護衛騎士様との通勤もそろそろ3週間。
いつも通りの時間。
玄関先に人の気配を感じた私は、急いで荷物の準備をして外に出て…
「おはようございます! ティラさ…?」
いつも通り挨拶しようとして、私は固まった。
そこにいたのは初めてみる人物。女騎士。
昨日まで私の護衛をしてくれていた人と同じ茶髪で、よく似た青い瞳をしていて、同じ鎧を着て似た剣を持っているけれど。
「遅いわよ。私の手をあまり煩わせないで?」
腰に手を当てて、睨む姿はどこからどう見ても別人だ。
「あの…どちらさま、でしょうか?」
「何を言っているの? 今までずっと一緒だったでしょう? 護衛のミーティラよ。
まだ寝ぼけているの?」
イライラ、と絵に描いたような様子で、彼女は私に顔を寄せた。
「…話を合わせなさい。
ティラ様は今日は来れないの」
小声でささやかれたその言葉に、私は状況を理解する。
この人は多分、本物のミーティラ様。
今まで護衛を務めてくれていた第三皇子ライオット様の奥方、ティラトリーツェ様の護衛兵。
本来ガルフの店が出した護衛依頼を受諾した女騎士、だ。
今まではティラトリーツェ様が、ミーティラ様の名を借りて護衛依頼を引き受けて下さっていた。
でも、急用で来れなくなった。
だから代わりに本物のミーティラ様が、来て下さったのだろう。
事情があるなら仕方ない。
「解りました。ミーティラ様。今日も宜しくお願いします」
「…頭のいい子は嫌いじゃないわ。では、行きましょう」
いつものように、差し出しかけた手は、受け止めてくれる相手を見つけられずに空を掴む。
ああ、この人はティラ様じゃないんだな、と当たり前のことを思いながら先に進むミーティラの後を小走りに追いかけた。
当たり前のことだけれど、ミーティラ様はティラ様とは別人だった。
別人の、そしてまっとうな騎士貴族。
平民に特別に話しかけたり、笑いかけたりもしない。
屋台の護衛も仕事に入っているから、嫌がりはしなかったけれども
「ティラ姉さんとちがって、全然取り付く島もないんだぜ。
一言もしゃべんねえでやんの」
とはアルの言。
本当に、黙々と仕事をこなしていらしたらしい。
平民と蔑んだり、侮ったりしないだけありがたいと思うのだけれどティラ様があんまりにも親しげで、屋台の店員たちにも気さくに話しかけたりして下さっていたのでつい、それが普通だと思ってしまってた。
「ミーティラ様、賄いとして店の料理をお出ししているのですが、召し上がって頂けますか?」
私は屋台の護衛任務を終えて店に戻って来たミーティラ様にそう声をかけた。
ティラ様はいつも凄く楽しみにしているという風情で食べて下さっていたから。
「いや…私は…」
言いかけて、でも何かを思い出したように口元に手を当てたミーティラ様は
「やっぱり頂きましょう。ライオット皇子も認める王都に名高きガルフの店の料理。
食せる機会などそうないでしょうから」
頷いて下さったので、私は貴賓室に案内する。
「今日のメニューはハンバーグとパータトの炒め焼き、それからエナの実とベーコンのスープとオランジュのジュースでございます」
火を入れたエナの実の甘い香りが鼻孔を擽る。
ごくり、とミーティラ様が、喉を鳴らしたのが解ったのだけれど、彼女はなかなか料理に手を伸ばそうとはしなかった。
「どうか、なさいましたか?」
「…マリカ。平民には貴族の作法など解らないでしょうから、教えます。
この料理を取り分け、私の前で毒見をなさい。
毒見の後でないと、貴族は知らない料理に手を付けられません」
「え?」
私は眼を瞬かせた。
「どうしました? 毒など入っていないのならできる筈です」
「いえ、毒見をすることに否はありません。ですが、今までライオット皇子もティラ様、…ティラトリーツェ様も一度もこの店で毒見を求めたことが無かったので、少し驚いただけです」
「え?」
今度目を瞬かせたのはミーティラ様の方だった。
「冗談はよしなさい。ライオット皇子はともかく、ティラトリーツェ様が毒見のされていない料理を口にするはずがありません。
あの方はかつて…。
いえ、とにかくそう言う事には特に慎重なお方です。怪しい庶民の料理など簡単に口になど運びませんよ」
「でも…」
反論を紡ごうかと、少し思ったけれども私はそれを止めた。
代わりに
「失礼します」
料理を一口ずつ切り取り、食べて見せる。
さっきミーティア様もおっしゃったとおり、迷わず食べて見せる事が「毒などは入っていません」
という証明になるから。
「よろしい。では頂きましょう」
実際の所、ミーティア様だって店の料理に毒が入っているなどとは思っていないし解っていると思う。
でも、それが貴族の流儀、作法であるから教えなくてはならないし、毒見がされるまで食べられない。
難しい立場なのは仕方ない。貴族も大変だ。
嬉しさを必死に隠した顔でミーティア様はハンバーグを切り分けて口に運ぶ。
頬がふんわりと喜びに膨らむのが見えた。
一応返事は解っているけれど、ガルフの店の店員として
「お口に合いましたか?」
「…まあ、悪くはありません。庶民の味ではありますが、貴族の料理とは違う味わいがあることは認めましょう。
ライオット皇子やティラトリーツェ様が気に入るのも解ります」
ごくんとハンバーグを飲みこんだミーティア様は素直な笑顔でそう褒めて下さった。
やっぱりこの辺は、お二人の部下だと思う。
貴族を笠に着てこっちを下げる様な事はなさらない。
美味しい料理は人の心を解きほぐし、饒舌にさせる。
私はふと、
「ミーティア様」
「なんです?」
「どうしてティラトリーツェ様が今日、おいでにならなかったのか伺うのは失礼でしょうか?
昨日の時点ではまったくそんな話をなさっていなかったので、お身体の具合でも悪いのかと少し心配になって…」
ダメ元でそう聞いてみた。
仕事が終わってから、私はティラトリーツェ様にプレゼントしたシャンプーとラベンダー三点セットの使い方を教えながら、互いに髪のとかしっこをしたのだ。
私からのプレゼントに、一時なんだか不思議に固まっていたティラトリーツェ様だったけれど、プレゼントはとても喜んで大事に使うと言ってくれた。
護衛の仕事が終わって別れるまでまったく、明日は休みなんて話は出てこなかった筈だけれど。
「妙な心配をしますね。私達は不老不死ですよ。不調をきたす事などそうそうありません」
私の質問にエナのスープをすくっていたミーティア様は、少し考えるような仕草をしてから
「まあ、別に隠す事ではないのでいいでしょう。
ティラトリーツェ様は城で第一皇子妃様主催のお茶会に参加なさっておいでです。
お茶会の連絡が来たのが昨日で、開催日が今日だったのでこちらに連絡を入れる間も無かったというだけのこと。
心配には及びません」
そう、教えてくれた。
良かった、胸を撫で下ろす私に
「ああ、昨日、ティラトリーツェ様に変な品を渡したのはお前でしたか?」
ふと、思い出したというようにミーティラ様は微笑む。
「変…ですか?」
「変、でしょう? あのような品は見たことがありません。侍女たちも驚いていました。
花の香りのする香油だの、花を封じ込めた飾りだの、髪に艶を与える液だの。
貴族も持っていないような品を何故、庶民が持っているのです?」
言葉だけだと責める口調っぽいけれど、声を聞けばそれほど怒っているわけではないのが解る。
むしろ気に入ってくれたっぽい?
でも、香料の活用はまだこの世界には無いか。やっぱり。
「あれは、私が考えた品なので店とかに出回っている訳ではなくって、本当に手作り品でティラ様へのお礼のつもりで…」
「無礼にも程がありますが、子どものしたことに私も目くじらを立てるつもりはありません。
…ティラトリーツェ様はその効果に大層喜んでいらっしゃいましたし。
今日のお茶会に付けて行ったようです。
花の香りを纏った艶やかな髪のティラトリーツェ様は、おそらく今日の茶会の一番の話題になるでしょう。
…いい気味です」
くすっ、と零れた笑みと言葉の端から、今日のお茶会の主催という第一皇子妃とティラトリーツェ様とはあんまり仲が良くないのが聞こえてくる。
まあ、兄嫁だもんね。
相手の人がよっぽどできた人でない限りあんまり仲良くできないのは納得。
「でも、貴族のお茶会って急に行われるんですね。準備とか大変そうなのに」
「そんなわけないでしょう? 本来なら一週間は前に相手の予定を確認するのが常。最低でも三日前には知らせるのがマナーです。
前日連絡など有りえません」
「では、何故?」
イライラと相手への苛立ちを隠さず、ミーティラ様はジュースを飲み干し、ダンとテーブルに叩き付ける。
「ティラトリーツェ様への嫌がらせに決まってます。三日前に知らせたという態を作って前日連絡。
連絡しましたよね? 届いてませんでしたか? と言われればこちらからはそれ以上は攻められません。
あちらの方が立場が上ですから。招待という名の命令を断れもしませんし」
ミーティラ様はそのまま愚痴を吐き出し続けた。よっぽど、ストレスが溜まっているとみえる。
「夏の戦はアルケディウスの敗戦と決まったそうです。
労いの宴で、この間の菓子と同じものを用意せよ、という依頼命令がおそらく今回の茶会の目的でしょう。
この国の砂糖の流通にティラトリーツェ様は大きく影響していますし、まだ誰もあのケーキのレシピを所有していませんからね。
ティラトリーツェ様とライオット様の評価が上がるのは気に喰わなくても、あの菓子はもう一度食べたい。
まったく、卑しく意地の悪いあの方達らしいことです」
「…随分と仲が悪くていらっしゃるのですね。ティラトリーツェ様と第一皇子妃様は」
「怨敵と言って良い相手です。第一皇子妃だけのことではありませんが。
他国より嫁いできたティラトリーツェ様は最初は孤立無援。僅かな味方は皇王様くらいなものでした。
コツコツと誠実かつ知的に手を尽くすことで今は支持派閥もできていますが」
ああ、なんとなく想像ができる。
英雄の一人と言われる優秀な弟と、外国からやってきた優秀な嫁。
敵わないからネチネチ苛める。よく聞くパターンだ。
「あ、では、ミーティラ様は今日の茶会にお出にならなくても良かったのですか?」
「良い訳はありません。
ですが他にも護衛騎士はいますし、ティラトリーツェ様がどうしてもお前の護衛に行ってくれとおっしゃるから」
仕方ない、と大きな息を吐き出すミーティラ様を見て、私は遠いティラトリーツェ様に心で大きく手を合わせる。
すみません、ごめんなさい。本当にありがとうございます。
「あと数日で、軍と戦に出られた方々も戻って来るでしょう。
戦終了、軍の帰還までが依頼期間だった筈。
何事も無ければ明日は前のように、ティラ様がこちらに来ます。
皇子がお戻りになられればこのような事はできませんからせいぜい、あと、一日二日、ストレスを発散させて差し上げ、ティラ様に甘えると良いでしょう」
「え? よろしいんですか?」
私は首を捻る。
あまり手を煩わせるなとか、言われると思ったのにまさか甘え許可が出るとは思わなかった。
「それをティラトリーツェ様が望んでいらっしゃるのですから、仕方ありません。
ここ数日、毎日とても楽しそうですし、お前という子どもと接する事で永遠に癒えることがないと思っていたあの方の傷が少しでも薄くなるのなら、それは良い事でしょう」
「傷…」
「口が滑りました。この話はここまでです。
私は少しここで休んでいますので、仕事に戻りなさい。帰る時には声をかけるように」
「解りました。ありがとうございます」
お辞儀をして退室した私は、考える。
ミーティラ様は、ティラトリーツェ様の部下だ。
多分、部下として許される範囲で、私達に理解する為のヒントをくれたのだと思う。
食べ物、香りと美容。
どちらも貴族社会に踏み込む武器となりうる、ということ。
そしてティラトリーツェ様には、貴族社会を恨んでいるというその言葉の裏に隠す、今も部下が案じる程の傷があるということを。
その日の夕方、ミーティラ様が帰った後、リードさんは教えてくれた。
今週末、戦に行った皆が帰って来る。
護衛依頼はあと三日で終了させる、と。
急なお仕事のティラトリーツェ様に代わって本物の女騎士 ミーティラ様登場。
騎士資格を持つ上にプラーミァの貴族階級でもあるので、横柄に見えますが実は、仕事に誠実で庶民にも身分をひけらかしたりしない、貴族としてはまともな部類に入る方です。
それから、不老不死世界なのに毒見?
と思われる方もいるかもしれませんが、それについては後ほど詳しく書きます。
ネタバレすると毒や薬は、効果がでます。
死に至ることはありませんが、苦痛を感じたり意識を失う事はあります。
ティラトリーツェ様の護衛ももうじき終わり。
終わりの続きをどうかお楽しみに。
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