正直に言えば、私はきっと彼女のことが嫌いなのだと思う。
いや、嫌いというのとも少し異なる。
彼女自身に持つ感情は『好き』なのだから。
命と存在を、救ってもらった恩がある。
ゴミと蔑まれていた自分に美しい名を与え、地獄から引き上げて貰った。
安定した身分と職場を与えられ、最高の教育も受けさせて貰っている。
仕事は難しくはあるけれど楽しい。
高給優遇、衣食住完備。人間関係も最高だ。
前の主が最低すぎたと今なら解るので、比較にもならないけれど。
配下に気を使い休みと給料を与え、祭りに行かせる時点で、皇王陛下に言われなくても貴族王族には滅多にいない変わり者の良い主だと解っている。
忠誠を誓った思いに嘘偽りはない。
本当に感謝しているし、力になってやりたいとは思っている。
けれど、やっぱり、思ってしまうのだ。
世の中は不公平だ。
どうして、私はああなることはできないのだろう、と。
勇者に傅かれ、光の中を飛翔する『聖なる乙女』
その輝きを見るたびに。
子どもに芽生えることが多いという星の祝福。
『能力』と呼ばれる力は、自分の望む力が発動することが多いと聞いている。
私の中に、生まれた熱に、思いに。
だからきっとこの『能力』は応えてくれたのだろう。
大祭の後、私は自分に生まれた変化をそう理解した。
姿見に移る、私ではない私の姿。
好きなのに嫌いな人物の外見を見つめながら。
アルケディウス、秋の大祭。
私達は三人で宵祭りを楽しんでいた。
「マリカ様から少しですが軍資金を預かっています。
贅沢にならない程度でしたら、何を買い物してもいいですよ」
私とセリーナを引率するように前を歩く女騎士カマラ様はそう言って小さな袋を笑いながら振って見せた。
「私、妹にバッグを買ってやりたいと思うんですけどいいでしょうか?」
「もちろんどうぞ。気に入ったのがあったら言ってね」
元平民の子ども上がりであるせいか、それとも主や元主の教育が良いせいか。
準貴族の地位を実力で得た騎士なのにカマラ様は私達を妹のように優しく面倒を見て下さる。
「私から、あまり離れないように。
今日は大祭ですからね。どんな人間がいるか解りませんから」
「はい」「ありがとうございます」
子どもだけで、街歩きをする者などほぼ皆無のこの時代。
子どもを狙う誘拐や人買いもいるとは皇女から聞かされていた。
「セリーナもノアールも可愛いから。悪い男が言い寄ってくる可能性もありますよ」
街に出る時は十分に注意するように、とも言われている。
「いつか、絶対に滅ぼしますけどね。
子どもを売り物にする存在、許すまじ」
孤児院やゲシュマック商会の子ども達を外に出し、祭りを楽しませるために騎士を雇って護衛させるなんて普通ではありえないけれど。
それが我々の仕えるアルケディウス皇女であるのだから仕方がない。
「買い物の前にどこか屋台で美味しいものを食べましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ。それくらいは余裕です。ゲシュマック商会、は流石にもう完売してますよね。
後は、どこがいいでしょう?」
「屋台閉店後も、今年はゲシュマック商会の本店前で店をやっているらしいですよ。アル様が言っていました」
「じゃあ、行ってみましょうか。そっちも完売していたら他のどこか適当な店で」
「はい」
カマラ様に促されて職人通りのゲシュマック商会の前に行くと……?
「なんだか変な雰囲気ですね?」
「あ、あれは……」
見れば店の前でアベックが楽しそうに串焼きを並んで食べている。
珍しくもない光景ではあるが、周囲の者がみんな、その二人にくぎ付けになっているのが解った。
この国ではあまり見ない夜色の髪をした男女。
まるで同じ黒水晶を二つに切り分け、それぞれ男女に形作ったような完璧な一対に息が止まる。
それでいて、満面の笑顔で串焼きにかぶりつく様子はどこか庶民的で、愛しさや親しさが感じられるのだ。
チクン。
私は無意識に手で胸を押さえる。
心臓の奥、微かに何かが何かに触れたような痛みを感じたのだ。
理由は解らない。
胸の奥の奥が熱い。何かがふつふつと湧きあがってくるような気さえする。
男が女の唇についた汚れ? 油か何かを手で拭ったのが見えた気がした。
と、同時に顔を朱に染めた女が男の手を引き走り去っていく。
二人の退場と同時、周囲の空気は弛緩した。
並ぶ客、呼び込みの店員達。
いつもの様子を取り戻す。
気付けば私の胸の痛みも消えていた。
「どうしたの? ジェイド。らしくもない緊張した顔」
セリーナは元ゲシュマック商会の店員だったから、顔見知りがいたのだろう。
店の前の仮設店舗を仕切っているらしい青年に声をかける。
「あ、セリーナ。いや、なんだかあの凄い美男美女に呑まれちまってさ。
あれ、噂の大祭の精霊、ってやつか?」
「聞いてみればよかったのに」
「聞けるか! 間近であの圧を味わってみろよ。
とてもじゃないけど余計な話なんか、できねー。変な無駄口叩いたら何かが壊れそうでさ」
彼の気持ちは解らなくもない。
あの二人の放つ周囲とは違うのだ、という雰囲気?は独特だ。
無邪気に近づいてくことはどうにもできそうにない。
「また来て欲しいような、怖いような感じだな……」
串焼きと飲み物を奢ってくれた青年から零れた呟きは本音だろうけれど。
「ゲシュマック商会でも全員が知っているわけではないのですね?」
「多分、最上層の者だけです。支店の店長くらいでも知らない者が殆どではないかと」
「まあ、当然よね」
串焼きを口に運び、コップの炭酸水を干しながらカマラ様とセリーナが主語のない会話を交わす。
私達にはもちろん意味が解っているから問題ない。
この周囲に人が多い大祭で、下手な固有名詞は口にできないから。
「でも、本当にお二人も祭りにおいでになっていたんですね」
あの美女が皇女であることは知っている。
ならその傍らにいた人物は彼しかいない。
数日前、魔王城で見た時と同じ輝かしさだった。
「楽しそうで良かったわ。見かけても極力関わらないようにしましょう」
「解りました」
アベックのデートを邪魔する趣味は無い。
私は、本当にそう思っていたのだけれど、言った瞬間にまたチクンと胸が痛んだ。
目の前に過ったのは、皇女と共にいたあの人物。
自分がいままで知ってきたのとは別次元の。
『星』が作り出した完璧な『男』。
本気で迫ったのに私を抱かなった唯一の……。
「行きましょう。ノアール」
「あ、はい。今行きます」
食器を片付け、食事を終えた二人の後を追いかける私は、この時まだ、自分の中に生まれた感情の正体に気付いてはいなかった。
心と身体の奥、私の中で何かが目覚めつつあることにも。
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