もうすぐ、アルケディウスの大祭が終わる。
店の、俺達の、俺のこれからを大きく変える三日間が。
思い返せば不思議なものだ。
俺が店を出してまだ一年。
あの方と出会って実はまだ二年と経っていないのだ。
この二年は無為に生きていた五〇〇年よりもずっと濃厚で強いモノだった。
本当に運命を感じずにはいられない。
もし俺が死を決意しなければ、あの島に行こうなどと考えなければ、俺は今頃、どうしていたのだろうか。
机の上には木板が積み重なっていく。
まだ処理してないものと、読み終わったモノを混ぜない様に気を付けなければ。
「旦那様、商業ギルドからの連絡でございます」
「見せろ」
俺はリードが持ってきた木板を受け取って目を通す。
「ギルドからはなんと?」
「大祭後から本格的に食料品部門を再開させる。
その部門代表を任せたい、とのことだ」
「それは、断るわけには参りませんね」
「ああ、大祭後本格的に食料品販売を広げるようになったら、今までの様に俺の店と協力店だけという訳にはいかないからな。
まったく、また仕事が増える」
木板に確認済みの印をつけて脇に寄せる。
まだ確認しなければならない事項や、やらなくてはならないことが山ほどある。
「大祭の売り上げはどうだ?」
「三日間で金貨十枚を超えました。材料費、人件費を抜いても純利益が金貨七枚近く。
これは驚くべき結果です」
普通の工芸品などの店舗で大祭とはいえ、一日の売り上げが金貨に届くなどということはまずない。
庶民であるなら金貨など目にする事さえ稀なことだ。
「大祭終了後は他国からのオファーも増えるだろう。
事務処理部門に人を多めに集めておけ」
今まではリードがほぼ一人で事務処理を行っていたが、問い合わせが増えるにつけ追いつかなくなってきている。
事務処理対応部門を本店に新設してやっと運用が始まったのは、大祭の直前からだ。
「はい。付け焼刃は否めませんが、なんとかなるかと。
各店舗の、条件達成者の中から優秀なものを移動させて、対処にあたっています」
「流石にここまで事が大きくなると、俺とお前だけでは対処しきれん。
改めて、マリカ様の先見の明には驚かされるが、店舗の運営、接客だけではなく経営などに携われる人間も育てて行かないとな」
マリカ様が計画、実施した人材育成計画のおかげで、文字の読み書き、計算ができるようになった店員も多い。
基礎がしっかりとしているから、本人達のやる気があればそれほど苦労しなくても、移行できそうに思う。
「はい」
「それから、大祭が終わって計画が予定通りに進めば、マリカ様は本店の運営から外さないといけないだろう。
後任は誰がいいと思う?」
俺はリードに問いかける。
今、マリカ様とフェイ様は王宮の晩餐会の手伝いに行っている。
もし彼女の予定通りに行けば、食の発展は国全体を動かす大事業になっている筈だ。
「アルかリオン様にお願いできれば一番いいのですが…」
「どちらも無理だな」
考えるまでも無い。リードも解っているだろう。
魔王城の子ども達を本店対応などという小さな仕事に縛るわけにはいかない。
「特にリオン様はマリカ様の護衛と、騎士資格の取得に入ることになる。
アルは貴族対応も必要な本店営業の矢面に出すわけにはいかないからな」
「ならば、ジェイドを表に出しつつ、アルにサポートを頼む、という形ではどうでしょうか?」
「そうだな。子どもを重く扱うという店の方針を指し示す意味でも良いだろう。
本店なら。多少失敗してもラールやアル、俺達がフォローしてやれる。
イアンやニムルも付けて子ども達に任せるとしよう」
解りました、とリードは頷いて木板に色々と書きこんでいく。
「本格的に国の方の対応が動き出すまで、マリカ様にフォローして頂けるとより助かるのですが…」
「お願いはしてみるが、マリカ様の仕事も山盛りだ。むしろこちらがフォローするくらいでないと」
「解っております。あと、シュライフェ商会からも確認の問い合わせが…」
「ああ、そちらの方が先か。早々に契約して丸投げしておかないと。
運用資金に困っている訳ではないが、あるに越したことはないし余計な面倒は早々に減らしておかないと」
「そうですね。大祭後は小麦の収穫もあります。本業以外に手を伸ばしている暇はありません」
大よその今後の方針を決めた後、俺は背中を後ろに伸ばし大きく伸びをした。
書類仕事でカチコチに固まった躰が、柔らかさと力を取り戻す。
「大祭が終われば店も一周年だが、新しい事をしている暇はなさそうだな」
「この店は、毎日新しい事がおきているようなものです」
「違いない」
愚痴の様に言いながらもリードの口元は緩んでいる。
この忙しい日々を日常としていける事を楽しんでいるのが見て取れて頼もしい。
「二年前の大祭では、私は軍に参加し、なんとか囚われず戻って来るので精一杯。
仕事を与えられ、自分の得意分野で旦那様のお役に立てる日が再びやってくるとは思ってもいなかった…」
「俺も似たようなものだ。日々に絶望し、死にたいと、死に場所を魔王城への道を探したことが今は夢のようだ」
無意識に、首にかけた精霊金貨に触れている自分がいた。
我ながらに呆れるほどの執念で、死を齎す滝つぼの噂を聞き、訪れ、そこでマリカ様に、運命に出ったのだ。
あの日の思いを、今も忘れない。
『俺を…必要と…してくれるのか?』
『はい、心より…』
「マリカ様といる限り、退屈している暇は訪れないぞ。リード」
「勿論、望むところ。王都の陰で膝を抱えるだけの日々に戻ることを考えたら、仕事に追われるくらいなんでもないことです」
「そうだな」
魔王に見込まれ、勇者アルフィリーガと共に世界を変える。
その快感を手放す気には到底なれない。
例え、第一皇子妃に睨まれようと、第三皇子夫婦が平気な顔で家に足を踏み入れようと、だ。
「とりあえずは、大祭の後の移動商人や商会との取引のガイドラインを作っておく。
出すよりも、入れる、を優先でだな。食料素材を集めて来る相手には優先して、燻製機とレシピの販売を行う、としておいてくれ。
燻製機の発注は進んでいるだろう?」
「大祭後に20 納品される予定です。販売価格は使い方とレシピ込で金貨20枚を予定しています。
原材料の納品が可能な商会には、半額提供、ですね」
「知識と、新しい技術の販売だからな。最初はそれくらいでいいだろう」
「ええ、おそらく燻製技術は食文化が世界に戻れば、真っ先に世界中に広まっていくでしょうから」
「小麦、果物、野菜類の残滓と確保の見込みについて、とにかく各商人から情報を集めてくれ」
「解りました」
トントン
「ガルフ、いいかな?」
「ああ、入ってくれ」
ドアがノックされ、許可と共にアルが入って来た。
「どうした?」
「王宮から、早馬。
まだマリカ達戻ってきてないのに」
差し出された小包を俺は慎重に開いて中から出て来た木板に目を通す。
「皇家はなんと?」
「マリカ様の計画通り、国は食料品扱いを国の産業とすることを決めたそうだ。
今月中にも皇家、大貴族を中心に料理人の育成教育が始まる。
ガルフの店は全面的に協力し、計画を立てろ、ということらしい。
…その代り、諸侯領地での食料品の残滓は調査され、集められ、店に優先納品される」
「やったな! マリカの計画通りだ」
パチン、嬉しそうにアルが指を鳴らした。
本当に、マリカ様の計画通りに事が進んでいく。
驚くほどだ。
レシピと引き換えにアルケディウス内の食料の優先確保、販売権を与えるという書類にリードが充足の笑みを浮かべている。
「まあ、レシピで儲けられなくなったのは残念ですが、レシピだけあっても料理はできませんからね。
食材の確保が叶うなら、まだ当面は当店の独占が続くでしょう」
『食を世界に取り戻させる以上、食材の独占を、下手な商会にさせる訳にはいかないんです。
食事は人々の生きる力、希望になり得ます。
将来の事を考えても、目先の利益よりも、食材の確保と権利を優先してください』
マリカ様の言葉が、頭の中に響く。
今回の大祭で実感したが、食料品販売は本当に世界を変える。
食は無くても人は生きていける。
でも、人間は、死なないだけでは本当の意味で『生きて』はいないのだ。
人の心に楽しみを、喜びを与えるもの。
心を元気づけるもの。
それが無い世界は、死んでいないだけで、生きているとは言えないことを今のおれは知っている。
あの方達に、教えて貰ったのだから。
「リード。皆はまだ残っているか?」
俺は顔を上げてリードを見た。
のんびりしている暇はない。
「本店の者と、大祭屋台の者達は残っていると思います」
「よし、支店の連中には、後で話す。
大祭の結果についてのフィードバックと今後の方針、そして新しい配置について知らせるから、と、皆を集めてくれ」
「解りました」
従業員の尊重と、情報共有の徹底はマリカ様にこれでもか、というほどに繰り返し指示されている。
怠るわけにはいかない。
「アルには相談がある。表に出してやれなくて悪いんだが…」
「表に出るばかりが活躍、じゃない。解ってるさ」
「ああ、頼りにしている」
俺がそう言うと、どこか照れた様子でぐちゃぐちゃと髪の毛をかきまわした後
「忘れるなよ。俺達も、あんたのことを頼りにしてるんだぜ。ガルフ」
アルはそう俺に告げた。
子どもとは思えぬ深い知性の宿る新緑の瞳に、彼も魔王城の子どもだと思い出す。
「解った。なら、その期待に全力で応えるとしようか…」
書類を精査し、いくつかの案件を纏めると俺はアルと共に部屋を出た。
パチンと頬を叩き、気合を入れて。
大祭は間もなく終わる。
けれど俺達の、世界を相手取る戦いは、ここからが本番なのだから。
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