新しい、大聖都の支配者。大神官 アルケディウス皇女マリカの仕事は本当に容赦が無かった。
この時は驚き、あっけにとられただけだった私達には後で知ったことも多かったのだがまず、正式に就任式を終えた後、大神官はまず、文書などを担当する下級神官を懐柔。
極秘に書類の監査を行ったらしい。
協力者は女官長マイアと神官長フラーブ。
どこもそうだと思うが、会計関係は権力を持つ上位神官が取り仕切っており、監査などは基本行われない。信頼を良い事にある程度の役得として不正を行うのが常だった。
そんな帳簿を監査した大神官の手によって次々と不正が発見され、暴かれて行った。
「もう少し、情報収集はなさった方がいいですよ。
私がアルケディウスで神殿長を拝命した時、最初に徹底的な会計、および書類監査を行った。と聞いておられませんでしたか?」
不正を暴かれ、がっくりと肩を落とす司祭、大司祭達に皇女はすまし顔でそう言ってのけた。確かにそんな噂はあったけれど、前にも言った通り十一~二歳の子どもが本気で行うとは誰も思わない。背後に皇子や有能な文官などがいて、代わりに行ったと考えるのが普通だ。
でも、様子を見る限りこの少女は少なくとも会計監査を行うだけの知識があり、部下に監査そのものは行わせたとしても。内容を理解し、それを告知することができるのだ。
自分が認識していた子どもとはあまりにも違う。
背筋にぞわり、と冷たいものが走ったような気分になる。
「怯えなくても大丈夫です。
私は真摯に仕事に取り組んでいる人を貶めることは絶対にしません。
むしろ、楽しく人の役に立つ仕事ができるように助けていきたいと思うのです。
どうか一緒に神殿を変えていきましょう」
その宣言の通り、その日から大神殿の改革が始まった。
まず、皇女は数日をかけて全神官、前職員に面接と聞き取りを実行。
その人物の仕事内容と、実績、能力、興味などを確認した。
大司祭から、掃除の下女に至るまで。
そして大幅な再配置を慣行。今まで、年功序列や実家の後ろ盾などで上位に位置していた者達も容赦なくそうでない者と同列とし、平等に仕事を割り振った。
個人的な使用人を除く上下関係も一端全て解除。
個別に雇いたい時には新しい契約関係を金銭その他で行うとされた。
奴隷身分の者達にも聞き取りを行い、雇い主から目立って悪い扱いを受けて、契約解除を望んでいた者達には買い取りの為の金銭を貸与して、その後自由民として神殿が再契約。
貸付金は低利息で返済することまでやってのけたというから驚きだ。
この改革は、下の者達には概ね歓迎をもって迎えられたが、甘い汁を吸っていた上位の者達からは当然、反発も出る。
「大神官とはいえ、これはあまりにも横暴ではありませんか?」
「伝統や歴史をなんと心得られます。神殿の仕組みも何も解らない子どもは、周囲の意見を聞いて大人しくされていればよろしかろう」
とまで申し出た者もいたという。
だが、皇女はその全てを一蹴した。
「権力というのは上の者が下の者を守る為にあるのです。
私に力があり、人々が暮らしやすい生活を守れるのなら行使することを躊躇うつもりはありません。
そして、神殿の者であろうと滅私奉公を私は基本認めません。
適切な働きには適切な対価が支払われるべきです。
文句がお有りでしたら、私より上の立場になってからおっしゃって下さい」
大司祭達は全員、反論を封じられた。
何せ相手は一国の皇女。しかも英雄の娘である。
さらに『神』と『精霊神』の寵愛を受ける真正の巫女。
加えて七国の王家全てを味方に付けているので、実家の貴族家の後ろ盾という武器も通用しない。
買収も効果が無い。彼女が文句なく大神殿一の資産家であったから。
神殿改革に必要な莫大な予算も全く意に介さない。
会計担当の大司祭が邪魔をしようとしたが、どうやら一時的に彼女の私費から出ているらしく止められなかった。
それでも、さらに己の勇気と知略を持つと信じる者達は彼女を無力化せんと策をめぐらし、己の術力や財力で彼女を手の中に入れようと目論んだりもした。
だが
「ふむ。『神石』を埋められた司祭による精霊術の行使は精霊を見えない力で縛り、命令させるようなものなのですね。より強い力で加護してやれば妨害することもできる。
『神石』を外せば司祭の力も失う、と」
「な、なんだ。離せ、止めろ!!!」
大神官の側に仕える魔術師、いや、大神官が任命した子どもの特別司祭はそう言って、皇女を『精霊の力』で闇討ちし捕らえようとした大司祭の一人を、護衛騎士と共に返り討ちにし、言葉通り司祭の力を奪い取った。
「見せしめには丁度いい。
『聖なる乙女』いえ、大神官に逆らう者は『神』への反逆に等しいということを思い知って下さい」
冷酷に言い放ったあの氷のような眼差しが忘れられない。
不老不死こそそのままだったものの、その愚かな元大司祭は神官位を剥奪、国に帰ることも許されず、見習い待遇に落とされたという。
「『精霊の力』は助けの力。
感謝と敬意をもって使わせて頂く、という思いが大切です。
力で支配することばかり考えていると、そっぽを向かれ力を貸して貰えなくなりますよ」
大神官に逆らえば『神石』を奪われ一般人に堕とされる。
私も含めて全大司祭は、事実上完全に牙を抜かれ、全員が大神官の元『神』に仕える一司祭となったのだった。
ただ、大神官の怖い所は鞭と力だけで大神殿、いや神殿組織を押さえつけたばかりではなかったところだ。
まず行事の申請書や、会計の報告書全て同じ書式に統一するように指示した。
今までバラバラだった書類の形式を統一し、分類する事で仕事の効率化を図る。
これはアルケディウスの神殿で試験的に行われ、成功したものを取り入れたという。
そして神殿の司祭の大きな仕事の一つだった外部からの『術者貸出要請』も窓口を一本化。
定型の申請書を提出することで、適切な人員をその都度派遣することになった。
皇女の提案した機構は、最初こそ戸惑いがあったが、徐々に合理的であると理解され受け入れられる。
特に会計書類は、収入と支出、項目を横一列の小さな升目に並べさせて、収入、支出の流れが一目で解るようにしたことで計算しやすくなり間違いなどが大きく減ったそうだ。
文書に使う用紙も羊皮紙から植物紙へ移行。
折しもエルディランドで独占されていた植物紙販売がアルケディウスでも行われるようになり、価格が下がり経費が削減された上、事務員の労力も減少。
さらに皇女は浮いた時間を余暇として、下級神官や見習い、下女には無かった『休暇』として与えたのだ。平均、週1~2日。
最初は休みを取ることを怯えていた者達も、二年を過ぎるころには慣れゆっくり体を休めたり、外に出て美味なものを食べたり余暇を楽しむことができるようになってきたという。
因みに皇女もきっちりと休みを取る。週に1日ないし2日ではあるが、大神殿の転移陣を使って家族の元に帰る子どもを、止める者はいない。
そして最初に宣言された通り、仕事に取り組んだ全ての者に職務に相応しい給料が与えられた。役職ごとの週払い定額制とし、基準を明確に定める。毎週1~2日の『休暇』をとっても給料は減らない。外部での仕事をしてきた者には追加賃金が支払われる。
相対的に一部の大司祭を除き、給料は皆、上がった。
実の所、今まで、給料などは雇い主の『気分』だったところが多い。
衣住を賄う代わりに、タダ働きという立場の者も少なくなかったのだ。
個々人が契約し連れている奴隷や従者以外は皆、自分の職位に合わせた給料を支給されることになる。
すると彼らは今までの死んだような目ではなく、生き生きと自ら進んで仕事に取り組むようになった。
また仕事も、本人の希望を聞きできる限り望む形に近い所に配置してくれたようだ。
計算が得意な者は財務担当、人と関わる事が好きな者は儀礼や相談の担当というように。
私自身にも護衛士は側に付いていたものの
「貴方は絵を描くことが得意なのですか?」
一対一で面談が行われ話を聞いて貰った。
静かな口調に精霊の化身、宵闇の星とも言われる秀麗な外見。
この時まで恐怖の対象でしかなかった大神官は、けれど話してみると穏やかで話の分かる女性だった。子どもに女性、という表現は相応しくないかもしれないけれど、そう感じたのだ。
「得意と言うか、好きであっただけです。それほど上手というわけでも……」
「謙遜しなくてもいいですよ。とても素晴らしいことだと思います」
彼女は柔らかい笑みを浮かべ、私を褒めてくれた。
ふんわりと鼻腔を擽る甘い香りと合わせ、花の様だと思ったのは心の中だけのことだけれど。
「絵を見せて頂けませんか?」
会話の後、私は数百年ぶりに絵を描く為にペンをとった。
数百年のブランクは大きくて、手はなかなか思い通りに動いてはくれなかったけれど、なんとかそれなりのモノを仕上げて提出する。
一枚は人物画、大神官の肖像画だ。
後は風景であったり、動物であったり、身近なものを描いてみた。
すると彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめながら
「とても……いいですね。
私がモチーフにされているのは恥ずかしいですが、とても丁寧に描かれていますし温かみのある線使いだと思います」
褒めてくれた。
自分の絵を見てくれて、こんなにしっかりと褒めてくれた人物がいただろうか?
と考える。思い出せない。今までいなかったか。いたとしても記憶の彼方になるくらいの昔の話だ。きっと。
「もし、宜しければ絵の方の仕事をしてみる気はありませんか? 絵師は今、とても求められている能力の一つなのです。勿論、司祭としての仕事の傍らでかまいません。
貴方にしかお願いできないことなのです」
そう依頼されて、私は大司祭でありながら絵師としての仕事を受けることになったのだ。
本の挿絵や、子どもの教材などが主で、最近は皇女が『ポスター』と呼ぶ劇の絵なども描くことがある。
新しい仕事の過程で実感した。
自分の能力が認められ、正当に評価されるのは嬉しいものだ、と。
それが皇女の『飴と鞭』
人心掌握の為の『飴』であったと解っていても幸せで、彼女の為に働きたい。
もっと喜んでもらいたい。そう思うようになるくらいには。
絵師の仕事を安定して頂くようになって間もなく、私は『大司祭』を辞させて頂くことなる。
勿論、円満退職。絵の仕事が増えたのでそちらに専念する為だった。
元々、大神殿は長い長すぎる歴史の中、人員が飽和状態になっていた。再編にあたり私のように神殿の外でも生きられる技術をもつ者は大神殿の後ろ盾を経て独立した者も多い。
楽師や学者。私のような絵師や彫刻家。
料理人の他、子どもを見る子守り女まで、彼女は一人の専門家として尊重し、地位と仕事を保証した。
結果、私は今こうして大聖都の一画で仕事を頂き、絵で生計を立てている。
大聖都以外の仕事も増えてきたし、大神殿の孤児院の子ども達に絵を教えたり、新技術の会議に呼ばれて書類に図解を示したりすることもあるな。
無論ここまで来るには楽ではないことも多かった。
失敗や後悔もあって、大司祭時代には流した事の無い涙に枕を濡らしたこともある。
けれど、それも不思議と楽しかったのだ。
「先生。次の本の挿絵の締め切りがもうすぐですよ。
できていますか? と大神官様からの催促が」
「解っている。もう完成している。あとはガリ版を仕上げたらお届けすると伝えてくれ」
「解りました」
今の生活は充実している。間違いなく。
大神殿で、仕事もなくただ、毎日を楽しいと思い込み享楽に耽っていたころよりはずっと。
使用人は減ったが自由に好きな事ができるし、美味い食事も酒も楽しめる。
衣服と酒と女以外、貯めても取り立てて使う必要の無かった金。
でも今は、自分の腕で稼いだ金で本や、画材や食事など。生きた形で使うことができるようになり毎日がとても楽しいのだ
神殿という豪奢な檻の中、眠っていた私を目覚めさせ、新しい生き方を教えてくれた皇女。大神官に、私は心から感謝し、今は敬愛している。
あの方は、正しく『神』の遣い。『聖なる乙女』
幸運を運ぶ『小精霊』だ。
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