タシュケント伯爵夫人は淡い金髪に青い瞳が美しい女性だった。外見年齢は四十代くらいに見える。表情もなく、荒ぶったところも見せず、ただ私を静かに見ている。
その瞳の奥に見える深いもの。
それは多分、怒りとか憎しみと呼ばれるものだ
「皇女様にお願い致します。
我が領地の宝達のどうか返却を」
「お前が返せという領地の宝、とはなんだ? マリカが一体、お前の領地から何を奪ったという?」
立ち上がりお父様が私と伯爵夫人の間に割って入って下さった。
お母様も私の手を引いて後ろに下げると、前に立つ。
「そうです。ラクアゼーテ様。
事と内容によってはタシュケント伯爵家に抗議させて頂くことになりますが」
親鳥の翼の下に隠れる小鳥のように、私はお二人の後ろから夫人を見つめた。
そんなお二人にくすり、と嫌な笑みを見せるタシュケント伯爵夫人ラクアゼーテ。
「既にタシュケント伯爵家は、第三皇子家によってあらゆる物を奪われておりますが。
名誉、栄光、順位、機会など」
あくまで大貴族は皇王陛下と皇王家が領地の管理を委託する上級公務員の一人の筈だけれど、その言動には明らかな棘が見える。
「それは、自業自得というものであろう? 俺の娘を奪い、奴隷として生きるも難しい環境に追いやり、そのくせろくに育てもせずに放置した娘が別の所で才能を発揮したらお前はうちのものだと強引に引き寄せようとする。
タシュケント伯爵家が何かを失ったとすれば全て、その強欲が為と理解されよ」
「皇子は強欲と申しますが、皇子がおっしゃった行為そのものに国法に反することは何もありません。
我々が保護して育てていた娘が、皇子の娘だといつ、だれが証明されたのでしょう? 慈しみ育てていた娘を誘拐し、我が物にしたのは皇子の方では?」
タシュケント伯爵は国務会議で、子どもの誘拐や悪辣な育成状況を指摘されたとき、反論もなく受け入れてしまったけれど、夫人はどうやらそれに真っ向から対立する気、満々のようだ。
「極寒の日も灼熱の日も厩に転がされ、外仕事にこき使うことを伯爵家では慈しみ育てるというのか?」
お父様は怒り心頭という表情で、でもまだ声を荒げることなく冷静に対処しようとしている。
「俺は、外見を見れば一目で解ったが。
赤子が包まれていた精霊上布と持たせていた身元を示す品が全ての証拠と伝えた筈だ」
「あのサークレットは私のものにございます。夫が勘違いしただけで。
タシュケント伯爵家に伝わり、夫人である私に正当に伝えられたもの。領地の宝。
それを言いがかりで徴収されるのは耐えられませんわ」
悲しげな瞳で顔を伏せる伯爵夫人。
そう来たか。
身元を証明するサークレットの所有権をあくまで主張することで、皇子の娘だという説得力を奪うつもり?
「確かに精霊上布に包まれた赤子を、我が家の家令が拾ってきたのは事実です。ですが、その赤子が高価な品物をもっていたというのは、単なる誘いでございます。
奪われた娘が、自分の身元や高価な品を目当てに戻ってくるのではないのかという夫の浅はかな」
「だが現に、伯爵家は俺が精霊国女王より託されたサークレットを持っていた。
あれはカレドナイトと白金を精霊国の技術で融解結合させた特別な品。大陸では再現不可能の奇跡の品だ」
「それが、皇子が精霊国より賜ったと、誰が証明するのです? あれは我が一族の家宝。
由来は定かではありませんが、精霊国より伝わったものを先祖が入手した我が一族の宝、なのです!」
語気を荒げる伯爵夫人。
……女性達のお茶会に何度か参加する機会があって知ったことだけれど、私の皇女認知の後、タシュケント伯爵夫人は大貴族女性の輪からはじき出されることになったらしい。
ある意味、ドルガスタ伯爵家よりも酷く。
まあ、当然だ。盗んだ品物を我が家の家宝として見せびらかしていた、と証明されたのだから。その品物が他家の羨望を集めるほどに見事な品であればあるほど。
盗人がと後ろ指指されることになっただろう。
現に今年の社交において、タシュケント伯爵夫人は皇王妃様のお茶会さえも不参加をずっと貫き通していた。
外に出てきたのは大祭の宴と、始まりの宴の時だけだった気がする。
「実際に拾った娘が皇子の娘であったとしても大祭の時点で、拾い育てた娘の所有権は我が家にあった筈。黙って連れ去った皇子には罪は無いのですか?」
「その件については金銭で賠償が済んでいる筈だ。
娘に一切の教育を与えなかった事は解っているが、それでも養育費は支給した」
「では、まだ皇子の娘として買い取られていなかった自家所有の娘を連れ戻し、躾を与えようとしただけの息子に、なぜ、死を与えられるほどの罪が課せられるのですか!」
「え?」
「マリカ!」
伯爵夫人の言葉にお父様の顔から血の気が引いた。
私も、頭が真っ白になる。
死?
私を誘拐したソルプレーザが……死んでいる?
「あら? 知らなかったのですか? 皇女は?」
伯爵夫人はガタガタとみっともなく手足が震える私を呆れたような、馬鹿にしたような顔で見下ろす。
「ええ、私の息子。ソルプレーザは死にましたの。
昨年の秋、幽閉されて面会も許されず郷に戻らされ、夏に面会を申し込んだ時に、私達に知らされたのは不老不死を奪われ死を賜ったという事実。
永久幽閉ならいつか、まだ恩赦もあると思えたのに、この不老不死代に我が子の『死』を突き付けられた親の気持ちが、皇女に解りまして?」
「……罪として、課せられた訳ではない」
叩きつけられるような伯爵夫人の怒りに、返すお父様の言葉は力ない。
「…お、おとうさ…ま」
「我々も知らない所で『神』の加護が失われただけだ。
直接の死因は自殺。
『聖なる乙女』を汚そうとしたことで『神』か『精霊神』の怒りを受けて不老不死を奪われたのだろうと、我々とて推察するしかなかった」
「そうですわね。夏の戦の時、姫君に無体を働いた神殿長が不老不死をはく奪されたのを見ましたから、それと同じことがソルプレーザにも起きたのかもしれないと、納得は致しました。許容は……とてもできませんが」
自嘲するような笑みで私達を見つめ伯爵夫人は呟いた。
「人殺し」
「! ラクアゼーテ様!」
瞬間、私の身体全てが凍り付く。
指先一本、動かない。
「この一年、我が領地は後継者、家宝、有能な家令、領地としての順位、皇家からの支援、他家からの友好、全てを失って参りました。
夫は、不老不死世でありながら、身体と心を病み政務も取れないありさま。
故に、夫に成り代わり、私が皇家にお願い致します。
我が領地に宝の返還と加護を」
「宝というのは?」
「皇女マリカの知識と栄光、家令の釈放、息子の死における損害賠償と領地への支援。
そして何より家宝、サークレットの返還にございます」
膝をつきもせず、皇子に言い放った伯爵夫人は、私を見やった。
「貴女は覚えていないのかもしれませんし、皇子に都合のいいように吹き込まれているのかもしれませんが、私は拾い子に十分な慈悲を与えたつもりでした。
衣服に屋根に、働き、住まう場所を。今からは想像もつきませんが、子ども時代の貴女は覚えが悪く、人の話を聞けず、仕事もろくにできなかった。
故に使用人としての待遇を与えられなかっただけなのです。
夫やソルプレーザが女奴隷として貴女を使おうとしていたことから守っていたのも私なのですよ」
まだ子どもだから、と厩に追いやり性的虐待から遠ざけた、と伯爵夫人は言うのだろう。
確かにあの時点で私が八歳だとすれば、酷い目に遭わされていても不思議はなかったのだけれど……。今は正直、そんなことが考えられない。
「あの……サークレットはマリカのものだ」
「それを証明する手段はありますの?」
「お前の方こそ、あれが伝来の家宝だと証明する事はできるのか?」
「はっきりとはできかねますわね。家人の証言や財産目録はいくらでもありますが、それでは証明にならないとおっしゃるのでしょう? ですがそれは、そちらも……」
「……証明する、手段はある」
「皇子!」
お母様が声を上げたのが聞こえたけれど、私は何もできなかった。
喉も、声も、完全に凍り付いている。
「あら、そうですか?」
「あのサークレットがマリカのものである証明ができれば、タシュケント伯爵家は財宝狙いで俺の娘『皇女』を誘拐したという罪が付く。
お前の『返還』要求は全て却下だ」
「了承いたします。できるものであるのなら」
「現在、サークレットは王宮にはない。明日、皇王陛下も立ち合いの上で、貴様の言い分と真実を検証する。良いな」
「かしこまりました。ソルプレーザの死の真相も私は知りとうございます故」
優美な礼で伯爵夫人は応じる。
瞳にはっきりとした意思を宿しながら。
「正式な場で事実を白日に晒すことに異論はございません。
このままでは領地に帰還することもできませんから。
正しき『結果』を頂きたく存じます」
二人の会話を遠くに聞き、退室する伯爵夫人のドアの音が閉じられたのが解っても。
「マリカ! しっかりしなさい! マリカ!!」
お母様の腕に体温に抱かれても。
私の頭も、身体も、心も、長い間硬直から解けることはできなかった。
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