純白の空間に俺は横たわっていた。
目は閉じている。
何も見ない。
ただ白いだけの空間。明らかに浮いているのに、不安定さはなく、まるで寝台に横たえられているような安定感があるのはいつもながらに不思議な話だ。
全身が違和感に包まれる。
体内に何かが差し込まれ、身体全体を調べているのだということは解っていた。
あえて見ないようにしているが、かつて『精霊神』に脳内を調べられた時に入れられた金の触手と似たようなものだろうと思う。
不快感は拭えないけれど、温かく優しいそれに抱かれることに対する嫌悪感は無い。
全てを委ね、脱力する。
これは父であり母である『星』の慈悲。
俺が俺で在り続ける事を助ける、大事な儀式だから。
「終わりましたよ。アルフィリーガ」
柔らかい声がかけられて、俺は目を開いた。
視線の先には魔王城の守護精霊。
「起きて服を着て下さい。自分でできるでしょう?」
「ああ、ありがとう。エルフィリーネ」
差し出された服を俺は受けとって見えない寝台から飛び降りる。
手早く服を身に纏うと少し安堵した。
誰が他に見ている訳でないと解っていてもやはり気恥ずかしい。
「できる限りの検査と、洗浄、それに調整は行いました。
先に大聖都で入れられた『神の欠片』はほぼ完全に取り除けたと思います」
「ありがとう。エルフィリーネ。『星』にも手間をかけさせた。
お礼を言っておいてくれ」
「私が言うまでも無く、『星』には貴方の思いは伝わっていますよ」
「そうか、そうだな……」
ここは『星』の『聖域』
優しき『星』の腕の中。
瞼を閉じてもう一度、祈りを捧げる。
不出来な息子への愛と優しさに。心からの感謝を込めて。
「『星』の……。マリカ様との『経路』は繋ぎ直せたようですね」
「ああ、ついさっき、な」
「前よりも強化されているように思います。これであるならば、また同じようなことが起きて内部から切断されない限りは安定して貴方を守ってくれるでしょう」
「……エルフィリーネ。お前がマリカに働きかけたのか?」
「何を、です?」
「俺との……同期だ。……頼もうと思ったら、あいつからしてくれた。
そうしろと、お前がマリカを操作したのか?」
ほんの少し前。
マリカとのバルコニーでの会話を思い出す。
なんとかして、頼めないかと思っていたのに。
俺の思いを察するかのように目を閉じてくれた。
キス、口づけは大事なモノ。
言ったあいつの言葉を思い出す。
どうやら俺は罪悪感をもっていた様だ。
『自分』を維持する為に、その大事な口づけを道具のように利用していることに。
「マリカ様をバカにしてはいけませんわ。
アルフィリーガ。
それに私は、マリカ様の心を操作するようなことはしません」
俺の問いかけに、どうやらエルフィリーネは気を悪くした様だ。
拗ねた子どものように頬を膨らませて俺を見やる。
「マリカ様の意思と決定には決して介入してはいけない。
それが『星』のご命令。
まあ、種は撒いたかもですが、記憶妨害と遮断をかけたりはしていますが、貴方を案じ、必要だと思い、それを為したのはマリカ様。
それを疑うのは、マリカ様を疑う事ですわよ」
「ああ、そうだな。すまなかった。エルフィリーネ」
俺は微かに感じていた不安や思いを振り払うように首を振った。
マリカはそういう奴だ。
何も解っていなくても、一番大事な事は解っている。
「……貴方は不安定なのです。アルフィリーガ。
心も、身体も早く『大人』になろうとして懸命にもがいている」
「一刻も早く、俺は『精霊の獣』として確立されなければならない。
隙を見せれば俺の中の『魔王』に取り込まれて潰されてしまう。
……焦りもするさ」
どんなに身体を鍛えても、心を磨こうとしても一足飛びの結果が出ないことがもどかしい。
俺の中に扉は見えている。
でもその鍵がまだ生まれてこないのだ。
「ですが、心も体も一朝一夕には育ちはしないのです。ゆっくりと、少しずつ、様々な経験を通して学び、訓練し、育て上げていかなければ本当の意味での『成長』は望めない。
もう、身に染みているでしょう?」
「解っている。解っているけれど、それでも怖いんだ。
俺はもう『魔王』じゃない。いや『魔王』になって『神』を滅ぼすと勢い込んでいたが、蓋を開けてみれば『神』に操られて、本当の『魔王』に乗っ取られて……。あいつのお情けで『返して』貰ったけれど、奴と『神』が本気を出したら俺なんて敵わない。
マリカやフェイ、アルにライオ。兄弟達やこの城、お前にさえこの俺が牙をむく事になったらと思うと怖くて仕方が無くなる」
思うだけで震えがくるのに。
今、内なる自分を消し去ってしまいたいと思う程に恐怖しているのに。
と同時に確信さえしてしまう。
そうなってしまう未来がいつか、必ずやってくる。と。
「あまり、怖れる必要はありませんわ。
そう、なったとしても必ずマリカ様は貴方を取り戻しますから」
「エルフィリーネ?」
不安に怯える俺に、エルフィリーネがかけた言葉は予想の斜め上だった。
「そうならないように努力なさい」とか、「己を強く持ちなさい」ではなく。
そうなっても取り戻す、だと?
「貴方と言う存在は、その魂は。最初から、この世に生み出された時から。
悪逆や人を苦しめる、そんなことに向いていないのです。
創造主……親に、似たのでしょうね」
俺には『創造主』とのまともな記憶は無い。
『勇者』時代のただ二度の面会。
騙し、俺の中に踏み入り、強引に操り大事なものを壊させた悪夢のような記憶以外。
けれど、俺とあの方は似ていると魔王城の守護精霊は言うのか?
「貴方は『星』の愛し子。
その居場所は光の中。在るべき所は皆の側。
どんなに親が強いようとも、貴方は最終的にこちらに戻ってきます。貴方がそれを望み、願う限り。
『星』が。マリカ様がそうします。だから、貴方は安心して己の為すべき事を為せばいいのです。それが、最終的に必ず『星』の為。
ひいてはあの方の為になる筈ですから」
「俺は……お前が言う程に自分を信用できない。
いつか、俺が壊れてあいつになって、操られて。
この身体でまた大事なものを全て壊してしまうのではないかと今も、怯えている。でも……」
顔を上げる。
エルフィリーネの目に映る全幅の信頼。
俺は『星の子ども』だと。
信じてくれるなら、俺は応えなくてはならない。
そうでありたいと願う、俺自身の思いに賭けて。
「ああ。この場に。
聖域において『星』に誓う。俺は『アルフィリーガ』はこの命、魂、全てが尽きる最後の瞬間まで、皆を守る『精霊の獣』で在り続ける。
それを投げ捨て諦める事はしない、と」
刹那。
白いだけの空間が、火花を散らしたような輝きを帯びる。
暖かく優しい空間の中で俺は。
俺を確かに見守り、赦してくれる『星』の愛を感じていた。
「いいですか? アルフィリーガ。くれぐれも無理はしないこと。
大聖都でのようなことがあったら、魔術師に頼んでもいい。即座に戻っていらっしゃい」
「解った。とはいえ、そんなことがあっては困るけどな」
「リオン」
『聖域』を出て魔王城に戻った俺達にフェイが駆け寄って来た。
『星』の呼び出しを受けた時。
どのくらいかかるか解らないから部屋で寝ていろと言ったのに結局廊下で待っていた様だ。
置いていかれた子どものような表情を宿す相棒に
「心配をかけたな。単なる検査のようなものだ。気にするな」
俺はぽん、と背中を叩いて笑いかけてやる。
心配性なこいつはこれくらいでは多分、不安を完全に払しょくはしないだろうが、少しは安心するだろう。
「明日からはまた異国に行くのでしょう?
アルフィリーガはマリカ様同様に目を離すと何をしでかすか解りませんから。
フェイ様。くれぐれもよろしくお願いしますね」
「解りました」
「何を言ってるんだ。騒動体質のマリカと一緒にするな。
俺が一人で騒ぎを起こした事なんて……一度も……」
「大聖都」
「うっ!」
たった一言で反論を封じるとフェイは、エルフィリーネに笑いかける。
「もし、リオンに何かあったら、今度は真っ直ぐに魔王城に戻ってきます。
嫌がっても。首に縄を付けても連れて戻りますので。
その時はよろしくお願いしますね」
「ええ。貴方には本当に期待しています」
「フェイ! エルフィリーネ!」
俺の意見や思いなど完全無視。
二人で通じ合う奴らに溜息をつきながらも、俺は感謝していた。
今の「リオン・アルフィリーガ」であることを。
彼らに、マリカに出会い、魔王城に帰って来れたことを。
明日からはまた暫く離れることになるけれど、改めて胸に刻み込む。
目の前の輝かしい光景と共に。
俺の帰る場所は大聖都でもあの方の所でもない。
この魔王城なのだと。
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