私はマリカ皇女の影武者。
マリカ皇女の魂は身体から離れ『神』の国に行っている。
故に神官長の言葉は見聞きできないし、反応もできない。
驚かない。そうでなくてはならない。
でも、私、ノアールは話が聞こえているし、ヴェールの下、閉じているけれど目も見える。
だから、突然の大神官の爆弾発言に、驚かずにはいられなかった。
「マリカ様?」
微かな手と肩の揺れを、気付かれたかもしれない。
私の顔を神官長が覗き込もうとした瞬間。
ガシャン!
会議場に音が響く。何かが落ちたような音?
「も、申し訳ありません。あまりにも突然の話で、驚いて……」
護衛士カマラの慌てたような声が聞こえる。懸命に弁解する風を繕っているけれど、おそらく私の動揺から注意を外す為にワザとやってくれたのだと思う。
私はその隙に呼吸を整え、動揺を内に押し隠した。
「まったくだ。神官長殿はご自分がなにをおっしゃっているか解っておいでなのか?」
「重々。大神官は全ての神官の上に立つ存在。
地位を超越した『神』と直接語り、意思を仲介する稀有なる方。
アルフィリーガによって世界の人、全てが不老不死になった後『神』の元に還られた存在の跡を継ぎ『大神官』を名乗れるのは真なる『聖なる乙女』マリカ様をおいて他にはおりますまい?」
「意識の無いマリカに『大神官』としての職務は不可能でございましょう」
「確かに、舞を、力を贈り『神』と人を繋ぐ、というのはお帰りになってかたのこととなりましょう」
「ならば回復してからでも……」
「ですが。元より、大神官には神殿の雑務を行う義務がございません。
美しい御方が祭壇の上に在り、見守って下さるだけで、人々は歓喜致します。
『神』の力と意思を受け継ぐ者として人々を鼓舞するのもまた大神官の務め」
「要するに意識の無い皇女を見世物とするつもりか。あまり感心せぬな」
「ベフェルティルング王!」
腕を組み皮肉交じりの言葉を発したのはプラーミァ国王。
舞踏会会場で奥方が告げた通り、アルケディウスの味方に立ち、大神殿の皇女獲得阻止に動くつもりのようだ。
「見世物ではございません。祀り崇め大切に御守りするのです。
それに意志の無い身体でありましても『聖なる乙女』にはできることがございます故」
「マリカに何をさせるおつもりなのか?」
「姫君のお身体に宿る力を分けて頂けば良いのです。
血液を直接賜ることで、舞によって力を得るとの等しい効果を得られるとの『神』の御託宣があり……」
「なんだと!」
「各国王家『七精霊の子』は皆、その身、その血に強き、力を持っておられます。
ましてマリカ様はプラーミァとアルケディウス二国の血を継ぐ英傑の才。
穢れを知らぬ無垢なる『乙女』
御身に流れる血液は、目に見えない『気力』よりもはっきりと、その恵みを他者に贈ることでしょう」
「血液? 力欲しさに子ども、皇女の身体に傷をつけるというのか!」
声を上げたのはアルケディウス皇王陛下ではなさそうだ。聞きなれた太くてどこか丸みのある声はおそらくエルディランド大王。でも、多分皇王陛下も同じ思いの筈だ。
七国巡りで『聖なる乙女』の血液が奇跡を齎すという報告を多分、受けていた筈だから。
「……大神殿にはシュトルムスルフト前王が行った実験が報告されているのですね?」
「アマリィヤ女王」
どこか掠れ、躊躇うような女声に反応したのは、今度こそ間違いなく皇王陛下だ。そして女声の主はシュトルムスルフト女王。かの国は長い間、女性王族の死体と血液を贄としてオアシスを作っていたという。国外には隠し通しても儀式である以上神殿もグルであったなら、大神殿に報告が行っていても不思議はない。
本当に『神』が皇女の血には力が宿っていると告げたのかどうかは解らないけれど。
「でしたら、私が代わりに儀式を行います。必要なら血液の提供も行います。ですから、マリカ皇女の幼い身体を傷つけるようなことはしないで下さいませ」
女王の言葉を哂うように空気が動いた。
多分、被りを振った音。
「不老不死者には刃が通りませんから、血液の提供は事実上不可能にございます」
「あ……」
「それに、皇女のお力はこのように……」
「待て!!」
止める間もなく、立ち上がった神官長は私の手を掴んで掲げさせた。
さくっと軽い音がして指先が熱くなる。
ナイフかなにかで、傷をつけられたのだろうか?
どくん!
と一際大きく、心臓が唸った。
ぽたり、血の滴りが落下、何かに触れたと思った瞬間に、今まで余裕を見せていた神官長を包む空気の色が変わる。
狼狽、驚愕。そして、いきなり私の手が吊り上げられ、持ち上げられた。
老人とは思えない程の迫力と力で。
「キャアアア!」
思わず声が出てしまったことに気付いて口元を押さえるがそれすらも失敗だったと、気付いたと同時
「誰だ! お前は!!」
被っていたヴェールが取り払われたと同時、神官長が目を見開いたのが解った。
あまりにも早い事態の変化に『能力』がついていかない。
「マリカ様と……同じ顔? お前は一体?」
「マリカの侍女。影武者にございます。マリカは治療の方法を探しにライオットが連れ出した、と報告が」
私に駆け寄り、私を強引に引き寄せた皇王陛下が前に立って神官長を睨みつける。
今度はさっきよりも明らかな怒りを目に宿して。
「だったら、何故、それを早く言わない!
こっそりと姫君を国に返し確保を目論んだのではないのか? アルケディウスは!」
「報告を告げる間もない程に強引に話を進められたのは、神官長殿であろう?
そもそも、マリカを神殿に入れるはともかく、大神官にするなどという話は一切、アルケディウスは頂いておらぬ。一国の皇女の去就の決定を一方的に決めるなど、あまりにも乱暴でありましょう!」
皇王陛下は助けてはくれたけれど、それは『私』を助けてくれたのではない。
神官長から遠ざけて後、放り出すようにして遠ざけられた私に、カマラ様とミーティラ様が庇うように前に立って下さった。
「顔を戻して、早く!」
はっきりとマリカ皇女と瓜二つであるこの顔を間近で各国王に見せるのは拙い。
ミーティラ様の言葉の意図を察して私は姿を元に戻した。
「止めて下さいませ。お二人とも」
一触即発。互いに睨みあうお二人は明らかに頭に血が上り、周囲への観察力が下がっていたのだろう。
彼らに気を取られ、止めに入ろうと立ち上がる各国王や、その護衛兵達も。
だからきっと気付くのが遅れた。
儀礼のノックの前置きも無く開かれた扉にも。
「た、大変です!! 神殿に進入者が。魔性の群れが……ぐああっ!」
「貴方は……以前からそうなのですよ。外見ばかり気にして、物事の本質を見ておられない」
「え?」
「ふ、伏せろ、下がれ!!!」
閉ざされた議場を吹き抜ける金の疾風も。
と、同時。耳を劈く音と何かが炸裂したような衝撃が空気を揺らす。
そして、黒い閃光。周囲を染める漆黒の闇。
戦士王の忠告に反応できた者。できなかった者。
それぞれが、一瞬、視界を奪われた瞬間。
「『聖なる乙女』が本物か、偽物かなど、一目見れば解るではありませんか?
魂の輝きが違いすぎる。
ああ、今は魂が奪われているから、区別はつかないのかもしれませんが、それでも。
あの方とは違いすぎますよ。誰もが」
あまりにも静かな。昂ぶりも怒りも無い声が私の胸を突く。
と同時、微かに、でも何かが空を斬る音が、した。
「まあ、私自身それに気付けたのは、この身を授けられてからのことですが」
「ぐ……ふっ……!!」
霧が溶ける様に闇が晴れた次の瞬間。
私は生まれて初めて、それを見た。
目と心を奪われたのは何故だろう。
吹き出す真紅の薔薇よりも眩い血液と。
身の丈よりも大きく見える大鎌を構え立ち、鮮血でその身を飾る『魔王』の微笑みに。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!