翌朝。
私達が目覚めても街はお祭り騒ぎの熱気が冷めやらない様子だった。
『精霊の力』が剥奪された砂漠と生きてきた人たちにとって、やはり緑の大地は憧れであったのだろう。
それは、シュトルムスルフトの人達、多くの思いでもあったようで
「姫君はやはり、シュトルムスルフトに『精霊の恵み』を取り戻す真実の『聖なる乙女』
貴女ならやって下さると見込んだ目に狂いは無かった!」
宿泊した侯爵家の応接間で、私を呼び出した国王陛下は、してやったり、と言わんばかり、満面の笑みを浮かべていた。
「結果として見ればオアシスを一つ壊してしまった形になりますが?」
「いや、枯れかけのオアシス一つを引き換えに緑の大地が戻ってくるのであれば十分に元は取っている。それにオアシスは枯れたわけでも壊れた訳でもない。
要となるカレドナイトもその光を失わせておらぬし、泉の水位は上がり、果実の木や種類が増えた。オアシスとして力を増したとさえ言えるであろう。
お気になさらず」
そう声をかけてくれた侯爵の頬にも喜色が浮かぶ。
これだけ喜んで貰えたのなら、結果としては悪くなかったのかもしれない。
と心の中で自分に言い聞かせる。
「シュトルムスルフトに戻る前にオアシスにもう一度行っても構いませんでしょうか?」
「何かお忘れ物でも?」
「いえ、今までシュトルムスルフトには生えていない樹木や草木が生えていたとのこと。
もしかしたらプラーミァで運用している果実などができてはいないか、確認したいと思ったのです。
それから『精霊神』様とオアシスを守るファイルーズ様に感謝と勝手を致しましたお詫びを」
「姫君は敬虔であらせられるな。許可する。
我々は先に王都に戻るが仲立ちに王太子を残していくので、案内と助手にお使いになるがよろしかろう」
「ありがとうございます」
私の申し出に国王陛下は鷹揚に許可を与えてくれた。
勿論、感謝は捧げるけれど、私にはそれ以外の、それ以上の狙いがある。
「我々は先に向こうに戻り、明日からの調理実習の準備や手配を進めておく。
今日中にはどうかお戻りを」
「かしこまりました。ありがとうございます」
第一王子も残りたさげだったけれど、国王陛下になんか意味深な視線を送られて、諦めたっぽい。私としても着いて来られたら困るから助かった。
朝の会見を終えて、間もなく。
私達は国境の街を後にした。
「ありがとうございます! 姫君!!」「『聖なる乙女』に祝福あれ!」
街の人達の熱狂的な見送りを受けてオアシスへ。
砂の丘も今は湿り、黒々とした力を宿す緑の野に代わっているので最初より走りやすいと感じた。
そしてたどり着いたかつてのオアシスに私達は足を踏み入れる。
「そういえば、プラーミァでも森の探索はしていませんでしたね。
マリカ…様。香辛料や果物などは見て解るものですか?」
「解るもの、もあります。ただ解らないものの方が多いと思うので、皆さんにお願いがあるのです」
私はフェイの言葉に頷きながら、着いてきてくれたシュトルムスルフトの護衛さん達に振り返って見せた。
「私が『精霊神』様に祈りを捧げている間、実のついている樹木、花の咲いている草木などを、調べて集めてきて頂けないでしょうか?
本当は私が自分で調べていきたいのですが、密林の中をこの靴と服では歩けませんし、泉の側で『精霊神』様に感謝の祈りを捧げたいのです。皆さんがお戻りになるまで私は泉の側におりますので」
多分、護衛という名の監視だったのだろうけれど、この密林の中で私が逃げたり何処かに行ったりはできないと解っているから素直に従ってくれた。
この場に残るのは私の護衛と随員、そして王太子様の護衛だけになった時。
「フェイ、マクハーン様」
「どうしたんです?」「何かありましたか? 姫君?」
私は壊れた桟橋の上に立ち、今は静かな泉、その水面を見つめた。
「このオアシスには『管理人』がいるそうです。『精霊神』様がおっしゃっていました」
「管理人?」
「『精霊神』とは? まさか姫君は『精霊神』と会話が可能であられるのか?」
二人とも驚くところが別々だ。
それも、まあ、仕方のない事ではあるけれど。
「ええ。国王陛下にはどうかご内密に。私が連れている兎のような獣。
あれはアルケディウスとプラーミァの『精霊神様』の化身なのです。
時々お力を貸して下さいます」
「! では、まさか今回の森の発現は」
「はい。
『精霊神』様がお力を貸して下さったので成しえた奇跡なのですが、今、話すべきことはそこではありません。
『精霊神』様がこの泉、オアシスに『管理人』がいるとおっしゃったこと。その管理人が許可を出し、力を貸してくれたからこのオアシスを変化させられたということです」
「マリカ! その管理人とはまさか?」
私はフェイの問いには答えず、桟橋の先で膝を折り、手を祈りに組んだ。
(シュトルムスルフトの『精霊神』様、そしてこのオアシスの管理人様。私の力を捧げます。
お姿をお示し下さい。もし、伝えたいこと。して欲しいことがあれば私、できる限り仲介しますから)
目を閉じていたから世奥見えないけれど、身体から、スーッと何かが求められ、引き出されるように抜け出ていくのが解る。
これは……多分、気力の方だよね。
私は昨日のラス様の話を思い出す。
体内にあるという『精霊の力』とはまた別の『精霊の力』を動かす為に必要な力が吸い取られていくのだ。
と、同時、周囲が騒めいた。
私も目を開けて見てみると、泉の中央にぼんやりと、人影のようなものが浮かんでいる。
「まさか……ファイルーズ?」
「え?」
浮かんだ影はスーッと静かにこちらの方に移動してきて、桟橋の上に跪く、私の横をすり抜けて桟橋のたもと、呆然と立ち尽くすフェイとマクハーン様の前に浮かび立った。
正直、ここまで近づいてもこの影が、誰かは解らない。
白い靄のような存在で顔や人間の面影はまったく見えないからだ。
昨日、オアシスを作り替えた時に見えた影だと思う。自信は無いけれど。
でも
「ファイルーズ? 其方は、ファイルーズなのか??」
マクハーン様の言葉に小さく身を揺らしたその影は、でもマクハーン様ではなく、迷いもなく躊躇いもなくフェイの方に近づき止まった。
見ている誰も動けない。動かない。
まるで物理的な金縛りにあったかのようだ。
「あ、貴女は?」
いつも冷静な私達の魔術師も、杖を出すこともせず呆然と、眼前に立つ朧で虚ろなその影を見つめている。
影はフェイの問いに答えず、でも、そっと手を差し伸べるようにフェイに向けて近づき
バチン!
「うわああっ!」
瞬間、稲光が爆ぜた。
静電気を超巨大にしたような、もしくは小さな雷が落ちたような衝撃と閃光があたりを包み、そして消え失せたと同時、あの不思議な影も姿を消していた。
「フェイ? 今のは?」
「解りません。何の意思も思いも伝わってきませんでした」
「でも、泣いてるよ。フェイ」
「!」
なんの痕跡も残さず。
ううん、違う。
「こ、これは!」
フェイの頬と右親指。その手に確かな痕跡を残して。
指先の爪は不思議な色を宿していた。
オアシスの水面のような虹を宿した薄水色。
アルケディウスの者。私達には既視感のあるそれの意味を思い出す。
『精霊神』からのコンタクト。
声なき者からの呼び声。
フェイはそれを掌に隠すように握りしめる。
まるで、誰にも渡さない、というように……。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!