気が付いた時、私は見知らぬ部屋にいた。
寝かされていたのは豪華な天蓋付きベッド。
薄紫と黒を基調にしているが、落ち着いた印象の美しい調度の数々は第三皇子家、マリカ皇女の居室にも勝るとも劣らない印象を受ける。
こんな豪華なベッドで目覚めたのは初めてだ。
いや、勿論、マリカ皇女の従者として住んでいた部屋が悪いというつもりは無いけれど。
と、その時。私は気が付いた。
自分の身体に感じる違和感に。
服が無い。一糸まとわぬ裸であることは、まあいい。
でも、この指、この身体。
これは本当に私のものなのだろうか?
「お目覚めになったようですね? 気分はいかがですか?」
私の視線の先。黒檀扉の側に彼はいた。
「あ、貴方は……エリクス……さま?」
「僕の名前を覚えていてくれたとは光栄ですね。
ノアール。影武者の乙女」
いつからそこにいたのだろうか?
声をかけられるまで気が付かなかった。
今も気配は感じられない。
金髪、碧の瞳。
華やかな勇者の色をその身に宿しながらも、黒の鎧服の上下に黒いマント。
闇そのものを切り取ったように有る。
「貴女に危害を加えるつもりは、原則としてありません。
望むなら、アルケディウスに返すことも検討します。
ですが、その前に話を聞いて頂けませんか?」
魔王エリクスが立っていた。
私は、彼の存在を意識したと同時、自分が裸であることを思い出し、とっさに上掛けを胸に宛がう。
少し慌てた私に彼は小さく笑うと、私の真横。ベッドの端に腰かけた。
「ここは、魔王城です。人間は、貴女の他に僕しかいません。
ご安心を、と言っても、安心できませんか?
世話をする者もいないのでご不便をおかけするかもしれませんが、その辺はまあ慣れて下さい」
そう言って彼は、私の右手を取り、すっと人差し指に指輪をはめる。
マリカ皇女がしていたような、シンプルで蒼い指輪。
これは、多分、カレドナイトだ。
「それは、我々の主からの贈り物です。
ああ、特に意味とか他意があるわけでは無いのでご安心を。
指輪に願うように、服をイメージして下さい。こんな服が着たい程度でかまいませんから」
「服?」
「ええ。そのままでは動くに動けないでしょう? 私が貴女の服を用意する訳にもいきませんし。大丈夫。今の貴女ならできます」
言われ、私は目を閉じた。とりあえず、そんな派手な服でなくていい。
マリカ皇女が自室で来ているようなチュニックドレス……。
「わあっ!」
驚いた。空気中の微粒子がすうっと集まるような感覚で。
気が付けば私の身体は服を纏っていた。下着とドレス。
こんなことができるか。
「どういう仕組みなのですか? これ?」
「『精霊の力』を集め、固定、維持するものだと主は言っていましたか?」
慣れれば装飾品も作れる筈。
一度散らしてまた作り直せば洗濯もいりません。便利でしょう?」
「ええ。ありがとうございます」
素直に感謝した私に満足げに頷くと、エリクスは改めて、私に説明をしてくれた。
マリカ皇女が意識を取り戻してから私が、国王達の血から生まれた炎を見つけ、飛び込んでしまった後の事を。
「あの炎は本来、マリカ皇女を作り替え、魔女王にする為のものでした。
それを貴女が浴びてしまったので、貴女の身体が作り替えられてしまったのです。
今の貴女は、身体に国王達の血という力を取り込んだ。高位魔術師を上回る精霊の力を宿しています」
「皇女が得る筈だった力を、私が……?」
「はい。その為、身体が急激に増加した力を支える為に、変生の時に成長したようですね。
今、貴女の身体は、僕が見るに十四~五歳くらいになっているようです。
後で、鏡を持って来ましょう」
成長している?
身体に感じる違和感はそれだったのか。
言われてみれば、指や手足が長くなったような気がするし、体つきも変わっている。
胸が随分と大きくなっている。
ありがたいことに。ではなくて。
戸惑う私に、彼は静かに微笑して告げる。
「ノアール嬢。
もしよろしければ、この城で僕と『魔王』をやって頂けませんか?」
『魔王』が私に。『魔王』になれ、と。
私は今現在、魔王エリクスを名乗る人の今までを殆ど知らない。
皇女の侍女として、大聖都で何回か『勇者の転生』で会った頃に顔を合わせた。
でも、名乗るような場面は無かったから、この人は私の名前を知らなかった筈だ。
ヒンメルヴェルエクトで『魔王』を名乗って空に現れた時も同様に。
あの時と今とはだいぶ口調が違うけれど、大聖都の時の『勇者エリクス』を思い出すに、今の口調が素なのだろうな。きっと。
でも……
「エリクス様は……」
「エリクスで構いませんよ」
「いえ、マリカ皇女もエリクス様、と呼んでいたので。とりあえずは。
エリクス様は、マリカ皇女を自分の隣に立たせたかったのではないのですか?
私の事を影武者の~、とおっしゃったということは、私が偽物であることは御存じの筈です」
私はマリカ皇女の影武者。
要するに偽物だ。あの黒い炎に入ってからの記憶が無いし自分の中で、何がどう変わったのか、ピンと来ないのでよく解らないけれど。
私が『魔王』になっていいのだろうか?
「はい。そうですね。解っています」
「私が魔王になっていいのですか?」
「はい。主からもこの件に関しては好きにしていいと許可を得ておりますので」
でも、エリクス様は静かに頷いて私を見る。
私でマリカ皇女の代りが務まるとは思えない。
「無論、マリカ皇女を変化させて我々の側に取り込むことが、我々が目指す最上の成功でした。ただ、貴女を得たことも、まんざら悪い結果ではないと主はおっしゃっています」
「主?」
「それが誰かは今、言うことはできません。ただ、私は『魔王』として地上の人間から『精霊の力』や『気力』を奪い、集めることを命じられています。
報酬は、人を。勇者リオン・アルフィリーガをも超える力」
「勇者……リオン」
「ええ。マリカ皇女の側近ならご存じですよね。
本物の勇者の転生は、マリカ皇女の婚約者リオンで、私は偽物である、と」
はい、と言っていいのか悪いのか。
顔に動かない笑みを張り付けたままのエリクスは私の返事など意にも留めずに続けて語る。
「私は、所謂噛ませ犬でした。
大聖都も、ライオット皇子も、皇女も。私を偽勇者だと知りつつ祀り上げた。
まあ、その神輿に自分が勇者だと思い込み、乗った自分が一番悪いと解ってはいますが。
彼らが私に期待した役割は、リオン・アルフィリーガと言う存在を引き立たせ、目覚めさせること。そして手に入れること。
真実の勇者の転生がいれば、手に入れば。偽物は用無しなのです」
彼の言葉の一つ一つがチクチクと棘になって降り注ぎ胸に突き刺さる。
「そんな僕でも『本物』になれる。力を与えてやると言われて、僕は『魔王』になりました。
ただ、魔王城にはまともな会話ができる存在がおらず。
知性の無い魔性達は手駒にして使うにはいいのですが、やはりなんとも言えず不快で。
私は対、番となる存在を『主』に求めたのです。
そして、貴女が来てくれた」
「……ごめんなさい。私のような偽物が、貴方のパートナーとなるべき皇女の位置と力を奪い取って……」
偽物でしかない私が、手を伸ばしていいものでは無かった筈。
けれど、彼はスッと私の目尻に指をやり、涙を拭うと微笑した。
「泣かないで下さい。むしろ、今、考えてみれば好都合であったと思います」
「好都合……ですか?」
「ええ。私は、貴方と言う魔王が欲しい。だって似合いでしょう? 偽物同士」
昏い思いを宿した笑みと共に。
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