それは、雪のように真っ白な布だった。
雲を紡いだように柔らかでふんわりとしている。
それでいて艶々とした光沢があって、触ると滑らか。
私の記憶の中でこんな綺麗な布は、向こうの高村真理香は勿論、皇女としてのこちら生きてきた中でも見たことが無い。
「それはね、シルクだよ。それも地球産の最後の、最上級品」
「え? 地球産のシルク?」
「そう、疑似クラウドの中に入れて持ってきたから厳密に言うとそのもの、ではないけど」
「精霊上布とか、以前ラス様が下さった服と同じやつですか?」
なんだか触ると汚しそうで怖いくらいの白さ。僅かな染みも濁りもない。
すべすべ、艶々。気持ちいいけれど。
「ちょっと、違う。今、この星にある精霊上布は地球から持ってきたカイコ? 虫をこの星の葉っぱで育ててその繭から作ったもの。
僕が君にあげた服は言ってみればそのコピーだ。材質や性質をナノマシンウイルスで模倣したもの」
「ナノマシンウイルスって、いろんな形にできるんですね~」
「何を今更。僕達の船、今は王宮になっているけれどあれもナノマシンウイルスの塊みたいなものだよ」
「地球の素材を疑似クラウドに取り込んで、ナノマシンウイルスで加工したって言ってましたっけ」
「そう。素材として取り込んで、データをもとに復元した感じかな? その布も同じ工程を辿っているからさっきも言った通り、厳密には地球産シルクそのものじゃないけど、余計な加工はしてないからオリジナルにかなり近いと思う。ナノマシンでコーティングもしてないしね」
「ナノマシンコーティング」
「君らもやっているだろう? 精霊の力を使った耐熱、耐火、防刃効果」
「ああ、そう言えばやりました」
ヒンメルヴェルエクトで石油繊維を作った時、精霊の力を色々被せたっけ。
あれは、科学的視点から言うとナノマシンウイルスでコーティングしたってことになるのか。
「ナノマシンコーティングすると、知っての通り人間にとっては色々と便利な効果が出る。
だから、君にあげた服とか、僕達が地上に降りた時、聖なる乙女に贈った服は加工を施してあるけどそれは、本当にまっさら。
綺麗で上質の布である以外のなんの効果も無いよ」
「それを、どうして私に? さっき、精霊神様達。……いいえ、お父さんからのプレゼントだっておっしゃいましたけど」
「うん。それは、君の為に。正確に言うならいつか生まれるかもしれない、真理香先生と自分の子どもの為にアーレリオスが地球から持ってきたものだから」
「アーレリオス様……」
トクン、と心臓が不思議な音を立てた。
そうだ。私には二人のお父様がいる。
北村真理香時代のお父さんは別にして、魂のお父様であるライオット皇子。
そして、もう一人。私の命の源。
母親である真理香先生の体内に、命の種子を贈った肉体の親。
能力者シュリアさん。
地球の名前は向こうに置いて来た、という精霊神様達の言葉を尊重するのなら、精霊神アーレリオス様だ。
「ずっと、後悔っていうか、気に病んでたみたいなんだ。
妻である真理香先生に、結婚指輪はおろか、服の一つも贈れなかったこと」
そう言えば、夢で見た。
真理香先生と、シュリアさんの閨での会話。
「あの頃、僕達は自分の持ち物、って本当に何にも与えられていなかったから。
シュリアは、結構いい家の生まれだったらしいんだけど、国が全部滅んでしまったし、お金や地位が意味を失ってたし。
支給された服に最低限の持ち物と部屋が全てで。
願えば、手に入れられる物は与えてくれたけれど。
贅沢はできなかった。そんな余裕も無かったからね」
私は真理香先生の寝室しか見ていなかったけれど、彼らのいた研究所は病院のようだったし、部屋には飾りも何もなかった。首や腕に発信機のようなものが付けられていたことからも察するに、能力者として尊重されつつも実験動物もどきの扱いだったんだろうなという想像はつく。
「だから、最期の時にアーレリオスは、政府に頼んで、結構無理を言ってそれを入手して貰ったんだ。当時、手を尽くして手に入れられた中の最上級品。
単なる感傷なのはみんな解っていたけれど、それを嗤う者は誰もいなかったな……」
「アーレリオス様……」
「多分、真理香先生が、生まれる子は娘だと思う、って言ってたから娘の為にって思ったのかもね。息子だったら、そのお嫁さんにあげればいいことだし。
だから、それは正真正銘、君の為に父親が用意したものだ。持ってお行き。
ライオットには話をしてあるから、花嫁衣装に使うといいと思う」
「私が、使っていいんですか?」
「勿論。君以外の誰も身に着ける権利のない布だ」
私は純白の布を胸に抱きしめる。
もう一人のお父様からの贈り物。
「アーレリオス様は、今、何をしていらっしゃるんですか?」
「国に戻って、自分の領域に籠ってる。
娘を嫁に出すわけだからね。嬉しさ半分、悔しさ半分、ってところじゃないかな?」
「アーレリオス様は、私を娘、と思って下さっているのでしょうか?」
「それは、もう最初から。
もしかして気付いてなかったのかい? 報われないなあ~」
くすっ、とラス様は小さな笑みを弾かせる。
「君を気にしてないと精霊獣を作って、張りついて守る、なんてことはできないだろう?
ネットワークを繋ぎ直すって口実はあったかもしれないけれど、一番は君を守る為だと思うよ。精霊獣を二つ作って、国を守りつつ君をずっと、旅の最初から守り続けてきた。
一歩間違えば、消耗してまた休眠しなければならない危険性もあったから、頑張ってたと思うよ。お父さんとしては」
くるっと、指を空中で一回転。
「わっ」
「これも、さ。自分で渡せって言ったのに、正体を知った娘に合わせる顔が無いから、イヤだって言って、僕に押し付けるんだから。
リオンは文句のつけようのない、最上の婿だって解っている。
でも、面白くない。
めんどくさいよね。父親の心境ってさ」
ぼんやりしている私の前で、金色の触手がうにょうにょっと、現れて、私の手から布を取ると器用に布を巻いて渡してくれた。持って帰りやすいようにして下さったのだろうか?
「そう。ですね。でも、とてもありがたい、と思います」
「ホント。君は、できた娘だ。年頃になったら父親なんてウザいと思うもんじゃないの?」
「そう思えるほど、一緒にいられなかったですし、ライオットお父様も、アーレリオスお父様もいつも私を守って下さった、頼りがいのあるカッコいい、自慢のお父様です」
「そう? ならあいつは果報者だ。
僕も、聖なる乙女との間に子を設けたことがあるけれど、我が子にそう思って貰えたかどうかは自信が無いなあ」
「大丈夫です。間違いなく、尊敬されていましたから。その結果がアルケディウス皇王家だと思いますよ」
「そうだといいけれど……」
ふと、考える。
精霊神様が、北村真理香先生から取った卵子と、自分の(多分生前に残してあった)精子を使って人工授精、培養して生まれたのが各王家の始祖。
なぜか精神が芽生えなかったので、精霊神様が、自分の意識をインストールして動かした。
そう考えると七つの王家の始祖は異父兄弟みたいなものだったのかも。
近親婚に近いから王族同士の結婚は避けるように言われたのだろうか?
でも、私とリオンは同じ能力者でも、全く違うカップルの子どもだから、結婚しても大丈夫だよね。きっと。
「僕達は、君とリオンの結婚を祝福する。
アーレリオスも拗ねてるだけだから、反対はしてないよ。
結婚式には必ず呼んでおくれ。呼ばれなくても行くけど」
「はい。必ず」
「後、ジャハールがフェイの結婚式に行きたいって喚いてた。
悪いけど、参加させてやってくれるかい?」
「それは構いませんが、シュトルムスルフトの王家にも伝わってるんです? フェイの結婚話」
「いや、言ってはいないと思うよ。しゃべると色々面倒になるだろう?
シュトルムスルフトは風の王の杖を取り戻したい気持ちもあるだろうし」
「そうですね。王家にお知らせするのは正式にちゃんと結婚してからで」
それから、私はラス様と本当に結婚式の準備をする家族のように、話をして過ごした。向こうではそんな経験の記憶はなかったから、新鮮な経験だ。
でも、最後までアーレリオス様は顔をお見せ下さらなかった。
国に戻られているかもしれないけれど、疑似クラウド空間はその気になれば自分達の意志で繋げられるし、相手が許可すれば話も聞けると言っていたから、多分こちらの様子を窺っていた筈だ。
「素敵な生地。ありがとうございます。丁度、明日シュライフェ商会に会うので、大事に作って貰いますって、お父様に伝えて下さい」
「解った。言っておく」
「勿論、秋の大祭でプラーミァに行った時に改めてお礼は言いに行きますけど」
「そうして。僕も君の最後の純白の舞を楽しみにしているから」
「はい」
秋の大祭が終われば、私はリオンと結婚する。
結婚していても『聖なる乙女』の役割にはあんまり問題はないと言っていたけれど、本当の意味での乙女の舞は、七国の大祭が最後になるだろう。
精一杯、感謝の気持ちを込めて踊ろうと思う。
大切な、家族の為に。
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