馬車の中から外を見ると、明らかに風景が変わっていく。
オリエント風の街並みが見えていた城下町を抜けて、城門の外へ。
これから要請された儀式を行う私達は先導のラクダに案内されるまま、馬車でついていき。
そして程なく不思議な塔に馬車ごと入れられた。
石造りの尖塔に見えたのだけれど、それは形だけで中は吹き抜けの筒状。
その中央に不思議な魔法陣が蒼い光を放っていた。
「これは……転移陣というものですか?」
「古の、シュトルムスルフトが風王国と言われて、勢威を表していたころの遺産です。
魔術師、もしくは神官が起動しないと使えませんし、行先は一つの魔法陣に一カ所のみですが一瞬にして移動を行うことが可能となっています。
この魔法陣で南の国境沿いの大貴族の領地で、儀式を行って頂きたく」
私への説明係兼助手としてついてくれたのはマクハーン王太子。
馬車が定位置につくと転移陣が燐光を放ち、不思議な光と風に包まれて、私達は空間を飛び越えた。
着いたところは同じような尖塔で、扉を開けて外に出ると、一面の砂漠が広がっている。
後方には小さな街が見える。城壁の無い、石というかレンガ造りのクリーム色の街並み。
そういえば、私は各国巡っても首都以外の街には殆ど行ったことがないなあ、と思う。
「この度は父王がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
私達に頭を下げるマクハーン様。
私達、というのは、馬車の中にいる私、カマラ、リオン、フェイ、モドナック様。
アルケディウスの使節団代表だ。
王太子は強引、かつほぼほぼ脅迫で私を儀式に引っ張り出してしまったことを誠実に何度もお詫びして下さっている。
「王太子様は『聖なる乙女』の儀式についてご存じだったのですか?」
「一応、知っております。『聖なる乙女』のもつ、血と力が大地に星に語りかけ、潤すのだと。故に王族は叶う限り、子を作り直系の『乙女』を生み出すことが求められるのです」
なるほど、一夫多妻制ハーレムにはそういう役割もあるのか。
でも女性は本当に生まれにくく、不老不死世界になってから子どもそのものができにくくなった。
王族直系から血が薄れる程に力は弱くなる傾向もあり、『聖なる乙女』が他の一族と結婚すると、その子どもから儀式を行える力を持つ子は生まれないのだそうだ。
王族直系の女の子のみが『聖なる乙女』の名を冠する。
なお、近親婚は固く禁じられているそうだ。
乳兄弟同士も結婚禁止。従兄妹で初めて認められるのだとか。
『聖なる乙女』という呼び名ではあるけれど、本当の意味で『乙女』である必要はこの儀式にはあまり関係なく。
むしろ儀式後はその土地の領主と結婚して、自分が作ったオアシスを守るのだという。
「ファイルーズは七歳。最初の儀式の時、オアシスを作りましたが、その後、管理する者がいない為か、今は枯れる寸前のようです。
そこに力を注いでほしいというのが大貴族からの要望で」
大貴族第二位にしてファイルーズ王女の元婚約者、アスラハール侯爵。
国王陛下の従兄なんだって。
プラーミァの国境近辺を管理していて大地の殆どが砂漠区域。
オアシスの増加を喉から手が出るほどに望んでいる
昨日は夜遅かったのだけれど、今日は儀式の準備と移動ということで朝、水の刻に起きることになった。
大急ぎで入浴し、身支度を整え王宮を出たのが地の刻。
転移陣を使い、馬車を走らせ、火の刻ももうすぐ終わるという頃。
私達はそこにたどり着く。
「お待ちしていた。姫君」
見渡す限りの砂丘、砂色の中に、水の雫を落としたような青があった。
こんこんと水が湧きだす泉。その周囲にはココの木や、多分ナツメヤシの木が群生していて力強い緑を添えている。
「美しいオアシスですね」
私が貧弱なイメージで持つ砂漠のオアシス。
そのままの不思議な空間が目の前に広がっている。
既に待っていた国王陛下と第一王子。
はっきりとしないけど、多分昨日の宴席で手前側に座っていたように思う男性が、きっと侯爵なのだろう。
もう一人は神官服を着ているから、シュトルムスルフトの神殿関係者かもしれない。
こちらを品定めするような目で見つめる男性達に視線を合わせず、私は静かに腰をかがめお辞儀をした。
「要請により、参りました。
儀式の内容をお知らせくださいませ」
「此度は、突然の要請を受けて頂いて感謝する。
まずはこちらへ」
促されたのはオアシスの中心たる泉の前。
そこに水汲み用かもしれないけれど、木の桟橋がかけられていて、泉の上まで行けるようになっていた。確かに保水力が失われているようで、泉の外周は乾いたようにひび割れている。でも桟橋の先にはかなり大きい。湖、とは言えないけれど泉とは十分に言えるだけの水が残っていた。
「この泉に、一滴、姫君の血を垂らして頂きたい」
「泉に?」
「左様、泉の中央にはカレドナイトが埋め込まれている。それに『聖なる乙女』の血を触れさせることで変化が起きる筈なのです」
「水源となる泉に血を混ぜていいのですか?」
「希釈されて影響はないでしょうし『聖なる乙女』の血です。
むしろありがたいことかと」
私の後ろでリオンとフェイが声にならない声を上げたような感じがした。
振り返ると二人の足元に白短耳兎。
心配そうな二人をアーレリオス様が止めているように見える。
『精霊神』様が側にいるのなら、何か不味いことがあっても止めて下さるだろう。
何も言われないならそのまま続行だ。
「ここは、ファイルーズ王女が作られたオアシスなのですよね。
私が上書きするような形になってもよろしいのですか?」
「問題ありません。美しく見えますがこのオアシスは最初から力が弱く、そう遠くないうちに枯れるとみられております。
姫君の力で強き形に生まれ変わるのなら、『神の野』に在るファイルーズも喜ぶことでしょう」
『神の野』と言われると私は『精霊神』様達の無重力空間を思い出す。
ファイルーズさんがそこにいるとは思わないけれど、やれと言われるのならやるしかない。
私は差し出された短剣を手に取った。
「薄くで構いません。手首を切り流れ出た血を、泉に落として下さい。
神官が血止めの術を行いますので、その後は祈りの舞を捧げて頂ければ」
「解りました」
私は一歩。桟橋の先頭に向かって歩を進め、フリュッスカイトの男性陣は逆に後ろに下がる。私の随員達もその後ろに。
治療役の神官だけが、少し後ろにいるけれど。
一人きりになった私は大きく深呼吸、気合を入れて手首にナイフを滑らせた。
「っ!」
自傷癖はないけれど、自分で自分を傷つけることには慣れているつもりだった。
でも自分が必要と思ってやるのと強いられてやるのはやっぱり怖さが違うかも。
赤い筋が手首に浮かんだのを確かめて、私は泉の上に手をかざした。
(ファイルーズ様、どうかお許しを。
このオアシスが、風の国の人々の生活を長く支える憩いの場になりますように)
祈りと、願いを込めて。
手首から指先を伝い、赤い血がぽつりと、水に落ち波紋を作った。
何が起きるのかと、私が泉に目を凝らした瞬間だ。
「え?」
泉がぷくぷく、ぽこぽこ。泡立ち始める。
まるで火を入れ、沸騰したかの釜の水のよう。
桟橋も凄い揺れだ。震度七? 立っていることもできそうにない。
と、同時。水がまるで意思を持った塊のようになって立ち上がって迫ってくる。
フリュッスカイトの大波を小さくしたような、でも泉全部の水を束ねたような。
飲み込まれたら私なんか、一瞬でお陀仏だ。
なんて思っているうちに、逃げる間も無くなってしまった。
桟橋の先端に波が襲いかかってくる!
同時に桟橋が大きく揺れて……落ちる?!
「キャアア!」「マリカ!」
前にいたシュトルムスルフトの首脳陣を押しのけるように前に出てきたリオンとフェイが私の腕を掴み止めてくれた。後ろへ下がったと同時桟橋の先は波で粉々に粉砕されていた。危機一髪。
「な、なんですか? これは?」
「解りません? このようなこと、ファイルーズの儀式ではありませんでした。
そもそもあの時は、砂漠の中心にカレドナイトを埋めてその上に血を……」
「見ろ、あれを!」
慌てふためく私達の前、泉の中央に淡い人影が浮かんでいるのが見えた。
人影というのが正確なのかどうかは解らない。
淡い靄のような? それはこちらを見たのかな?
と思う間もなく直ぐに見えなくなってしまったからだ。まるで溶ける様に。
同時に波坊主も消えた。少しホッとする。
代わりに泉の中央に、ぴょんと飛び降りたのは緑色の光。
不思議な毛玉のようにも見えるその光の塊はまるでスキップをするように、泉の上を跳ね回る。波紋が水に触れるたび、泉の泡立ちは静まっていく。
やがて完全に止まると同時、水面が光を放ち始めた。蒼から碧、銀、そして黄金へとまるで虹のように。
水面から生まれた光はやがてオアシス全体を包み、そして『変えて』いく。
「う、うそ……」
そう零れたのは私の口からだったか、それとも他の誰かだったのか。
よく解らない。
皆がその様子に目を見張っていた。
瞬きする間に伸びるシダや草。
分身したかとしか思えない勢いで増えるヤシやナツメヤシの木。
まるでビデオの早回しを見ているかのように美しかった砂漠のオアシスは変化していった。
泉から光が完全に消え失せた時、私達の前に残っていたのは砂漠の真ん中に現れたジャングル。
熱帯雨林を切り取ってそのまま持ってきて嵌め込んだような深く強い密林だった。
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