風の一月 三の週 木の曜日。
「もしかしたら、落ちたかもしれません」
貴族区画での文官採用試験を終えて戻ってきたフェイは…明らかに顔色を曇らせてそう言った。
「どうしてだ?
お前が落ちる訳はないだろう?」
出迎えたリオンはの叱責交じりの問いに、フェイは苦みを噛みしめるような顔で哂っている。
フェイなりの冗談かと思ったのだけれども、どうやら違うようだ。
浮かない顔で目元を眉間を押さえるフェイはこの世界で初めて見る、という程に自信を失った顔をしていた。
文官試験、というのは年に一度王都で行われる官吏登用試験のことである。
この世界において貴族というのは…昔はどうであったか解らないけれども所謂国家公務員、あるいは官僚。
重要な役職に就ける人物を意味する。
土地持ちの所謂、領主職は大貴族と呼ばれていて、貴族の中から王が任命する形で選ばれていた。
大貴族は問題を起こさない限りは世襲制。
統治能力が無い場合には、交代もある。
その場合は貴族の中から王が新しく任命する。
まあ、不老不死になってからどの国でも滅多な事では大貴族の交代なんてないらしいけれど。
下働きを除く、王族皇族と会話できる立場の存在は、メイドや護衛騎士もみんな貴族か準貴族。
各皇子家の料理人さん達も準貴族であるのだという。
で、文官登用試験に合格すれば準貴族の地位を無条件で与えられる。
これは王宮で仕事が出来て、月金貨1枚くらいの給料がもらえて、地方領主の所では村長とかを任せられるレベルになる。
さらに特に優秀な存在は貴族として任じられることもあり、そうなると王家の側近とか、領主の補佐とかになったりする。
当然ながら日本で言うなら司法試験、中国で言ったら科挙レベルで難しく、年間採用は一桁以下、0の年もあるとか。
でも、普通の人も受かる試験。
魔王城と、市販の本と、第三皇子の好意でライオット皇子所蔵の本を読ませて貰ったフェイが落ちる筈はない、と私も思う。
何せ、フェイは完璧な記憶力を持っているのだ。
覚えようと思って本気で見て覚えたものは、頭の中に必要な時に記憶として蘇る。
それは正しくそのものをはっきり見ているようなものだと言っていた。
であるなら、試験などアンチョコを見ているようなものではないだろうか?
「普通の国法や、儀礼関係の問題は正しく回答できたと思っています。
ただ、後半の筆記、記述問題が、僕には正解なのかどうなのかが解らないのです」
「どういう意味だ?」
ガルフが首を捻る。
私は、なんとなく解らなくも無いけれど。
この世界、そもそもが「試験」というものを体験したことがある人間は少ないだろう。
強さを競い合う騎士試験はともかく、知性を問う試験は特に。
「こんな文章問題がありました。
『犯罪者の対応について
犯罪を犯した人間が、神殿に保護を求めた。
犯罪者が犯した罪は重罪で、永久監禁が妥当と思われる。
だが、神殿は『監禁することによって、税や能力が無駄になる。であるなら神殿で働かせることでその罪を浄化させるべきだ』
と告げた。
司法官としてどう対処すべきか? その理由と共に述べよ」
「って、ちょっと待て。
そんなことが実際にあるのか?」
「あるんでしょうね。設問としてあるくらいですから。
これに対して司法官としてどう対処するのが正しいのか、僕には解りません。
いえ、正確にはどういう対応をすることが国の司法官として求められているのかが解らないのです」
フェイの回答は罪は罪であるとのだからと、神殿に抗議して罪人を正しく処罰する、だった。
だが実際にそれで正しいのかが解らない。とフェイは言う。
もしかしたら、神殿に譲歩して妥協点を探すことが国の司法官としては正答とされるのかもしれない。
「同じような感じで、市民と貴族の対立についての設問がありました。
他国商人との折衝とか。
あとは精霊と神について…もです。
『精霊の種類と系統を系統樹として記載せよ。
そして神の系統はどこに属し、どう作用するかを記せ』
精霊の系統樹は完璧に書けたと思います。
ですが僕は神を精霊の系統樹の上に書く事はできなかった。
別枠の、全く違う者として書くしかできなかった。
それが、出題者の求める者ではないかもしれなくても。
だから…落ちたかもしれません」
他の皆はピンと来ないようだけれど私はなんだか納得。
無敵の天才フェイにも弱点があったか。
この世界、過去問題集も無いしまさか、ここまで本格的に人材の能力を求める問題が用意されているとは思わなかった。
正しい知識を問うならばフェイは最強だ。
精霊の知識も術を使う能力も、簡単には負けない。
ただ、国や責任、立場を背負った上での人間関係や神殿、時には国を考慮した折衝方法とかを問われたら、限られた人間関係しか知らないフェイは何が『正しい』か理解できないことがある。
そもそも人間と人間の関係に寄る問題は『正しい答え』が無い。
解決策を用意しないことが正しいことだってあるのだから。
「文官採用試験って、試験問題作成者は誰なのかな?
採点者は?」
「試験の責任者は皇王様だそうです。元々不老不死で文官にそれ程増員は必要ない。
故に必要な人材を厳選すると」
採点者という意味でなら王宮魔術師と文官長が下確認をし、最終的に皇王様が合格者を決定する。
ということらしい。
「あ、でも王宮魔術師様が言ってたよ。
杖持ちの魔術師は貴重だから、それだけでほぼ合格のようなものだって」
魔術師枠があって王宮に魔術師として採用登録されれば、その時点で準貴族だと聞く。
合格とほぼ等しい。
「ええ。試験の後、魔術師としての能力確認をしたいから残れ、と言われてそちらの試験も受けてきました。
基礎呪文に応用呪文。
各領地への転移門の開閉。
そっちに不安要素はないので、魔術師枠としてなら合格できると思います」
おやまあ、あっさり。
「試験を担当した王宮魔術師の女性は、どうやら精霊石の支持を失っているようです。
杖こそ持っていたものの己の声と呪文の発音のみで術を行使していました。
精霊の杖は、低位の者ではありませんでしたが、完全に沈黙。声も顔も僕には見えなかった」
『完全に意識が閉じていたからな。私にさえ、気付いていたのかいないのか…』
「あれ? シュルーストラム知り合いだった?」
もうすっかり遠慮が無くなったのか。
ガルフやリードさんにも姿を見せるようになったシュルーストラムはフェイの杖からぶわりと、姿を現した。
あ、魔術師でもないと杖を身体に入れての出し入れはできないんだって。
だから、フェイは試験の間、ずっと杖を出していた。
小さく首を前に動かしたシュルーストラムは告げる。
『あいつは、シュティルクムンド。私の系統の…まあ、部下のような石だ。
低位でもないが高位という程でも無い。まあ、エルストラーシェと同位くらいだと思えばよい』
「…人型取った時の外見って青銀の髪に、水色の瞳?」
『何故解る? まあ、風の石は大体似た外見にはなるがな?』
やっぱりあの時石に写ってたのは、杖の精霊なのかな?
シュルーストラムが名前を憶えて気にかけるくらいの仲ではあると。
妹に、部下。
精霊石のコミュニティってどんな感じなんだろう?
『精霊石は良き主を得ねば力を失う。
不老不死者に仕えれば尚の事。
主に愛想を尽かしたが先か、力を失って声が出せなくなったが先か…。
杖無しでまだ多少の術が使えるのは大したものだが、あの女。
術者としての腕を買われて城にいるのなら、そう遠くないうちに地位を失う事になろう』
「彼女の元で王宮の内情などについて学び、成人後、王宮魔術師とならないかというお声かけは頂きました」
皇王妃様達もそんなことをおっしゃってたっけ。
魔術師は不老不死を得ると力が低下する。
時間の経過と共に術そのものが使えなくなることもある。と。
あれ? でも確かにあの時、杖の意志というかを感じた気はしたのだけれど…。
「ですが、今回の試験で自分の能力と知識を過信していたと、それは実感させられました。
加えて、上位合格を果たし貴族の地位を勝ち得るくらいの能力を示さないと、子どもだから良いように使われる可能性もあるぞ、と皇子からも言われています。
僕の目的は王宮魔術師では無く、貴族位だった。
それに成人、というのが不老不死を得る事を指すのであれば、僕は成人にはなれない。
だから、お情けの魔術師合格しかできないようなら、僕は文官試験から手を引きます。
王宮魔術師の地位もお断りします」
王宮魔術師の後釜として見込まれてもいるし、打診も受けている。
けれど、それでは国の魔術師としていいように使われてしまう。
最低でも自分の主を自分で決めて、周囲に好き勝手使われない為には好成績の合格、貴族位が必要だった。
とフェイは言う。
「ライオット皇子のご厚意に甘えてしまうようですが、皇子付きの魔術師として抱えて頂き、今まで通り軍属として皇子やリオン。
ゲシュマック商会の手伝いをするようにしようかと思っています」
フェイの考えは理解できるし潔い。
でも既に、大貴族に注目されていていて王宮魔術師の打診を受けているフェイが一度表舞台に出て就職試験を受けてしまった以上、簡単には収まらない気がする。
就職したら自分の思う通りの場所で仕事ができるとは限らない。
いくら希望を出してもまったく違う所に配置され、意に添わぬ仕事をさせられるなんて当たり前にある。
特にあの王宮魔術師の女性。
あれは自分の地位を後継者に譲ろうという感じでは無かった。
自分の居場所を失う事を怖れ、なんとしてでもしがみつこうとする者の目。
その為には何でもするという獣の目をしていた。
「ねえ? シュルーストラム?」
私は気になっていたことを聞いてみる。
『ん? なんだ?』
「精霊術士と精霊石の契約って、精霊石が主なんだよね。
石が力を貸さないって言ったら基本、術者はどうにもならない」
『そうだな』
「じゃあ、他人の契約している精霊石を横どるなんてできる?」
自分の杖が使えなくなったあの人は、フェイの杖を狙っているのではないか、と思う。
そんな事が可能かどうかは解らないけれど。
『不可能だ。精霊石が自分の主より、相手の方が良いと見限らぬ限りは他者の杖を盗んだとて使用する事はできぬ』
「…じゃあ、主が精霊石に向こうの相手の所に、と言ったりしたら?」
『さて、そんな例を聞いたことも無いし解らぬが…。
もし仮に私とフェイが普通の術者と杖の間でフェイが本心から、お前はいらぬ。あちらの術者の所へ行け、とでも言ったとしたら。
その時点でフェイを見限る。相手の術者に仕えるかどうかは相手次第だな』
「もし、脅迫とかでフェイを脅してそう言わせたとしたら?」
この間の家族面談の後、王宮魔術師の女性の話は二人にしてある。
もしかしたら、杖を狙って仕掛けてくるかも、と。
『無論、相手には仕えぬ。
どんな手段をとっても目標を果たす、という意志の強さは嫌いではないが。場合によっては主を侮辱したと命を奪う事もあろう。
…私は、その気になれば不老不死者を殺すこともできる』
涼やかな、でも、確かな怒りを宿したシュルーストラムの言葉にガルフと、リードさんの顔から血の気が引いた。
魔王城の島で無くても不老不死者を殺すことができるモノがいる。
それは、私達には解らないけれどリアルな恐怖なのかもしれない。
『まあ、よほどのことが無い限りはやるつもりは無い。
本人の了承なしに完全に同化した神の欠片を取るのは術者なくば消耗が激しいし、やれば受けた方は死ぬか、良くて廃人だからな』
神の欠片…
前にも言ってたっけ。
神の欠片が体内に入り何らかの力を発揮する事で、人の身体は固定され不老不死になる、と。
『それに、そも前提が無理な話だ。
フェイは私が精霊の属に迎えた真正の魔術師。
命尽きるまで、精霊にその身を捧げると誓った者。
その誓い破られぬ限り、面倒を見る義務が私にはある』
「…面倒をおかけします。シュルーストラム。
でも、大丈夫ですよ。
僕は僕として、どこであれ、何であれ、精霊の魔術師として為すべき事を為しますから」
にこやかに笑うフェイ。
良かった。試験結果が芳しくなかったコト。
少しは切り替えられたみたいだ。
そう思ったと同時。
(「…情報、集めてみようかな?」)
私は思った。
フェイとシュルーストラム。
二人の姿を見て。
二人の絆は深いから横盗られる事そのものは心配していないけれど、あの女術士は多分それを知らない。
故に、新しい『杖』欲しさに何をするか、何をしかけて来るか解らない。
だから、できる限りの情報を集め、できる限りのことをしてみようと思った。
フェイとシュルーストラムの自由を守る為に。
そして…、あの時、寂しげに見えた杖の為に。
文官試験の結果発表は、今週の空の日だ。
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