一難去って、また一難。
向こうの世界の慣用句は真実だった、と噛みしめる。
エルディランドに到着してもうすぐ十日が過ぎようとしていた。
滞在期間も残り、もう片手で数えて事足りる。
けれども、このままでは帰れない。
「ホント…どうしよう」
私は自室で書類を書く手を止め、答えの出ない答えを自分に問いかけていた。
エルディランドの森でのフィールドワークから三日。
様々な発見があった森のピクニックの記憶は、もう不思議な程に遠くなっている。
あの後、あんまりにも色々な事があり過ぎたから。
何があったのかを順に思い出せば、まず魔性の襲来が最初に来る。
そろそろフィールドワークを片付けようという時に、凄い数の魔性が私達に襲い掛かってきたのだ。
撃退はできたものの、エルディランド王子スーダイ様が私達、非戦闘員を庇って怪我をした。
その怪我から王子はいわば、魔性ウイルスに感染。
正気を失い、昏睡状態に陥った彼をなんとか皆で助け駆除に成功したものの…。
「何が、起きたんだ?
まったく、何も見えないぞ!」
魔性に憑依されて、精霊の力を喰われた後遺症からかスーダイ様の瞳は光を失っていた…。
視力以外の後遺症は出ていないようだけれど、当然、幸いだなんて言えない。
ある意味、最悪の結果になっていた。
不老不死世界に医者はいない。
いたとしても、魔性に精霊力を喰われた、なんて事例、治すことは不可能だ。
大神殿からも
「『神の祝福』が失われた、というのなら再度与える事は不可能では無い。
だが、それ以外の現象について回復の保証はできない」
という早馬の返事が来ている。
…実際に大神官を失っている大神殿は、『神』に直接繋がるラインを無くして大した奇跡は行えない可能性も高いし。
つまり、王子の視力を回復させる方法は今の所無いに等しい。
私達以外には。
あれから一日。
調理実習も当然中止。
重苦しい雰囲気が瑪瑙宮全体を覆っている。
王子の事を思えば、エルディランドの精霊神を復活させ、回復させて貰えるようにお願いするのが最善手だと解っている。
でも、それをやってしまうと、今度は他の七国全ての『精霊神』を復活させる流れが生まれてしまうだろう。
プラーミァは多分、まだ一カ月と経っていないし、他国に『精霊神』の復活を伝えてはいない。
精霊獣のことも吹聴するなと言われた。
でも『精霊神』復活の手順をプラーミァと同じ形で行う場合、神殿の協力が必要になるから口止めは不可能。プラーミァの神殿長は大神殿に報告したと言っていた。
さらには王子を回復させなければいけないのだから、王子を『精霊神の間』に連れて行かなければならないと思う。
そうすれば『精霊神』の口から『精霊の貴人』だの『精霊の獣』だのの単語が出てきて王子に私達の正体バレは必至…。
「本当に、どうしたらいいかな…」
言葉と共に零れた息の重さは自分でも理解している。
王子を助けたい気持ちはある。
ただ、王子に、そして他国に精霊の巫女、聖なる乙女と崇められる覚悟はあるか、と言われればそれはあまりにも怖いのだ。
王子治療の時のウーシンさんからかけられた『聖なる乙女』への期待の眼差しを思い出す。
今でさえ、アレなのに、他国の精霊神を復活させられる真なる『聖なる乙女』と言われればさらに責任と期待は重くなる。
怖い。マジで怖い…。
ぴょん!
「あ、ピュール」
床の上をぴょんぴょんと跳ねまわっていたピュールが、私の机に飛び乗ってきた。
すりすり。
身体を慰めるように寄せてくれるぬくぬくが気持ちいい。
私はピュールを抱き上げると息を吐き出した。
「ねえ、どうしたらいいと思う?
『精霊神』様を復活させてもいいのかな?」
単なる自問自答の独り言。
返事を期待していた訳ではないのだけれど。
『何を迷う必要がある? もう結論は出ているのだろう?』
「うわっ! アーレリオス様?」
抱きしめた腕の中から、愛らしい姿から想像もできない精悍な声が聞こえてきてビックリした。
この声は覚えている。
プラーミァの『精霊神』アーレリオス様だ。
やっぱり、向こうからもこっちに繋がるのか。
『私が、お前達にこれを遣わしたのは他国の『精霊神』を復活させて欲しいという狙いがあってのことだ。
我々は自分の領地から動けぬし、他領地の事は知ることができぬ。
お前に他国の精霊とこれを繋いで連携回路を繋いで欲しいと思っていたのだが…』
「そんなに簡単に言わないで下さいよ。
それぞれの国が国の要である精霊石を、簡単に別の国の王族に見せるわけないじゃないですか?
壊されたり、変なことされたら怖いのに…」
『お前は変な事をするのか?』
「勿論しませんけど、人の気持ちってそんな単純でもないんです」
『神』に封じられた他国の『精霊神』
不老不死時代以前の『精霊の貴人』も復活させようと働きかけたけれど、拒否されてできなかった、とクラージュさんは言っていた。
私が
「精霊神を復活させます」
と言って簡単に触らせて貰える筈は無い。
触らせて貰えたとしても、本当に精霊神を復活させてしまったら、それはそれで怖い。
私の正体とか、魔王城の事とか知れると被害は私だけじゃすまない。
『だが、このまま放っていくのか? この国の『精霊神』とあの王子を』
「うっ…。それは…放っておきたくはないです。
っていうか、アーレリオス様、スーダイ王子に治療とかできないんですか?
気に入っておられたのでしょう?」
『治してやりたいのは山々だが無理だ。ベフェルティルングやグランダルフィが同じようになれば治してやれるが、あいつと私の精霊力は質が違い過ぎる』
「…でしょうね。なんとなく解ります」
精霊神様はともかく。と言ったら怒られるだろうけれど特にスーダイ様をこのままにして帰りたくはない。
何もできないならともかく、なんとかする手段があると解っているのに。
第一印象はとにかく悪かったけど、知れば知る程嫌いになれなくなっていった精霊の愛し子 スーダイ様。
せっかくやる気になって、これから実力を発揮できる筈だったのにその未来を文字通りの暗闇に閉ざしたまま国を去るなんて嫌だ。
『気にしているのが正体バレだけであるなら、私が仲介してやる。
奴と情報を共有し、少なくとも其方らが『星の精霊』であることは口止めさせることができる』
「ホントですか?」
『ああ。力を持つことは隠せぬだろうが…』
だとすれば、『精霊神』を復活させる、ではなく王子の目を回復させて下さいと祈るという、名目で祀儀を行いそのついでに何故か『精霊神』が復活した、とすることはできるだろうか?
本当なら『精霊神』を復活させることも内緒にしたいけれど、王子を精霊の間に連れていく以上バレてはしまうだろうから。
「…みんなと相談します。
そして何よりスーダイ様にも。王子自身の事、選択権は王子にあるべきです」
王子が回復を望むなら、私も覚悟を決めよう。
答えは出ないのではない。
アーレリオス様の言う通り結論は決まっているのだから。
王子を助けるというただ一点に。
どっちにしろ『神』を倒し、不老不死を解除する事を目的とするのなら『精霊神』を復活させ協力を仰ぐのは避けられないことだし。
『よかろう。儀式の時にはこれを連れていけ。
必要なら王の説得の時にも、他国の精霊獣だと使って構わん』
「ありがとうございます」
翌日、私は手作りのお菓子をもってスーダイ様の宮にお見舞いに行った。
花、も考えたけれど見えない王子には嫌な事かもしれないから。
同行者はリオンとカマラ、二人の護衛だけ。
最初はお見舞いを申し出た時、断りを入れて来た王子だけれど、何度も繰り返すうちに根負けしたのか、許可をくれた。
治療の時の様に出迎えを受け、奥の階段を上がり、部屋に入れて貰う。
ウーシン様やシュンシ―さんが出迎えてくれた王子の部屋は、少し荒れて見えた。
「何をしに来た? 私を嗤いに来たのか?」
私の気配を感じたのだろう。
ベッドと私達を遮る、薄紫の御簾の向こうから声が聞こえた。
挨拶も無しに投げられたそれは、部屋の様子と同じように荒れている。
「お見舞いに、参りました。
お加減はいかがですか?」
深く頭を下げる。
見えなくても、これは礼儀だ。
例え返事が気の籠らない自嘲じみた失笑であろうとも。
「最悪だ。こんなことになるのなら、あのまま意識を失って死ねれば良かった」
「そんなことを言うのはお止め下さい。
皆様、王子の回復を心から願っておられたのです。勿論、私も…」
「知ったような口をきくな!」
「王子!」
と私に向けて何かが飛んできた。
リオンが、とっさに反応して叩き落してくれたそれは枕。
なんとなく理解できる。
この部屋の荒れようは、王子が周囲やものに苛立ちをぶつけたからなのだろう。
「お前達に、解るというのか?
ずっと、父王にさえ見限られて来た私が、やっと前に進める。この手で未来を掴める。
そう思った矢先に全てをまた奪われた。全てを暗闇に塗りつぶされた絶望が!」
「王子の絶望は、解りません。
でも、別の事は理解できます。最初から希望も未来も無く、厩で震えていた私ですから…」
「あ…っ」
私の言葉に、ハッとすると、王子は顔を伏せた。
やっぱり、優しいな。
見捨てられた、一人だった、自分は認めて貰えない。
そう我が儘を言ってみても、王子はちゃんと解っている。
自分は恵まれた立場で、色々なものを与えられて生きて来たのだと。
頭が良くて、そして…優しい人だ…。
やっぱり、見捨ててはいきたくない。
「王子は回復をお望みですよね?」
「勿論だ! 死ぬこともできないのに暗闇の中、永遠に光の無い世界に生きたくなどはない」
「王子…。私は、王子の味方でありたいと思っています」
「姫君!」
ウーシンさんが止めかけるけれど、枕を拾いあげ、私はベッドサイドに歩み寄った。
幸い、何も飛んではこない。
投げるようなものが何もないからかもしれないけれど。
「ですから、王子も私を私達を信じて、味方になって下さいますか?」
スーダイ様の手を取り、そっと包み込む。
大きなふっくらとした手の平は、柔らかく、暖かい。
「確実に成功するとは限りません。でも、試してみたいと思う事があります。
回復の可能性が、もしかしたらあるかも。やってみないと解りませんが…」
「ホントか?」
「ええ。でも、その実行の為には王子と、エルディランドが私を信用して下さることが絶対に必要なのです。私を信じて…預けて頂けますか?」
ベットの横に立つ私と、寝台から身を起こす王子の視線の高さはほぼ同じ。
王子の目は私を見ていないと思うけれど、心を合わせる為に、真っ直ぐに見つめる。
「私は…其方を信じている」
静かな声が返った。荒ぶりや苛立ちのない静かで優しい声だ。
「其方の誠実と、手を握ってくれる温もりを信じている。
今よりももっと暗かった絶望の中、青い光とこのぬくもりが、私を導いて救ってくれたことを覚えているからな」
私の手に、もう一つの手が重なる。
逆に、今度は私の手が王子の手に包まれていた。
「私は其方達を信じる。エルディランド全ては預けられないが、私は、私の全てで其方達を信じよう」
「王子…」
伝わってくる、全幅の信頼。
私はこれに応えなくてはならない、応えようと決める。
不安とか、これから変わっていく事とか、今は考えない。
正直、皇王陛下やお母様には眉を顰められた。
特にお父様は心配そうでもあった。
でも、誰も、リオンも、フェイも、アルも…反対はしないでくれた。
「では、大王陛下に謁見のお願いを頂けますか?
『真なる聖なる乙女』が『七精霊』に祈りと祝福を捧げたいと」
「何?」
顔を上げて、微笑み自己暗示。
私は『聖なる乙女』
『星』と『精霊』と『子ども達』を救う者だ、と。
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