その日世界から、不老不死が失われた。
「ああ! 何故、我々は間違った選択をしてしまったのだろう!」
「『神』よ!『星』よ! 『精霊神』よ!
どうか、我らの罪を許し給え。そして、願わくば我らに、もう一度祝福を!」
誰もが絶望する中、彼らは天に向けて祈り続ける。
奇跡をもう一度、と。願うのは多くの者達の願いだろう。
けれど、思うより早くはあった。
絶望から立ち上がり、人々が立ち上がるのは。
それを導いたのは、我が娘だと、胸を張るのは自惚れが過ぎるだろうか?
あの子を俺は父親として誇りに思う。
多分、もう人間では無くなってしまった。
遠くに行ってしまった俺の娘を。
「あなた。……マリカが戻って参りました」
娘に寄り添う妻が戻ってきて告げたのは式典の当日。
その朝の事だった。
「そうか。終わった、のだな」
「はい。アルは無事救出されたそうです。そして、マリカは『精霊』の一員として式典を成し遂げるように命じられた。そう言っていました」
『神』に、不老不死の存続を乞う式典で、この世界の人々の為にマリカは命を捧げ死ぬことを強要されている。
その最期の一時を共に過ごす、という名目で側に付いていたマリカの母にして俺の妻、ティラトリーツェであったが、実は最初から知らされ、頼まれていた。
「アルを、助けに行かなければならないのです。二日間だけ私の不在を隠して下さい。
必ず、絶対。当日までに戻って参りますから」
と。
『間もなく、勇者アルフィリーガによってもたらされた不老不死が消滅する。
お前達の選択肢は二つ。不老不死を解除して、定命に戻るか、皇女マリカの命を『神』に捧げるかだ』
血も涙もない命令に、憤る者は少なくなかったがたった一人の少女の命と引き換えに、不老不死世が続くなら、と最終的に皆がマリカの死を望んだ。
「皆様がそう望むのであれば、私はその意思に従います」
『神』に仕える大神官の位にある娘は、普段の強い自己主張と決断力からは想像もつかない素直さで、自らの運命を受け入れたという。
万が一の逃亡を恐れた人々によって、監禁され、母や身内のごく一部しか近寄れない自室でマリカは残る人生の最期の三日間を静かに過ごした。
と人々は思っている。
だがその三日間、実はマリカは不在、魔王城に戻っていた。最初はゲシュマック商会の変身能力者ミルカが。後からはなんと今、魔王を名乗るノアールがマリカの身代わりを務め不在を隠していたのだ。ティラトリーツェは、それを隠す為に自ら大聖都に赴き、協力を行っていた。
「私としては……あの子が戻らぬならそれでも、と思ったのですが、ちゃんと戻って参りましたわ」
「そうだろうな。戻らねば影武者役が死を賜ることになる」
「はい。ノアールも帰還を確信していたようで、マリカが深夜、リオンと共に部屋に戻ってきた時には苦笑しながらも感謝を述べていました。
今は、式典の準備と禊をしていることと思います」
「心配しないで下さい。
私は、死ぬつもりはありません。というか、もう簡単に死ぬことはできないんです」
あの子はティラトリーツェとの最期の抱擁を許された時、
そう耳に囁き、微笑んだという。
「解りましたわ。あの子が……私達と違うモノになってしまったことが」
どこか、遠くを見るような眼差しでティラトリーツェは告げる。
それは、アルを救い出す為の『神』との対決がどんな形であれ、終わったということ。
何があったのか。何があいつらを変えたのか?
底知れぬ無力感が支配する。
結局、俺はまた、あいつらの大事に力になってやることはできなかったのだ。
「あの子から伝言です。
『式典は予定通りに行って下さい。中止を求める必要はありません。
『星』と『神』と『精霊神』は全てをご覧になっておられますから。
民が選んだ結論、その結果が示されることでしょう」
もはや、自らに死ねと命じた民に恨み言の一つをいうのでもなく、運命を受け入れているようだったと、ティラトリーツェは息を吐く。
「お父様とお母様は、式典を御心のまま、見守って頂ければ幸いです』
と。……あの子はまったく。何か考えがあるのでしょうけれど、親に我が子が死ぬところを見ろ、というなんて……」
「フォルトフィーグとレヴィーナは国に戻せよ」
「勿論です。大暴れでしたが、もう帰国させ今日ばかりは部屋で監禁するように命じてあります。あの子達がいては式典が台無しになるでしょう」
「むしろ台無しにしてやりたいがな」
既に、潔斎に入ったマリカに、俺達はもう触れるどころか手の届く位置に近づく事さえできない。アルケディウスの従者たちも戻され、今もむせび泣く者が多い。
だが、その中で涙を見せていない者もいる。
「マリカ様には、きっとお考えがあるのだと思います」
そう言い切り、真っすぐに立つのはカマラだ。
「もし、本当にマリカ様がこの世を去り、それが避けられぬというのであればマリカ様は死後の為にお言葉や、準備を残されるでしょう。でもそんなことを何一つなさらなかったということは、死ぬおつもりはないということです」
「私も、そう思います。もし、本当にマリカ様が命を捧げられるなら、共にと申し上げたのですがマリカ様は『ファミーちゃんから大事なお姉さんを奪う事はできないよ』と微笑まれて。だから、きっと何か奇跡が起きるのです」
そこまで真剣にマリカの生還を信じているのは二人だけではあるが、他の従者達も一抹の希望を胸にはしているようだ。
『神』に『精霊神』に『星』に愛されたマリカが、簡単にこの世を去ることは無いだろうと。
だが、容赦もなく時間は過ぎ、間もなく一の夜の刻に入ると、重い鐘の音が大聖都中に響き渡った。
式典の開始。マリカの命の終わりを告げる魔王の高笑いにも俺には思えて逃げるように首を振った。その時耳に届いたのは
「皆様、どうぞ式典会場へ」
神殿騎士団の出迎えの声。振り返った俺は目を剥く。そこに立っていたのはアルフィリーガ。リオンであったからだ。
「お前が、俺達をマリカの死を見せる為に促すのか?」
「全ては『星』と『精霊神』と『神』の御心のままに」
感情の無い声で告げるとリオンは、余計な事は何も語ることなく、俺達に背を向け前を歩き始めた。
会場にたどり着いてみれば、俺達は最後。
既に、皇王陛下や皇王妃、兄上達も既に、集まり立っていた。
マリカの処刑場に。
普段は王族が入ることの無い式典の場。
空には雲一つの陰りもなく、腹立たしい程だった。
通常、夏至の式典では広いこの会場が、人で埋め尽くされるというけれど、今は各国王族とその側近のみ。
誰一人として、言葉も発しない静まりかえった会場は、針が落ちる音が聞こえそうな程。
そう思った瞬間、また頭の中に声が響いた。
『子らよ。運命の時は来た』
耳を塞いでも、脳の奥底に響き渡るその重厚な響きは声だけで、人の頭を垂れさせる。
只人には逆らう事の出来ない力を帯びていると解った。ただ、不思議な違和感も感じる。
『神』の声はこんな声、だっただろうか?
『跪け』
声は告げる。神官長は、舞台の真下で杖を持って直立しているのみ。
この式典を支配するのは人ではなく『神』なのだろう。
一言も発することなく目を伏せていた。
「『神』とその定めに盲従する者よ。
不老不死世の継続を願い『聖なる乙女』を『神』に捧げること厭わぬ者は、膝を折り乙女の為に祈るがいい』
集った王族達は一斉に膝をつく。
部下達も一人として残すことなく。
幾人かは、微かな躊躇いを見せていた。エルディランドの大王、プラーミァの義兄上。
アーヴェントルクのヴェートリッヒ。
彼らもまた、悔し気に唇を噛みしめてながらも静かに膝をついた。
ただ、王族の中、俺を除いてただ一人、膝を折らない者がいた。
「ティラトリーツェ」
妻は、義父に名を呼ばれても、兄に眉根を寄せられても、膝を折ろうとはしなかった。
立ち尽くし、ただ一点を見つめている。
神殿奥の扉が開き、現れた純白の衣を纏った娘を。
マリカが死への道を歩み来るその姿だけを、目に焼き付けるかのように。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!