「ああ、本当にゲシュマック商会本店の食事は何時食べても、幸せになれますわね。
この味は、やはり先駆者としての風格の味でございますわ」
目の前の少女。
いや、もう少女と呼ぶには失礼な貴婦人は、優美な仕草で幸せそうに次から次へと運ばれてくる料理を口に運ぶ。
髪の色に合わせたシンプルな品の良いドレスが良く似合っている。
胸も大きいなあ。私よりずっと。
「各国それぞれの味も今はだいぶ育って参りましたが、私はやはりアルケディウスで最初に『食』に馴染んだせいでしょうか?
この国の料理がプラーミァのものより好きですわね」
嬉しそうにボルシチに顔を綻ばせる彼女、いつも、どこか緊張して周囲に警戒を張り巡らせていた侍女時代のノアールよりも自信に溢れ、幸福そうに見える。
「他国の味、って言っていたけれど、他所の国にもよく行くの?」
「はい。仕事の帰りなどに来させて頂いています。
材料を買って、あの人の為に、料理のまねごとをする時もありますが」
「ノアールが料理を?」
「城には二人だけですから。勿論、最初は厨房も無かったので作って貰いました。
あの人が喜んで下さるのはとても楽しいし、嬉しいです」
「仕事……」
私の表情を読み取ったのだろう。ノアールはくすっと小さな微笑を見せた。
「私どもは上の御方の命と指示に従い、仕事を行い、その成果を送る下請けにすぎませんから。その過程で多少、皆様にご迷惑をおかけすることがあることは、申し訳なく思っておりますが」
下請け企業かあ。ある意味言い得ているかなって思う。
少なくとも魔王とは『神』の側から見れば、人や自然の精霊力という畑からの収穫物を採取し届ける業者のようなものなのだろう。
「でも、我々も仕事をすることで衣住や生活を保障されておりますので、お許し頂きたく存じます」
「そんなに仕事もないでしょう? その間はどうしているの?」
魔王の襲撃は数か月に一度位だ。準備その他があるとしてもそう毎日襲撃、というわけでも無い筈。
「それはまあ、色々と。……勉学に励んだり、各地の様子を見たり。
エリクス様は、深い教養をお持ちですので時間を見て色々と教えて頂いております。
元の住人が残していた本も多いので、エリクス様は時折目を通しておりますね。
後はやはり、夫婦ですので……互いの身体と心を確かめ合う事が多いでしょうか?」
「!」
「使用人もいない、ほぼ二人だけの空間ですから。
時間を気にする必要もありませんし」
「うっわ」
正直引いた。ドン引いた。
男女二人だけでいれば、どうしてもそういう関係になってしまうものだろうけれど。
今もノアールは未成年だよ。エリクス。
眉を顰めた私の顔に浮かんだであろう罵倒に気付いて、少し悲しそうな表情をノアールは浮かべた。
「勘違いや誤解はなさらないで頂けると嬉しいですわ。
あの人は、私に何一つ強要など致しませんでした。
連れ去られ、目覚めた直後でさえ、望むならアルケディウスに返すと言って下さったのです」
「え? それじゃあ、帰ってこなかったのは……」
「私自身の意志であり選択です」
きっぱり、はっきり。
最初の時と同じ、揺るぎない眼差しでノアールは私に言ってのける。
「あの人と共に有りたい。手助けをし、傍らにあり、愛し、愛され、共に生き。
夢を、願いを叶える力になりたい。そう思ったのです」
「それは、アルケディウスでの平和な生活や、友人よりも大事なもの?」
「比べるものではありませんし、比べられるものでもございません」
私の後ろでカマラの身体が、微かに揺れたのが解った。
「……今だから、申し上げますが私はアルケディウスでの侍女時代。マリカ様に強い嫉妬心を抱いておりました」
「うん」
「拐かしに会い、不幸な子ども時代を送ったとしても、身売りなどを強要されること無く命の危険もなく生きてきた少女。
生まれながらに特別な能力と力をもって生まれ、多くの人から必要とされて愛される皇女。
慈悲深く、精霊どころか『神』にも寵愛を受ける『聖なる乙女』
救われたことには紛れもなく感謝しており、敬愛、思慕の心もありました。
あの当時発した、思い、誓いも嘘では無いのですが、それでも私は、マリカ様を羨ましい、妬ましいと思う気持ちを抑えることはできませんでした」
「うん、知ってた」
ノアールと私は歳が近かったこともあるだろう。
主人としての私に誠実に接してくれていたけれど、嫉妬や羨望の眼差しを感じることは少なくなかったから。
「特別な力や、知識、立場なども羨ましくなかったと言えば、嘘になるのですが。あの人と結ばれて解ったのです。
私は、私を理解し、愛してくれるただ一人の人が欲しかったのだと」
「ノアール」
「最初はマリカ様の代わり。偽者としてだったかもしれませんが、あの人は『私』を愛してくれている。誰の代わりでもなく、私と言う存在を。
そして、私もあの人を愛しています。世界全てを敵に回しても、誰を傷つけてもあの人を失いたくない。そう思うのです」
「寂しくは、ないの?」
「はい。私は、少なくとも今はあの人と、二人で生きられる日々。
それがあれば何もいらないと思っています。
世界でも最高クラスの魔術師なのにもったいないね。とあの人は笑いますけれど」
満たされたノアールの笑顔が眩しい。
外の世界から完全に切り離され、エリクスと二人きり。
最初はそのせいでエリクスに洗脳されているんじゃないか、って思ったけれど違ったみたいだ。
少なくともノアールはエリクスを愛し、共に生きていきたいと願っている。
……幸せなのだろう。本当に。
「マリカ様。私が及びたてしたのにお支払いをお任せしてしまってよろしいのですか?」
「あ、それは気にしないで。私の奢り。
私が、ノアールにお礼とお詫びをしたかったから」
「お詫びをするべきは私の方ですのに」
ハンバーグに、シーフードのフライ。ミニパスタ。
そして最後のデザートまでたどり着いたノアールは美しい食べっぷりで、最後のパンケーキに添えたソルベまで一欠片まで残さず平らげた。
「とても美味しかったです。私も城に戻ったらあの人の為に作ってあげたいと思います」
「それは良かった。ガルフ達もきっと喜ぶよ。
レシピは覚えている?」
「はい。それに最近発売されたレシピ本も購入しておりますから」
パンケーキに添えたソルベはココナッツミルク。
ノアールの故郷のプラーミァをイメージして貰えたら、と思ったんだけれど、さっきの様子からするとあんまり効果は無かったかも。
「買い物したり、食事したりしているみたいだけど、仕事の報酬とかは貰っているの?」
「宝石だったり、こちらの通貨であったり。色々と伝手が有るようですわ。
私的には立派な館であの人と、何不自由なく暮らせるだけでも十分ですが」
お城で一緒に食事をし、勉強し、愛し合う二人。
魔王と魔女王のイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。
「それで、相談って何?」
「はい。これは、私の一存、ということにしておいて下さい。
あの人は『主』との契約と外見変化で人の世には簡単に降りれませんし、裏切ったり逆らったりすることができないのです」
しておいて、ということは多分、相談内容は理解しているし下手したらエリクスの指図ではあるのだろうな。と思う。
そしてその内容は『神』の意向に逆らう事……。
小さく頷いた私に彼女は口元を拭いて語り始める。
「先の魔族の襲撃で、リオン様の体内に前魔王様の人格が宿っておられるとことと思います」
「あ、やっぱり、そっちの策略だったんだね」
「はい。御命令でしたのでそのように」
今まで、微妙に直接的な表現を避けていたノアールが、はっきりと魔族としての会話を始めた。つまりはここからが本番、ということなのだろうと思う。
私は背筋を伸ばした。食器を片付けるカマラも少し緊張した様子。
「正直に申し上げます。近日中に魔族は、真の王としてマリク様を迎えるべく準備を行っております」
「そう……」
つまり、近いうちに大規模な魔性の襲撃があるということだ。
暫くはマリクを外に出さない方がいいのかも。
でも、私が考えた作戦の頭を飛び越した『相談』が魔女王から齎される。
「その隙をついて、マリク様を再封印して頂けませんか?」
「は?」
「魔族が助力いたします。
正直に申しますとマリク様には戻って頂きたくないので」
「はいー?」
前代未聞の魔族と人間。
共同作戦まであと一週間。
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