食生活が死滅している世界、食べ物の栽培が行われなくなったと聞いた時、私が思ったことがある。
「お酒は残らなかったのかな?」
麦酒、果物、米、ハチミツ。
人は様々なものを醸してはお酒を作ってきた。
人類の歴史はお酒の歴史。
お酒をまったく持たない文明はほぼ無いと言って良いくらいの筈だ。
麦が雑草扱いされていると知った時、この世界にはビールが無いのかなと、本当に素直に思った。
結果を言えばお酒はあった。
世界でただ一か所、大聖都でのみ作られる葡萄酒が。
「うーん、何度か料理に使っているの見たり、私も余りを貰って料理に使ったりしたけど、これ、大聖都産だったのか」
ガルフの店の葡萄酒の瓶を睨みながら私は呟いた。
色付きガラスのコルク栓。
向こうの世界とほぼほぼ同じ『ワイン』だと思う。
「これは、何も入ってないよね?」
この間、神殿に呼ばれた時、変なお酒を飲まされて大変な目に合されたトラウマで、どうにも信用ができなくなっている。
まあ、全部の葡萄酒にあんなものが入っているとは思えないけれど。
私は向こうの世界で一度成人した。
お酒は大好きって程ではないけれど一応味わえるくらいはしていたのだ。
疲れた時に一杯。
嫌な事を忘れさせてくれるアルコールの力は、なんだかんだ言ってホンモノだと思う。
で、それが無い世界、人間ってやっていけるのかなあ、と思ったけれどやっぱりやっていけないようで、お酒はちゃんとあった。
しかしそれは…
「え? 大聖都限定?」
「そうです。大聖都 ルペア・カディナは中央大神殿と、神学校が都の中心。
そして神の恵みと呼ばれる、この世界唯一の酒、葡萄酒の生産地なのです。都を取り巻く葡萄畑は圧巻ですよ」
「だから聖体受領でお酒を飲ませたんですね」
「私達は最初に不老不死を得たので違いますが、子どもが不老不死を授かる時も、神の盃を与えられて飲むそうですよ」
「はい。ルカさんに聞きました」
略式儀式で私達は、準市民として認められた。
けれど、本当の不老不死を得る儀式とはどういうものだろうと思って気になって、ルカさんに聞いてみたのだ。
彼は最新に近い『子ども上がり』だから。
『まず、大聖都に行く。地方神殿では不老不死を得られないんだ。
大聖都に行って、名前を登録する。
それからお金を払う。
お金を払うと、儀式の日が知らされるからその日まで待って本神殿に行く。
礼拝堂の奥の、シュロノスの間で、聖衣に着替えて、神様の話を聞く。
創成神話から、アルフィリーガの勇者伝説までかな?
そして、神の永遠の僕となることを誓うんだ。
誓いを立てた後、神の盃を頂いてから、祭壇に横になる。
一刻くらい眠って目覚めたら不老不死になってる、って感じさ』
ルカさんは丁寧に教えてくれた。
フェイ曰く「神に由来する何か」を身体に宿すことで不老不死になる。
というのはどうやら間違いないようだ。
お酒の中にその何かが入っていて、それを飲んで身体を作り変える事で不老不死になる…ということなのだろうか?
「それで、その儀式に使うから大聖都では葡萄酒を作っているんでしょうか?」
「勿論、それだけではないでしょうけどね。
お酒、は例え不老不死の世であろうと、いえ、であるからこそ必要ですから」
確かに、辛い事が多い世の中、アルコール無しでは色々と辛いよね。
ふむ。
「…リードさん。
聖典を読んだ限りは無かったのですが、お酒は大聖都以外で作るべからず、とかあります?」
「明文化されたものはありません。
ただ、他の作り方を知っている者がいないのでほぼ大聖都独占なのですが…」
サッとリードさんの顔色が変わった。
「まさかマリカ様、酒類の作り方まで知っている、と?」
「う、詳しく知っている訳ではないのですが、なんとなく、は。
だから、はい。パンを作る為に作っているセフィーレの酵母を使えないかなあ、と思いました」
リンゴ、もといサフィーレで作った天然酵母のパンは安定して作れる様になってきた。
あとはお酢も。
小麦の収穫が終わり、サフィーレが収穫できたら、皇家の方達にも正式にパンの作り方とお酢の作り方をお教えし、大量生産する予定なのだけれど、実は酵母液って立派なアルコールで、飲む人もいたりする。
飲む為に作ると向こうの世界では酒税法違反で怒られるくらいにけっこう濃度も高い筈。
だから、この酵母を使って蜂蜜酒と作れないかとちょっと考えました。
あと、ビールもどきも。
作り方の基本はマンガで見たことがある。菌が活躍する有名マンガが学童の図書室にあって。
それに興味を持って日本酒の酒蔵や、クラフトビールの醸造所を見学したこともあったりするのだ。
「それは、まだお止め下さい。酒の専売牙城を崩されれば、神殿もおそらく黙ってはおりません」
「あ、やっぱりそう思いますか?」
「はい。いずれ敵対するお覚悟がお有りなのは理解致しますが、今はまだ時期が早すぎます」
「作ったからと言っても直ぐに売れるものにはなりませんから大丈夫です。
麦も、ハチミツも当面は別の使い方が優先になるでしょう?」
蜂蜜酒はともかく、ビールもワインも醸造は1年がかりの話になる。
売れるレベルのものを作ろうと思ったらもっと先になるだろう。
「冬の時間がある時に試作してみたいとは思いますがダメですか?
ガルフとリードさん以外には出しませんから」
言ったら大きく首を横に振られた。
「旦那様からマリカ様のする事はなんの気なしのことも必ず大きくなる、と伺っております。
試作品のお酒を皇子に見つかり、皇子から一気に売り出し、なんてことになれば目も当てられません。
本当に、くれぐれも、くれぐれも、自重をお願いいたします」
「…解りました」
とりあえず、蜂蜜酒の試作品だけにしておこう。
と言ったら多分、怒られる。
この間の神酒の件で、私はこの世界のお酒に少し危機感を持ったのだ。
神の手の入ったものはいろいろと怖い。
本当に怖い。
安心して使えるお酒が欲しいなあ。と心から思う。
それに…。
机の上の葡萄酒を見た。
聞けばこの世界のお酒は本当に、今この葡萄酒一種類なのだそうだ。
決して不味いお酒じゃないけれど、他のお酒は白ワインやロゼさえ作られていない。
そして、そのたった一種類のお酒さえ神は自分の力の為に歪めて使うのだ。
…子どもの私がいう事ではないけれど、お酒に酔って束の間、疲れを忘れる事さえ神の手の中なのは悲しすぎると思う。
選択肢というのが無い事も。
向こうの世界には選択肢がたくさんあった。
お酒一つでも、日本酒、ビール、ワイン、焼酎、ウイスキー。それも蔵ごといろんな種類が、もう数え切れないほどに。飲み切れない程に。
酒蔵見学とかクラフトビールの見学などもしたけれど、それぞれに味や製法に工夫とプライドを持った人たちがより美味しいものを作ろうと頑張っていた。
そんな思いをこの世界の人に取り戻してほしいな。
いつか絶対、神様から晩酌の喜びを分捕ってやろう。
と。
でもまあ、当面は食べ物が先だよね。
お酒はいずれ余裕が出来たら。
この時は本気でそう思っておりました。
ある人と、その執念に出会うまでは。
彼と一杯の麦酒が私達との化学反応で、急速進化醸造されて、世界に『お酒』を蘇らせるまで、あと一年弱。
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