この日、この時。
世界中の人達が空を仰いだ時、見たという。
昼なのに、厚い雲に遮られ、太陽の光が見えない空。
空中に立つ、黒き人物の影と、彼が従える大量の魔性達を。
どこの国、どこにいても空を仰いだ時、それが見えたというし、薄く実体感もなく。
でも不思議にはっきりと見えたという。
殆どの国、場所では現れた魔王は何をするでもなく、空中に浮かぶだけでやがて姿を消し。
直後、各国王都近辺で魔性の大量発生と攻撃があり、対処に追われたというけれど。
諸国に現れたモノはきっとホログラフのような立体映像だったのではないかと後で話を聞いて思った。
けれど。今、私達が見ているのは間違いのない実体だ。
黒き人物と言ったけれど、外見だけでいうのならその姿は『精霊の色』を眩しい程に宿している。
太陽の輝きを切り取ったような黄金の髪、新緑の瞳は輝く昼の象徴。
なのに纏う雰囲気はあまりにも禍々しく、外見が煌びやかなだけにより深い闇を感じさせた。
大鎌を手に空中に直立する姿は、背から生えて身長よりも大きく広げられた、蝙蝠、いや竜のような翼と相まって
『死神』
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
「リオン!」「あ、ああ……、あれは……」
「エリクス?」
さっき、星の空気全てが揺れるような振動が紡ぎ、全世界に告げた名がある。
エリクス・ヴァン・デ・ドゥルーフ。
雰囲気は全く変わってしまっているけれど、あの顔の造形には覚えがある。
『そうだ。『聖なる乙女』
この身はエリクス。勇者の転生である』
「この身は、って、エリクス様をどうしたんですか?」
『私はかつて『神』と『勇者』によって倒された。
だが勇者の転生の身に密かに宿り、根を張り、時を待ち今、ここにこうして復活を果たしたのだ』
「うそ……。そんなことが有る筈……」
『ない、とどうして言える。こうして目の前に『魔王』が立っているというのに』
にやり、と。挑発するように笑う『魔王』は空の高見から私達を見下ろしている。
スッと、手が差し出された。
彼の視線から私を守る様に伸ばされたのは、リオンの腕。
微かな震えは見えるけれど、彼は驚くほど静かな目で、頭上に立つ『魔王』を見つめている。
「彼が、『魔王』?」
「復活した『魔王』は黒髪の女性、という情報があったと思うのですが……」
息を切らせ走ってきたのはアリアン公子やオルクスさん達。騒ぎを聞きつけてか、もしかしたら私を案じて来てくれたのかもしれないけれど。
集まってくるヒンメルヴェルエクトの人達を、私は正直やっかいだな、と思ってしまった。
こんなに人がいる状況では『貴方が魔王の筈はない!』とか『偽物!』って問い詰めることができない。
彼がそれに応じ、いや、そうでなくてもこの場で『本当の魔王はお前だ』とかでも言って私達の『正体』をバラしてしまったら、完全に『終わって』しまう。
けれど『魔王』は嘲笑の笑みを頬に浮かべつつ
『あの方は『魔王』の上に立つ方。大いなる意思をもって漆黒の世界を照らす『星』の『乙女』。いわば我らの上に立つ『大魔王』
彼女をその眼に宿す僥倖などを下賤の民になど許す筈もなかろう』
「大いなる意思? 大魔王?」
『無論、貴様らには『大魔王への拝謁』それすらも許すつもりは無い』
私達の上に手を翻した。
「うわああっ!!」
黒い、豪雨のような『黒い力』が私達の周囲に降り注ぐのが見えた。
まるで空気がずっしりと、重さを増して彼らを潰しているような感じ?
アリアン公子やオルクスさん、周囲の人達がバタバタと膝をつく。
立っているのは、『力』の雨に避けられた私とリオンとカマラとフェイ。
アルケディウスの者達だけになった時、彼は『魔王』は私にスッと手を伸ばす。
『さて『聖なる乙女』。私と共に来てもらおうか?』
「な、何故? どうしてです?」
『貴女は『神』と『星』の愛し子。その身体と魂を『大いなる意思』がお望みなのだ』
「な……」
『私が勇者の肉体と魂によって目覚めたように『聖なる乙女』の肉体と魂があれば大いなる意思の元『乙女』も完全な力と使命を取り戻される。
そうすれば、私は、私達は『精霊神』も凌駕する『星』の代行者として君臨できるだろう。
だから……』
次の瞬間
「あっ!」
私の身体が浮いて、後ろに押し飛ばされる。
と、同時に
『消えろ……偽物』
ガキン!
音を立てて響くのは金属同士がぶつかり合う音。
ほんの一瞬前まで、頭上にいた筈の『魔王』は私の眼前に瞬間移動してきた。
大鎌を私達に向けた『魔王』の攻撃をリオンが阻んで立ちふさがってくれたのだと、私が気付いたのは、カマラの腕の中。
戦いの口火が切られた後だった。
「リオン!」
『ほほう。……流石だな』
「フェイ! こちらはいい。マリカ達や公家の者達を守れ!」
「はい!」
「マリカ様、後ろへ」
目の前ではもう、戦闘が始まっている。
『魔王』エリクスが繰るのは長柄の大鎌。
受けるリオンが振るうのはカレドナイトの短剣。
金と漆黒、二つの風が滑るように交差し、互いをぶつけ合うのが見えた。
解っている。互いに本気ではない。
『こうなって見て、初めて解る。
貴様という存在がいかに異質であるのか。良く平気な顔で人の世に在り続けられるものだ』
「黙れ。そこまでして、そうなってまで『勇者』でありたかったのか?」
『貴様には解るまい。少なくとも……僕は後悔していませんよ。
こうして、真の意味で僕は『アルフィリーガ』となったのですから!』
勿論、命を刈り取らんと唸りを上げる鎌、死角を狙い振るわれる短剣。
どれも一撃必殺。当たれば不老不死の無い人間であるのなら間違いなく、命を奪われる必勝の刃だ。
でも、そこに殲滅の意思は見えない。
頭上に見える無数の魔性達をけしかけるだけでも、戦況は変わるだろう。
そうしない『魔王エリクス』
『彼』にとっても今日はおそらく、ただの宣戦布告なのだ。
『マリカ!』
「あ、キュリオ様?」
気が付けば、私の足元から、ぴょぴょんと、肩を足場に駆け上がり、頭上に立つ精霊獣、いや『精霊神』がいる。
『力と、身体を貸して。
今だったら、あの雲を消し飛ばせる』
「え?」
『このままにしておくと、また、昔のように太陽の光が封じられた夜の世界になってしまう』
「それって、不老不死世の前の魔王時代みたいにですか?」
『ああ、今は僕ら七人が揃っている。……同じことは、させない』
「解りました」「マリカ様!」
カマラが心配そうに声を上げてくれるけれど、私は首を横に振って、膝をつき祈る様に目を閉じた。
迷っている暇はない。
頭の上から、スーッと水が染み込む様に何かが私の中に入ってくるのが解った。
身体全体が熱を帯びていくのに、意識は妙に冴え冴えとしている。
前に他の『精霊神』様に力を貸した時のように、意識が乗っ取られるのではなく、私の中に『精霊神』の力と意思が溶けていくように感じた。
私は間違いなく『マリカ』なのだけれど、今は『光の精霊神』でもあるような感じ?
今もまだ続く二人の剣戟の音が妙に遠くに聞こえる。
『『星』と『七精霊』の名の元、光の『精霊神』キュリッツィオが命じる』
シンプルで飾り気のない、ただの『命令』。
よくある魔術師の物語などで、紡がれる凝った詠唱や意思を伝える儀式や呪いはそこにはない。
ただ、世界に散らばる『力』が、私の身体を通して同種の上位者の意思に従おうとしているのが『解った』
ぎゅんぎゅんと、音を立てるように私の中の力が吸いとられ、集まっていく。
私の、だけじゃなくって、周囲からも。
「な、なんだ?」「これは?」
一切の躊躇なく、私の身体は周囲の力を集めていく。
いや、多分手加減はしているのだろうけれど、とんでもない力が『私』が掲げる手の平に集まって凝縮されていく。まるでミニ太陽を手の中に作っているような感じ。
『『星』に『光』を』
剣戟が止まったのが解る。でも、正直そちらに意識が向かない。
私の全部が、今はただ一つの目的に使われている。
『天を穿ち、我らが故郷。
アースガイアに輝きを灯せ!!』
集められた光が空に向かって立ち上がる。
髪の毛が逆立ち、重い負荷が身体にかかっているのを感じて『私』は微かに顔を歪めた。
光がまるで打ち上げ花火のように分厚い雲を打ち抜いて、雲の上に消えていく。
と、同時。
本当に打ち上げ花火のような音と光が弾けて、分厚い雲が一瞬で砕け散る。
ホントに、瞬く間に夜から朝になったような輝かしさ。
世界が白に包まれる。
それは正しく、太陽と光の再臨で……、私の意識と記憶は光に飲み込まれ、消えた。
『今日は、ここまでにしておくか』
「待て!!」
『哀れな『星』の操り人形ども。
貴様らは忘れているし、間違っている。
早々に己の過ちに気付き、本来の使命を思い出すがいい』
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