『精霊獣 オルドクス
精霊を守るために形作られた星の獣。
世界には、稀に精霊を餌とする魔性が現れる。
自分で自分を守ることができぬ精霊達を、魔性や脅威から助け導く者としてそれらは作られた。
オルドクスは忠実に主に仕え、精霊を守る獣の一匹である』
リオンから貸して貰った精霊術の基礎知識本には確かにそんなことが書かれてあった。
私は本を閉じて部屋を見る。
長き眠りから目覚めた精霊の守護獣は
「うわ~、でけー。ふかふかだあ~~」
「ねえ、ねえリオン兄? ちょっと触ってもいい?」
「バウッ!!」
「いいってさ。ほら…」
「わあ、あったかーい」
すっかり魔王城のペットになっていた。
魔王城の最上階。
秘密の部屋に昇った私達は、主を失い封印されていた獣を見つけたのだ。
みんなで力を合わせて助け出したその獣は、今は主となったリオンの側に忠実に仕えている。
命を喰うとか、物騒な事を言われたのだけれど、こうしてみればよく躾けられた大型犬にしか見えない。
純白の毛並み。黒くて優しい目。
外見は狼によく似ている。
この世界にも狼がいたのかな?
と思ったくらいだ。
サイズは大きめなセントバーナード程。
封印解放直後はリオンを押し倒すくらい大型に見えたのだけれど、こうしてみるとそんなに大きくない。
縮んでくれたのかもしれないけれど。
小さな子ども達にもふざけて押しかかったりすることなく、優しく接してくれている良い子だ。
動物との接触は、子どもの情操教育には必要不可欠だと私は思う。
始まりは小さな虫や小動物。
だんだんに様々な生き物との触れ合いを通し
『自分達とは違う』存在の認識受容と思いやりを育てて行く。
小さな命を守り、育てる責任感も育っていく。
まあ、オルドクスの場合 100%彼の方が子ども達を守ってくれるだろうけれど。
私はオルドクスと子ども達がそんな優しい関係を築いていけたらいいと思っている。
「ねえねえ。リオン兄? オルドクスってお肉たべるよね?」
夕食の準備の時、みんなのお皿を並べながらエリセがそんなことを口にした。
「あ~。多分食べる。余ったら骨でも分けてやってくれ」
「余り物出すなんてそんなことしないよ。はい、オルドクスの分」
リオンの返事を確認するとトンとエリセはお座りするオルドクスの前に真新しい皿を置いた。
「バウッ?」
見れば中には湯がいたお肉が入っていて…。
「さっきお肉分けて、って言って作ってたのはこれだったの? エリセ」
「うん。オルドクスもおなかすいてるかな、っておもって。
ダメだった?」
私はオルドクスが精霊獣で、リオンの生命力を食べている。
って聞いていたからエサとかそんなこと、まったく考えてなかった。
でも、エリセは素直に「動物」と考えごはんを用意してくれたのか…?
「ううん。ダメじゃない。エリセは良く気が付くね。
気が利くね。本当に助かった。ありがとう!」
その優しさが嬉しくて、可愛くて。
わたしはエリセをぎゅーっと抱きしめる。
「ありがとな。エリセ…。
オルドクス。エリセが用意してくれたんだ。食ってもいいぞ」
「バウ!」
主の許可を得て、嬉しそうにオルドクスは皿に口を寄せた。
ぱくぱく、はぐはぐ。美味しそうに食べている。
「おいしい? それなら良かった。いっぱい食べてね」
エリセはニコニコ笑顔でその様子を見ているが…
「…ねえ? オルドクスって人間の食べ物食べても平気?
お腹壊したりしない?」
私はこそっと、リオンに耳打ちする。
確か犬に人間の食べ物をあげるのはあんまり良くないのだ。
塩気が強すぎるのは胃に悪いし、玉ねぎとか食べさせるのが絶対ダメなモノもある。
「大丈夫さ。生き物に見えるけどあいつは精霊だ。
食い物じゃなくって、食べ物のエネルギーを取り込んでるだけだからな」
なるほど。
リオンがそう言うのなら大丈夫なのだろう。
私は配膳を終えると席に着いた。
「みんな。オルドクスに自分の食べ物を分けるのは止めてね。
エリセがちゃんと用意してくれたから。
テーブルの上のものを取らせるのもやらない。
みんなの食事、とオルドクスの食事は違うからね」
躾は重要。
動物と生活するなら、最低限のルールは作り、知らせ守ってもらわなくてはならない。
もちろん、人間と獣。両方に。
「はーい」
少し寂しそうな子もいるけれど、みんなちゃんと理解してくれた。
「じゃあ、みんなで手を合わせて、いただきます!」
新しい仲間は増えたけれど、私達の冬の1日は変わらない。
仲良く遊んで勉強して。
オルドクスが加わった鬼ごっこはホンモノの「オオカミさん」になっていつも以上に白熱して。
楽しい1日が終わった後は、静かに眠るだけ。
その筈だったのだが
「キャアアアア!!!」
私は突然の悲鳴に飛び起きた。
耳元で聞こえたそれは脳に響き渡る様な、恐怖に震えている。
「エリセ?」
見れば隣に寝ていた筈のエリセが身体を起こし、ガタガタ震えている。
「どうしたの? エリセ?」
「こわい。…こわいこわい。…こわい声がする。
わたしたちをたべようとする。こわいこわい声がする」
「落ちついて! エリセ」
私の声が聞こえているのか、いないのか。
頭を押さえて呟き続けるエリセの震えは止まらない。
「こわいよ、こわいよ。たべにくる!
わたしは、わたしはたべられる…!!」
むしろ、強くなるばかりだ。
「大丈夫、大丈夫だから…落ち着いて…。大丈夫だよ」
理由が解らない。
解決方法が見つけられない。
エリセが何に怯えているのか解らない。
だから、私にできる解決方法は一つだけ。
そっと肩に手を回し、神を撫でて、小さな肩をぎゅっと抱きしめる。
届け、私の鼓動。伝われ、私の気持ち。
「大丈夫。誰もエリセを傷つけない。必ず必ず守るから…」
繰り返し、繰り返し。
根拠はないと自分で解っていても、私は腕の中のエリセにそう語り続けた。
どのくらいそうしていただろうか。
短い時間だったかのようにも思うし、かなり長かったようにも思う。
ようやく、エリセの手から力が抜け、眠りに落ちたのを確かめて私はそっと布団に横たえた。
「何が…あったんだろう?」
「少し、よろしいでしょうか? 我が主」
「エルフィリーネ?」
ビックリした。
気が付けば、そこにはエルフィリーネがいる。何時の間に…。
「リオン様とフェイ様がお呼びです。
ご足労頂けませんか?」
「…いいけど」
私は横を見た。やっと落ちついたエリセ。
今置いていくのは心配過ぎる。
「エリセ様の奇行についての説明になるやもしれません」
「え? 理由を知っているの? エルフィリーネ?」
「確証はございませんが、事が済めばおそらくそれも明らかに…」
「解った。すぐ行く」
私はそっと立ち上がると私の分の布団をエリセにかけて、静かに部屋を後にした。
エルフィリーネが私を促したのは二階のバルコニーだった。
ライトも何もないけれど、バルコニーの白く踏み固められた雪に月光が反射して、昼間のように明るい。
そしてそこには
「来たか…」
「リオン兄、フェイ兄…それにオルドクス…。シュルーストラムまで…」
外を見据え、佇む彼らがいた。
「どうしたの? 一体?」
ただの雪夜の散歩、ではない。
杖を握るフェイも、月を見上げるオルドクスも…明らかな緊張を纏っている。
「マリカ。さっきエリセが悲鳴を上げたでしょう?」
「あ、うん。聞こえてたの?」
「ええ」
どうしたのかな?
いつもだったらあんな悲鳴が聞こえたら二人は飛んできてくれるのに。
エリセを宥めながら微かに宿った思いに、応える様にフェイは頷く。
「エリセは本当に耳がいいようですね。
魔性の気配を感じ取ったんです。もしかしたら遠い、精霊の断末魔が聞こえたのかもしれない…」
「ちょ、ちょっと待って。今、魔性とか言った?
断末魔って、なに?」
一瞬、何かを逡巡するように、視線を仰がせて…
「世の中には精霊を喰う魔性、って奴がいるんだと。
この間貸した本に書いてあったろ? 覚えているか?」
リオンは私にそう聞いて来る。
「あ、うん」
確かに。
精霊を守る星の獣。
オルドクスの項にそんな記述があったことを覚えていた。
「そいつが魔王城に向かってきてる。
ってフェイとエルフィリーネが言ってる。エリセは多分、その気配を感じたんだ」
「なんで?」
私は思わず目を見張った。
ここが精霊のいる中世ファンタジー世界だと解っていても、魔性とか魔物とかまでいるとか聞いてない!
ましてやそれが魔王城に来るなんて。
「今、ここが世界で一番精霊の力が濃い場所だからだろ。
守護精霊がいて、精霊石がいくつもあって、精霊獣までいる。
ただでさえ、今は冬で精霊たちの多くが眠りについている。
ここにはいいエサがある。と思って襲ってくる馬鹿がいてもおかしくない」
「愚かな話です。自分より大きな力に自分が喰われると欠片も考えられない。
知性の低い魔性でしょう」
「…もしかして、今までも時々…来てたり…した?」
当たり前のように言う二人には、この状況はありなのだろうか?
おそるおそる問いかける私にエルフィリーネはあっさりとはい、と頷いて見せる。
「大よそは城を護る守護結界に弾かれ、残りはお二人が、片付けて下さっていました」
「お二人…? 今までそんなことしてたの? できたの?」
私が顔を二人…リオンとフェイに向けると彼らは少し困ったような顔をして、それぞれに肩を竦めて見せた。
「前に、短剣貰ったろ? あれは魔性とかも切れるんだ。
だから、フェイの手伝いをちょっと、な」
「魔術師として、精霊の力を使う以上、野放しにはできませんからね。
見えれば消すくらいのことはしますよ」
…話を逸らされたことは解ったけれど、今は多分、それどころではない。
「倒せる?」
「フェイがいるし難しい話じゃない。今回の相手くらいならオルドクスもいるし、楽勝レベルだ」
リオンは手の中の短剣をくるりと回してそう笑う。
私には姿どころか、影も気配も見えないけれどリオンには見えているのだろうか?
「…マリカを呼んだのは、ちゃんと知らせておいた方がいいと思ったからです。
エリセの今後についても話をする為にも…。
大丈夫です。エルフィリーネの障壁の中なら手出しはできません。そこで見ていて下さい」
「来るぞ! フェイ! 障壁を開けろ。エルフィリーネ!」
胸に手を当てて私に微笑んでいたフェイは、その一言で『魔術師』の目になって長い髪を揺らして背を向ける。
視線の先には短剣を構えるリオンと『敵』
襲ってくるのは黒い、大きな影。
実体は靄の様で良く見えないのに、黒々とした大きな目がにんまりとした喜びを浮かべているのが見て取れた。
まるで、極上のごちそうを目の前に涎を垂らす獣のようだ。
「オルドクス!!」
リオンの言葉に、白い獣が身震いする。
まるで身体に積もった雪を振り払ったかのような光が舞散って後、一回り以上大きさを変えた獣は地面を蹴り、飛翔した。
私は、リオンとフェイが『戦っている』のを見るのは初めてだ。
狩りで獲物を狩って来る場所にさえ、立ち会ったことは無い。
現実世界では武術も格闘技も興味は無かったので『誰かが戦う』姿を見たことだって、殆どない。
けれど…
そんな私にだって、今、目の前の戦いが常人レベルのそれでないことくらいわかる。
深く、力を溜めるように身を屈めていたリオンは、オルドクスの飛翔とタイミングを合わせて『ジャンプ』する。
助走もなにもなく、空に向けて跳んだリオンは次の瞬間フェイが掲げた杖の先、空中に立っていた。
襲い掛かったオルドクスの一直線の攻撃を影は、横にずれるように躱す。
けれどもそのままオルドクスを払い除けようとしたであろう攻撃は
「はあああっ!!」
足場から飛び降りて勢いのついたリオンに逆に蹴り飛ばされ、払いのけられた。
「ぐぎゃああ!」
影から悲鳴にも似た叫びが鳴る。
今まで、こちらを餌と見ていた目が驚きと、恐怖と、そして明らかな怒りを宿している。
重い音を立てて敵の腕が空を切った。
そこに一瞬前まであって、吹き飛ばされる筈だったリオンの身体はかき消す様に消え、次の瞬間さらに上空。
影の真上に立っていた。
敵を見下す漆黒の眼は、まるで獲物を見据える肉食獣のようで、首筋がひやりとする。
横に控える様に伏した獣にリオンは短剣を振って見せた。
青い光がスッと横に一文字を描く。
言葉も何もない指示。
けれど、主の意図を正確に読み取ったらしいオルドクスはその身を降下させる。
右、左、上、下。
そのスピードは、動体視力の無い私にはただの白い風にしか見えない。
足場も無い空中だというのにオルドクスはまるで、そこが大地の上と変わらぬように、まさに縦横無尽、飛び回っていた。
「リオン!」
ピーッ。
リオンが口元に当てた指笛が響くと同時、オルドクスがその身を翻す。
フェイのかざした杖、シュルーストラムの石が一際大きく強く輝くと同時『風』が放たれた。
緩やかで優しい『風』ではない。
敵を切り裂く鋭い、かまいたち。
風の刃が一直線に黒い影に向かって襲い掛かる。
オルドクスの動きに翻弄されていたいた影は、その顔は避ける間もなく、直撃を喰らった。
今の攻撃で視界を奪われたのだろうか。
黒光りした目が見えなくなった。
「がああああっ!!」
響く咆哮はもう、恨みしか感じさせない。
ただ、めったやたらに攻撃を放つだけ。
そんなデタラメな攻撃が、オルドクスに、何よりリオンに届く筈もない。
「終わりだ!」
リオンは上空の足場から飛び降り、黒い影の中央に短剣を突き刺す。
落下の勢いも加わって、根本まで突き刺さった短剣が光を放つ。
青い、蒼い光が強まっていき、弾けた!
「きゃあ!」
まるで小さな恒星が輝いたかのような眩しさに私は目を閉じる。
「おわったぞ…」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、恐る恐る目を見開いた私が見たものは…優しいリオンの微笑みだった。
見れば、もう周囲に魔性の影は見えず、美しい月影と満天の星が戻っていた。
さっきの攻撃で空の雲まで散ったかのような、本当に雲一つない美しさだ。
空中を自由落下してきたはずの短剣はリオンが開いた手のひらに、寸分の狂いもなく落ちて来る。
当たり前のような顔で、それを受け止めたリオンは大きく息を吐くと
「ごくろうだったな。オルドクス。
フェイもいい援護だった」
仲間達を労う様に声をかけていた。
伏せの姿勢で、主の褒め言葉を聞くオルドクスは幸せそうだったけれど、
「お疲れさまです。リオン。
でも、解っていますね。本当の戦いはここからですよ。
僕の援護は、当てにしないように…」
フェイの顔は安堵のそれを浮かべていない。
むしろ、戦い前よりも心配そうにリオンを見つめている。
フフフ。流石天才。よく解っておいでで。
「リオン…、フェイ…。
私をここに呼んでこれを見せたのなら…覚悟はできてるって、ことだよね?」
ざくっ、ざく、ざくっ。
私は雪を踏み、リオンの前に立つと精一杯の背伸びで彼の首元を掴んだ。
「さあ、吐け! 言え! フェイはともかくなんでリオンがこんなことできるの!!!」
「言う、ちゃんと言うから…手を放して…くれない…か?」
私に降参と、手を上げるリオンの眼にもうさっきの獣の輝きは無い。
くりくりとした瞳で様子を伺うオルドクスと、よく似たいつもの眼差しに戻っていた。
先行のなろうにもう少しで追いつくので、今日からは1日3話更新になります。
ノンストップの駆け足公開にお付き合い下さいましてありがとうございます。
最初のほのぼのから、だんだん色々と戦闘や謎が入ってきました。
少しでも楽しんで頂けるといいのですが。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!