三人称 不器用な父親の告白
数百年ぶりの来客を見送り静かになったアーヴェントルク王城の夜。
「お待たせしました。兄上」
妻さえも入る事のできない自室の最奥で、皇帝は小さな肖像画を前にグラスを傾けていた。
「兄上のおっしゃったとおり、貴方の息子はアーヴェントルクの未来を動かす『神の子』であった。
流石はあの流行り病を一人、生き抜いただけのことはある。
精霊神の寵愛を受け『夜』の中輝くあの子を、兄上にも見て頂きたかった」
肖像画の中で兄は数百年変わらぬ笑顔を『皇帝』を名乗る元王子に見せている。
胸の中に焼き付く、憧れの姿と変わらない顔で。
「それでも、貴方は逝くのが早すぎた。あの子が持ちこたえたのです。
せめて貴方も頑張って下さったのなら。
私が余計な苦労をしなくても済んだのに」
『無血戴冠』
兄国王とその一家、重臣達の一斉死は事実流行り病に寄るものであった、などいう言い訳を彼は口にしたことは無い。
『兄上は死んだ! これは紛れも無い事実なのだ。
今、我々は争っている時間などない。今は力を合わせて国を纏め上げる事こそが必要なのだ』
兄と家族の死後、そう宣言して彼は国を纏めることに全力を注いできた。
彼にはそうする義務があり、責任があった。
彼の妻は、直接ではないにしろ、兄国王一家を死に至らしめる行為を為したのだから。
次期国王には相応しくない、と自分に下げ渡された傍流の姫は、最初から心を病んでいた。
自分を認めない周囲全てを憎み、自らの復讐に己の全てを使う事に躊躇いを見せなかった。
もしその知略を、行動力を認められ愛され国の為に使っていたら。
どれほど素晴らしい皇妃になっていただろうと、意味も無い事を思いもする。
事実、彼女は五百年アーヴェントルク皇帝の良き妃であった。
……妻として、愛した事は一度も無かったけれど。
城の井戸に沈めれていた衰弱の毒。
無味無臭。
致死性ではないものの、摂取する事で徐々に身体を蝕み病に導く毒が、皮肉にも流行り病を拡大させ、多大な死者を城に出した。
外屋敷に住んでいた自分達だけが無事なのはもしやと、彼が気付いた時には遅かった。
本来ならば、病に持ちこたえられたであろう体力のある者達もバタバタと倒れていく中、兄王もその家族も病魔に破れ……死んでいったのだ。
「ザビドトゥーリス……。息子を、頼む……」
「兄上!」
「あの子はアーヴェントルクきっての天才児、いつか、この国の未来を動かす『神の子』だ」
死病に震えながらも自分の手を握り、我が子を託した兄の言葉に心動かされた訳ではない、と思う。
ただ、賢く健やかに生まれ、将来を嘱望されていた兄の子と違い、我が息子は身体が弱く、成長が遅く。
毒も飲んではいないのにあっという間に流行り病に負け、死んでいった。
それがどうにも悔しくて、入れ替えたのだ。
死んだ我が子と、兄の子を立場ごと。
「アーヴェントルクは美しい国だな」
「はい。兄上」
「貧しくて、出稼ぎや傭兵で稼がなくてはならない国だけれど、他の国に籍を移す者は殆どいないんだよ。アーヴェントルクは」
「解ります。私も兵たちを率いて他の国に出ても、いつも澄んだ空気と美しい山並みが懐かしくなるんです」
「うん、だから、この国をいつか僕達の手で、誰にも侮られることのない、強くて住みやすい国にしよう」
遠い昔、兄と一緒に見たモイルゲンロートスを忘れない。
アーヴェントルクを強い国にしたかった。
自分達を養う耕地も碌になく、美しい山々があるばかりのアーヴェントルクを、他国から侮られぬ強い国にするのが夢だった。
文に優れながらも、武もまったく叶わなかった兄。
兄が、同じ思いを持っていたことは知っていた。
だから兄を支えていくことに意義は無かったのに。
元々、自分は頭を使う事には向いていないのだ。
剣で相手を打倒し、力を見せつけて支配する。
そんなことばかりしていたから。
兄と一緒に見た黄金の山並みに誓って、アーヴェントルクを強い国にする。その為に兄を助けて働くとそう誓っていた。
なのに。
優れた兄が死に、自分が生き残ってしまった。
心壊れた妻のせいで。
一人残された彼は、全ての汚名を被り『傭兵皇帝』を名乗って「王位」ではなく「皇位」ついた。
他の者は知るまい。その名に自分が込めた真実の意味を。
一傭兵、一兵卒、一騎士から『皇帝』を名乗り、少しでも兄の理想に近付こうとひたすらに国を強くすることを求め努力してきた日々は、突如終わりを迎える。
不老不死社会という名の『神』から一方的に与えられた『平等』によって。
自分の目指して来たものは、どこに行ったのか。
兄が信じた夢はどこに消えたのか。
誰も飢えに苦しむ事の無い国、
他国に侮られる事の無いアーヴェントルクは何の苦労も無く、一人の少年の犠牲で手に入った。
それでいいのか?
何もしなくても、たった一人の娘が舞うだけで金は貯まり国は豊かになる。
自分達が作ろうとしてきてきたものは、そんな簡単なものだったのか?
空虚な想いを胸に抱く彼は、やがて思うようになる。
不老不死社会があり続ける限り、世界は変わらない。
強さも、意味がない。
ただ、全ての人間が『神』の前に力を搾取されるエサなのだ。
ならば、不老不死世界など、終わってしまえばいいのに。
妻そっくりの娘を見ているのが辛かった。
『神』の巫女として歪んでいく娘を放置もした。
表向き我が儘も全て聞き、思いのままにさせたけれど、それが緩い虐待であることは誰よりも知っていたけれど。
女の執念にもう関わりたくは無かったのだ。
妻への興味は完全に無くなっていた。
妻もまた全てを、娘という名の自分に託して皇妃としての立場以上の公務を放り投げるようになった。
それでも国は回っていく。
誰が何をしても何も変わらぬ『不老不死』の世界だから。
唯一の楽しみは兄の忘れ形見の成長だった。
厳しく厳しく、育てた息子は兄の期待通りの天才児に育っていく。
褒めはしなかった。認めもしなかった。
それは、自分の役割ではないからだ。
何も教えてやれないまま死んだ我が子への引け目もあったのだと自覚している。
死んだ我が子の名であの子を呼ぶたび、胸に突き刺さる痛みは自分に与えられた罰だ。
自分の役割は憎まれ、恨まれ、やがて乗り越えられる事。
兄の子にこの国を渡し終えるまで、より大きな壁で在り続けられるように国を支え、努力も続けて来た。
色々な布石も打っていた。
前国王派の大貴族を側につけた。
城の外に住まわせいつか、毒の秘密に気付かないかと期待もした。
戦にも欠かさず出し、腕も磨かせた。
勇者の仲間の一人にもなれたかもしれない実力を錆び付かせることが無いように。
彼が『気付いて』、自分に挑みかかって来るのをずっと、ずっと待っていた。
「五百年は長かったですよ。兄上。
待つだけの日々は本当に苦しい。私には向いていません」
子どもを拾いあげ、部下として育てていると聞けば喜び、女遊びに浮世を流していると聞いては呆れ。
遊びほうけるようになった皇子に勝手に苛立ち、失望して。
待っているだけの日々は退屈で、苦しくてこのまま無限の時が過ぎていくのか、と思っていた所に風が吹いた。
隣国から、世界を変える紫紺の風が。
だから、彼は、誘導したのだ。
全ての風が王子に向けて吹く様に……。
「やっと、あの子は私に立ち向かってくれた。
これから、忙しくなるでしょうね。
でも、ようやく生きた日々が戻ってきそうで、楽しいですよ。
だから……もう少しお待ち下さい。兄上」
葡萄酒を飲み干し彼は薄く笑う。
死者は返事をしない。
解っている。
これは、死者の名を借りた自分への誓いだ。
あの子は覚えているだろうか?
共に並んでみたモイルゲンロートスを。
アーヴェントルクに生きる者の誇り。
金色の輝きが心に今もあるのなら、心配する必要は何もない。
アーヴェントルクはこれから、どこの誰にも『神』にも侮られる事の無い強い国になる。
新たなる指導者に率いられて。
その時まで自分は、最初にして最後の皇帝として立ち続ける。と。
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