私の頭の中にはっきりとした意味をもって聞こえた言葉。
『影武者』
武者っていうのは古い日本の言葉だから、多分そう感じただけで実際には『替り身』という別の単語であったことは解っているけれど。
意味合いは多分同じだ。
要するに皇王陛下はノアールに
「私の身代わり役になれ」
とおっしゃっているのだ。
「ダメですよ。ノアールに、子どもにそんな危険な事を命令しないで下さい!」
私はとっさに皇王陛下とノアールの間に割って入り、皇王陛下を睨む様に見上げたけれど
「別に命令などしておらぬ。問うただけだ。
お前には、マリカに真実、命を賭けて仕える覚悟があるのか? とな」
皇王陛下は平然と言ってのける。
悪びれる様子は全く、欠片も無い。
「さっきも申したであろう。
私はお前を本気で皇族として育てると決めた。
その為にはどうしても、お前に腹心となる部下が必要だ。皇王妃が用意した侍女や文官とは違う、命を分かつ存在がな」
「そ、それは、解らなくもないですけど…」
…うん。
皇王陛下がおっしゃりたいことは、解っている。
皇女ではなく、私自身に本気で、命を賭けて仕えてくれる存在が必用、というのは。
「加えて言うのなら、替り身という存在は、部下にとっては一種名誉な職でさえある。
本来なら、いきなり連れて来られた他国の娘になど問わぬ。
幼き頃から、命を分けて育てた乳兄弟、腹心に請うものだ。
其方は身代わり、と単純に思っておるのかもしれぬが、ライオットにもティラトリーツェにもそれぞれ留守を任せ、託す者が存在するだろう?」
「…はい」
ティラトリーツェお母様は最初に出会った頃、ミーティラ様を良く代理に立てて外に出て来た。
二番目の、私達が親しくなる最初のきっかけは、ミーティラ様の名前で出て来たお母様が私の護衛についてくださった事だし。
ライオット皇子もヴィクスさんに、アリバイ工作を良く頼んでいたと聞いた。
「其方の身は危険だ。
ライオットとも概要を聞いた時点で話したが、希少な知識、技術を持つ娘、として友好国プラーミァ、エルディランドでさえ、求婚してきた。
あの騒動の数々をよもや忘れてはおるまい?」
「はい」
「…それに、今後『聖なる乙女』が加わるのだ」
各国の封じられた『精霊神』を蘇らせることが可能な精霊に愛された娘。
其方の『精霊の貴人』の転生という素性を知らせぬ為、理由づけは大聖都にしたとおり、二国の王家の血を受けたが為、とする。
となれば各国はどう思う?
まず、考えるぞ。其方と自国の血を掛け合わせた三国の王家の血を受けた子が生まれたら、どのような英傑となるだろう、とな」
皇王陛下の言葉に、私は何一つ反論できない。
私は女で、しかも未婚の小娘なのだ。
『能力』で反撃できる、なんて自惚れる事はできない。
今まで、強引に、何度も襲われそうになったことがあった。
集団の大人の男性の暴力に、子どもの身体では太刀打ちできないと、私自身が一番よく知っている。
「無論、アルフィリーガ、リオンを始めとする周囲全てが其方を守る為の努力をする。
だが彼等が動く為の時間を確保する意味でも、代役、替り身は重要かつ必要な存在なのだ」
「でも…、私が危険、ということは代役をするノワールだって危険だってことになるじゃないですか?
ノアールだって女の子ですよ。そんな危険な目を強制させるなんて」
「強制するつもりは無い。故に意思を確認したのだ。
強制してやらせるつもりなら命令すればそれで終わり。
部下の意見など聞かぬ」
アルケディウス最高権力者、皇王陛下は言ってのける。
穏やかに見えるけれど、こういうところ、皇王陛下も専制君主だよね。
「そも、替り身というのはさっきも言ったが、本来素性も知らぬ他国の娘に任せる役では無い。
主の命と立場を預かる者。何より絶対の忠誠心が無いと務まらぬ。
替り身が下手を打てば主の立場に傷をつけることさえあるのだからな。
本来ならじっくり、時間をかけて探し育てたいところであるが、人材も時間も無い現状で在るが故の大抜擢だ。
どうする、娘」
私から目を話すと皇王陛下はノアールを見遣る。
厳しい皇王の眼で。
「マリカにも申したが強制する気はない。
替り身、身代わりという存在は主の命、秘密を共有する者だ。
しかも、其方は魔王城に来て、マリカの転生を含む秘密を知った。
私は悪いが、お前をマリカ程は信用しておらぬ。
受けようと受けまいと、この島から出る際、お前には口封じの呪をかけるように我が魔術師に命じてある」
「お祖父様!」
「悪いがマリカ。これは譲らぬ。
カマラ、ソレルティアはアルケディウスの者で、永くこの国に仕えし腹心。信用もできるが、この娘は他国のしかも元敵方だからな。
信頼するには足りぬ。
それが嫌なら、この魔王城の島から出るは許さぬ」
「…」
リオンも、フェイも、お父様も誰も、皇王陛下を止める事はできない。
止められたとしても、多分しないだろう。
皇王陛下の言葉は正論だ。
私は、ノワールを信じている。
命がけの闇の中を息抜き、そこから抜け出そうと頑張る女の子を私は助けたいと思った。
でも、彼女の心は解らない。
無理に国から連れ出してしまった形でもあるし、勝手に妹みたいに思っているけれど、嫌かも知れないし。
考えれば考える程、頭がぐるぐるしてしまう。
「我が孫娘の格別の願いにより、選択を許す。
口封じの呪を受け、マリカの侍女を続け替り身の役を引き受けるか。
口封じの呪を受け、マリカの侍女を続けるか。
呪を受けずにこの島に残るか。もしくは死ぬか」
「プラーミァに返してあげるって選択肢はないんですか?」
「その場合も口封じの呪を受けて貰うのは同じだ。
だが、一度他国の皇族に買われた娘が帰っても良い事は無いと思うが…」
「うっ…それは…」
「王家の仕事を解き、野に放つも同様だ。娘が一人で生きる難しさをお前も良く知っているであろう?」
本当に、どの言葉一つとっても正論で、私には反論できない。
ノアールを助けたいと思ってプラーミァから連れて来たけれど、結果としてそれがノアールの人生を縛ることになるとは…。
「どうする? 娘」
「ノアール…」
部屋中の視線を受けたノアールは、一度だけ目を閉じると応えた。
「私は、マリカ様に侍女として、替り身としてお仕えします」
膝を折り、息をするように自然に応えたノアールに私は駆け寄り、顔を覗き込んだ。
「いいの? ノアール。
色々危険だよ。狙われたり、襲われたりするかもしれないよ。断ってくれてもいいんだよ」
「それは、マリカ姉様も同じでしょう?」
「ノアール…」
姉と呼んで。
ノアールは、私の雑談の様な願いに応え、美しく微笑むと顔を上げた。
皇王陛下やお父様に、迷いのない顔つきで見つめる。
「ならば、私はマリカ様、いいえ、マリカ姉様に救って頂いた命は、マリカ姉様の為に使いたいと存じます」
「うむ、良かろう。
であるなら、今後侍女としてだけではなく、マリカの替り身として改めて礼儀作法や対人技術などを学べ。
其方の恥はマリカの恥となると心するがよい」
「はい」
本当は、嫌だ。
アーサー達子どもを戦いに出すのとおんなじ位嫌だ。
「私はノアールを身代わりにする為に連れて来たんじゃ無いのに…」
自分の身の安全の為に、子どもを盾にするんなんて。
俯く私の頭をライオット皇子がポポンと叩く。
「ならば、盾にするな。
お前の替り身だ。どう使うかはお前が決めろ」
まるで私の気持ちを読んだかのように笑う。
そっか、そうだよね。
「はい、そうします」
「マリカ?」
「ノアール」
私はノアールの手を取り目を見つめる。
「貴女が私の替り身になってくれるのなら、私は今以上に全力で行くから」
この子はもう一人の私だ。
私が二人いる。それを絶対に有効活用する。
「この世界の環境整備、子ども達を守る世界を作る。
ノアールが幸せになれる場所を必ず作るから。
だから、力を貸して!」
ノアールを盾にして安全に守られるなんて、私はしない。
むしろお手本はお母様。
皇女の立場から自由に動けるようになったと思おう。
ノアールにはまだ私の理想とか思いとか、まだ教えていないからちょっときょとんとした顔をしているけれど、でも私の気持ちは伝わったと思う。
「はい。お力にならせて下さい」
優しく微笑んで、手を握り返してくれた。
こうして私は、もう一人の『私』を手に入れた。
絶対に守って、幸せにしてみせるからね!
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