フリュッスカイト滞在の間、私達はお城の運河側、その最上階をお借りする事になった。
なんでもごくごく、たまーにだけれども高潮が街に来ることがあって、水位が上がるので重要施設はほぼ上の階に置くことが決まりになっているのだそうだ。
三階が貴賓室になっているそうで、そこをほぼ貸し切りにして頂いてある。
ヴェーネの王城(呼び名は公主様だけど、実質国王で王族という呼び方も普通にするのでそう呼ばせて頂く)城はイメージ的に四階立てカタカナのロの形。
一見すれば堅固な城塞風だけど、中はとっても華やかでハイセンス。
煌びやかすぎてちょっと落ち着かないけど文句は言えません。
階段を中央に、北の海側を女性が、反対側を男性が使うことになった。
海辺沿いの上層階が貴賓室や、舞踏会、晩餐会などを行う外的な場で、会議場などもある。
私の主な職場になる厨房は反対側、陸地側の棟の一階奥、この棟の最上階が公主様達のプライベートルームになるようだ。
王城だから仕方ないと言えば仕方ないんだけど、広い。
そして遠い。ドライジーネで突っ走りたいくらいだ。
「遠いですね。それに階段もたくさんで、上ったり下りたり」
「万が一高潮などにあっても大丈夫なように、重要な場所は分散して、高所に作ってあるのです」
「それは解りますが、運んでいる間に料理が冷めてしまいそうです」
「食事というものはそういうものではないのですか?」
私の愚痴にも似た独り言に公子妃フェルトレイシア様が小首を傾げる。
確かに昔の王族とかは毒見などの為温かい料理を食べられなかった、と言うし食が絶滅した世界ではなおのことだったと思うけれど。
「『新しい食』は温かいものを温かく、冷たいものは冷たいまま食べる事でその素材の味わいや魅力を十全に味わうというものなのです。
……料理の保温に私の魔術師の力を借りてもいいですか?」
「それは、まあ、魔術師が嫌がらないのであれば……」
やっぱりこの国でも生活魔術を嫌がるタイプの魔術師はいる様子。
「ところでフェルトレイシア様」
「公式の場で無い時にはフェリーチェと呼んで下さいな。
フェリーチェが本名で、フェルトレイシアというのは公子様と結婚する時に頂いた名なのです。公子妃として威厳が無いとかなんとか」
「ああ、商家の出と伺いました」
「そうなのです。公主様のお計らいと公子様のご好意で、今も父の実家を手伝わせて貰っていますが。本当は公子妃とかよりも商売の事を考えている方が好きで、むいていると思っています」
「解りました。ではフェリーチェ様と呼ばせて頂きます」
私としても呼び慣れてるからその方がありがたくはある。
「ですから、私、勝手ながら姫君には親近感を感じてしまっているのですよ」
「親近感、ですか?」
「ええ。私のような者と比べるのも不遜でありましょうが。
元は商人で見出されて上に上がった。
色々な意味で上にいることが有利に働く事もあるけれど、窮屈でもある。
違いますか?」
「違いません。確かに、思わぬ形で手に入れた地位が窮屈に思える時もあるし、気軽に商人していた方が楽しかったな、と思う時もあります」
「そうでございましょう?
ですので私、姫君にはできる範囲でなら商売抜きでお力になりますわよ」
「できる範囲で、ですか?」
「はい、できる範囲で」
できない所では力に慣れないけれど。
さすが商人公子妃。
はっきりと言ってくれるのは逆に清々しくさえある。
「では、色々と甘えさせて頂く事もあるかと思います。その時はお願いします」
「はい。なんなりとお申し付け下さいね」
そんな会話をした後、厨房へ向かう。
現在、司厨長は留学中。後は副の方が任されているという。
「今回は宜しくお願い致します」
私は出迎えてくれた調理場の人達に頭を下げた。
膝をついて出迎えてくれた彼らはちょっと慌てたようだけれど、その視線に忌避や侮蔑は見られない。
子どもだからとか、皇女に何ができる、とかいう侮りが無いのは助かる。
「明日の宴席に料理を、と頼まれております。
なので一度、新しい味を作って見せますので、皆様もやってみて下さい」
『新しい味』になじみの無い人が多いと思うので、比較的見栄えがして失敗の少ないメニューにする。あと、できるだけこの国の食材で作れるもの。
「まずは、パンを仕込みます。これは明日の宴席用ですけれど、後でこの生地でピザを作りますね。生地の柔らかさなどが解ると思います。
一緒にやってみて下さい」
持参したサフィーレの天然酵母でパンの仕込みをする。
今までパンと言えば固焼きパンしか味わったことの無い人達にはまだ私のしている事はピンと来ないようだけれど、真剣に見て、真似をしてくれた。
前菜のメインはオリーブオイル。
用意して貰った最上級のオリーブオイルとパンを出して、食べて貰うつもりだ。
鳥のむね肉を茹でて、サーシュラの細切りと合わせ、キトロンの果汁と醤油と香辛料をかけたバンバンジー風。後はパータトと卵のイタリアンオムレツを小さく切ってピンチョスにして出す。あ、ピンチョスってのは串刺しのことね。
生ハムとベーコンの仕込みも教える。
サラダはパータトが続いちゃうけど、マヨネーズソースのパータトサラダ。胡椒たっぷりで大人の味に。
スープはエナのガスパチョ。
メインにミラノ風カツレツ。向こうから焼いて来て硬くなったパンをパン粉にして作る。
あと、パスタはカルボナーラにした。
デザートはとりあえず、基本のパウンドケーキと今年最後のピアンの氷菓で。
「公主様達がメニューの確認の為もあり、夕食に試作品を召し上がりたいとのことですわ」
ちょっと……聞いてないんですけど。
「……ならその分は皆さんが作って下さいますか?
公主様のお食事で練習、と言うのは聞こえが悪いですが、私もお手伝いしますので」
私の試作品は料理人さんとフェリーチェ様の味見にする。
皆、ありがたくも目を丸くしてその味の鮮烈さに驚いてくれた。
「私、去年の大祭の後に頂いたこの味が忘れられませんでした。
新年の参賀の時は、同行こそしたものの、お料理を頂く機会はありませんでしたから」
「そうですね。あの時は公主様ご夫妻だけで。
あ、舞踏会の時も公主様がお一人でいらっしゃったのはもしかして?」
「公子様はあまり人前に出るのがお得意ではありませんでしたし、私も公然の秘密とはいえ商人として顔を合わせた者が公子妃と知られるのは早いとおっしゃって……」
なるほど、一人で吶喊してこられた公主様の行動にも意味と理由があったのか。
「その後、王宮では教えて頂いたオリーヴァのオイルでの料理を嗜むことがありましたがやはり、姫君の料理はその上を行きますね」
「私の実力、というより調味料の力なのですけれど」
マヨネーズ、ケチャップ、ウスターソース、そして醤油。
料理の味を引き立てるそれらのおかげで料理の味が格段に引き上げられた。
古からの人の食への探求心には本当に敬服しかない。
「姫君。ここの味の調整はどうしたらいいのですか?」
「このソースの作り方は……」
「こら、お前達。そんなに質問攻めにしては姫君がお困りになるでしょう?
それに姫君はこれから、公主様達のお食事の説明が……」
私を取り巻く料理人さん達をフェリーチェ様が止めてくれようとするけれど、私は逆にそれを止める。
「フェリーチェ様。私、食事の説明には行かなくてもいいですか?
献立についてはこちらの木札に書いてありますので。
明日の晩餐会の仕込みや相談をしたいのです」
「……解りました。もし、献立の内容に意見その他があれば聞いて参ります」
「お願いします」
そう言うとフェリーチェ様は完成した料理と一緒に、厨房を出た。
多分公主様達に食事の説明をしてくれるだろう。
「いいんですか?」
食事の保温、保冷の為に来て貰ったフェイが私を見る。
「私が頼まれたのは調理指導なので……。
説明に来てね、と言われていれば行きますけど。
それにこの粉塗れの料理人姿で公主様の前に立つのは怒られますよ」
まあ、それは半分本当だけど、半分は名目。
広い、とてつもなく広いクレツィーネ宮殿。
今日のお食事は大ホール側の正餐の間で行われるというから棟の向こうの四階までまた歩かなきゃならない。
で、また明日の仕込みの指示で厨房に戻って来ることを考えると確実に二刻はロスすると思うのだ。
「到着当日に仕事を頼まれて疲れてもいるので、今日は本当に勘弁です。
明日からは頑張りますから」
「解りました」
その後は明日用の仕込み、マヨネーズにケチャップ、ウスターソースもどきの作り方。
醤油の扱い方や、天然酵母について料理人さん達に質問攻めにあってしまい、一緒に料理をしているうちに夜が更けた。厨房を出たのはもう夜の刻に入っていた。
だから、私は気が付かなかったのだ。
厨房の外に出るまで。
私を見つめていた眼差しに。
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