それは、私の知らない光景だった。
2023年9月。
年々の上昇する気温は体温を超えることもざらだったけれど、暦の上では秋に近づいている。
そんなとある秋晴れの日曜日。
少女は保育園の玄関、そのインターホンを鳴らしていた。
「こんにちはー、真理香先生いる?」
『はーい。どなたですか?』
「わー、ホントにいた。日曜日なのに車が止まっているからまさかと思ったのに」
『あら、星子ちゃん?』
「神矢もいるよ。部活の帰りなの。
先生、ちょっと話してもいーい?」
『いいわよ。待ってて。海斗先生、ちょっと教え子が来たみたいなんで出てきますね』
『いってらっしゃい。外はまだ暑いですから日射病にならないように気を付けて下さい。
中に入れるのはいいよ、とは言ってあげられないので』
『ありがとうございます』
インターホンが切れ、玄関の扉が開いたのを見て、二人の子どもは嬉しそうに顔を見合わせた。
今の私は、空中に浮かぶ浮遊霊になって、全体の風景を見下ろしている感じ。
この風景はもしかしたら、お父様やお母様、リオン達も見ているかもしれないけれど、とりあえずこの場には私以外の異世界の存在は感知できない。
「夏休みの体験実習以来ね。元気だった?」
「はーい。おかげさまで。今日は部活の帰り。
っていうか、先生さ~。日曜日なのに仕事してるわけ? さっきの会話からすると海斗先生も来てるんでしょ?」
「ははは、書類仕事が溜まっててね~。休日自主出勤なのよ。
園長先生には怒られたけど監査までに書類を纏めないといけないから」
「先生も大変だ」
「ありがとう」
眼下で楽し気に会話する三人には見覚えがある。
黒髪、黒い瞳。明らかに日本人の外見ではあるけれど『神矢』くん、『星子』ちゃん。そして『真理香』先生。異世界の『神』と『星』と多分、私だ。
向こうの世界の方が美化されている、というか、素材を元のままに一つ一つのパーツを磨き直したような印象で、こっちの世界の三人は比較的素朴な外見をしている。
少し薄茶がかった黒髪ショートの神矢君。
黒髪、長髪ストレート。元気な女の子、星子ちゃん。
そして多分二十代後半、中肉中背の真理香先生。
ごく普通の、どこにでもいる日本人って感じだ。
「今日は何か用?」
「別に用って程じゃないんだけど、ちょっと先生の顔見たいのと進路相談というかしたくてさ。
神矢は付き添い」
「付き添いっていうか、引っ張って来られただけだ。まあ、ちょっと先生の顔は見たかったからいいけどさ」
「学童が終わって二年と三年も経つのに時々、会いに来て嬉しいわ」
「先生のこと大好きだったから♪ いろいろお世話にもなったしね」
「あら、ますます嬉しい」
仲良さげに笑いあう二人を、男の子、神矢君は照れくさそうに見ている。流石に輪の中には入っていけない様子だ。でも、男の子なのに女の子につきあって、子ども園に来るのも先生に会うのも、本気で嫌がってはいないのかも。
優しい子。そして先生の事を慕ってるんだなあと思うと、なんだかほのぼの。
和むなあ。
玄関前は日差しが強いので、園舎の側の日陰に移動して、真理香先生と星子ちゃんは並んで座り、神矢君は側の壁に背を預けて二人を見ている。
「それで、相談っていうのは何?」
「うーんとね、来年高校受験でしょ? 少しずつ将来の事考えて行かなきゃならないの。
うちは父子家庭だったからさ、お父さんが『無理強いはしないけど、お母さんみたいに手に職があるのは強いぞ』っていうから看護か、保育か、介護の方に進もうかなって。
保育の仕事って、どんな感じ? やっぱり日曜日も仕事しなきゃならないくらいブラック?」
「うーん、子どもと遊んでられる楽な職場、って訳ではやっぱりないね。毎日楽しいけど大変、責任もあるし」
「そっかあ。くいっぱぐれが無い仕事って、つまりは大変な仕事ってことだもんね」
「会社勤めとかの方が気楽かもね。でも、どんな仕事もその仕事なりの大変さはあると思うけど」
「そうなると早めに結婚しちゃうのもあり?」
「子育てや主婦も楽じゃないよ」
「そうだ。特に相手が悪いと、女の方が苦労することだってあるんだ」
「神矢はお母さん、大好きだったもんね」
「煩い!」
「もうすっかり仲良し家族ね。最初は喧嘩ばかりしてたのに」
くすくすと二人の様子を見ながら、微笑む真理香先生に二人の顔が同時、朱に染まる。
「その節は……ご迷惑をおかけしました。神矢のお母さん、とってもいい人です」
「星子の親父さんも……尊敬できる人でさ。
最初の親父が最悪だったから、俺、父親って悪いイメージしかなかったんだけど。
ようやく、最近、父親っていうのができて、いてくれて嬉しいって思えるようになったんだ」
会話から察するにあの二人は片親、子連れ同士の再婚の兄妹という漫画みたいなカップル。
再婚前にごねたりしたところを、真理香が相談にのって援助したのかもしれない。
保育園は保育に欠ける子が入ることが多いから、片親というのは珍しくない。
学童も同じ。高学年になるほど複雑な家庭が多くなる。
私自身、そういう話を聞いたことが無くもない。
「それは、良かった。神矢君は進路どうするつもり? 今年、高校受験でしょ?」
「進学していいって言われてるから、工業高校に進む予定。最近パソコン面白いんだ」
「昔はゲームの話良くしてたもんね」
「真面目に攻略法まで付き合ってくれたのは先生だけだったしな。いつか自分でゲーム作れるプログラマになりたい。高校入学したらスマホ買って貰える約束だし」
「いい目標ね」
「私も、もう少し考えようかな?」
「焦らなくてもいいわよ。まだ、時間もあるし。
手に職、というのなら個人的には料理人とかもお勧めだけど、今どき個人経営の飲食店とかはちょっと難しいかもね~」
「そうだよね。落ち着いてきたとはいえ、コロナで大変だったろうし」
「そういえば、最近できたケーキ屋さんがいい感じなのよ。私、応援しているの。
アイシングクッキーとかがとっても可愛くてね。ほら、これ」
「わーステキ。もうすぐ、お母さんの誕生日だし、お祝いのケーキここで買おうか? 神矢?」
「……悪くないな。先生、これ高い?」
「そんなに高くないわよ。……ちょっと待ってね。
値段、検索!」
「センセのスマホ、画像イイな。しかも音声入力付き?」
「最新機種だから、睡眠や検索サポートAIも入ってるのよ」
スマホに指を滑らせる先生、覗き込む二人。
けれど、そんな当たり前の昼下がり、楽しい時間は
『従え!』
「「「え?」」」
どこからともなく、響いた声と同時、粉々に砕け散った。
「な、なに? 今の?」「防災無線?」「それにしたって……」
『新たなる贄どもよ。従え。
この星は、以降、我らが所有する』
訳も解らず、脳裏に響いた言葉。
そして、仰いだ空に彼らは見ることになる。
「せ、先生! あれ見て!」
「流れ星?」
真昼間だというのに、紅く、昏く、燃えるように輝き、落下してくる。
天を埋め尽くすほどの、流星群を。
それが、終わりの始まり。
地球の終焉、そして地獄の始まりだった。
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