ドルガスタ伯爵 グラーデースとの因縁の最初は、私達の仲間、アルが彼の奴隷であったことから始まる。
アルは予知眼と呼ばれる特別なものを見通す目を持っていたことを利用され、酷い扱いを受けていた。それをリオンとフェイが助け、逃亡していた所をお父様に救われ、魔王城に連れて来られたことが、私達の出会いのきっかけだから、ある意味全ての始まりかもしれない。
「滅ぼした、というのは人聞きが悪いぞ。兄上。
グラーデースの幽閉は正しく自業自得だ」
去年の夏。
私達がまだゲシュマック商会雇いの子どもだった頃、アルを取り戻そうとして汚い手を伸ばしてきたドルガスタ伯爵を、全力を挙げて潰した。
向こうで言うなら麻薬に相当する危険な禁止薬物を使用していたこと、ゲシュマック商会の蔵に不法侵入して、皇王家の保護を受けた私を誘拐、強姦しようとしたこと、蔵に放火したことなどが原因となり、地下牢に永久幽閉の身となった。
今も私達の足の下で怨嗟の声を上げているかもしれないと思うとちょっと怖いけれど、気にしないことにする。
「だが、其方が原因であることに変わりはあるまい?
手際の良さからしてもお前も、娘を守る為に職権乱用したのだろうと今なら解るが……」
お父様は肩を小さく竦めて素知らぬ顔だけれど。
確かに本来なら罪に問われにくい子どもに対する犯罪をライオット皇子は思いっきり極大化してくれた。
大貴族にとってはほぼほぼ極刑である貴族位剥奪、永久幽閉までもっていったのはお父様の手腕だ。おかげでアルを始めとするグラーデースの子ども奴隷は解放され、自由の身になった。けれど一人残され領地を動かすことになったドルガスタ伯爵夫人は今なお、針のむしろにいるという。
元々、目立つ産業も無く、領地も北のアーヴェントルク国境沿いで野菜や麦の生育にも向いていない。アルの予知眼で貴族同士の賭け事をしたりしてなんとか持たせていたようだけれど、アルを失ってからは先細り。そこから一発逆転を狙って私の拉致を狙い返り討ちにあった。
現在十七ある大貴族領地のぶっちぎり最下位だ。
夫人や、住んでいる住人に罪は無いので、パータトやソーハの栽培を進めてみたし私個人は敵意はないと伝えた。でも、一度下がった評価を取り戻すのは簡単な事じゃない。パータトはともかくソーハの結果もまだ出てないだろう。
どちらも食を進めていく上では重要だけれど、一攫千金、一発逆転できる素材じゃないし。
ちなみにケントニス皇子は素知らぬ顔で食事をしている。
私的には真の黒幕はケントニス皇子だったんじゃないかな、と思うけれど、まあ今は言うまい。
「ドルガスタ伯爵領にその不思議な泉があると?」
「ああ、かの地はアーヴェントルクと隣接していて山地が多い。そのおかげで水の美しさはアルケディウスでも指折りだ。山の中には水や湯があちらこちらで沸いているという」
「へ~、温泉ですか。いいですね。天然の露天風呂」
思わず呟いた言葉に、夕食会場が騒めいた。
「風呂って……戸外でお前は入浴するというのか? 服を脱いで?」
唖然とした表情で私を見るケントニス皇子。
「あれ? アルケディウスではそういう風習ないんですか?
川や池で身を洗うとか?」
「下々の者はともかく、皇族や貴族がそんなことをするわけはないでしょう?
もっと慎みを知りなさい!」
私の真横でお母様が厳しい目で睨んだ。
「すみません。巫女としての禊とかは外の泉でとかもあったので」
「ああ、そういうことならありうるか」
「俺も旅をしている間は、アルフィリーガと川で身体を洗ったりもしたものだ。
親子だな」
さり気なくお父様が庇って下さったけれど、そっか。温泉の習慣はないんだ。こっちは。
冬とか大変そう。
「とりあえず話を戻すが、その泡の出る水で酒はできると思うか?」
「できなくはないと思いますが、止めておいた方がいいのではないでしょうか?」
もし、私が思う通りのモノだったとしても、その水で酒を造る話を聞いたことがそもそもないので解らない。
発酵にどんな影響を与えるかもしれないし、元々私は酒造についてそこまで詳しい訳でもないし。
「そうか。良い機会を作ってやれるかと思ったんだが……」
「でも、ドルガスタ伯爵家と水については私に預からせて下さい」
「ん?」「マリカ?」「また何かやらかすつもりなのか?」
お母様とお父様だけではなく、黙って話を聞いていた皇王陛下までなんだか意味深な眼で私を見る。
「やらかすなんて。ただ、その井戸の水。美味しいというお話だったのでゲシュマック商会に紹介して売り物にしたらどうかな、って思っただけです」
「水を売るの?」
「『新しい食』も広まってきましたし、美味しいということは価値があると解って頂けてきたと思うので、需要はあると思います。
しかも、特別な水ならなおさら」
この世界は幸いなことに割と水は豊富でどこの街にも井戸が結構ある。
というか、水が豊富な場所に街を作っているのだろうけれど。
水が無いと人は生きていけない。
不老不死でも暑い時には喉は乾く。枯死はしないにしても辛い思いが続く。
牢屋に収監されても、水だけは支給されるのだそうだ。
農作業の後の冷たい水は人気があったし、思っている通りのものなら面白い事もできる。
「紹介して頂けますか?」
「解った。夫人に伝えておこう。忙しくならないうちに対処してやるといい」
「ありがとうございます」
そんなこんなで夕食会が終わり、館に戻り、お父様とお母様にちょっと怒られた後、私はフェイに連絡をした。時間を取って欲しいって。
あと、ドルガスタ伯爵夫人にも連絡。
今はフェイも忙しいから、予定のすり合わせに時間がかかる。
ああ、スマホとは言わない、ケータイか電話、マジ欲しい。
「何の御用でしょうか」
「色々と、忙しいと思うのですが、転移術で私を国境沿いに連れて行って欲しいのです?」
「マリカ様を? 僕が行くのではダメなのですか?」
「ダメでは無いですが、モノを採取したり質を調べたりするのには私が行った方がいいかなって」
「採取? 草花とかですか?」
「いいえ、水です」
「水?」
「ええ。多分天然の炭酸水じゃないかと思うので」
「タンサンスイ?」
「ええ、水の中に特別な空気が混入していて、飲むと口の中で発泡するのです」
お酒や果実などを使ってサイダーもどきを作るというのは、向こうの世界の料理本でよく見かけた。私の愛読書にも何種類か乗ってたし。
松葉とか、林檎とか。
魔王城でサフィーレを使った炭酸果実水を作り始めたけれど、あれはサフィーレのの皮に付着している酵母を活用したもの。作るのにも管理にもちょっと時間がかかる。
天然の炭酸水があるのなら、それを使ってノンアルコールの炭酸果実水を作ったら秋の大祭にピッタリじゃないかと思う。お酒にあんまり興味が無い女性とかにも手に取って貰いやすくなるから。
因みに天然の炭酸水が湧き出る場所は、多くは無いけれどけっこうあちこちにある。
母の実家のあった県の山奥では無料で汲めたし、売りに出してもいた。
実際美味しかったし、この世界にあるのなら、活用したいところだ。
「ドルガスタ伯爵の領地だそうなので、夫人とこれから連絡を取ってのことになりますが」
「ドルガスタ伯爵、ですか?」
あ、フェイが嫌そうな顔をした。うん、解るけど。
アルを虐待していたマイナス印象はどうしても残る。だけど
「夫人や、領地の人達に罪はありません。夫君の悪行の清算に苦しんでいるのなら助けてあげたいと思うのです。実際に有効な素材が領地に眠っているのなら光を当てる事で、私達も潤いますし」
そう告げるとフェイも納得してくれたようだ。
「解りました。細かい日程など決まりましたらお知らせ下さい」
ドルガスタ伯爵夫人に連絡を取り、水の採取許可と案内人を差し向けて貰う事にした。
既にトレランス様から連絡が行っていたのか、許可は即日降りて案内人がやってくる。
伯爵夫人自ら案内するとも言ってきたのだが、それはとりあえず保留。
今は社交シーズンで忙しいだろうし、私と面会になると謝罪タイムになるだろうから。
「とりあえず、僕が先行し、周囲を確認してきます。
安全が確認できたら、マリカ様を連れて行く、でいいですね」
「はい、それでいいです。お願いします」
そう言って、翌朝早く案内人と一緒に転移術で消えたフェイは約半日後、ガラス瓶いっぱいの水と一緒に戻って来た。
私達の前で、瓶の中、不思議な水は静かな泡を浮き立たせている。
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