛乳、卵だそうだ。
あとはこっちのクッキーにはミクルの実を刻んだものが混ぜ込んである」
「たったそれだけの材料でこのような味になるのですか?
ふむ、さくさくとした感覚が心地よい」
夢中になって食すロンバルディア候は大貴族の中でもそこそこ高位に位置する。
彼に影響されて他の者たちも興味を持ち始めたようだ。
手を伸ばす者が増えて来る。
「これはこれは」「新鮮な味ですな。どのようにして作るものやら」
「皇子はご存知で?」
「クッキーのレシピは詳しくは知らぬ。
『試供の品なのでもしよろしければ。諸侯の皆の口に合うかどうか、試して欲しい』というのでな」
商人の口車に乗って大貴族達に怪しいものを食わすなど、と心底呆れたものだが諸侯の目は、ここ何百年と見たことのない程に真剣だ。
真剣にクッキーとやらを見つめ、口にしている。
「…これは…」
「トレランツ?」
しまいにはトレランツまでも口に運び始めた。
「…兄上」
ごくりと、一枚を飲み込んだトレランツはその緑の目で伺う様に私を見て言う。
「パウンドケーキの時、悔しいながらも、実は私も驚いたのです。
食べ物がもつ、味、というものに…。
まるで目が醒めるようだ…。これが、美味…というものなのか」
「お前まで、何を…?」
「兄上は、甘味というのをあまり好まぬようだが、普通の者にとってはこれがなかなか侮れぬ魅力的なものなのだ」
皆、ライオットの言葉に頷くような様子を見せている。
自分以外の全てが解っているのに、自分だけ解らない。
それが腹立たしくて、小皿の上のクッキーとやら、その一枚を口に運ぶ。
「!」
同時、確かに私は理解した。
思えば普通に宴席で料理を口にした時も、似たようなものを感じたことはあったかもしれない。
でも、不思議に何かが違う。
目が醒める、美味。甘美な愉悦。
トレランツの、そして皆の言葉と執着の意味を、その時私は、初めて理解した。
諸侯やトレランツの反応にライオットは悦に入ったというように、ニヤニヤとした笑いのまま腕を組んで皆をねめつける。
「皆。
この味が日常に楽しめる、としたらどう思う?
無論、甘さだけではない。
噛めば噛むほどに旨みがぎゅっと凝縮された肉。
クッキーよりもふんわりと焼かれたパンケーキ、という菓子は口の中でふわりと蕩けるだろう。
肉と野菜の旨みが溶けだしたスープの塩気と混じりあう甘やかさ。
祭りや特別な時以外には、口にすることさえ考えなかった食事を、日常に楽しむことを、どう考える?」
皆が息を呑みこんだのが解った。
それは、この500年。
誰もが忘れ、考えもしなかったこと。
新しい、可能性の示唆、だった。
「王都に食を齎したガルフの店には、俺も一口噛んでいる。
既に下町では、受容と供給が間に合わぬ程の大人気でな。
早く貴族街に商業展開しろと言ったら、材料が足らんとぬかしおった。
なれば、皆を巻き込むのもアリかと思ったまでだ」
何を考えているか解らない。
こいつを前にそう思ったことは、少なくなかった。
いや、こいつの行動を我が弟ながら理解できたことなど、一度も無かったと思う。
でも、その中でも今回は極め付けだ。
「どうだ? 領地の食材を漁ってみる気はないか?
現物は高く買い取ると言っていたし、定期的、かつ恒常的な仕入の権利を得られるのなら、作り方を教えるとも言っていたぞ」
「それは、このクッキーもですか?」
クッキーをすべて平らげたパルティ―レ家の当主の伺うような目ににやりと笑って、ライオットは頷いて見せた。
「クッキーだけでなく、パウンドケーキも、菓子以外の料理も、だな。
俺はティラトリーツェの砂糖の専売権利と引き換えて、のことではあるが、菓子だけではなく肉料理、スープ、魚料理、野菜料理、全てのレシピと料理人を預かっている。
興味のある奴には大祭後、振舞ってやろう」
ごくり、と大貴族達の喉が鳴る。
「俺は、皇国を変えていきたいと思っている。
今よりも、もっと面白い国に…な。
どうだ? 興味のあるやつはのってみないか?」
そう言って手を伸ばす奴は、明らかに私とは違う生き物として、違うものを見つめていたのだった。
返事は晩餐会の後でいい、と奴は言う。
晩餐会の手配はアドラクィーレだった筈なのに、と思った私だったが、どうやらあれは奴の策に良い様に使われたらしい、と気付くのに時間はかからなかった。
馴染んだ、ありふれた料理の数々。
けれど、最後に出された菓子、パウンドケーキとピアンの氷菓だけは、驚くほどに美しく美味で、明らかに浮き上がっていた。
たかが食い物、されど食い物、と笑った奴の言葉が頭の中で回る。
甘いものは好まないが、確かにこの味、いや感覚は衝撃的だ。
「まあ、冷たい?」
「素晴らしいですわ!」「甘やかで、口の名で蕩けて…こんなの始めです!」
「どのように作られましたの?」
「二色の味わいの違いはなんです?」
三々五々目を輝かせて問う婦人達。
大貴族も味わう目がギラついている。
「…確か、これは、ピアンの砂糖煮を加工して魔術で凍らせたもの、と…。
この宴席の為に私の料理人が新しく考案したもの…ですわ。味わいの違いは…確か」
彼女らの迫力に、浮足立つアドラクィーレに
「あら、アドラクィーレ様、ガルフの店から買い取った調理法であることはちゃんと伝えた方がよろしいですわよ。
まだ並の料理人では扱いきれませんでしょうに…」
あいつの妻、外様の皇子妃は薄い笑みを浮かべ正しい料理法を語ってのけたのだ。
「まあ、手が込んでおりますのね。生の果物を使うのですか?」
「でも、果実と砂糖さえ手に入れば我が領地でも作れそう。
ティラトリーツェ様、砂糖の入手に口を効いて頂けます?」
「残念ですが、砂糖の流通はガルフの店に預けてしまいましたの。でもお力にはなれますわ」
嫣然とした態度とその流れに、明らかな役者の違いを私は感じる。
おそらくは全て計算ずくで…。
パウンドケーキを後ろに下げながら、アドラクィーレを奴らは惹き立て役にしたのだろう。
自分達の目的の為に…
「面白い事を始めたようだな。ライオット」
「お許し頂けるのであれば、この国に新しいものをお見せできるでしょう。父上」
「お前が久しぶりに本気を出すというのなら、好きにやってみるがいい」
普段、王宮の最奥に座し、皇子達でさえ滅多に会話を交わす事も無いアルケディウス皇王が、珍しくも楽し気にそう言ってのける。
政務の殆どから退き、最奥に座す彼が、かつて愛した第二夫人の色と、自分の気質を受け継いだ第三皇子に甘い事を誰もが知っている。
だが、それを指摘する者は誰もいない。
誰もが期待に目を輝かせている。
「父上!」
私以外には。
「500年の変わらぬ平和は、誉あることではあるが、少々飽きも来る。
貴様らもやりたいことがあるのならやってみるがいい。どうせ世界は変わらぬ。多少の刺激は歓迎するところだ」
声にならない歓声が宴席に響く。
永世の世に倦厭していたのはどうやら諸侯も同じなのかもしれない。
皇王の勅許に顔を輝かせて細君や、ライオットとの会話を始めた。
会議の時よりもよほどに瞳を輝かせて。
話題から。
時世から自分が置いて行かれたように思えて苛立った。
戦で負けた時にも、これほどは感じなかった悔しさ。
不思議なものだ。自分はどうせ永遠に王になれない第一王位継承者。
それを認め、諦めていた筈なのに、こんな感情はどのくらいぶりだろう。
負けたくない。
負けるものか、と私は思った。思えたのだ。
「ライオット!」
「貴方?」
隣の席で、アドラクィーレが声を荒げた私を見て、怪訝そうに首を傾げる。
テーブルの対岸では奴が
「なんだ? 兄上?」
笑って見せた。
その笑みは思うよりも鮮麗で曇りが無い。
「…待っていろ! 直ぐに追いついてやる!」
自分で言っていても意味が分からない。
なんでそんな言葉が口をついて出たのかも。
だが奴は、ほんの少し目を剥いてのち、全て解っているというような、いつもの苛立つ笑みで言ってのけたのだ。
「ああ、待っているとも…兄上」
と。
この大祭を機に、アルケディウスは動き始める。
変わり始める。
500年の時を超えて。
後に、世界そのものを変える、そのきっかけが、一つの果実、小さな果実であることを、まだ気づいている者は殆どいなかった。
皇国の大祭 三日目 三部作、です。
視点は第一皇子 ケントニス。
小物ですが実は彼そのものはそんなに悪役では無かったりします。
食によって変わっていくアルケディウス。
ケントニス皇子が本当に変わっていくか、置いて行かれるかは彼次第ですが、ライオット皇子には他にやることや活躍どころがあるので、頑張ってほしいものです。
次話は仕掛け人マリカの視点 皇国の晩餐会とその周辺の思惑。
宜しくお願いします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!