私には直属の女官、随員はそんなに多くない。
特別な仕掛けや細工の服でもない限りは一人で着脱できるし、身の回りの事はなんでもできるから、そんなに必要は無いのだ。
元はセリーナ一人しかいなかった。
とはいえ、正式に皇女になってもそれでは威厳や沽券に関わる。
しっかりとした人数、力のある随員を付けて侮られないようにしろ。というのが皇王妃様の御命令であり、その為に付けて頂いたのが、カマラと文官ミリアソリス、そしてミュールズさんだ。特にミュールズさんは元皇王妃様付きの女官長。
私にとっても王宮の礼儀作法の師匠とも言える人だ。
「ミュールズさんを返せ、とは?」
「言葉通りの意味です。貴女が結婚し、新しい家を築いた後はセリーナやカマラのように大聖都に連れて行くのではなく、ミュールズをアルケディウスに戻して欲しいと思っています」
「ミュールズさん自身がそれを望んでいるのですか?」
「はい。マリカ様のお許しが得られるなら、皇王妃様のお召しに従いたいと思っています」
私がくるりと首を回し、横を向くとミュールズさんが申し訳なさそうに俯きながらも頷いた。
以前は一緒に大神殿に来てくれるといっていたのだけれど。
「元々私に付けて頂いた随員とはいえミュールズさんは、皇王妃様の部下でアルケディウス籍です。
皇王妃様や皇王陛下が御命令に成ったり、本人がそう望むのであれば、私に止める権利はありません。でも、理由を伺っていいですか?」
「ええ。実はアドラクィーレでは無いけれど、私も次世代の育成について色々と思う所があってミュールズに相談をしていたの。
ミュールズには皇王家を始めとする貴族街の出産を司って、次世代の育成をして欲しいと思っています」
「あ、確かそんな話を聞きました」
以前、ミュールズさんから妊娠出産などについて学びたいと頼まれたことがあった。プラーミァ以前、料理留学生として来ていたコリーヌさんは王家の女性が安心して出産できるように産婆としての方法を学んでいた。自分もそのようになりたい。
と言われ、引き受けて、大聖都の孤児院周りをお願いもした。
出産の立ち合いも既に二桁以上手掛けていて、アルケディウス孤児院のリタさんと並ぶベテランの一人と言っていいと思う。
「私は皇王妃様の命によりアルケディウスに建設される予定の女性出産の為の施設を司るように申し付けられております。孤児院長のリタさんと共に産前産後の女性の支援と教育を行っていく予定です」
「産院を……」
「皇王妃様。それは貴族専用では無く?」
この質問はアドラクィーレ様。
「貴族だけではなく、一般の市民も利用できるようにするつもりです。
人数からしても需要は下町の方が高いでしょうしね」
「それは、そうですが……」
この辺、考え方の差かも。
アドラクィーレ様もいい線言ってたけれど、まだ考え方がお貴族様だ。
国全体を見るまでに至っていない。
「これは前々からマリカに提案されていたことでもあるわ。
それを私なりに準備していただけ。
私はね、マリカ一人に周囲があまりにも負担や責務を背負わせ過ぎだと思っています。『星』と『精霊神』の愛し子であるマリカにしかできないことや解らない事も確かにあるでしょうけれど、分けられる荷は分けるべきだと思うの。
だからミュールズが今後の為に出産について学びたいと言って来てくれた時。アルケディウスに今後増える子ども関連の為の人材育成の場を作りたいと考え準備を始めました」
かちゃり、と音がした。
皇王妃様がカトラリーを置いた音。でも、私にはそれが何故か皇王妃様の吐息に聞こえる。
「私はずっと、悔いていることがあるのです。子どもを正しく教育し愛を与えてやれなかったこと」
「皇王妃様……」
「私達の育て方が間違っていたせいで、子ども達の関係は拗れ互いに憎しみ合う要因を作ってしまった。ラウルの誕生の時にも思ったのですが、王家、貴族家というのは子育てに向いている場所とは言えません。
特にケントニスやトレランスの時には私には義母である皇太后さまがまだご存命で、第一皇子の教育について仕切っておられましたし、乳母もいて私が直接あの子達に関わってやれることはそう多くなかった。
故に親友から託された、しかも皇王位継承からは遠いライオットの子育てに力を入れてしまい、結果、子ども達の間に不信不安の種を蒔いてしまった」
「それは皇王妃様のせいでは……」
「いいえ、私のせいでしょう。双子とティラトリーツェ達の睦まじい様子やラウルと双子達が同じ部屋で仲良く遊び、兄弟のように過ごしている姿、……孤児院などで血の繋がらない同士が家族として暮らしているさまを見て、もし、自分があの時、こういう風にできていたら、もっと子ども達は伸び伸びと幸せに育っていたのではないかという思いが消えることはありません」
確かに王家とか貴族だと、母親であっても直接子どもを育てることができない場合があると聞く。体面もそうだけれど、貴族や王家の人は多忙だし、子どもをだっこして一緒に遊んであげる。ということも難しいことが多いだろう。
ふと、横を向いたらお母様と目が合った。
こほん、と咳払いしてお母様の方から視線を反らしてしまわれたけれど、双子ちゃんと日々戯れ、一緒にお忍びで大祭に行く。そんな貴族の方が普通じゃない。珍しい。
しきたりとか、柵とか体面とか。
お母様のように気にせずに、いや気にしながらも上手くやりくりして、自分の意志ややりたいことを貫き通せる人はそうはいない。向こうの世界だって嫁姑問題は本当に熾烈だった。
それに
「子育てというのは大抵の場合、一人でそう何度も経験する者ではありません。
正しい子育てというものは存在せず、悩み、考え、子どもと一緒に成長して学んでいくものです」
「そうね。かつてはその知識が親から子へ、口伝えで受け継がれて行ったのでしょうけれど、五百年の空白期間が開いた今は、それを覚えている者も多くないと思うの。
だからこそ、余計な慣習や柵を拝する今が良い機会であると思うのです」
私の言葉に皇王妃様は頷いて下さった。
皇王妃様も嫁の立場だし、昔はもっとしきたりとか色々あって苦労してきたのかもしれない。
「マリカ」
「はい。皇王妃様」
「貴女の『精霊の書物』の知識の中に子育てについてのものはありませんか?
完全な正解ではなくても、子の心に寄り添い、その力を伸ばす方法は?」
「あります。たくさん」
これは即答した。即答できる。
私は保育士だから。
「それをミュールズやアドラクィーレを始めとする、王宮の女達に教えて欲しいの」
「解りました。こちらからお願いしたいくらいです」
「できる限りのことを出産の覚書のように、書物に書き残して欲しいわ。
それを印刷して、各国王家、貴族、神殿、孤児院などに配布して広げていきましょう」
「急ぎ取り掛かります」
「本ができたら、それを元にして講習会? だったかしら? 多くの人間に一人の師が指導する方法でなるべく多くの人に可能ならマリカが。
難しければミュールズやアドラクィーレが教えるのが良いでしょう」
「私も、ですか? 皇王妃様」
一瞬の逡巡もなく応えてしまった私と違い、アドラクィーレ様は少し困惑気味。
私を借り出して始動させるつもりだったのようだけれど、皇王妃様は強い眼差しで首を横に振る。
「無論です。むしろ、マリカ一人に責任や仕事を押し付けることを私は許しません。
マリカしか持っていない知識を頼るのは仕方ありませんが、そこまで立案出来ているのなら、貴女が学び、指揮し動きなさい。
アドラクィーレ」
「私、自らが女達に?」
「今後は貴方が、この国の母として立つのです。女や子ども達を自らの手で教え、守り民を率いていく気概を見せるべきです」
「ですが、それではマリカの知識や手柄を奪う事にはなりませんか?」
「子育ては手柄とかではありませんから。
アドラクィーレ様や多くの女性達が妊娠出産や子育ての正しい知識を得て、それをさらに多くの人に広めてくれれば私としては問題がないどころか嬉しいくらいです」
「マリカ……」
私の知識の中に一番残っているのは保育士の。
子育ての助けとなる様々な方法論だ。
それが少しでも多くの人に伝わって、これから生まれて来る子ども達の幸せにつながるのであれば何より。評価とか手柄とかは関係ない。
「それとも、マリカの名を借りないと女達を掌握できないとでも?」
「いえ。そんなことは……」
「さっきも言いましたが元より、マリカ一人に背負わせていい案件でもありません。
アルケディウスで始まれば自然、他国からも知識の共有、供与を求められることになるでしょうしね。
マリカの元で学んだミュールズを師に子を産んだ母親中心に人材を育て、方法論を共有し、新しい子ども達を育てていくようにすれば裾野は広がり、今よりも良い環境が作れる筈です」
「……はい。解りました」
最初は困惑気味だったアドラクィーレ様も、徐々に手や体に力が入ってきているようだ。
変わらぬ日々が退屈だと。やるべきことを見つけて変わったと言っていた第一皇子のように。
アドラクィーレ様も少しずつ変わろうとしてきているのかもしれない。
ならば、それを助ける手伝いをすることに異論はない。
「マリカは成人式や結婚式、新年の会議のなどの準備で忙しくなると思うけれど、口述筆記や書き写しに手が必要なら人員を送るし、ミュールズに指導方々書かせてもいいわ。
本格的に妊娠出産が増えるのは新年が明けてからでしょうから、冬の間時間をかけていきましょう。社交シーズンが終わり、貴女達も少し時間があるでしょう?
手助けを頼めますか? メリーディエーラ。ティラトリーツェ」
「はい」「かしこまりました」
「焦る必要は無いわよ。今後のアルケディウス、いいえ。大陸の未来を賭けた一大事業です。じっくりと準備を整えていきましょう」
やっぱり、皇王妃様は凄いなって思う。
上に立つ者の威厳とカリスマ。
王の横に立ち、王と同じものを見て助ける『王の女』。
私は勿論、成長したと思っていたアドラクィーレ様もお母様も、敵わないって顔をしている。
でも、同時に素直に尊敬もできる。
「さあさあ。続きは食事を終えてからにしましょう。
長く、込み入った話になりそうだから」
私、前世は人を使う立場になったことはなかったし、後輩に指導する事さえあまりなかった。今世になって皇女や『精霊の貴人』、大神官として上に立つことはあっても、広く事業を見据え、今後の事を何年も先まで理解し、人材を把握して適材適所に配置するなんてことはしてこなかった。
ガルフやフェイ。皇王陛下などがそういうのはやってくれたから。
でも、もうすぐ成人。大人になるのだから。
本当に世界を変えていきたいと願うのなら、もっと自覚を持って積極的に行動していくべきなのだろうと思う。
多くの人を頼って。力を借りて。
何度も指摘され、そのつもりでいたけれど、まだまだ私も視野が狭いってことだ。
「ミュールズは貴女の元を離れますが、広い意味では貴女の思い、理想を今後とも助けてくれるでしょう」
「はい、頼りにしております。今までも、これからも」
話の後、皇王陛下はとても上手に場を動かして、固くなった空気を和ませてくれた。
おかげで、料理には味が戻ってきた感じ。
最後のデザートのアイスクリームは、素直に心と身体に染みて行った。
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