新年からまる一月が過ぎた。
私達が城に戻ったのは木の一月の最終週だったと思う。
帰還の晩餐会の後は対外的な仕事などが多くて大変だったけれど、木の二月に入り溜まっていた仕事はようやく一段落。
気になっていた孤児院や、ゲシュマック商会の現状も確認して、少し息を吐き出す事ができた。
とはいえ、細々した日常仕事は絶える事はないのだけれど、それでも手が空いた隙を見てお呼び出しがかかる。
「いい加減、王宮での調理実習を再開させぬか!
新しい調味料とやらを入れてできるものも増えたのであろう?」
とは第一皇子 ケントニス様の仰せである。
来月の頭から、私はまた外出する。
そうなると新しいメニューを仕入れる事はできない。
いるうちに少しでも新しいレシピを教えろ、というのは解りやすいお話だ。
個人的にはもう基本は教えたから後は、自由な発想で作って頂いていいと思うのだけれど、醤油とお酒が手に入ったからそれの扱い方を知らせる意味ではあり、かも。
「お母様の体調の方は如何ですか?」
「もう、すっかり復調です。子ども達も少しずつ落ち着いてきました。
貴女がいるうちに、少しでも新しいレシピを学びたい、という兄皇子様達の気持ちも解らない訳ではありませんから、調理実習の再開は構いませんよ」
「助手兼、実習生への指導の為に新しいレシピを教える関係上、ゲシュマック商会のラールさ…ラールを同行させて頂いてもいいですか?」
「許可します」
という訳で今日から週二回のペースで王宮での調理実習が再開されることになった。
週一で皇王陛下へのご機嫌伺いもあるので、週のうち半分は王宮に通う事になる。
合間を見て実習店の監督と諸外国への対応。
あとは舞の練習に、旅行の準備が入るのでスケジュールはかなり厳しい。
週一回のお休みは何とか死守したいところだけれども…。
とにかく、そういう訳で、木の二月 第一週、空の日。
私はセリーナとラールさんを連れて王宮に上がった。
正式な皇女となってからの調理実習は初めてだ。
晩餐会の指揮と指導はしたけれど。
今までの調理実習の指導の為に通っていた時と同じ気分で馬車を通用門に付けて貰おうとしたらと、とんでもない、と首を振られる。
「マリカ様は皇女です。
そんなご無礼は許されません」
震える御者さんに負けて結局、王宮の正門に馬車が付けられた。
「うわっ…」
豪奢な扉を潜ると、真っ赤な絨毯。その上を王宮の使用人達がだだーっと並んで跪く中を入場する羽目になる。
セリーナは完全にビクついてしまっていたし、ラールさんも緊張気味だ。
これから毎週これじゃあ、めんどくさいし使用人さん達も大変だろう。
なんとかもう少し気軽にいかないか、頼んでみようと本気で思った。
絨毯の最奥、使用人達の列の一番奥で、一人の女性が膝を付いている。
あれ? この方はこんなところにいる方ではないだろうに。
「ソレルティア様」
私は気付いて彼女、王宮魔術師 ソレルティア様に近寄り声をかけた。
この国では身分の低い者から高い者への言葉かけが原則として禁止されている。
ルールでは無くマナーなので破ったから罰があるというわけではないけれど。
私から声をかけないと、基本的に彼女からは声がかけられないのだ。
「マリカ様、ご無事のお帰り、心からお慶び申し上げます」
「ソレルティア様…。長らく留守をお願いしてしまい申し訳ありませんでした。
フェイも借り受けてしまい…」
「はい。一度仕事を分けあえる相手ができて楽をしてしまうと、一人に戻った時後が大変だと理解致しました。
それにフェイは本当に悔しくなる程優秀で…。
新しく見つけて来た知識とやらで、新技術を齎しまして。今、文官棟はその検証に大忙しなのです」
「え? 新技術?」
「はい。実習後、宜しければ文官棟に足をお運び頂けないでしょうか?」
ソレルティア様が面会の連絡なしでわざわざ呼びに来てくれた、ということはよっぽどの事だろう。
リオンがフェイならできるかも、と言っていた結界術の事もある。
興味もあるし。
振り返り付き従ってくれるラールさんとセリーナに視線をやると二人とも、頷くように頭を下げてくれたので私は、わかりました。
と皇女モードで返答する。
「どんな技術なのでしょうか?」
「失われていた太古の技術の復活、なのです。実用化されれば我が国のみならず世界中に大変革を引き起こしますわ。
今後の姫様にもきっとお役に立つことでしょう」
手放しの褒めようだ。
何だろう。楽しみになってきた。
「では後ほど…、二の地の刻には伺います」
「お待ちしております」
ちなみに今日のメニューは肉じゃがとチキンソテーをメインにした和洋食。
私が向こうの世界で作っていた所謂お惣菜だけど、醤油と酒があれば、大よそ間違いのない味になる。
チキンソテーは今まで塩味にイングヴェリアやチスノークで風味を付けていたけれど、どちらも醤油を使うとぐっと風味、味わいが増す。
「ほほう、今までの料理にも深みが増すな」
料理人さん達もその使い勝手の良さに驚いているようだった。
「今までの料理に、ほんの隠し味程度でも醤油を入れるとより美味しくなります。
工夫してみて下さい」
「アレンジをかけていいの?」
「むしろそうして下さい。材料がまだ貴重なので大変かもしれませんが、皆さんそれぞれの発想で調理して頂いた方が絶対にいいです。」
私は料理人さん達にそう話した。
もう、そんなに細々説明する必要は無くなっている。
この一年近くで、皆さん、生意気な言い草だけど、技術や知識はすごく上がっているから。
私なんて、知識こそ多少あるけれど技術は素人に毛が何本か生えた程度に過ぎない。
マルコさんは盛り付けのセンスが凄いし、カルネさんは発想が柔軟で『新しい味』をベースに色々なものを考えている。
私が教えないのにヨーグルトクリームのタルトを作ってくれて、とても美味しかった。
ザーフトラク様は醤油の扱いが凄く上手いし、ペルウェスさんは堅実で丁寧な調理をする。
ラールさんはエナ(トマト)ベースの肉じゃがを作ってて、それが意外な程美味しかったんだよね。
醤油と酒の扱い方を教える為に実習再開したけれど、基本を教え終ったら後は、料理人さん達の創意工夫と発想にお任せした方がきっといいものが出来ると思うな。
今まで、新しいものは殆ど生まれなかったというけれど、チョコレートや新しい食に刺激を受けて、葡萄酒だけじゃなくて麦酒に、米酒。お酒も増えて。
色々な味が生まれて欲しいと私は思う。
この世界にはこの世界の人の好みに合った味わいがきっとあるから。
「この味付けは他の肉でも応用ができますね」
「はい。イノシシ肉や鹿肉などでも美味しいものができると思います」
久しぶりの『新メニュー』は皇子妃様や皇王妃様達も気に入って頂けたようだ。
「ただ、この味はエルディランドの醤油と酒があってのものです。
春の視察は今の所、プラーミァだけの予定ですが、醤油と酒、それから原料となるソーハとリアの輸入をお願いする為にも、エルディランドに回る許可を頂けませんでしょうか?」
調理実習のついでと言ってはなんだけれど、もう一カ月後に迫った各国への視察旅行について皇王妃様に相談する。
一度醤油の味を知ってしまうと無かった頃には戻れない。
一刻も早くエルディランドと輸入のコースを確立して、醤油と酒を広く利用できるようにしたいのだ。
「でも、そうなると、丸二ケ月近い旅になりますよ。
しかも見知らぬ国を、子どもだけで。大丈夫なのですか?」
皇王妃様が心配そうに私を見る。
今後の旅は皇王陛下も皇王妃様も、お母様やお父様も同行はできない。
「ですが『子どもだから』入国の許可が気軽に降りたというところあるかと思いますので」
これが第三皇子や、第一皇子がということになると多分、各国も簡単に招く、来い。
とは言えなかったと思う。
今まで、殆ど五百年、国同士の表立った交流は無かったのだ。
他国の皇族を各国がこぞって招くと言い出したのは『新しい食』が魅力的であることもさることながら、私が『子ども』であると舐めていることが大きいと思う。
多分、いろいろ懐柔して有利な条件で情報を得ようと手ぐすね引いているのだ。
私としてはあっさり言う事を聞くつもりはないけれど、色々と理由を付けて国に留めようとすることは考えられる。
リオン、フェイ、アルがいてくれれば大抵の圧力からは逃げられる自信があるので、私はそれを利用して相手から有利な情報と食材を頂いてくる気満々なのだけれど。
「ミーティラは付けようかと思いますが、そう考えるとミーティラだけでは厳しいですわね。
この子は目を離すと本当に何をしでかすか解りませんし」
「ミュールズも付けたとしても、この子を押さえきれるかどうか…」
かくのごとく、お母様の私の行動面における信用は地を這う低空飛行だ。
皇王妃様も味方しては下さらない。
いろいろやらかして来たから仕方ないけれど。
「とりあえず、この件については預かります。
来週の始めにまた調理実習がありますね」
「はい。水の日を予定しています。火の日には皇王陛下へのご機嫌伺いに」
「では、次の実習までに水の月の旅行の行程と計画を纏めておきなさい。
陛下と相談致しますから」
「かしこまりました」
とりあえず、今は有効な答えが出せる訳でもないので、持ち帰っての宿題ということになって解散になった。
うーん、どうしよう。
と、考えていたら大事な事を思い出す。
そうだ。その前にソレルティア様に呼ばれていたんだった。
私は後から来たので事情を知らないお母様に話をする。
「あ、お母様。フェイが何か話があるようなのです。
帰りに文官棟に寄ってもいいでしょうか?」
「何です?」
「私も知りません。ただ、ソレルティア様曰く、『フェイが今までの想像を超える新技術を見出した』とかなんとか…」
「…私も行きます。貴方達は本当に目が離せませんね」
双子ちゃんの授乳もあるからあまり時間をかけられない。
急いで向かう事になった私達はそこで目を丸くする。
せざるを得ない。
『おお! マリカ、ティラトリーツェ。
来ておったのか?』
額縁に入ったガラス板からまるで子どものような顔で手を振る、皇王陛下の顔を見ては…。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!