負けを認めるのが嫌だった。
常に自分が場の中心でありたかった。
自分を認めて大切にして欲しかった。
他人のことなど、どうでも良かった。
けれど、ああ、悔しいけれど認めるしかない。
この世の中には、こんなに美しいものがあるのだということを。
自分が見下した友人は、舞台の上で人々の喝采を浴びて輝いている。
それが、あまりにも眩しくて、私は、俺は、目を開けている事さえできなかった。
私はダヴィド。大貴族スィンドラー家の一人息子だ。
いずれ大貴族として父の跡を継ぎ、領地を治めることを定められている者。
それが何故か、今、孤児院で箒など握らせられているのは何故だろうか?
ふざけるな! 大声を出し暴れたいところだが側には屈強な男がぴったりと付いて私を見張っている。
「これは、大祭が終わるまでのいわば執行猶予にございます。
万が一、この期間中にさらなる罪を犯した場合、収監されますのでご理解下さい」
私が昨夜、旧知の知人、エンテシウスを招いたことを誘拐、脅迫とみなされ、私は捕らえられた。私の館に踏み入り逮捕した少年騎士は縛り上げられた私をここに連れて来て、大祭が終わるまでここで働くように命じたのだ。
「私は何の罪も犯してはいない! 旧知の知人を家に招き話をしただけだ!」
「そうなのか? エンテシウス?」
「いえ、残念ながら。
私は毒の笑みと言葉によって、強制的に誘われました。全ての会話はお聞き及びの通りでございます」
「お聞き及び?」
「お前とエンテシウスの会話は、通信鏡によってアルケディウスの守護を預かる第三皇子ライオットに届いていた。
誘拐、脅迫、侮辱に至るまでの全てがな」
「通信鏡!」
見れば、少年騎士の手元には黒い鏡がある。今、大陸でもっとも注目されている技術にして誰もが欲する羨望の品、即時通信を可能にする通信鏡を奴が、エンテシウスが持っていたというのか?
「皇子は現在、大祭最終日の会議その他でお忙しい。
故にお前の裁きは大祭後となる。その間は、孤児院で強制労働をさせよとの皇子の御命令だ」
「そ、それは困る。私は今日の大祭を締めくくる王家の舞踏会にスィンドラー家の代表として出ないといけないのだ!」
会議に参加を許された後継者は、舞踏会にもそのまま出ることになる。時間を素材を吟味して作った最高級の礼服で、私は社交界に遅すぎたがデビューを果たす予定であったのに。
今日の舞踏会には、皇女であり、大神官マリカ皇女が参加すると告知がなされていた。
婚約者との結婚が決まっているというが、私なら落とすことは可能だろう。
そうすれば、私が大陸を支える大神官のいわば王配になれるかもと胸を躍らせいた。
けれど
「その心配は不要だ」
「え?」
少年騎士はその期待を一刀両断、切って捨てた。
「スィンドラー伯爵から、其方は、廃嫡、勘当の届が出されている」
「バカな!」
「会議で見せた醜態、さらに大貴族子弟の誘拐未遂事件。続く失態を拭う為にはそれだけしてもまだ足りぬ、ということらしいな」
「とにかく、貴公には今日と明日、この孤児院での強制労働に従事してもらう。せいぜい誠実に励まれることだ。皇子の御前での裁判で前非を悔い誠実に謝罪されれば少しは情状酌量されるかもしれない。
だが逆に、ここで心証を害せば貴公は犯罪者として牢の中に収められることになる。どちらがいいか、決めるのは貴公だ。
なんなら、今すぐ牢屋にぶち込んでもいいのだが?」
「わ、解った。働く」
「?」
「し、失礼しました。働かせて下さい」
凄みと力のある言葉に、私は逆らうことができなかった。
今までであれば、癇癪をおこして大暴れしてやれば、なんでも思いのままになった。
でも、目の前の男にはそれは通じないと解ってしまう。
一瞬でねじ伏せられるのが解る。さっき、エンテシウスと話をしていた時に、
だから私は孤児院で掃除をさせられている。
何故、こんなことをしなければならないのだろう?
私は大貴族になる者、このような孤児どもの上に立つ者の筈なのに。
「ほら、箒の使い方がなってませんよ。
ここをもって、さっさ、と床の上を撫でる様に。」
棒立つ私に、ここの女職員が手を添えて箒の使い方を知らせる。
なってないと言われても、私は箒を持つことなど初めてだ。
どう使うかさえ解らないのだから。
大貴族の子である私に触れるなど、無礼だ! と怒鳴りつけたくなったが、片時も私から目を離さない男が私を睨んでいるし、頭に嵌められた輪っかが禁止事項。
孤児院の子ども、職員を含む他者を傷つけない。
怒鳴ったり、物を壊したりしない。
暴れず、命令に従う。
を破ると体を縛る電撃を放つ。だから逆らう事はできないのだ。
何故自分が!
こんな仕事は領民や、配下に命令すればそれでいいのに。
その為に雇われているものがいるのだから。
イライラする思いをぶつける様に箒を動かすと
「勢いがあっていいですねー。その調子で、でもゴミをあまり散らばさないように頑張ってやってください」
と褒めいているのだか、そうでないのか解らない声をかけられた。
でも、ふと胸の中で何かが灯った気がした。
初めてのような気がする。
だれかに自分のやっていることを『よい』と言われたのは。
そもそも、私の考えや行動を周囲はなかなか理解しようとしないのだ。
いつも私が先頭に立ってやっているのに、なかなかついて来ないどころか、私の望まぬ方、間違った方向に進もうとする。
その都度、それは違うと厳しく知らせてやっているのに愚かな奴らは
「お考え直しください」「それは間違っています」
と甘えたことを言っていたので追い出した。
そして私から離れていった。
まあ、残った者は私の考えを理解する有能な輩だから、いいのだが、何故彼らには解らないのだろうとずっと思っていた。
だから、女の言葉が、的外れながらも自分を認め褒めてくれたことが、不思議なほど、はっきりと心に残っていた。
孤児院の掃除をしていると、少し驚いた。
廃棄児の施設の筈なのに、ずらりと貴重な本の並ぶ書棚があったのだ。
そしてみれば子ども達。
おそらく孤児であろう彼らが、好きに棚から本を取り出しては広げている。
「お前達、本が読めるのか?」
「読めます。ここで教えて頂きました。
これは料理のレシピ本なんです」
まだ十歳にもなっていないような子どもに指された本には、文字だけではなく数字も多く書き込まれている。
正直、私にはあまり理解できなかった。
勉学は面倒だから逃げ回ってやらなかった。計算も部下に任せていた。
欲しいものがあれば領地ではなんでも献上されていたから買い物の必要もなかったし。
急に気恥ずかしくなり、部屋の掃除も早々に逃げ出した。
自分はこんな子どもでさえ持っているものをもってないのか。と。
「ダヴィド様、すみません」
「なんだ?」
「もうじき、グローブ座の皆様が大祭に行かれるので、朝食とお弁当を運びたいんですがお手伝い頂けませんか?」
「なんで私が……、いや。ハイ、ヤリマス」
背後からの潰されそうな視線とパチンとこめかみに弾けた刺激に反抗を封じられた私は籠や木箱に入った荷物を抱えた。
食べ物だからけっこう重い。しかも数十人の大所帯。
よたよたとふらつきながら庭に向かうと、声が、した。
『人の想いは絡み合う糸塊のようなもの。
糸を断ってしまえば簡単に解けます。
けれど、切られた糸の思いはどこにいくのでしょう?
貴方はそれを知っていますか?』
広い空間と青空にも負けない、朗々たる声を響き渡らせるかつての友。
エンテシウスがそこに立っていた。
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